ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

増補 書藪巡歴 (ちくま文庫)   

増補 書藪巡歴 (ちくま文庫)
林 望



「書誌学」という学問、なかなか一般には馴染みが薄いが、実は極めて重要な学問である。

日本の草創期、まさに「漢字」とともに、様々な文献が日本に伝えられた。
その多くは仏教寺院と貴族に伝えられ、日本の知識階級の基礎文献となっていく。
一方、日本で生まれた万葉集・伊勢物語・平家物語なども、1000年以上の時を超えて伝えられてきた。

その過程で、たった一種類の本に対して、夥しい数の写本・刊本が生まれた。
伝えられるうちに、テキストは変容するため、
必然的に、各時代の人々が読み、学んだテキストが異なってしまう。
そのため、正確に理解するためには、そのテキストの変容を把握する必要がある。

また、そうした変容を経ているため、いったい「原本」はどのようなテキストだったのかが分からなくなってしまう。

多数の写本・刊本を検証し、その変転を明らかにし、
時代時代のテキストと、原本のテキストを明確にしていく営み。
とりあえず僕は、書誌学の意義をそう捉えている。

文字というDNAの変容から、各本の系統関係を明らかにしていく。
実のところ、系統分類学以外の何物でもない。

そして、現在刊行されている日本の古典文学は、
こうした書誌学によって最も原本に近いだろうテキストである本をベースに刊行されている。

さて本書の著者、林望氏。
実のところ、僕は「イギリスはおいしい (文春文庫)」の著者としてしか認識しておらず、
数多あるエッセイストの一人としてしか認識していなかった。

しかし実は、この書誌学という分野において、書誌学上の偉大な研究者の跡を継ぐ研究者だった。

本書はその書誌学を学ぶ学生時代から、紆余曲折を経てイギリスへ渡り、
「『ケンブリッジ大学所蔵和漢古書総合目録」を作成するに至るまでの、
学究的半生を綴ったもの。

本書では、版木による出版文化・刊行業の世界など、
書誌学の面白さ・奥深さを垣間見ることができるのは勿論だが、
何より、著者が学んだ書誌学の師に対する想い、
書誌学に対する熱意が、美しい文章によって綴られている。

個々の文献それぞれについて、徹底的に詳細なアプローチを行う太田次男氏。
一方、膨大な文献をマクロに捉え、「どんな分野のいかなる文献でも分からなければらない」とした阿部隆一氏。
全く逆ながら、けれども認め合っていた二人の間で、
書誌学の後継者たらんとしていた著書。

読んでいて、熱い思いがこみあげてくる一冊となっている。

さて、本書では、尖った骨筆などの先で紙に押し書く「角筆」について触れている個所がある。
墨等を使わないため一見何も書いていないように見えるが、
その凹みを上手い光加減で見ると、文字が見えるというものだ。

僕も大学院時代、小林芳規先生の集中講義を受け、香川大学図書館所蔵の和本と柴野栗山の栗山文庫の調査に同行させていただいたことがある。もう20年程前のことになってしまった。
その時、角筆文字を自分で見つけ出すことができた喜びも味わえたが、
何より、角筆の状況を詳細に記録し、精力的に諸文献を精査していた小林先生が印象に残っている。

日の当たらない学問であり、ともすれば軽く見られがちな書誌学。
しかしそれ無しでは、日本の文芸史は成立しない。
それが、ごく少数の献身的な学者によってのみ持続しているという事実は、
日本の大きな問題ではないかと感じる。
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