ちょっとヨクナレ ~読書と日記~
自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録
医療を必要とする人々の元へ。「国家救援医 私は破綻国家の医師になった」 
2017/02/12 Sun. 13:12 [edit]
国家救援医 私は破綻国家の医師になった
國井 修
日本は非常に閉じた国と、僕は思っている。
性格的にしろ物理的にしろ、「国内」と「外国」という区別を非常に強く意識すると言えばよいか。
それは島国という立地条件だけではない(それならイギリスも同じだ)。
言語の問題もあるだろうし、
単純に、国民の大部分が海外に気軽に行く時間と金銭的余裕が無いことの裏返しなのかもしれない。
(多くの社会人が、1週間の連続休暇すら取れないという国は、
逆に言えばリスクに対する余裕がないということだが、果たして良いのか?)
「それなのに」と言うべきか、「それだからこそ」と言うべきかは分からないが、
「国内」に対する「外国」を強く意識する結果、
特に、「外国の人」へは、まず善意をもって対応すべしというのが、
一般的な日本人の感覚ではないかと思う。
しかも、「日本人か外国人か」がベーシックな区分(差別ではなく)であるため、
宗教的な差異や、出身国、人種といった、対象となる人の属性によって
好意・関心を分けることが少ない(無いとは言わない)。
世界的に見れば、かなり珍しい感覚なのだろう。
さて、こうした善意の集合体が国家による援助だ。
民間での援助も有り得るが、その多くはかなり奥ゆかしい、
小さな募金の積み重ねなどによるようだ(ただ、その善意の分母がケタ外れに多い)。
だが時に、そうした奥ゆかしさを打ち破り、
時に強烈なキャラクターが、国家間で活躍することがある。
ところがその多くの方は、残念ながら一般に知られることが少ない。
例えば私たちにできること。 新型インフルエンザとの戦い (NHKプロフェッショナル仕事の流儀)」(レビューはこちら)の著者、進藤奈邦子氏。
WHOでの活動を、僕は長らく知らなかった。
また、紛争国家における武装解除(DDR、兵士の武装解除(Disarmament)、動員解除(Demobilization)、社会復帰(Reintegration))を仕事とする伊勢崎 賢治氏(「武装解除 -紛争屋が見た世界 (講談社現代新書)」レビューはこちら)や瀬谷ルミ子氏(「職業は武装解除」レビューはこちら)。
(伊勢崎氏は国連のPKOミッション等、瀬谷氏はNGOとして)。
これらの方の国際的な努力を、いったいどれ程の日本人が知っているのだろうか。
そして本書の著者も、そうした人だ。
もちろん僕が知らなかっただけかもしれないが、ぜひ多くの方に知っていただきたい。
著者、國井修氏は紛争地等での医療活動を志し、様々な活動をしながら自治医大を卒業。
その後、栃木県の山間へき地での診療を行い乍ら、紛争国等の緊急援助活動に従事。
その後はJICA、外務省を経て、2006年からはユニセフ(国連児童基金)で活動。デスクワークのみならず、
ミャンマーやソマリアでの緊急的な医療援助と、現地の医療体制の再構築に携わる。
2013年からは、世界エイズ・結核・マラリア対策基金の戦略・投資・効果局長を務めている。
一人の人間ができることなど、たかが知れている。
だが國井氏の熱意は、ユニセフという活動を通じ、数十万人の子供たちを救うための活動に繋がっていく。
誰にでも出来ることではない。
だが、日本という国で育ち、そこで学び、それでもこうした国際的な場で働くという生き方を、
もっと多くの人、特に若い人に知ってほしい。
もちろん、無責任にチャレンジしろなんて、言えない。
また、ここまで国際なレベルに達することも、現実的には難しいだろう。
だが、彼らの後姿は、自分の一歩を踏み出す勇気になるはずだ。
【目次】
序章 世界最悪の破綻国家、ソマリアで国をつくる
第1章 国に跳ね返された若き日―日本の僻地とソマリア
第2章 激烈な生と死が駆け巡るアジア
第3章 鎮魂の鐘が鳴り続けた西アジア・中近東
第4章 徹底した格差のアメリカ大陸
第5章 動乱と騒擾のアフリカ
第6章 ミャンマーの軍事政権の下で国づくり
終章 ソマリアの症状は必ず快方に向かう
▼レビューはこちら
2010年、WHOインフルエンザ担当官であった新藤奈邦子氏の本。
▼レビューはこちら
▼レビューはこちら
國井 修
日本は非常に閉じた国と、僕は思っている。
性格的にしろ物理的にしろ、「国内」と「外国」という区別を非常に強く意識すると言えばよいか。
それは島国という立地条件だけではない(それならイギリスも同じだ)。
言語の問題もあるだろうし、
単純に、国民の大部分が海外に気軽に行く時間と金銭的余裕が無いことの裏返しなのかもしれない。
(多くの社会人が、1週間の連続休暇すら取れないという国は、
逆に言えばリスクに対する余裕がないということだが、果たして良いのか?)
「それなのに」と言うべきか、「それだからこそ」と言うべきかは分からないが、
「国内」に対する「外国」を強く意識する結果、
特に、「外国の人」へは、まず善意をもって対応すべしというのが、
一般的な日本人の感覚ではないかと思う。
しかも、「日本人か外国人か」がベーシックな区分(差別ではなく)であるため、
宗教的な差異や、出身国、人種といった、対象となる人の属性によって
好意・関心を分けることが少ない(無いとは言わない)。
世界的に見れば、かなり珍しい感覚なのだろう。
さて、こうした善意の集合体が国家による援助だ。
民間での援助も有り得るが、その多くはかなり奥ゆかしい、
小さな募金の積み重ねなどによるようだ(ただ、その善意の分母がケタ外れに多い)。
だが時に、そうした奥ゆかしさを打ち破り、
時に強烈なキャラクターが、国家間で活躍することがある。
ところがその多くの方は、残念ながら一般に知られることが少ない。
例えば私たちにできること。 新型インフルエンザとの戦い (NHKプロフェッショナル仕事の流儀)」(レビューはこちら)の著者、進藤奈邦子氏。
WHOでの活動を、僕は長らく知らなかった。
また、紛争国家における武装解除(DDR、兵士の武装解除(Disarmament)、動員解除(Demobilization)、社会復帰(Reintegration))を仕事とする伊勢崎 賢治氏(「武装解除 -紛争屋が見た世界 (講談社現代新書)」レビューはこちら)や瀬谷ルミ子氏(「職業は武装解除」レビューはこちら)。
(伊勢崎氏は国連のPKOミッション等、瀬谷氏はNGOとして)。
これらの方の国際的な努力を、いったいどれ程の日本人が知っているのだろうか。
そして本書の著者も、そうした人だ。
もちろん僕が知らなかっただけかもしれないが、ぜひ多くの方に知っていただきたい。
著者、國井修氏は紛争地等での医療活動を志し、様々な活動をしながら自治医大を卒業。
その後、栃木県の山間へき地での診療を行い乍ら、紛争国等の緊急援助活動に従事。
その後はJICA、外務省を経て、2006年からはユニセフ(国連児童基金)で活動。デスクワークのみならず、
ミャンマーやソマリアでの緊急的な医療援助と、現地の医療体制の再構築に携わる。
2013年からは、世界エイズ・結核・マラリア対策基金の戦略・投資・効果局長を務めている。
一人の人間ができることなど、たかが知れている。
だが國井氏の熱意は、ユニセフという活動を通じ、数十万人の子供たちを救うための活動に繋がっていく。
誰にでも出来ることではない。
だが、日本という国で育ち、そこで学び、それでもこうした国際的な場で働くという生き方を、
もっと多くの人、特に若い人に知ってほしい。
もちろん、無責任にチャレンジしろなんて、言えない。
また、ここまで国際なレベルに達することも、現実的には難しいだろう。
だが、彼らの後姿は、自分の一歩を踏み出す勇気になるはずだ。
【目次】
序章 世界最悪の破綻国家、ソマリアで国をつくる
第1章 国に跳ね返された若き日―日本の僻地とソマリア
第2章 激烈な生と死が駆け巡るアジア
第3章 鎮魂の鐘が鳴り続けた西アジア・中近東
第4章 徹底した格差のアメリカ大陸
第5章 動乱と騒擾のアフリカ
第6章 ミャンマーの軍事政権の下で国づくり
終章 ソマリアの症状は必ず快方に向かう
▼レビューはこちら
2010年、WHOインフルエンザ担当官であった新藤奈邦子氏の本。
▼レビューはこちら
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