ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

遺された古代の世界のガイドブック。「風土記の世界」  

風土記の世界 (岩波新書)
三浦 佑之



なぜ「日本書紀」 は、「日本書『紀』」なのか。
「古事記」で「記」を使うことから、「日本書『記』 」でも良かった筈だ。
ところが六国史を見ると、日本書紀、続日本紀、日本後紀、続日本後紀、日本文徳天皇実録、日本三代実録と、
日本書紀以降は『紀』という名称が引き継がれており、『記』ではない。
またこの名称の引き継ぎを見ると、
同時に、なぜ『書紀』という名称ではなく、『紀』のみが引き継がれるのかという新たな疑問も生じる。

この点について、著者は次のように推測する。
当時朝廷は、中国の歴史書に従い、一国の正史としての「日本書」の編纂を志す。
それは、歴史 の「紀」、地誌の「志」、人物誌 の「列伝」で構成されるものだ。
ところが結局、「日本書」の「紀」のみ編纂された。
それが「日本書 紀」として遺されていたが、いつしか「日本書紀」という固有名詞になったのではないか。

なるほど腑に落ちる話であり、そうすると以降の歴史書が「紀」を引き継ぐ意味もわかる。
正史のうち、「紀」の続編だからだ。

そしてここから、風土記は「日本書 志」を編纂させるため、各国に命じてその資料として提出させたものではないか、とも指摘。
実際、公文書では律令政府が下級官庁に出す通達は「符」、それに対する報告は「解」と呼ばれる。
そして事実、現存する常陸国風土記の冒頭には、
「常陸国司解 申古老相伝旧聞事」(常陸の国司の解 古老の相伝える旧聞を申す事)と記載されているのだ。

地方において風土記を作成し、中央官庁に提出するというのはまさしく国家事業である。
であればこそ、それほどのビッグプロジェクトの目的が問題となるが、
「日本書 志」のベース資料を提出させたというのは、妥当な話だ。

そのうえで見ると、出雲国造が携わり、編纂されたのが20年後という「出雲国風土記」は、
「解」としての風土記そのものではなく、手控えを編纂しなおしたもの(だから内容も、朝廷にそのまま提出したものとは考えにくい)だという指摘も納得できる。

ちなみに風土記は、残存するのは常陸国、出雲国、播磨国、豊後国、肥前国の5ヶ国のみ。
あとは逸文が残されている程度であるが、この5ヶ国の風土記からも、
日本書紀成立当初、まだ日本書紀に示される大和朝廷の「公式」神話と合致しない、
土着の神話や天皇の認識があることが伺える。

例えば常陸国風土記には、日本書紀にはない「倭武天皇」の業績が語られている。
これを一地方の誤解と一笑に付すことも可能だが、
・記載は十数例あること
・風土記は中央政府に提出するものであること(だから中央政府の意に背く内容はありえない)
・和銅六年五月に官命が出て、数年内に撰録された常陸国風土記ができた時点では、日本書紀がまだ存在しなかったこと
などから、
天皇の系譜が日本書紀により固定される前の状況を、現在に伝えるものと見ることができる。

こりように、風土記と日本書紀、さらに本書でもかなり触れられているが、
もう一つの異質な国史である古事記を対比・整理することによって、日本の黎明期が深く理解できるだろう。
これらの史料が残っていることに感謝したい。

さて、常陸国、出雲国、播磨国、豊後国、肥前国の5ヶ国においては、
日本書紀と同時代のローカルな神話が残されていることになる。
非常にうらやましい話である。

【目次】
第1章 歴史書としての風土記
第2章 現存風土記を概観する
第3章 常陸国風土記―もう一つの歴史と伝承の宝庫
第4章 出雲国風土記―神の国ともう一つの文化圏
第5章 語り継がれる伝承―播磨国風土記と豊後国・肥前国風土記
まとめにかえて
関連記事
 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: 歴史

thread: 読んだ本の紹介 - janre: 本・雑誌

tb: 0   cm: 0

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://birdbookreading.blog.fc2.com/tb.php/700-679732f8
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

中の人

アクセス

RSSリンクの表示

最新記事

カレンダー

アクセスランキング

月別アーカイブ

ブロとも申請フォーム