ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

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江戸時代のお触れ (日本史リブレット)  

江戸時代のお触れ (日本史リブレット)
藤井 讓治



時代劇などを見ると、橋のたもとに高札が立っていて、庶民が見ている風景がよくある。
また、「○○の御触書」というのも学校で習った気がする。

でも、実際にどのように運用されていたのか。
あんなので庶民がみんな知っていたのか。
幕府領でない藩まで協力していたのか。 漠然とした疑問があった。

本書は様々な「御触れ」を紹介し、その変遷過程等を解説するものである。
ミーハーな眼で見れば、信長の楽市令の高札が現存しているなんて知らなかった。

また、「で庶民がみんな知っていたのか。」という疑問については、
「御触れ」に対しては各町の名主が「借家・店借りの者にまで言いきかせます、背いたらどのように仰せ付けられても結構です」という「請書」を出していたという。江戸時代ってすごいなあと思った次第である。

もう1点驚いたのは、聞き覚えのある
「田畑永代売買禁止令」と「慶安御触書」が幕府の正式な全国令でなく、
どうも現在の教科書ではスルーされているらしいこと。
時代は変わるというか、古い教科書知識のまでいてはイカンと反省。



【目次】
お触れの時代
1 さまざまな「お触れ」―1700年のお触れ
 1700年のお触れ
 生類憐れみ関係のお触れ
 金銭改鋳に関するお触れ
 酒造統制に関するお触れ
 火事・防火に関するお触れ
 朝鮮人参の所持調査
 風俗に関するお触れ
 鳴物停止令
 日用統制
 江戸の築地と塵芥
 人相書
 その他のお触れ
 年々御定式のお触れ
2 「お触れ」の作成と伝達
 御用部屋でつくられたお触れ
 将軍の意向ででた鳴物停止令
 江戸町奉行から町へ
 町中連判請状
 1700年の京都
3 「お触れ」誕生まで
 お触れに先行する高札
 老中奉書をともなう高札
 キリシタン禁令
 寛永末年の飢饉の高札
 無名のお触れ
 老中奉書のお触れ
 無名のお触れの成立
4 お触れの諸相
 「田畑永代売買禁止令」―全国令でなかったお触れ
 全国令となった田畑永代売買禁止令
 「慶安御触書」は1649年に出たか
 変身したお触れ

【メモ】
p7
「生類憐れみの令」があるわけではなく、生類をめぐる様々なお触れの総称。
最初は1685年7月 将軍御成の道筋に犬・猫が出てもかまわないというもの
1709年1月10日の綱吉死去直後に、「生類の儀、向後(きょうこう)御構いこれなく候」という触れが出されて終息。
生類憐れみに関するお触れは、少なくとも1685-1709に100通を超える。

p60
江戸時代直前まで、支配層の意向を庶民に伝える手段は高札(こうさつ)。
織田信長の楽市令も高札として、1567(永禄10)年10月に美濃加納に建てられた。
現物が加納円徳寺に現存している。

「定
 一、本文???
 右条々、於違反之輩者、速可処厳科者也、仍下知如件、  
 (右条々、違反の輩においては、速やかに厳科に処すべき者なり、仍って下知件の如し)
 永禄十年十月 日 (信長花押)」

p71
1635年、キリシタンの取り締まりも諸大名に老中奉書をもって命じた。
ただし高札として建てるかどうかは様々。
1654年、大名たちの江戸留守居を召し寄せ、家光から家綱への代替わりを理由に、キリシタン高札の立替を命じた。これによって全ての領内に高札が建てられた。
以降、年号が変わるたびに書き改められ、将軍の代替わりには巡検使が見回り、家数の多いところや文字の見えないものを改めさせた。

p76

「覚」で始まる差出人も宛名もない「無名のお触れ」は、
大名以下に対する幕府の絶対的な権威の存在を示す。
幕府成立直後からあったわけではない。

老中奉書→老中奉書を伴う「無名のお触れ」(寛永末年)
→「無名のお触れ」として大名の江戸留守居へ1通ずつ渡される(1650年代以降)

p83
「田畑永代売買禁止令」は、1643(寛永20)年10月に出された2つの郷村仕置についての定めのそれぞれ一か条にすぎない。
1 1643.3.11 17か条「土民仕置」
 →内容、他の定めとの関係など様々な面から、この時期にしばしば見られる関東地域を対象とした法令の一つとみるのが妥当
2 1643.3   7か条郷村仕置定
 →内容から幕府領を対象としたものとみるのが妥当
・各地の大名領には田畑永代売買禁止に関する法度の記録がない
この禁令以降も全国で永代売買の証文が多く残っている

→全国令ではない。
ただし、1687年に質にとった田畑の年貢納入の規定と共に、以前出した田畑永代売買禁止を守ることを求めており、これによって全国令となった。
しかし、既に各地の土地制度・慣行が定着しており、従わない大名も多く、
また幕府も摘発を積極的に行わなかった。

1782(明治5)年 明治政府が「田畑永代売買禁止令」を廃止

p87
「慶安御触書」1649年に百姓対象に出されたものとされていた
しかし、吉宗が編纂させた幕府の法令集「御触書寛保集成」や
江戸時代前期り法令集「御当家令条」、藩や村で書き留めた記録の中にもない。

様々な研究を踏まえ、1999年山本英二氏「慶安御触書成立試論」
・1697年に甲府藩がだした「百姓身持之覚書」を引き継いだもので、幕府の法令ではなく、1649年に出されたものでもない。
・「慶安御触書」は、「徳川実紀」の編纂を主宰した大学頭林述斎が、生家である美濃岩村藩を指導し、1830年に岩村藩で刊行させたもの。このとき、公儀=幕府がだしたものとされた。
・「徳川実紀」が出典としている「条令拾遺」は、「徳川実紀」の編纂過程で収集されたものであり、その中では「百姓身持之覚書」である。
・岩村藩で刊行された「慶安御触書」は、その後多くの藩で1649年に出された幕府令として扱われた。
→現在では教科書から消えるか、江戸時代の農村法令として限定を伏している。






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