ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

真摯な生と、大きな遺産。「白畑孝太郎─ある野の昆虫学者の生涯」  

白畑孝太郎─ある野の昆虫学者の生涯
永幡 嘉之



動植物の保全にあたっては、破壊が進んだ現在の末期状態を維持するのではなく、過去の状態へと復元するという視点が不可欠なのだが、そのためには過去の状態を知ることが前提になる。ところが、過去の資料というものは、必要になったからといって入手できるものではない。雑木林が当たり前に広がっていた時代には、誰もそのようなものに気をとめることもないからだ。(p15)



現在の記録を残す、という行為は、現代に生きる人間にしかできない。
しかし、「現時点」は、その時々の自分にとって最も「当たり前」の状況。それを細かく記録することは、ともすれば変人・マニアの類に見られかねない。

それでも、記録することは、保護の第一歩である。

ただ野鳥の場合、観察記録又は撮影記録が主だ(鳥類標識調査だと捕獲記録もあるが、鳥類標識調査員自体が少ない。2016年11月現在、香川では僕一人である)。そのため、いきおい「珍しい種」ほど記録されやすいのだが、その記録さえも、文献として残されることは稀だ。
だから、少なくとも観察・撮影した「珍しい記録」くらいは丁寧に文献化しておこうよと、僕も運営している団体で冊子を刊行している(「香川県野鳥記録・研究報告集 Woodpecker」香川の野鳥を守る会)。

一方、昆虫だと「採集」という手段がある。だからとにかく採集して標本化(ラベル付)さえしておけば、その時代の普通種の多くも記録化できる。

だが逆に、昆虫の種数の多さ、そして地域ごとのバリエーションを考えるならば、簡単に「できるだけ多く」とも言えない。それを達成しようとすれば、恐ろしいほどの労力と時間と費用を要するだろう。

しかし、冒頭に引用に戻る。
野鳥にしろ昆虫にしろ植物にしろ、とにかく資料がなければ話にならない。

また保護だけでなく、研究という面においても、網羅的な資料は極めて重要だ。
生物地理学という分野があるが、個々の生物には、それぞれ「そこに存在する歴史」がある。
それを紐解くことで、進化、地史、気候変動、生態系の絡まり等々、僕らは地球の歴史を知ることが可能となる。
(ちなみに、その歴史を無視して存在するのが人為的な外来種である。)

本書からも引用しておく。

動植物のそれぞれに、過去の地殻や気候の変動の上に成り立ってきた、長い歴史がある。
つまり、飛んでいる一頭のチョウにも、今そこにいる理由があるのだ。(p237)



現代を記録すること。それは誰かが行わなければならない務めである。
通常、それを担うのは研究者と思われることが多いが、自然史の分野では、在野のアマチュア研究者が担っていることが多い。
もちろんアマチュアが、自身の愉しみだけのために活動しても、構わない。
だが、彼らが残した標本・記録は、未来の人々への貴重な遺産となる。
「記録を残そう」と考えたアマチュア研究者の活動は、やはり献身的な意味があると言っていいだろう。

本書で語られる「白畑孝太郎」氏は、昭和初期から第二次世界大戦以降まで、山形県において昆虫調査を牽引してきた在野の研究者である。

(ただ「在野の」とは言うものの、それは本人の意思ではない。
 もちろん家庭の事情等もあったが、後年は山形県の自然史研究を担う博物館の設立に奔走し、
まさに山形県の昆虫研究のコアになるべき位置にあった。
だが山形県の方針転換で、博物館職員は専門研究者ではなく、教職員の派遣となってしまう。
山形県の昆虫相を明らかにすべく、生涯をかけて尽してきた白畑氏の無念は計り知れない。)

白畑氏は、山形県の昆虫層を全て記録し、まさにその生物地理学的な面での研究を行おうとしていた。
そのため、残された記録は極めて膨大であり、また資料価値に富む。
昆虫標本だけではない。様々な文章記録、また当時の環境写真も多数撮影し、そのそれぞれに撮影時期・場所・撮影した主旨を裏書している。

本書は、この圧倒的な努力の人、白畑氏の生涯の記録である。

そして白畑氏の足跡を膨大な資料で辿ることで、同時に、失われた環境の多さに呆然とさせられる。
いわゆる自然だけでなく、水田、里山といった、連綿と続いていた人と自然の共生の場も、
白畑氏の生きている間に加速度を増して失われ続けた。

現代以降の課題は、やはり少なくとも現環境の保護、そして失われた環境の回復だ。
他県と異なり、白畑氏が膨大な記録を遺してくれている山形県は、回復するべき環境のヒントは十分にあると言って良いだろう。

そしてもう一つが、白畑氏が成し得なかった、昆虫を軸とした山形県の生物地理学的な研究である。
経済発展により様々な環境が失われる以前に得られた膨大な昆虫標本は、それを研究する人を待っている。

ただ現在、これらの標本は博物館には納められていない。
それは、前述のとおり博物館設立時の理想に対する裏切りと、それに対する真摯な想いに起因する。

白畑氏の死後、妻の礼子氏は次のように考えている。

生涯をかけて打ち込んだ研究資料を安心して委ねられるかどうかを判断するときに、組織や設備は関係ない。情熱をもって調査研究にあたる人がいるかどうか、その一点に尽きる。(p248)



そして現在、白畑氏の標本の管理を託されている著者も、次のように記している。

決して、どこかに寄贈して保管すれば済むものではない。志を受け継ぐ人物が標本を調べ、写真や文章から環境を復元し、そして今と比較することで、初めて活用される。それこそが、白畑自身が最も望んでいたことのはずである。遣品となつてしまった標本を、単なる飾り物にしてしまうか、それとも研究資料として生かすことができるかの分岐点は、後世で活用に携わる人物の情熱と力量にかかっているといってよい。(p257)


決して山形県の人にのみ課せられた義務ではないが、それでもこうした「二度と得られない自然史標本」は、その地の宝である。

(実際、山形県の指定文化財(天然記念物)に指定されている。 HP:山形県の宝 検索navi(山形県教育庁文化財・生涯学習課) )

白畑氏の生涯を継ぐべき人物が現れ、行政を含む環境がそれをバックアップし、白畑氏の遺産が、真に活用される時代が早く来ることを、心から望む。

本書は、一人の自然史研究者の生涯と想いを丁寧に辿った、素晴らしい伝記である。
昆虫云々ではなく、多くの方に読んでいただきたい。


ちなみに、昆虫に興味を持ち始めた頃、マークオサムシという重厚なオサムシの存在を知った。
まるで鎧を装備したかのような黒いオサムシ。東北地方の湿地帯にしか生息しない、極めて珍しい種という。
このマークオサムシ、イギリス人のルイスが明治年間に日本で採集し、名前がつけられた種類だったが、日本人は誰も採ったことがなかった。

それを日本人で初めて採集したのが、白畑氏。一九三二(昭和七)年のことと言う。
当時は、マークオサムシは山形県全域の水田に生息し、白畑氏の若い頃には、田の畦道を横切ることもあった程と言う。
だが、水田の基盤整備が進行するにつれ、マークオサムシは県内全域から一斉に姿を消し、現在ではわずか二地点の休耕田に細々と生き残るのみとなっている(本書の記述による)。

この一点だけを取り出しても、失われたものの大きさに呆然とする。


【目次】
第一章 標本に埋もれて
 標本に埋もれた書斎
 夢の軌跡
第二章 生い立ち
 標本に埋もれて自然への開眼
 進学の夢
 独学の決意
 広がる交流
第三章 警察官として 酒田へ
 ギフチョウ属の混生地
 初めての鳥海山
第四章 大陸に渡る
 中国に描く夢
 制約のなかで
 持ち帰った葉書
 新婚のころ
 黒澤良彦
 戦争の波 7
第五章 断たれた夢
 雨の行軍
 アルビオン
 蛍の海
 虫たちを支えに
 望郷のマイコアカネ
第六章 新たな幕開け
 故郷の虫
 ミヤマシジミ
 高橋多蔵
 酒田を本拠地に
 タイリクアキアカネ
 飛島とミンミンゼミ
 高館山と上池・下池
第七章 研究の途
 総合学術調査会の結成
 朝日連峰の学術調査
 山形昆虫同好会
 チョウセンアカシジミの発見
 滅びゆくものへの焦り
第八章 博物館に託した思い
 洪水と湿地の虫たち
 鈴木健太郎
 上山の風景
 博物館建設
 曲げられた夢
第九章 『山形県昆虫誌』の構想
 写真の束から
 湧水のある風景
 消えていったギフチョウ
 ウスバシロチョウの移植
 公共事業のもとに
 月山
 鳥海山と仁賀保高原
 朝日連峰縦走
第十章 夢の軌跡
 ひとつの時代
 標本の行方
 確固たる信念
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category: 昆虫

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