ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

人は、記憶で生きている。「記憶喪失になったぼくが見た世界 (朝日文庫)」  

記憶喪失になったぼくが見た世界 (朝日文庫)
坪倉優介



「記憶を失くす」というシチュエーションは、様々なフィクションで用いられている。
そのため、「記憶喪失になった者」の漠然としたイメージはあるが、
実はそれはかなり都合の良いイメージであったことを、痛感した。

本書は18歳の時に、バイク交通事故で記憶を失った美大生、坪倉優介氏の物語だ。

記憶喪失という現実は、極めて厳しい。
「過去の記憶が無い」というレベルではない。
目の前のモノが何かが分からない。モノの名前ではなく、それが「何か」が分からない。
文字も読めない。色も区別できない(色や音といった抽象的なモノを識別するには、やはり言語化が必要なのだ)。
食べる、という行為が分からない。辛い、甘いといった感覚すら忘れている。
朝は起き、夜は眠る「ものだ」という日常習慣が分からない。

まさしく赤ん坊のような状態だ。
だが、赤ん坊―乳幼児は、そうした「分からない」ということすら「分からない」。
自我すら形成中というのが、乳幼児が全てを受け入れ、驚くべきスピードで成長する秘密なのだろう。

たが著者坪倉氏の場合、自我だけは確立されている。
すなわち、「何も分からない」ということだけは「分かる」。
これがどんなに恐ろしい状態なのか。
本書を読むことでしか、それは理解できない(それでも、理解できるのは坪倉氏の苦しみの数%だろう)。

また、記憶喪失にあるとはいえ、外見は18歳の青年である。
そして大多数の知人は、本書を読む前の僕のように、本当の「記憶喪失」という状態が理解できない。
そのため、日常的な付き合いの中には、読んでいて辛くなるような誤解・悪意もある。

それでも坪倉氏は、新しい自分自身を生きるために「絵」に執着し、
そして着物の「染色」という世界に新しい人生を創り上げていく。

記憶喪失にある息子を大学に復学させたり、
ある程度日常生活に慣れたとはいえ、坪倉氏の希望にそって一人暮らしをさせるなど、
ご両親の接し方や対処については、賛否両論あると思う。

だが、記憶喪失という想像もできない世界に陥った息子に対し、
どのように接するべきか、そこに正解は無いだろう。
現に本書後半の文章を読むと、前半の記憶喪失が信じられないほどだし、
坪倉氏は染色家として、現在も活躍しているようだ。

「記憶喪失」という状態に、自身や周囲がなることは、本当に稀だろう。
だから本書が「役に立つ」「参考になる」というものでは、ない。

だが人間は、これほどまでに柔軟で強い存在なのだと、勇気づけられる一冊だ。

【目次】
第1章 ここはどこ?ぼくはだれ?―’89.6~’89.8
第2章 これから何がはじまるのだろう―’89.9~’90.3
第3章 むかしのぼくを探しにいこう―’90.4~’91.3
第4章 仲間はずれにならないために―’91.4~’92.3
第5章 あの事故のことはもう口に出さない―’92.4~’94.3
第6章 ぼくらはみんな生きている―’94.4~’01.5
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