ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

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公共デザインを考える。「電車をデザインする仕事 「ななつ星in九州」のデザイナー水戸岡鋭治の流儀」  

電車をデザインする仕事 「ななつ星in九州」のデザイナー水戸岡鋭治の流儀
水戸岡 鋭治



何年前だかも覚えていないが、以前仕事で九州へ行く機会があり、
ほんのわずかだが、JR九州の特急に乗った。
その時、いわゆる「JR」とは一線を画したデザインに、驚いた記憶がある。
広い車内スペース、上質な素材。
公共交通機関の枠を超えた、別の乗り物だと感じたものだ。

本書は、そのJR九州の車両デザインを行うデザイナー、水戸岡氏による
「電車デザイン」「公共物デザイン」に対する考え方を示すもの。

昨今話題となっている「ななつ星in九州」をはじめ、
JR九州が他のJRとは異なるベクトルを示していることは明らかだ。
そこにはJR九州という会社の風土、方針もあるだろうが、
水戸岡氏による個性的なデザインを具現化したことも、大きな要因だろう。

特急を作る時、路線の所要時間や乗客数、予算等はすぐに決められるものの、
内装のデザインやネーミング、それを生み出す「デザインの物語」はなかなか創ることができない。

むしろ、そうした「デザインの物語」が必要であると気づき、
そこを徹底したことが、JR九州経営陣や水戸岡氏の成功の秘訣なのかもしれない。

「デザイナーの仕事とは、子どもに感動を与えるような空間を生み出すこと」。
また、「デザインとは利用者の立場でつくり上げる、結果的にはサービスである」。
そうした考え方は極めて基本的に正しく、素直に同感できる。

ただ一方で、個人的には、ちょっと腕組みをしたくなる部分がある。
(本ブログではあまり否定的な見解は書かないようにしているので、 嫌な方はスルーされたい。)

例えば、
上質・本物の素材を用いるために山桜を求めていたが、「天然記念物のため伐採できず」(?)、
調達に難航していたところ、
「たまたまJR九州の社員の親戚に山持ちがいて、台風で倒れて敗材と化した山桜を分けてもらった」。

JR九州の内装には自然素材を多用しているが、
「木材一つにしても、職人さんがこの世に二つとない木目や組手、強度を考えて提案してくれる」。

800系新幹線の車両デザインを「縦長」(縦に3段並ぶ)にしたところ、
三段形式の光源メンテナンスの手間など反対意見もあったが、最終的に受け入れてもらった。

上質なデザインを求めた美談なのだろうが、僕としては、維持するコストがきちんと了解されているのだろうか、と気になる。
そこはかとなく、水戸岡氏のデザインの「成功」の裏に、
最初に創り上げる時には良いものの、5年、10年と経過し、メンテナンスが必要となった時には、
現場の作業員や資材調達において、通常より大きいコストを強いる可能性があるのではないか、という点だ。

デザインは最初が勝負だが、維持はそこから数年、数十年続く。
そこを見据えたデザインこそが優れたデザインだろう。
これまでデザイン性の評価が高い施設や、デザイン性を重視した施設で仕事をする機会も多かったが、
正直なところ、機能性とメンテナンス性の先見性は無いな、と感じるものばかりだった。

こうした違和感の底には、おそらく僕が、水戸岡氏の仕事に対するスタンスそのものに納得できないためだろう。

賛否両論あるだろうが、水戸岡氏は「会議にしても欧米人は自分の都合を押し付けて合理的に論破することを得意とする」が、
「日本人は無意味な競争を避け、何かの決定をする前日に酒を飲みながらお互いを理解し、最適な答えを見つけ出すために話し合ったりします。/そのようにして知的な答えを見つけてきたのも確かです。それには質の高い、戦いをしない、平和と質素を保った日本人の良き民族性が基本にあると思います。」と語る。

だが、果たして会議前に、限られた一部の人間によって妥協することが良いことなのかと、常々疑問に思う。
プロジェクトにおいて、様々な立場の者が、解決策を見つけるための会議で合理的に論議することは、当然である。
そこに前日の酒だけの何だの、個人的な関係・感情を入れ込む方がおかしくはないか。

こうした精神論的な仕事論を示されると、
上記のようなメンテナンスの手間増、代替素材の入手困難性というリスクを
将来のメンテナンススタッフが負うことについて、「合理的な理解」が得られているのかと不安になる。

正直なところ、水戸岡氏のデザインの「成功」は、
実は氏と、氏のスタンスに共感しているJR九州経営陣のタッグによって生み出された、
「スタートダッシュ時の成功」ではないのだろうか。

あまり批判するようなものでもないが、最後にあと1点、納得できない部分を取り上げておく。

ある都市の「サイン計画」(道案内の標識等だ)で、発注者が
「初めて来た人がすぐに分かるサインをつくってください」と言ったところ、水戸岡氏は次のように言う。

「このような要望をいつも断ります。
 なぜならば、どんなサインをつくったとしても六〇%くらいの人がわかるのが限界だからです。
本当に重要なのはそこに訪れた人がサインを見ながら次第に学習してわかるようになっているサインか
どうかなのです。」

「たとえば、子どもやお年寄りにわかりづらいからといってそこを基準にすればいいというわけではないのです。
公共デザインの美しさとは、みんなが使う場所だからこそ一度きちんと学習する必要があるのだと私は思っています。つまり、何回も来てわかっていくというのが正しいサイン計画なのです。」

「どんなサインをつくったとしても六〇%くらいの人がわかるのが限界」だからこそ、
それを100%に近づけるデザインを求めている。100%が無理でも、
初見で80%、いや65%でも良い、より初見で分かるサインが公共の場では必要だ。

なぜならば、そのサインを本当に必要とするのは、「何回も来て学習できる人」ではなく、
「初めて来た人」、「子どもやお年寄り」、「何回来ても学習できない人」だからだ。

どうも、「良質なもの、優れたもの、上質なものをデザインを提供しているのだから、
それが感じられない、理解できないのは利用者側の責任だし、
維持できないのは会社の責任だ」という雰囲気が感じられてならない。

もちろん、全くの個人的な意見である。世の中には僕のように偏狭な人間もいるという例に過ぎない。

【目次】
Part1 プロデザイナーとしての心構えと仕事術
第1章 総合的で創造的なデザインをめざす
第2章 デザインの基本、デザイナーの原点
第3章 日本の良さを活かすデザイン
Part2 デザインの現場
第4章 鉄道デザインの裏側
第5章 公共デザインの裏側
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