ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

一人一人が身につけるべき、知識に対する公平なスタンス。「科学的とはどういう意味か」  

科学的とはどういう意味か
森博嗣



若い頃は「学校の勉強なんて役に立つのか」と思いがちだが、
何だかんだ言って、学校で学ぶようなベーシックな内容を、
社会人になってから「きちんと」学べる機会というのは、なかなか無い。

また、各人それぞれに学問的嗜好や得意分野も異なる。
さらに、自身に適した勉強方法というのも、異なる。

今から振り返れば、学校―特に高校半ばまでは、
人類が積み重ねてきた数々の知識のうち、ベーシックかつエッセンスとなる知識の獲得を通して、
それぞれの一生を通じて活用すべき「学ぶスキル」を身につける時期ではないか、と思う。

そして重要なのは、
「人類が積み重ねてきた数々の知識のうち、ベーシックかつエッセンスとなる知識」
が、極めて限られた範囲で、かつ随時更新されていくということだ。

そのため、一人の人間の短い人生においても、
学校で学んでいない知識、
学校で学んだ知識の最新状況など、常に確認し、更新していく必要がある。

ただ、「忙しいから、そんなことしてられない」という人も多い。

しかしそういう人ほど、日常で必須なごく基礎的な知識すら確認・更新せず、
自身や周囲の人を困らせがちだと、僕は感じている。
正直、僕はそういう人を「ワシが正しい星人」と認識しており、できればお近づきになりたくないと考えている。

しかし、残念なことに(程度の差はあれ)「ワシが正しい星人」が多いと、
世の中はその方向に動いてしまう。

また同時に、高度な知識が複雑に絡み合う現代社会においては、僕自身も、常に正しい知識・判断が可能なわけではない。
誤解や思い込みも当然ある。
社会は、それを集合知によって正しい方向に修正するメカニズムであると、期待したい。

では、その「学ぶスキル」、「集合知」とは、具体的には何か。

それが「科学」という「方法」であると、著者は示す。

そして重要なのは、著者は「科学知識」ではなく、科学という「方法」が鍵であるとしていることだ。


何が分かっていて、何が分からないのかを明確にすること。
誰もが共通に理解できる「数値」を用いること。
客観性や再現性を確認すること。
公平であり、知識に対して慎重であること。

上手くエッセンスを伝えられないが、
これらは人類が長い試行錯誤の歴史を経て、ようやく入手した科学的な知識の蓄積方法そのものだ。

これを個々人が身につけ、生活の手段とする。
それによって、初めて人はホモ・サピエンスという名前に相応しい存在になれるのではないだろうか。

著者は語る。

大勢の人が非科学的な思考をすれば、それが明らかに間違っていても、社会はその方向へ向かってしまう。ファッションや流行のように、個人的に避けられるものは良いけれど、エネルギィや防災の問題など、すべての人の生活に直結するようなものだってある。


自分や大切な人を守るために、必須の「方法」がある。
それを示すのが、本書である。

【目次】
どんなことでも少し科学的に考えてみませんか?
・算数、数学、物理、化学は他の科目と何が違うか
・子供の算数離れが加速する理由
・「幽霊はいると思いますか?」という質問の怪
・言葉を頭にインプットしすぎると考えたくなくなる
・「東京ドームの◯倍」という表現で本当に体積や面積を把握できるか
・難しいのは「問題の解決」ではなく「問題の発見」
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