ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

この薬があって、良かった!「世界史を変えた薬 (講談社現代新書)」  

世界史を変えた薬 (講談社現代新書)
佐藤 健太郎



医学史の本を読むたびに、特にこの100年くらいの医学・薬学の進化には驚かされる。
逆に言えば、
100年前の医学では、現在だと容易に助かる負傷・病気も、助からない。
今に生きていて良かった、とつくづくと思う。

本書は「世界史を変えた」というタイトルだ。
ダイレクトに歴史を動かした薬も、もちろんある。
だがその多くは、その薬によって極めて多数の人の健康維持が可能となり、
以降の世界状況が一変するような「薬」が取り上げられている。

キニーネ、麻酔薬、消毒薬、サルファ剤、ペニシリン、アスピリン。
一般的には、そもそも普段の生活で意識することすらなく、
傷病を得て病院に行った際、知らないうちに処方されるくらいだろう。
それほど「当たり前」なのだ。

だが本書によって、これらの薬が発見されるまで、
実用化以後の状況を比べれば、そのインパクトの大きさに驚かされる。

さて本書の特徴は、それぞれの薬の「物語」が語られていることだ。
どのような切っ掛けで、それぞれの薬が見出されたのか。
それぞれを巡る発見上の争いや、商業上の争い。

また最終章で語られるエイズ治療薬については、
登場時点では人類を滅ぼすかのように語られていたエイズに対し、
日本人が突破口を拓いたという、おそらくあまり知られていないストーリーが紹介される。

人により、また立場により、
「世界を変えた薬」については、本書以外にも思いつくだろう。

だか紛れもなく本書にある薬が欠けていれば、
人類は今の生活基盤まで達成できていなかっただろう。

それを改めて実感するために、手軽に読める本書は有用である。

なお、各イラスト等が正確さに欠けたり説明不足であるとの指摘もあるが、
本書のスタンスから考えれば、まずはストーリーを知る本と思うべきだろう。

【目次】
第1章 医薬のあけぼの
第2章 ビタミンC 海の男たちが恐れた謎の病気
第3章 キニーネ 名君を救った特効薬
第4章 モルヒネ 天国と地獄をもたらす物質
第5章 麻酔薬 痛みとの果てしなき闘い
第6章 消毒薬 ゼンメルワイスとリスターの物語
第7章 サルファ剤 道を切り拓いた「赤い奇跡」
第8章 サルファ剤「奇跡の感染症治療薬」誕生の物語
第9章 ペニシリン 世界史を変えた「ありふれた薬」
第10章 アスピリン 三つの世紀に君臨した医薬の王者
第11章 エイズ治療薬 日本人が初めて創った抗HIV薬
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category: 医学

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KING OF POPSの素顔。「マイケル・ジャクソンの思い出」  

マイケル・ジャクソンの思い出
坂崎ニーナ



かつて、全世界的(といっても欧米圏と、それらと文化的に交流がある国だけだが)に、
時代を支配する音楽というのがあった、と思う。

村上春樹氏が何かに書いていたが、
ある時期は、いつでもどこでもビートルズが流れていた。

そして80年代は、
マイケル・ジャクソンとマドンナがそれだったと思う(個人の感想である)。

今の若い人々には想像もできないだろけれど、
80年代に思春期を過ごした世代にとっては、好むかどうかに関わらず、
マイケルは「KING OF POPS」以外の何者でもなかった。

2003年以降、様々な疑惑が報道され、マイケルを音楽シーンで見かけることは少なくなった。
だが2009年3月、ついに復活。最後のツアー『THIS IS IT』を発表。
2009年7月から2010年3月までの全世界で50公演というスケールにも関わらず、
4時間でチケットは完売したという。

だがツアー開始の直前2009年6月25日、マイケル・ジャクソンが死亡したというニュースが、
全世界に流れた。
マイケルを積極的に聴いていなかった僕でも、衝撃だった。

本書は、80年代の、最もマイケルが輝いていた時代に、
不思議な縁で日本におけるビジネスパートナーにして友人となった著者による、
素顔のマイケル・ジャクソンの回顧録である。

奇矯な振る舞いばかり報道されている印象があったが、
本書を読めば、いかにマイケルが音楽とエンターティメントに対して真摯であり、
多くの人に分け隔てなく優しく、
そして孤独であったかが、伝わってくる。

VIP席はスポンサーにも配られるものの、
メインは施設の子どもたちや、ホテルのメイド・シェフなど、
日頃お世話になっている人に向けたもの。

マイケルに自分を売り込みたいという若者を部屋に入れ、
彼らと率直に意見を交わす姿。

ステージで最大限のパフォーマンスをするための準備と努力。
自身が知らないこと、学びたいことに対する積極性。

一方、食べている姿を人に見せなかったり、
看護婦といえど、知らない女性が近くにいることを苦手とする内気さ。

プライベートでの服はだいたい赤いシャツに黒いスラックス。

自身で靴を買いに行くこともできず、流す涙。


映画化された『THIS IS IT』(ステージを創り上げるためのドキュメンタリー)を見ると、
バックダンサーやコーラスの人たちがマイケルを尊敬し、慕い、
そして友人として楽しんでいる姿が伝わってくる。
本書は、なぜそこまでマイケルに近い人々が、マイケルを愛したかが理解できる一冊だ。

本書の装丁、素人っぽいイラストだが、これは著者が描いたもの。
そして栞は、マイケルのシャツと同じ赤、見返しは(ステージを象徴する?)金と、
マイケル・ジャクソンへの敬意に溢れている。

マイケル・ジャクソンに興味がある方は、
多くの本に埋もれてしまった本書を、ぜひお読みいただき、
「KING OF POPS」の素顔に触れていただきたい。

そしてまだマイケル・ジャクソンに触れていない方は、
ぜひYOUTUBEなどでご覧いただきたい。



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category: ノンフィクション

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ミケランジェロの想いを読み解く。「ミケランジェロの暗号―システィーナ礼拝堂に隠された禁断のメッセージ」  

ミケランジェロの暗号―システィーナ礼拝堂に隠された禁断のメッセージ
ベンジャミン ブレック,ロイ ドリナー



ミケランジェロ・ディ・ロドヴィーコ・ブオナローティ・シモーニ。
ルネサンス期というだけでなく、西洋芸術史において最も著名な芸術家の一人である。

まず彫刻家として「ダヴィデ像」で名を馳せたが、僕としてはやはり、ピエタの美しさに魅了される。
Michelangelo's Pietà, St Peter's Basilica (1498–99)
By Juan M Romero (Own work) [CC BY-SA 4.0], via Wikimedia Commons

彫刻だけでも素晴らしいのに、絵画でも最高の芸術家である点がミケランジェロの恐ろしさだ。
その代表作が、システィーナ礼拝堂の天井画と、
Sistine Chapel ceiling photo 2
By By Aaron Logan, from http://www.lightmatter.net/gallery/italy/4_G & Talmoryair [Public domain], via Wikimedia Commons

祭壇壁画「最後の審判」である。
Last Judgement (Michelangelo)
Michelangelo [Public domain], via Wikimedia Commons

ただ僕は漠然と、「両方に才能が有り、どちらにも思う存分力を発揮した」という印象があったのだが、
実はそうではない、というのが本書の入り口である。

メディチ家では、ミケランジェロに一般的なキリスト教(カトリック)のみならず、
古代ギリシャの芸術・哲学、聖書以外のキリスト教の伝承を学んだ。

これを踏まえて本書では、まず古代ギリシア的な美を追究する中で、男色にも寛容的であったこと、
そしてメディチ家が支配する時代のフィレンツェではユダヤ人も自由に暮らし、
ミケランジェロの教師もまた親ユダヤ的思想であり、その教養もユダヤ人的バックボーンがあったということを指摘する。

その一例として、システィーナ礼拝堂の「原罪と楽園追放」において、
アダムとエヴァが立つ「知識の木」をリンゴではなくイチジクとして描いていることを挙げる。
この、「知識の木はイチジクである」という解釈が、すなわちユダヤ教に伝わる伝承や聖書の解説を集めた「ミドラッシュ」に基づくものだという。

この事実を踏まえて、著者はミケランジェロにとって、
システィーナ礼拝堂の天井画を描くことは喜びどころか苦行であったことを示す。

・発注者は、自分を育ててくれたメディチ家と対立するローマ教皇であること。
・ユダヤ人はミケランジェロにとって教師・友人など身近な存在だったが、
 当時のカトリックにおいてはユダヤ人は迫害していたこと。
・ミケランジェロにとって、芸術とはあくまで彫刻であったこと。
・男色に寛容的だったフィレンツェに対し、カトリック教はそれを禁じていたこと。

そこから導かれる結論として、ミケランジェロは天井画の随所に、
ユダヤ人(及びその教え)を尊重することと、教皇に対する侮蔑を盛り込んだというのが、
本書のポイントである。

例えば著者が指摘するのは、例えば
システィーナ礼拝堂天井画に(一般的な)キリスト教的題材が少なく、
前キリスト教的題材や、ヘブライ語聖書の英雄たちが多いことだ。

日本ではあまり類例を思いつかないが、
西洋絵画でにおける聖書のテキスト性というのは、極めて強い。
バチカンが認めたのが「聖書である」という前提があるため、誰もが同じテキストを共有している。
そしてカトリックであれば、旧約聖書・新約聖書と並んだ時に、より重要な題材とはイエス・キリストとその使徒だろう。

ところが天井画には、新約聖書の人物が一切描かれていない。
(「最後の審判」は、天井画の20年後に追加された作品だ。)
それどころかあえユダヤ教により近いテキストから題材を選んだという点が、
ミケランジェロの恣意性を示すという。

その上で、具体的図像の解明にあたっていく。
教皇を模した人物に対し、背後の天使が侮辱するサインを示していること。

ユダヤ教の聖典とされるタルムードにおいて、真に高潔な父と評されるアミダナブが、
明らかに当時ローマ教会がユダヤ人に強要していたユダヤ人の印を衣につけ、
険しい表情で教皇の玉座にむかって指で「悪魔の角」のサインを示していること。

モーセに「聖なる土地」にいるため履物を脱ぐように神が指示したことを踏まえ、
描かれたヘブライ人預言者も裸足となっているが、
唯一教皇の頭上のエレミヤだけは靴を履いていること。

これ以外にも多数の図版を用いながら、本書はミケランジェロの隠された意図を描き出していく。

ユダヤ教的な暗示については、僕自身に知識がないこともあり、
どこまでが正当な主張なのかは、正直判断に迷う部分がある。

だが、システィーナ礼拝堂に対するミケランジェロの姿勢については、
おそらく本書が指摘するとおり極めて反抗的な意図があったのではないかと思う。
そしてミケランジェロの生い立ちと、当時の絵に様々な寓意を込める常識的思考を踏まえると、
本書の示す見方は、あながち間違いとも思えない。

いずれにしても、システィーナ礼拝堂を単なる美術として崇め奉るのではなく、
ミケランジェロが「なぜその題材を選び」、「どう描いたか」を考えることは極めて重要だろう。

本書はタイトルから、「ダ・ヴィンチ・コード」の二匹目のドジョウとか、
単なるトンデモ本と誤解される可能性が高い。
だがその内容は、丁寧な論理展開によるものであり、一つの見解として尊重すべきだろう。

なお本書のカバーは折り畳まれた特殊なものとなっていて、
展開するとA2版程度のシスティーナ礼拝堂天井画の図版となっている。
ミケランジェロの凄さを味わいながら、じっくり読める一冊だ。


【目次】
第1篇 はじめに、神は天地を創造された
 システィーナ礼拝堂のなりたち
 芸術作品に埋めこまれた言葉
 反逆児の誕生
 非常に特別な教育
 楽園から地上へ
 運命から地上へ
第2篇 システィーナ礼拝堂へようこそ
 扉の向こうへ
 天空の天井
 ダヴィデの家
 天空の四隅
 預言者たち
 天に通じる道
 別れぎわの捨てぜりふ
第3篇 天井の彼方に
 再び礼拝堂へ
 『最後の審判』の秘密
 晩年の秘密
 変わりゆく世界
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category: 美術

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「誰から見ても正しい判断基準」が成立し得るのか。「メモリアル病院の5日間 生か死か―ハリケーンで破壊された病院に隠された真実」  

メモリアル病院の5日間 生か死か―ハリケーンで破壊された病院に隠された真実
シェリ・フィンク



仮定してみよう。あなたは医者である。
町全体を襲った洪水により、数人の医者と患者と共に、勤務先の病院で孤立した。
病院は既に停電し、自分では回復できない。
季節は真夏。激烈な暑さが続いている。
連絡手段はメールのみ。公的機関には繋がらず、
唯一応じてくれる病院のマネジメント部門は「自分で何とかしろ」と言うのみだ。
被災後、高度なケアを必要とする患者は、全て死亡した。
それでも不定期に来るヘリにより、他の同僚と患者は、なんとか脱出できた。

残るは自分と、身動きが取れず、昏睡状態の患者のみ。

洪水が引く気配は一切なく、食料や水は無くなりつつある。
病院内は腐臭と排泄物の臭いが充満し、暑さも増すばかりだ。
ラジオでは略奪や暴動が起こっているという。
近くでも銃声や叫び声が聴こえていて、数日以内に襲わる可能性が高いだろう。

そんな中、明日ヘリが来るとの連絡があった。
だが、これが最後の救助であり、動ける者しか連れて行けないと言われる。

自分ならどうするだろう?

2005年8月29日、アメリカ・ニューオリンズを、巨大ハリケーン・カトリーナが襲った。
いくつもの堤防が決壊。元々低地にあったメモリアル病院も被災した。
電源は地下にあり、当然ながら停電。水道も機能しない。
病院には200人以上の患者、600人以上の病院スタッフ、1000人以上の近隣住民が閉じ込められた。
真夏の、停電して水が出ない病院に、膨大な人々。衛生状態は急速に悪化していく。
それでも脱出できる者は、何とか逃げられた。

問題は、患者と医療スタッフだ。
先が見えない絶望的な状況の中にあって、どんな患者から脱出させるべきか。
日本と異なる点として、明確に蘇生禁止の意思表示をしている患者もいる。
病院から脱出させたとしても、その途中で危篤状態に陥るかもしれない。だが、蘇生措置は行えない。
ならば、蘇生禁止患者の優先順位は下がるだろう。
また蘇生禁止を表明していない重症患者も、劣悪な環境下での搬送に耐えられないかもしれない。

メモリアル病院の一部の医師は、重症患者と蘇生禁止患者の救助は後回しにするという判断を行った。
そして脱出の最後のチャンスを迎えつつある時、これらの患者を死ぬままに残し、
苦しみの中で死亡したり、略奪者に殺される可能性を残すよりはと、
大量の薬物による安楽死を選択した。

本書は、ハリケーン・カトリーナの襲来、絶望的な状況、
殺人事件としての逮捕、そして無罪となるまでを、多くの関係者へのインタビューや取材により、
極めて克明に描き出すもの。翻訳されたものでも4cmの厚さだが、これでもカットした部分があるという。

第三者的視点に立てば、単純に殺人事件か否か、と問うことも可能だろう。
だが本書冒頭のような状況に自らが(もしくは身近な人が)陥ったとき、彼/彼女の判断に、
果たして「正解」があるのだろうか。
それどころか、正解を導けるようなヒントすらないのが、現状なのではないだろうか。

本事件でも逮捕後、このような事態で殺人罪が適用されるならば、
災害時に医者として活動できないという意見を表明した医師も多いという。

日本人は「仕事」という言葉に甘えて、「仕事なんだから我慢しろ」というスタンスを他者に強要しがちだ。
たが災害時、医療関係者も等しく被災者である。
それなのに、なぜ医師は被災者ではなく「医師」として行動と責任を求められるのだろうか。
医師にそれを強要するならば、
実は勤務中に被災した職業人は、すべからくその職務を「死ぬまで」続ける責任と義務があるということになってしまう。
医師(または公務員や公共インフラに携わる者)は別だというのであれば、
そうした災害時の判断と責任を「個人」に負わせない仕組みが必要だろう。

冒頭のシチュエーションを思い出していただきたい。
残った患者が、末期ガンだったら。子供だったら。老人だったら。外国人だったら。知人だったら。
蘇生禁止を常に告げていたら。
あなたは、どう判断するだろうか。その責任を問われることに納得できるだろうか。
そうした場合の判断基準があるのだろうか。

また本書での「電源喪失」は、現在日本からみれば、どうしても東日本大震災とだぶってしまう。

メモリアル病院の悲劇は、様々な教訓を残している。
だがそれを活かしているとは、決して言えない。
本書は、多くの人々に読み継がれなければならない一冊である。

【目次】
第1部 死の選択
 1926年、1927年の嵐
 カトリーナ襲来前夜
 カトリーナ襲来とメモリアル病院
 停電と洪水
 電源喪失とトリアージ
 猛暑と命がけの避難
 蘇生禁止患者と安楽死
第2部 審判
 不審死と告発
 逮捕と大陪審
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category: 災害

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〈2017/9/16〉台風襲来  

〈2017/9/16〉台風襲来

皆様を始め、全国に大きな被害が無いことをお祈りしています。

さて、かなり未読の本が溜まってきたので、8月中旬に「これからは絶賛積読解消月間!」と決意。
かなりハイペースで読み進めていたが、
重度の活字中毒は読むだけでは満たされず、月間はおろか半月程度で挫折。
9月に入り、水が低きに流れるように購入再開。
問題は、AMAZON・ブックオフ等で新しく見つけた本や、読みたい本リストから削除した本を購入していること。
それどころか、新しい本を見つけるための書評本を買っている。
結果、当然ながら「読みたい本リスト」が減らないのだが、もう自分が本当に「読みたい本リスト」の本を読みたいのかすら、疑問に思えてきながら、読書の秋を迎え撃つ。

▼バッタでお馴染み前野ウルド浩太郎氏も取り上げられている、6人の研究人生インタビュー集。
ところで本書は違うけれども、文字通り「研究室」そのものをテーマとする本も面白いだろうなあ。


▼牡蠣のシーズンが近い。
既に読了したが、本書は「昆布と日本人 (日経プレミアシリーズ)」(レビューはこちら)と並び、今すぐ牡蠣が食べたくなる面白本。
お薦めだがレビューはまだ先になるので、気になる人はAmazonをチェック。


▼グイン・サーガの著者、栗本薫氏のガン発覚から退院・再発までの手記。
 80~90年代には、この人の本が本屋でびっしり並んでいたなあ。


▼シーラカンスを主軸として、遺伝子進化について解説。
 生きているシーラカンスを見たいなあ。


▼書評家の本は、知らない世界への鍵だ。
 読みたい本・積読本が増加しているが、それは気にしない。


▼メディアでは、北朝鮮の話題が主で、ISや中近東の話題がめっきり少なくなったけれど、
 今こそ丹念に報道するのが大事なのではないだろうか、と思うこの頃。


▼84人が、好きな本や本との出会いなどを書き下ろしたもの。
 本好きにとっては語り尽きせぬ話題であり、僕も自分の本棚の前で話しだした止まらないだろう。
 そうした「話したいこと」を「一方的に読まされる」という、被虐的で倒錯した本(嘘)。
 ホントは、まさに「次の本」に出会うための、良いガイドブック。


▼考古学調査で発掘される昆虫の破片から視えること。
 考古学・昆虫好きのいずれも楽しめる。

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category: 雑記:日々のこと

thread: 日々のつれづれ - janre: 日記

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まだまだ読みたい本がいっぱいだ!「ノンフィクションはこれを読め! 2014 - HONZが選んだ100冊」  

ノンフィクションはこれを読め! 2014 - HONZが選んだ100冊
成毛 眞



ノンフィクション書評サイト、HONZで紹介された本の中から、
これはと思う100冊をセレクションしたもの。
2012年の「ノンフィクションはこれを読め! - HONZが選んだ150冊」、2013年の「ノンフィクションはこれを読め! 2013 - HONZが選んだ110冊」、そして本書と3年続けて刊行された。
収録数が150冊→110冊→100冊と減っているが、それはそれ。

既に4年前の本なので、どうしても既読の本も多い。
しかし、やはり多種多様な本好きが薦め、その中から厳選した100冊。
見過ごしていた!という本も有れば、当時は気にしていなかったけれど、
現時点では読みたいと本も見つかった。

それはそれとして、本書を通読し、
改めてHONZが基本的に新刊を紹介するというスタンスであることと、
こうしたセレクションブックの親和性を実感した。

ノンフィクションが扱うのは、様々な事件・事故、発見や技術革新、社会問題などだ。
それはすなわち、時代の鏡であるとも言える。

本書では、例えばSTAP細胞事件、スノーデンによるNSA傍受暴露事件、ダイオウイカに始まる深海ブームなどが背景に有り、イーロン・マスクが電気自動車に進出しようかという時期だ。
それぞれについて、「背信の科学者たち 論文捏造はなぜ繰り返されるのか?」、「暴露:スノーデンが私に託したファイル」、「深海の怪物 ダイオウイカを追え! (ポプラサイエンスランド)」、「イーロン・マスクの野望 未来を変える天才経営者」など、それぞれを知るうえで、手に取って間違いない本が紹介されている。
こうした時代性が在ることによって、本書は単なるノンフィクション紹介本ではなく、これ自体がノンフィクションとなっている。

そして何より2013年、「本」を発信源とする事件としては、
殺人犯はそこにいる」(レビューはこちら)の刊行だろう。

(1)1979年 栃木県足利市 5歳女児
(2)1984年 栃木県足利市 5歳女児
(3)1987年 群馬県新田郡尾島町(現・太田市) 8歳女児
(4)1990年 (足利事件) 栃木県足利市 4歳女児
(5)1996年 (失踪事件) 群馬県太田市 4歳女児

これらの事件には、次のような共通点がある。また犯行は半径10キロの範囲内。
・被害に遭ったのが4歳から8歳までの児童
・パチンコ店が行方不明の現場(3事件)
・河川敷で死体遺棄(3事件)
・金曜、土曜、日曜および祝日に事件が発生(4事件)

ただこれらは、連続事件とはみなされていない。
この謎に挑み、「北関東連続幼女誘拐殺人事件」として真犯人に肉薄したのが、本書だ。

そして司法が正義を貫くことができるのかを、「本」という媒体によって問いかけた稀有の一冊である。
HONZでも、「殺人犯はそこにいる」 について様々なレビューがなされ、その一部が本書にも収録されている。

この事件は未だ解決されていない。
唯一、HONZの熱いレビューが「過去のもの」にならないことが悔やまれる一冊である。
このレビューを「本」として遺すためにも、本書は重要だろう。

ところでHONZによるセレクションブックは、本書以降刊行されていない。
主筆の成毛氏の意向かもしれないが、上記のような「時代性」も踏まえて、
そろそろ続刊を出してほしいところ。
















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category: 読書

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強烈な美の眼差しが見出したオブジェの数々。「澁澤龍彦 ドラコニア・ワールド」  

澁澤龍彦 ドラコニア・ワールド
澁澤 龍彦



河出文庫で刊行されていた様々な澁澤龍彦の本。
黒魔術の手帖」とか「毒薬の手帖」とか「異端の肖像」などなど、
魅力的なオカルティックな世界について、
しかしオカルト論からではなく、西洋文化史の一側面として、
様々な文献を駆使して紹介してくれる澁澤氏の本は、中高生の頃には、非常に魅惑的だった。

フランス文学・美術史を踏まえた豊富な知識、一方でサド論などを含むエロティシズム。
かれこれ数十年本を読んできたが、
そういえば澁澤龍彦的立場を承継した文筆家は、たぶん居ない。

それほどまでに「異質な魅力」に溢れる澁澤龍彦の本。
残念ながら今、それぼと多数流通している様には思えないが、
本書は澁澤龍彦氏が収集した様々なモノについて、
澁澤氏が様々な本に書き記したエッセイを抜粋し、収録したものだ。

澁澤氏の美意識を、モノそのものと文章から楽しめる訳で、
非常にお得な一冊である。

髑髏模型、メノウ・オパール等の宝石類、
貝殻やウニの標本、異国のナイフや、時計、仮面。
単なる美しさだけでなく、妖しさを兼ね備えた数々の品は、写真を見ているだけで楽しい。
しかもそれらについて、澁澤氏自身が語ったエッセイがある。
ゆったりとした夜に、短く、濃密な読書ができるだろう。
またやっぱり澁澤氏だなあと感じてしまうのが、
貞操帯や四谷シモンの人形なども含まれているところ。
だが、昨今のように下品・下世話な興味ではなく、あくまで、そこに含まれる美を追究する。

モノそれぞれも美しいが、それを描く写真も味わい深い。
澁澤龍彦の魅力が凝縮された一冊として、書棚に残しておきたい一冊である。

【目次】
プロローグ
1 髑髏の巻
2 アストロラーブの巻
3 人形の巻
4 庭へ
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category: 美術

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華やかな世界を彩る職業人。「オークションこそわが人生」  

オークションこそわが人生
ロバート・ウーリー



子どもがまだ仮面ライダーや戦隊モノにハマっていた頃。
X'masには当然それらのグッズが期待されるのだが、
そうしたグッズが販売されるのは、おおむね夏から秋。
12月には既に転売屋に買い占められ、高価格の出品しかなくなる。
だからX'masを見越して入手しておくのが、数年間の任務であった。

需要と供給が価格を決めるというのは仕方がないが、
こうした「プレミア価格」は、長らく日本では骨董品や切手・コイン等、
限られた趣味の世界だったと思う。

何でもかんでもプレミアがついたり、「プレミアがついて当然だ」と期待(または諦め)するようになったのは、
恐らく「開運!なんでも鑑定団」も一部影響しているだろう。

そして、プレミア価格という需要と供給によって決定される価格を、
リアルタイムで創出する場が、オークションである。

オークションと言えば、すぐ思い浮かぶのがChristie'sクリスティーズとSotheby'sサザビーズ。
美術品競売で著名だが、そのうち本書はサザビーズにおいて、
装飾美術品部門の責任者であり、また1974年には上席副社長にも就任した、
名物競売人ロバート・ウーリーの自伝である。
ロバート・ウーリーは特にロシアの装飾美術品が専門であり、まずはその価値を見抜き、高くオークションでさばくことによって高評価を得た。
本書前半部では、そうした「目利き」として成長してきた過程と、サザビーズでどう働き、
いかなる成果をあげたかが紹介される。
時代は1965年から70年代。サザビーズ自体もまだ現在のような大規模会社ではなく、
西洋絵画がほぼ中心だった時代だ。
だから、つまらない成功譚やビジネス論というより、過去の時代を振り返るスタンスで楽しめる。

そしてサザビーズにおいては、様々な顧客やオークションの話題。
ある個人の遺産全てをオークションにかけるハウス・オークションの段取り・テクニックなど、
全く今後の人生に役に立たないけれども、華やかなオークションの陰にこうした苦労(と楽しみ)があるのか、と興味深い。
登場する様々な大富豪の名前には日本では縁がないが、ちらほら、アンディ・ウォーホルやエルトン・ジョン等の名前もあって、アメリカの成功者たちの生活が垣間見える。

またロバート・ウーリーのオークションは、単なる進行役としてではなく(それでも十分な知識と技術が必要だが)、会場に参加している人々を直接煽り、誘い、促すことでオークションを盛り上げていく。
競売人がこうして関与するオークションはロバート・ウーリーが嚆矢らしく、
本書後半でもそのテクニックを用いて、様々なチャリティ・オークションに競売人として呼ばれている様子が伺える。

そう、本書を読んで最も驚いたことの一つが、オークションの「競売人」が単なる雇われ者ではなく、
彼自身が目利きであること、
そして「オークションという手段で多額の収益を上げるプロ」として、社会的な立場が確立されていることだ。
日本でもチャリティー・オークションは開催されているだろうが、
そこに「プロの競売人」が呼ばれ、積極的に多額の収益(チャリティーとしての収入)を得ようとすることは、まずないだろう。
だが、チャリティ・オークションを開くコストをかけるなら、最大限の収入を上げようとすることは、間違いではない。
日本だとなあなあと済まされるところだが、こうしたアメリカのリアリスティックな考え方は、とても好ましい。

さて、本書はこうした競売人の自伝としても楽しめるが、一方で、ロバート・ウーリーがゲイであり、エイズで死亡しているという事実が、かなり大きなウエイトをもって語られている。
1980年代以降といえば、ゲイに対するバッシングと理解、エイズに対する恐怖と受容など、
アメリカ社会でも激変期と言える時代だ。
その中にあって、サザビーズを代表する競売人であり、様々な階層と接する機会が多かったロバート・ウーリー。
だが彼は、自らがゲイであることを隠さず、常にオープンであった。
本書でも、真剣な恋愛と別れ(一人は相手がエイズにより死別するもの)が描かれているが、
男女間の恋愛と変わるところは全く無い。

あくまで競売人として人生を全うしていくロバート・ウーリーの姿は、
ゲイだとか何とかは関係なく、やはり一人の、とても特殊なビジネス界で成功をおさめた人間の物語として、
誰もが楽しめるだろう。

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石は、意思だ。「石ひとすじ―歴史の石を動かす」  

石ひとすじ―歴史の石を動かす
左野 勝司



2007年に実施された、高松塚古墳の解体修理は記憶に新しい。
石そのものではなく、表面に塗られた漆喰に絵が描かれた巨石を、
一切破損させずに運び出す。
しかもそれは国宝であり、一挙一動が注目されている。

これほどのプレッシャーの中、見事に成し遂げたのが本書著者が率いる飛鳥建設と、クレーンメーカーのタダノである。
なぜ著者が、高松塚古墳の解体工事に携わるようになったのか。

高松塚解体時には、既に伝統的石造物の保存・修理なら左野氏しかしないという評価を得ていたが、
そこに至るまでの人生、まさに駆け出しの時代から全ての記録が、ここに綴られている。

石屋として実直であるだけではない。
唐招提寺の故森本恭順長老との出会い。
左野氏は単なる石屋ではなく、森本長老の息子のように、森本氏の日常に寄り添うようになっていく。
本書の前半部はその日常が綴られているのだが、天衣無縫というか豪放磊落というか、
何とも複雑な優しさと厳しさと同居している森本氏の元で、
左野氏は石屋としても人としても修行しているかのようだ。

そしてその出会いの中で、伝統的石造物に積極的に携わっていたことから、
石のスペシャリストとして石舞台古墳の復元実験への参加に繋がる。

そしてその経験が、タダノが手がけたモアイ復元プロジェクトに活かされていく。
モアイ復元プロジェクトについては、南三陸町の復興のシンボルであるモアイに関する物語「モアイの絆」(レビューはこちら)でも詳しいが、本書はそれを左野氏の目線で語ったもの。
それそれの考え方は異なれども、モアイ復元プロジェクトが物心両面で偉大なプロジェクトであったことを実感する。

そして、モアイ復元プロジェクトを通してタダノと付き合っていたことで、
高松塚古墳の解体工事が成し遂げられたのだ。

考えてみれば、あれほどセクショナリズムによって劣化してしまった高松塚古墳である。
復元工事もセクショナリズムのために、船頭多くして船山に上るではないが、
遅々として進まなかった可能性も十分ある。

だが実際は、左野氏とタダノという、伝統石造物の修復・復原については誰もが疑いようのない実績がある両者がいたことによって、作業は極めてスムーズに(というか、自己犠牲の上に)進んだ。
日本の文化財保護において、このタイミングで両者が在ったことは、極めて僥倖であったと言える。

その後も両社はアンコールワット遺跡の修復なども手掛けるが、
気がかりなのは「あとがき」である。

左野氏は語る。
私はいま、修理ができました、石室を元に戻してくださいと言われたときが一番怖い。
(略)
なぜかというと、私は解体の二年半のプレッシャーを乗り越えた。解体している四か月ではない。私にとって大きいのは解体前の、二年半のプレッシャーだった。あわせて約三年という時間のプレッシャーを、また乗り越えられるか、私には自信がないからだ。

左野氏は、1943年生まれ。2017年現在で74歳だ。

高松塚古墳の復元(いつになるかは不明だが)だけでなく、
今後も、日本の伝統的石造物は常に修復・保存を要する。

左野氏に続く人が育つのか。日本の文化財保護行政の大きな課題だろう。


【目次】
1 石との出会い
2 唐招提寺と生涯の師
3 忍性の墓・行基の墓と竹林寺
4 石舞台古墳の復元
5 世界と飛鳥の石造物
6 モアイ像の復元
7 アンコール遺跡・西トップ寺院の復元
8 高松塚古墳の解体をめぐって


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