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ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

見積不十分、訓練不十分。組織の犠牲となって死亡した199名。「八甲田山 消された真実」  

八甲田山 消された真実
伊藤薫



だが、それよりも重大なのは、誰一人として田代新湯を知らないし、田代街道もよくわかっていなかったことにある。ここでの訓練や偵察はやっていないし、地図もないのだから経路がわかるはずがない。経路がわからなければ遭難するのは当たり前である。



冬山遭難は残念ながら絶えることがないが、
中でも未曽有の規模で語り継がれるのが、八甲田における日本陸軍の雪中行軍遭難事件である。
1902(明治35)年1月、青森を出発した歩兵第5連隊は、極寒、準備不足、判断ミス等々を重ね、
ついに参加者210名中199名、実に約95%が死亡するという事態に至った。

これほどの事故でありながら、それが明治時代に起きたためか、
現在容易に入手できる文献は極めて少ない。
僕もそうだが、大半の方は、新田次郎の「八甲田山死の彷徨 (新潮文庫)」で知り、それしか知識として持っていないのではないだろうか。

確かに同書は記録文学として著名であり、その絶望感・悲壮感を十二分に伝えてくれている。
ただ、これも1971年(昭和46年)9月に書き下ろしたものであり、
事件からは70年近く経過していることから、十分な取材があったとは言い難い。
また小説家である新田次郎が書く以上、そこにある程度の脚色が生じることもやむを得ない。

だが問題は、それによって「八甲田山死の彷徨 (新潮文庫)」が史実であると、
僕自身もそうだが思い込んでしまうことだ。

本書は、新田次郎のネタ元である、小笠原孤酒という人物による調査記録「吹雪の惨劇」を始め、
当時の報道や大臣報告等の一次史料等も踏まえ、
しかも自身が元自衛官として八甲田の演習にも参加した経験を存分に活かしながら、
「八甲田山雪中行軍遭難事件」の実像に迫る力作である。

本書では、豊富な資料から、
この第5連隊の雪中行軍演習が、
同様に雪中行軍を計画していた歩兵第31連隊に対する、第5連隊の津川連隊長のライバル意識から、
短絡的な思い付きで実施されたものであると指摘する。
しかもその準備は小説よりももっと杜撰なものであることを、次々と明らかにしていく。

・連隊の誰も、目的地どころかその道中の地理を知らなかった。
・地図すら持っていなかった。
・第5連隊は1泊演習しか経験がなかった。
・事前演習もほんの近郊まで行っただけであった。
・神成大尉が指揮する第5中隊による演習であるにも関わらず、
 その上官である山口少佐が参加し、同大佐が指揮していたため、隊の指揮系統が破綻していた。
・第5連隊は遭難事故を全く想像しておらず、事故発生後の救出活動も後手後手に回るものだった。

そして、これらを隠蔽すべく、当時の報告等は大量に嘘・粉飾がなされていたのである。

また、新田次郎の小説では対照的に描かれている歩兵第31連隊の雪中行軍についても、
陸軍の権威を振りかざし、経由地の人々に饗応(接待)を求め、
地元民に案内を強制させ、最終的にはその案内者を切り捨てるかのような行動をとっていたことを指摘し、
決して理想的な隊ではなかったことを明らかにする。

新田次郎の小説では、どちらかといえば、
八甲田山の悲劇とは、神成大尉というリーダーの力量不足が主原因であると感じさせがちである。

だが実は、第5連隊の組織的な過ちが主原因であり、それを全力で隠蔽したのである。

それは、新田次郎の「八甲田山死の彷徨 (新潮文庫)」では欠落しており、
しかも、事件の本質を大きく変えてしまう程重大なポイントである。

八甲田山死の彷徨 (新潮文庫)」を読んだ方は、必ず本書を併せて読むべきだろう。

【目次】
第1章 現代の八甲田演習
第2章 遭難前史
第3章 行軍準備
第4章 行軍開始
第5章 彷徨する雪中行軍
第6章 捜索と救助
第7章 三十一聯隊の田代越え
第8章 山口少佐死因の謎


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