ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

20世紀的冒険の終焉。「最後の冒険家」  

最後の冒険家
石川 直樹



21世紀に入って数年後、年明け後しばらくして流れたニュース。
朧げな記憶だが、「自家製の気球で太平洋を横断しようとしていた方が行方不明」とのこと。
ああ、また無謀な人が事故ったな、自家製気球もどうせボロいんだろうな―と聞き流していた。
その後もニュースには注目せず、頭の片隅にこんな事件があったなという記憶だけが残っていた。

行方不明となったのは、神田道夫氏。
2008年1月31日午前5時18分、高さ50m・最大直径45mという世界最大の自作気球「スターライト号」で、栃木県を出発。
単独太平洋横断に挑み、2月1日午前3時、北緯44.30・西経177.05の高度5300mを時速136kmを飛行中に連絡した後、消息を絶った。
その地点をGoogleマップで確認すれば、日本とアメリカのほぼ中間点である。


神田道夫は、「無謀な人」ではなかった。
若いころは川下りをしていたというが、結婚後に見たテレビ番組を契機に、1977年に熱気球を開始。
競技ではなく、熱気球の黒に挑むことに夢中となり、
1988年11月には、高度世界記録 12,910mを達成。
1994年6月にはオーストラリアで長距離世界記録 2,366kmを達成し、
1997年2月にはカナダ―アメリカ間で、滞空時間世界記録 50時間38分を達成。
また2000年10月には、ヒマラヤの世界第9位の高峰、ナンガパルバット(標高8,125m)越えに成功する。

ただ、スポンサーを募る冒険家ではない。
基本的に自費で準備し、仕事(市役所職員)の休暇を取得して実施するスタイルだ。
近代の冒険家の多くが、スポンサーや周囲の期待に応えようとして無理をすることが多いことを考えられば、
自身の熱意と責任だけで冒険に挑む神田氏は、身軽だった。

その熱意が次に目指したのが、太平洋横断である。
過去、熱気球による太平洋横断に成功したのは、あのヴァージン・グループのリチャード・ブロンソンと、スウェーデンの危急製作者のペアによる一回のみ(1991年)。
ただそれは高精度の自動操縦装置と気密ゴンドラを備えたもので、肉体を酷使する冒険とは異なる。

一般人の神田氏が、もちろんそんな装備を準備できるはずもない。
第一回目のチャレンジは、2004年。
天の川2号と名付けられた全高36m、最大直径26mという巨大な熱気球は、35人は運べるキャパシティを持つ。
過去の経験と工夫により、ゴンドラはビルの上にある貯水タンクを利用。
気球はもちろん自作。
搭乗するのは、神田氏と、本書の著者にして、七大陸最高峰登頂世界最年少記録を更新した経験もある石川直樹氏だ。

石川氏は熱気球の経験は無かったが、その行動力、経験を神田氏に買われ、この太平洋横断の副操縦士として乗り組むことになった(もちろん実施までに、フライト資格も取得し、神田氏と何度も練習を積んでいる)。

ジェット気流に乗るためには、高度8000mに滞在する必要がある。
自動操縦装置が無いため、二人はその極限状況で60時間操縦しなければならない。
だが神田氏の滞空時間や経験等を踏まえれば、それは冒険が成立する範囲のリスクだった。

ところがほぼ1日が経過後、熱気球の二重構造の内側のアルミが裂け、バーナーを覆う。
なんとかバーナーは回復したが、高度は徐々に下がり、そして気球の下部に穴も空いてしまう。
神田氏は横断を断念し、二人は嵐の太平洋に着水。
ゴンドラ内で嵐に翻弄される二人は、なんとか貨物船に救出された。

この一件により、石川氏は更なる安全性が必要と考えていたが、一方で神田氏はアクシデントをふせぐためにゴンドラを籐のバスケットに替えることを提案する。
それは操縦性を良くすることが目的だった。
だが居住性は更に悪化することになるし、仮にもしアクシデントによって着水した場合、ゴンドラのように浮いていることはない。
それは余りにリスクが高く、実力よりも運の要素が強くなる。
そして石川氏が神田氏の要請を断るに至った。

ここで断念したり、計画変更すれば良かったのかもしれない。
だがこれまで、自身の熱意で進んできた神田氏は、やはり籐のバスケットを採用。
一部に自動操縦装置を採用し、単独での太平洋横断に挑む。

それが2008年1月31日午前5時18分に飛び立った、世界最大の自作気球「スターライト号」だ。
(スターライト号という名は、二人が救出された貨物船の名に由来している。
このロマンチストな面もまた、アマチュア冒険家こそと言えるかもしれない。)

だが2月1日午前3時、神田は「雨が降っています。アメリカの領海に入った。これから上昇し、飛べるところまで行く」と告げた後、消えてしまった。
その時の高度は5300m、そもそも雨など振らない。神田は幻覚を見ていたのか。
ある人は、それは結露や雪だったのでは、という。実際現場は低気圧により荒れていた。

最後の連絡から30分後、一度だけ衛星電話の電源が入り、すぐ途切れたという。
その30分の間に着水し、嵐に巻き込まれたのか。

ただの「無謀な人」と思っていたが、なるほど石川氏の書くとおり、
神田氏は植村直己らの系譜に続く「冒険家」だった。
自身の夢を追い求め、自身の知恵と力を信じて突き進む。
その姿は時に眩しく、時に痛ましい。

神田氏と石川氏が載り、嵐の海に着水したゴンドラは、
なんと4年半後、悪石島に漂着する。
ゴンドラだけが一度アメリカに到達し、そして再び太平洋を横断して日本に戻ったのだ。
本書カバーのカメラは、そのゴンドラから回収されたもの。
他にもいくつかの機材があったというが、神田氏の魂や想い、夢もまた、
ゴンドラと共に日本に戻ってきたと願いたい。

地図上の冒険は、もはやない。
また機材のハイテク化が進んだ中、個人的な冒険はあっても、
人類が挑む新たな冒険は、もうほとんどないだろう。

そんな21世紀の初めに、手製の熱気球で太平洋を横断しようとする「冒険家」がいた。
神田道夫氏。
本書のタイトル、確かに「最後の冒険家」という称号は、彼にこそ相応しい。

【目次】
第1章 出会い
第2章 気球とはなにか
第3章 富士山からエベレストへ
第4章 滞空時間世界記録とナンガパルバット越え
第5章 熱気球太平洋横断
第6章 単独行
第7章 ひとつの冒険の終わりに
第8章 悪石島漂着
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