ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

絶滅した水鳥の湖  

絶滅した水鳥の湖
アン ラバスティール



僕の持つ本書は、1994年11月20日発行の初版。野鳥を見始めて間がない時期に購入した。
でもタイトルでわかる通り、読むのがつらい本だ。
だから、いつか読まなければならないと思いつつ、これまで読むことができなかった。
しかし、このブログで、この本を紹介したくて、とうとう読み終えた。

絶滅した野鳥は、オオオビハシカイツブリPodilymbus gigas
グアテマラのアティトラン湖にのみ生息していた、飛べないカイツブリだ。
ポック
"Atitlán Grebe" by http://extinct-website.com/extinct-website/product_info.php?products_id=439. Licensed under Fair use via Wikipedia.


本書では、グアテマラカイツブリと表記しているが、
それより現地でのツトゥヒル語での呼び名、「ポック」こそ、この鳥の名前にふさわしい。

著者アン・ラバスティールは、1960年初め、米国外での自然観察ツアーを企画したとき、
アティトラン湖で見たことがないカイツブリに出会う。
その後、グアテマラ市の博物館で、本種が1929年に発見され、当時約200羽が生息していたこと、
それ以降、ほとんど研究されていないことを知る。

そして数年後、離婚したアン・ラバスティールは、ほんの4~8週間グアテマラに滞在し、ついでにポックを撮影し、論文を出そうと考える。

だが、久しぶりに訪れたアティトラン湖では、ポックが激減し、約80羽になっていた。

ブラックバスなど外来者問題や、生息地のアシの伐採などの問題が発生していることに気付いた彼女は、
勢いに任せてポックの保護活動を開始し、結局、以後24年間、ポックの保護に奔走することになる。

ダム建設計画(これは中止になった)や、ブラックバスなど外来種の増加、湖畔の別荘増加。

湖の環境を悪化させる原因はいくつもあったが、彼女はアティトラン湖の湖畔に住み、
地元テインディオの理解と協力も得て、
アシ伐採の期間制限、地元の自然保護官、保護区の建設などを実施。

一時は発見時を超える約232羽まで回復するに至ったのだ。


ところが1976年、グアテマラ大地震により、湖の水位が低下し始める。

だが、環境保護活動が根付いていたアティトラン湖では、地元インディオがアシの移植に取り組み、
2年半で約7万5千株を移植。

水位低下が落ち着くまで、何とか持ちこたえようと皆が考えていたところ、
今度はグアテマラの内戦が激化。

アメリカにいた著者はグアテマラに戻れず、
地元の自然保護官は射殺され、保護区も略奪、保護活動は全て頓挫してしまう。

残ったのは、湖の周囲の乱開発。
ポックは湖に侵入した近縁種にも圧迫され、
ついに1986年、地元研究者はポックの絶滅を宣言。

その翌年、著者はグアテマラに戻り、湖で2つがいだけポックを発見したが、
保護活動は断念。

現在は1987年が、ポックの絶滅年となっている。


様々な要因が、ポックを絶滅させた。

ブラックバスなどの外来種。湖の生態系を破壊した。
ポックのヒナはバスを飲み込めず、それが理解できない親鳥は、25回もバスを与え続けたという。
また、ちいさなヒナがバスに食われることもあったかもしれない。
増加したバスは底生生物のカニも食害。ポックの餌が減少したどころか、
地元インディオがカニが取れず、蛋白質欠乏症になったほどだ。

湖畔の乱開発。シャレー(別荘)やコンドミアムの建設に伴い、未処理の排水が湖に流入。
インディオは湖で泳ぐこともできなくなった。

グアテマラ大地震。溶岩湖だったアティトラン湖では、どこかから湖水が流出。水位は5m以上も低下した。

グアテマラ内戦。地元自然保護官も殺され、全ての保護活動が破綻した。


だが、本書を読めば、著者アン・ラバスティールと地元の人々は、何とか対応していたことが分かる。
活動の結果、ポックは一時、200羽以上まで増加していたのだ。

確かに大地震という自然災害はあったが、地元インディオは大規模なアシの移植で対応しようとしていた。
このままなら、細々とでもポックは生き残ったかもしれない。
だが、内戦によって全ての環境と、人々の生活が破壊されてしまった。

結局は絶滅してしまったという事実だけを見れば、
絶滅危機に挑んだ著者アン・ラバスティールは、ドン・キホーテのように思えるかもしれない。
しかし、実際は一人の女性によって、全ては改善しつつあったのだ。

ならば、多くの野生動植物が絶滅の危機にある今、なぜ世界は、日本は、そして私たちは改善できないのか。

世界で最も美しいとまで言われたアティトラン湖で、ひっそりと消えていったポック。

その事実を、一人でも多くの方が認識し、生かしていくことを願う。

〈関係年表〉
本書から、ポックの羽数等を整理した。きちんと年代が記載されていない個所もあるため、
正確でない部分もあるが、流れは間違っていないと思う。
表中、◆は減少の原因、◎は保護活動。A.L.は著者アン・ラバスティールのことである。

1929 【約200羽】(名付け親のラドロワ・グリスコム博士)

1936 【約200羽】(アレグザンダー・ウェットモア(スミソニアン博物館))

1950年代 湖には18種の魚が生息

1958 ◆ブラックバス、クラッピー(小型の淡水魚) 放流 (数十尾)
釣り客誘致のため、パン・アメリカン航空と地元のパナハッチェル・ホテル連盟が実施

1959 アティトラン湖のポックならびに他の水鳥を殺したりいたずらすることを禁止する法律が
   実施 (ただし殆ど守られず)

1960 【目視99羽、推定 約200羽】
    シャレー(別荘)28軒
   ◆ブラックバス、クラッピー(小型の淡水魚) 放流 (2000尾)
 放流者・目的は1958と同じ

1965 【82羽】
   A.L.アティトラン湖へ。 シャレー(別荘)32軒
   この頃 湖には5種の魚が生息、大部分はバス、クラッピー、ティラピアの外来種 
   カニ、淡水魚が激減し、地元インディオにも蛋白質欠乏症が発生 

   ◎アシの伐採時期、区画制限に地元同意

1969 ◎湖に保護区建設、つがいを移住させる

1968 【116羽、推定 約125羽】
    湖での生息可能数は250羽程度と見積もる。

1969 ◆湖に水力発電所計画。
   ピーター・スコット、イギリスのフィリップ殿下らの反対もあり、計画中止。

1970頃 【157羽、ヒナを含む推定 約185羽】
    切手3種発行。保護活動の機運高まる。

1975 【推定232羽】
   保護区は観光客で賑わう

1976 ◆グアテマラ大地震

1978 湖の水位 -1m
   ◎インディオかアシの移植に着手、2年以上継続し、7万5千株を移植

1980頃 【130羽以下】
    湖の水位 -2m、アシは1968の24kmから10kmに減少
    シャレー(別荘)308軒、コンドミニアム建設

1982 【80羽】
    ゲリラが活発化

1982.5.7 ◆地元の自然保護官エドガー・パウエルが殺される

     この頃、アメリカから送った保護活動用の物資は届かなくなる

1984 【5~60羽】 
    A.L.グアテマラへ、アシは14km

1985 【54羽】
    捕獲しての人工飼育を検討、湖でナイロン漁網の使用増加(潜水性の水鳥の事故懸念)

1986 【20羽 (32羽が確認されていたが、うち12羽は後に他種または雑種と判明)】
    水位 -5.5.m、シャレー(別荘)401軒
    ◆ポックと近縁のカイツブリとの雑種懸念

1986.6 地元研究者 ポックの絶滅を宣言

1989 水位 -5.8m
   A.L.が2組のつがいを発見するも、積極的な保護活動は断念
   シャレー 449軒、アシ13km、ポックの繁殖可能面積では83%減少
   A.L. アティトラン湖の環境保全の嘆願書を提出




【目次】
プロローグ グァテマラの幻の鳥
世界で最も美しい湖
その名は「ポック」
ブラックバス
ポックを救え!
腕ききシャーマン
保護作戦開始
新しい愛
マヤの遺跡
緑の鎧戸の小さな家
夜の化け物
保護区開設
別れのとき
ダム建設計画
大地震の衝撃
しのびよる危機
長い沈黙
内戦の爪痕
風前のともしび
そして…絶滅
汚された湖
極楽の鳥
湖の試練
さよなら、ポック
エピローグ 最後の別れ
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