ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

私鉄の廃線跡を歩くIV 中国・四国・九州編  

私鉄の廃線跡を歩くIV 中国・四国・九州編
寺田裕一



プリティラヴ博士のおかげで、旧い街道とか、廃線に気が向くようになった。有り難い話である。

さて、坂出市久米町には、30年くらい前まで、港への線路が残っていた。
民間企業が敷設したものなのか、国鉄が貨物列車用に敷設していたのか、当時から気になったが、今なお放置している。
香川県の廃線なんて、それくらいだろう、と思って本書を開いたのだが、違った。

本書では、1957年(昭和32年)以降の、四国・九州の私鉄廃線が取り上げられている。

香川県で掲載されているのは、「琴平参宮電鉄」。
名前だけは、今の「琴参バス」に残っている。

琴平参宮電鉄は、坂出-琴平間と、多度津-琴平間の2路線(善通寺赤門前駅から合流)である。
中讃の主要な地域をカバーしていたようだ。
1922年(大正11年)10月22日に丸亀通町-善通寺が開通して以降、順次延伸し、1930年(昭和5年)2月には坂出-琴平の直通運転を開始。6月には、坂出-琴平も多度津-琴平も15分間隔の運行だったという。すごい。

ところが、当時は別の私鉄、「琴平急行電鉄線」もあった。
廃線時期が早い(1944年(昭和19年))ため、本書には収録されていないが、
こちらは坂出駅から川津、飯山を抜け、丸亀の郡家を通り、琴平に至る。
1930年には全線が開通していた。

すなわち、1930年から1944年までは、琴平へは
・鉄道省(国鉄)
・琴平参宮電鉄 (坂出-琴平、多度津-琴平)
・琴平急行電鉄 (坂出-琴平)
・琴平電鉄 (高松-琴平)、現高松琴平電気鉄道
の4路線が存在したことになる。

以前、街道の話で「日本の街道ハンドブック―「旅ゆけば心たのしき」街道小事典」を紹介した際(レビューはこちら)、
江戸時代頃の街道の丸亀街道(丸亀-琴平)、高松街道(高松-滝宮-琴平)、多度津街道(多度津-善通寺-琴平)が週お役していることから、
「讃岐の道は金比羅に通じる」という言葉を紹介した。

こうしてみると、この街道が、そのまま鉄道に置き換わっているのである。琴平恐るべし。

太平洋戦争激化に伴い、1944年(昭和19年)1月に琴平急行電鉄線は不要不急路線に指定され、廃線。
琴平参宮電鉄線も、営業不振に伴って1963年(昭和38年)9月に鉄道は全線廃止した。
そして現在のJR、ことでんの路線のみが残った。

それにしても、僕が生まれ育ったのは坂出だが、
こんなダイナミックな公共交通の変遷があったとは知らなかった。
機会があれば、そういう目で地域を見てみよう。路線跡の気配が感じられるかもしれない。
1930年(昭和5年)~1944年(昭和19年)までの地図も、どこかで見られれば面白いのだが。

ちなみに、父や母に聞いてみると、坂出-丸亀-琴平の電車は、
母が学生の頃に利用していたとのこと。
こちらの線路が「電車道」、国鉄が「汽車道」だったそうだ。
なるほどそういえば、四国の国鉄の完全電化って遅かったから(僕の子どもの頃はまだ汽車が多かった)、
国鉄は「汽車」と呼んでいた。「汽車道」という呼び名も納得である。
そして子供の頃、坂出にはまだ電車は無いのだ、と思っていたが、既に撤退した後だったのだ。

それにしても、昭和の初めに私鉄電車が複数路線あった、というのは本当にすごい。過当競争も極まれりである。

さて、本書は地域ごとに出ているシリーズ本である。
上記のとおり、地域ごとに様々な歴史があると思うので、
ぜひ皆さんのお住いの地域について、一度確認してみることをお勧めする。

ところで、僕が子供の頃の坂出駅は、木造の屋根付き(というか箱型)の陸橋で、別のホームに渡る形式だった。
ネット上にないかなあと思って探したら、1枚あった。
こちらの「しこく’ず わ~るど」の坂出駅のページ(本当はフレーム内ページだけど、それだとリンクが貼れないので)。
一番下の方に改修中の駅があり、陸橋が写っている。懐かしい。

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