ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

「死者」とは、如何なる存在か。「身体巡礼: ドイツ・オーストリア・チェコ編 (新潮文庫)」  

身体巡礼: ドイツ・オーストリア・チェコ編 (新潮文庫)
養老 孟司



死者を弔う墓。
多くの人が石造の立方体を積み重ねた形式を思い浮かべると思うが、
日本でも有名な沖縄の亀甲墓や、地域によっては死体を埋葬する墓と拝む墓が別の両墓制などがあり、
地域によって様々な形態・墓制がある。

ヨーロッパ圏ともなれば、さらに異なる。
ハプスブルク家では、心臓だけをハンガリーに、残りの遺体はウィーンに埋葬する。
またユダヤ人墓地では、既存の墓を残すこと(名前を残すこと)が重要となる。
そして映画でもよく見るが、西欧圏の多くでは、墓は極めて個人的なものとして建立される。

そのような行為は、どのような思想が背景にあるのか。

一人一人の知・経験は、完全に同一のものはない。
同じ風景を見ていても、それぞれの人の視点は、それぞれ別の物語を見いだしていく。

本書は、解剖学者として生と死の関係に強い関心を抱く養老氏が、
東欧圏の墓を巡りながら、その文化的・地質的背景について思索を拡げるものだ。

明確かつ客観的な論理展開があるわけでもなく、
万人が納得できる結論が導き出されるわけでもない。

いわば、「投げっ放し」の本である。

結論を求める層にとっては消化不足に感じるかもしれないが、
おそらく本書は、そのような読み方をすべきではない。

本書は旅の記録である。
読者は養老氏と共に旅し、養老氏の独言を隣で聴いているのだ。
その独言をふまえて、読者自身でも様々に考えていく、本書の味わい方だろう。

共同体にとっての、死者の在り方。
生きている人々と断絶した存在とするのか、連続したものとみなすのか。

また、その社会にとって、死者を忘却することが是なのか、
永遠に記録することが是なのか。

生きている者の共同社会に対して、死者はいかなる存在なのか。
そうした死者観が墓制に反映されているという養老氏の指摘を知るだけでも、本書を読む価値がある。


【目次】
第1章 ハプスブルク家の心臓埋葬―ヨーロッパの長い歴史は、無数の死者と共にある
第2章 心臓信仰―日本人には見えない、ヨーロッパの古層
第3章 ヨーロッパの骸骨―チェコ、4万体の人骨で装飾された納骨堂
第4章 内なるユダヤ人―埋葬儀礼はヒト特有のもの
第5章 ウィーンと治療ニヒリズム―脳化社会と身体の喪失、その問題の萌芽を探す
第6章 自己と社会と―身体と表裏一体に存在する、意識と脳についての考察
第7章 墓場めぐり―死を受け入れた身体の扱われ方に表象する死生観
第8章 お墓が中心―名もない死体が目の前に流れ着いたとき、あなたは
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