ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

市民科学者として生きる  

市民科学者として生きる
高木 仁三郎



高木仁三郎は原子力業界から独立した組織、原子力資料情報室の代表として、
脱原発・脱原子力運動を推進した。
ただ、僕はこの方のことは知らなかった。
本書は、高木氏が肝臓にも転移したS字結腸のがんが発覚してから、
自身の生涯、考え方をまとめた一冊。
氏の生き方、考え方のバックボーンを整理している。
後書きでは、1999年7月。
亡くなったのは2000年10月だから、大きな手術をし、
死ぬまでの間に本書をまとめたことになる。
その仕事に、まずは感嘆する。

さて、「市民科学者」とは何か。
本書中に明確に定義づけされているわけではない(されてなかったと思う)が、
軍縮や環境など、市民が大きな関心を持ち、
市民にとって重要な科学分野について、
市民の立場から(政策・企業からは独立して)研究・整理していく科学者、と言えるのではないだろうか。

現在の日本において、こうした明確に立場にたっている科学者が何人いるだろうか、と考えざるをえない。

高木氏の人生においては、
氏の脱原発・脱原子力運動は、まさに「反体制」であり、
そこには軽くしかあれられていないが、様々な圧力があった。

それは残念ながら、日本の大多数が、氏が主張するような原子力の危険性を理解できなかったためだろう。チェルノブイリ、スリーマイル、そして東海村JCO臨界事故など、気づくべき契機はいくもあったが、どこか他人事、またいわゆる原発神話に安心していた部分もある。
また極めて潜在的な部分では、「逆説の日本史」で井沢元彦氏が指摘しているように、
日本人は「最悪の状況」について「語る」ことで言霊が発動する、
単純には「縁起でもない」「考えたくない」という意識があったのだろう。

しかしそのせいで、
日本人は、高木氏らが孤軍奮闘してるときに原発を止められず、
また止めないにしても、十分かつ冷静な安全対策を検討することすらしなかった。

そして高木氏を失った中で、
東日本大震災と福島第一原子力発電所事故を経て、
多くの日本人が原子力の危険性に直面している。
高木氏の指摘、活動の正当性は、いやというほど実感したはずだ。

今後の日本をどうしていくか。

エネルギー施策や経済対策など、それこそ経済的・政治的側面はあるにせよ、
今求められているのは、我々一人一人が、高木氏のような市民科学者たらんとして、
自分で調べ、学び、判断することではないだろうか。
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category: エッセイ

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