ちょっとヨクナレ ~読書と日記~
自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録
昆虫採集という趣味を育て、日本の昆虫学を支え続けた男。「日本一の昆虫屋 志賀昆虫普及社と歩んだ百一歳」 
2016/09/10 Sat. 14:37 [edit]
日本一の昆虫屋 志賀昆虫普及社と歩んだ百一歳 (文春文庫PLUS)
志賀 卯助
子どもの頃、「昆虫採集キット」があった。
今では考えられないが、メス、注射器、プラスチックルーペ、そして何かよく分からない青い液と赤い液。
これ一つで素晴らしい昆虫標本ができるような気がしたが、やはり現実はそう甘くはない。
今と違ってネットも情報もなく、周囲に詳しい人もいないので、虫取り一つ満足にできなかった。
その反動か、40歳を何年か越えた現在になって、昆虫採集を始めている。
家のすぐ裏の桜並木でも、見るごとに新しい種との出会いがある。
野鳥は長年やってきたが、自分が昆虫を全く見ていなかったことを痛感する次第だ。
また、昆虫を求めると、通常、野鳥を狙う時と違う場所・シーズンのフィールドに行くことになる。
そうすると新しい野鳥との出会いもあって、久しぶりにフィールドを楽しんでいる。
さて、そうして昆虫を探し歩いていると、よく不審がられる(当然だ)。
だが、「昆虫を探しています」と言うと、皆さん納得していただける。
それは「昆虫採集」という趣味があると普及しているためだが、
日本において、「昆虫採集」という趣味を普遍化したのは、やはり本書で語られる「志賀昆虫普及社」の存在があったからこそだ。
同社の設立者、志賀卯助氏は明治36年生まれ。
新潟県の寒村で生まれ、満足に学校へも通えず、地元では「学校へ通わせてやる」と言われながら、日々奉公暮らし。
何とか東京へ出て来ても、将来が全く見えない生活が続く。
そんな中、大正の中頃、17歳で昆虫標本店で働きだし、それを機に昆虫の世界へ入る。
願いは珍しい昆虫を採集することでも金稼ぎでもなく、「昆虫採集」という趣味を日本に定着させること。
その想いが結実したのが、「志賀昆虫普及社」 である。
戦前、戦中、戦後と、昆虫採集という楽しみの普及に尽力してきた志賀卯助氏が、
93歳にて記した自伝が、本書のハードカバー版、「日本一の昆虫屋―わたしの九十三年」である。
そして同書出版後の状況を付し、御年101歳の時に文庫化されたのが、本書だ。
「昆虫採集」というとマイナーな趣味だし、昨今の風潮からは学校でもあまり推奨されない。
だが、植物・昆虫という膨大な種数がある生物群は、やはり採集して識別しなければ分からない場合が多い。
そして採集した昆虫を調べ、さらに適切な「標本」として記録化するという行為は、
むしろ多様な生物の存在を実感するとともに、極めてベーシックな自然観察の基礎力を身につけさせると考える。
特に日本のように、春夏秋冬があり、山岳から海辺まで多様な自然が凝縮されている地では、
昆虫を通して自然を実感することもかなり有益だろう。
だが、そうした知識・経験も、「昆虫採集」という趣味がスタートとしてあればこそ、だ。
それが、志賀卯助氏という一個人に負うところが大きいという事実には、驚くばかりである。
昆虫というキーワード、昆虫採集という趣味に、生理的に嫌悪感を抱く人もいるかもしれない。
だがそうした視点を一切捨てても、
本書は、明治から平成という日本の激変期において、
一本の道を切り開いてきた隠れた偉人の物語として、ぜひお勧めしたい。
本書標題の「日本一」とは、順位だけでなく、「日本唯一の」という意味でもあるからだ。
さて現在、時折り息子が山に同行してくれる。
息子は蝶を捕獲するのが楽しいようで(キャッチ&リリース)、
種名の同定や標本化までにはさほど興味が無いようだ。
たぶん数年後には、一緒に行かなくなるだろう。
だが数十年後、
僕の残した標本を見て、気分転換に山に行ってくれれば、嬉しい。
そしてその時、志賀昆虫普及社の昆虫針が入手できることを、心から願う。
志賀 卯助
子どもの頃、「昆虫採集キット」があった。
今では考えられないが、メス、注射器、プラスチックルーペ、そして何かよく分からない青い液と赤い液。
これ一つで素晴らしい昆虫標本ができるような気がしたが、やはり現実はそう甘くはない。
今と違ってネットも情報もなく、周囲に詳しい人もいないので、虫取り一つ満足にできなかった。
その反動か、40歳を何年か越えた現在になって、昆虫採集を始めている。
家のすぐ裏の桜並木でも、見るごとに新しい種との出会いがある。
野鳥は長年やってきたが、自分が昆虫を全く見ていなかったことを痛感する次第だ。
また、昆虫を求めると、通常、野鳥を狙う時と違う場所・シーズンのフィールドに行くことになる。
そうすると新しい野鳥との出会いもあって、久しぶりにフィールドを楽しんでいる。
さて、そうして昆虫を探し歩いていると、よく不審がられる(当然だ)。
だが、「昆虫を探しています」と言うと、皆さん納得していただける。
それは「昆虫採集」という趣味があると普及しているためだが、
日本において、「昆虫採集」という趣味を普遍化したのは、やはり本書で語られる「志賀昆虫普及社」の存在があったからこそだ。
同社の設立者、志賀卯助氏は明治36年生まれ。
新潟県の寒村で生まれ、満足に学校へも通えず、地元では「学校へ通わせてやる」と言われながら、日々奉公暮らし。
何とか東京へ出て来ても、将来が全く見えない生活が続く。
そんな中、大正の中頃、17歳で昆虫標本店で働きだし、それを機に昆虫の世界へ入る。
願いは珍しい昆虫を採集することでも金稼ぎでもなく、「昆虫採集」という趣味を日本に定着させること。
その想いが結実したのが、「志賀昆虫普及社」 である。
戦前、戦中、戦後と、昆虫採集という楽しみの普及に尽力してきた志賀卯助氏が、
93歳にて記した自伝が、本書のハードカバー版、「日本一の昆虫屋―わたしの九十三年」である。
そして同書出版後の状況を付し、御年101歳の時に文庫化されたのが、本書だ。
「昆虫採集」というとマイナーな趣味だし、昨今の風潮からは学校でもあまり推奨されない。
だが、植物・昆虫という膨大な種数がある生物群は、やはり採集して識別しなければ分からない場合が多い。
そして採集した昆虫を調べ、さらに適切な「標本」として記録化するという行為は、
むしろ多様な生物の存在を実感するとともに、極めてベーシックな自然観察の基礎力を身につけさせると考える。
特に日本のように、春夏秋冬があり、山岳から海辺まで多様な自然が凝縮されている地では、
昆虫を通して自然を実感することもかなり有益だろう。
だが、そうした知識・経験も、「昆虫採集」という趣味がスタートとしてあればこそ、だ。
それが、志賀卯助氏という一個人に負うところが大きいという事実には、驚くばかりである。
昆虫というキーワード、昆虫採集という趣味に、生理的に嫌悪感を抱く人もいるかもしれない。
だがそうした視点を一切捨てても、
本書は、明治から平成という日本の激変期において、
一本の道を切り開いてきた隠れた偉人の物語として、ぜひお勧めしたい。
本書標題の「日本一」とは、順位だけでなく、「日本唯一の」という意味でもあるからだ。
さて現在、時折り息子が山に同行してくれる。
息子は蝶を捕獲するのが楽しいようで(キャッチ&リリース)、
種名の同定や標本化までにはさほど興味が無いようだ。
たぶん数年後には、一緒に行かなくなるだろう。
だが数十年後、
僕の残した標本を見て、気分転換に山に行ってくれれば、嬉しい。
そしてその時、志賀昆虫普及社の昆虫針が入手できることを、心から願う。
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