ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

失われた写本を最新技術で復元する、知の冒険物語「解読! アルキメデス写本」  

解読! アルキメデス写本
ウィリアム・ノエル,リヴィエル・ネッツ



現代人は、古代人より優れているのか。

つい「現代人の方が賢い」というイメージを持ちそうになるが、
実際のところ、少なくとも古代エジプト文明の黎明期である紀元前3000年以降、
たぶん賢さは変わっていない。

もちろん現代は、小学校で0の概念を習い、理解する。
だがそれをもって、0を知らなかった古代人よりも賢いとは言えない。

実際のところ、現代人が極めて若い頃から高度な知識を学ぶことが可能なのは、
「能力的に」可能なのではなく、「環境的に」可能だからだ。
すなわち、知識量の蓄積があるためである。
言い換えれば、現代人は「学ぶ」が、個人個人が「発見」しているのではない。

さて、知識の蓄積は、文字と記録媒体(紙など)の存在と、それを発見し、遺した人が過去にいた結果である。

そしてそれぞれの時代に発見できる「知」は、それまでの「知の蓄積」が出発点となる。

むしろ古代人は、「知の蓄積」においてハンデがあるのだ。
結局のところ、現代人も歴史的人物も脳の能力には差はなく、
本質的に在るのは個体間の差だけだろう。

とすれば、一般的な現代人よりも遥かに優れた知性が存在していても、不思議ではない。

そのような人物の一人が、アルキメデスである。

様々な定理と逸話により、少なくとも学校教育を受けた方は、
全てこの方のお世話になった(人によっては苦しめられた)だろう。

その天才的な頭脳は、古代ギリシャにおける工学・数学の限界を超越しており、
まさに現代の基礎となっている。

だが、アルキメデスが生きていたのは紀元前287年頃から、紀元前212年まで。
キリストが生まれる以前であり、その著述はほぼ全て失われている。
現在いくつかの論文が知られているが、原文そのものが残っている例はなく、
様々な写本や引用による窺い知れるのみだ。

正確に辿ろう。
アルキメデスの原文書は、パピルスに書かれ、木製の芯がある巻物だった。
これに数々の数学的命題を記載し、エラトステネスへ送っている。

エラトステネスへ送られた手紙は写本が造られたが、パピルスという素材、
その後幾多の戦争、そしてキリスト教の普及により、
「キリスト教の修養のための書物こそが残すべき文書」という価値変化から、
写本の多くは失われてしまう。

だがその後、コンスタンティノープルにおいて、「古典」を写本に移すという作業が行われた。
ここでアルキメデスの文書は、羊皮紙による冊子として写本化される。

この時点で筆記法も変化し、アルキメデスらが用いていた大文字法(全て大文字)から、
小文字法が生み出される。
そして写本後、大文字の原本は放棄され、あとには小文字の写本のみが残る。

こうしてアルキメデスの写本は9世紀から10世紀の時点で、3冊のみが残された。

これらはA写本、B写本、C写本と呼ばれている。
アルキメデスの各論文は、このどれかに(ものによっては重複して)記載されている。

このうちB写本は、ローマの北にある町ヴィテルボの教皇の図書館で1311年に確認されたきり、行方がわからない。
またA写本は、1564年に、ある人の蔵書として記載されたきり、行方不明だ。
この2冊からはさらに写本が作られており、ダ・ヴィンチやガリレオは、
これによりアルキメデスを理解している。
だが、A・B写本そのものは、失われている。

問題は、C写本だ。
これも失われたと思われていたが、1906年、
コンスタンティノープルに遺る174ページの羊皮紙の書物を調査したヨハン・ハイベアが、
その書物はパリンプセストであることに気づく。

パリンプセストとは、一度書かれた羊皮紙の文字を削り、薬品で消滅させ、再利用した文書だ。

そして、うっすらと残る旧文書が、実はC写本であることに気づいたのだ。
現存する、唯一の最も古いアルキメデス写本である。

このパリンプセスト文書は、1920年代に売却され、誰かの手を経て、
1998年10月29日、ニューヨークのクリスティーズで競売にかけられた。

このパリンプセストを匿名の大富豪が買い取る。
また個人のものとして失われてしまうのかと落胆するなか、
ウォルターズ美術館の写本担当者である著者が、展示のために一時的に借りられないかと(ダメ元で)提案する。

その結果、なんと匿名の大富豪「ミスター・B」はそれを了承。
それどころか、パリンプセストの保存・修復、失われた文字の復元、そして記載された内容の解読を託す。
資金は全て、ミスター・Bが提供する。

こうして、1000年前の書物、しかも削り取られた文字を再現するという、前代未曾有のプロジェクトがスタートする。
そこで得られる結果は、人類史上有数の天才、アルキメデスの失われた到達点である。
凡百の冒険小説では立ち向かえない、なんと魅力的なテーマだろう。

本書はその過程を辿る者だが、奇数章をウォルターズ美術館のウイリアム・ノエルが担当。
写本解読というプロジェクトを記していく。

一方偶数章は、ギリシャ数学の研究者であるリヴィエル・ネッツが担当。
こちらは解読された写本の内容をふまえながら、アルキメデスが到達していた数学について解説する。
そして、パリンプセストに記載されていた内容が、これまでの数学史・アルキメデス観を覆すものであることを示していく。

数学というと僕も含めて苦手な人も多いが、
アルキメデスは現代の数学的な記述方法自体が発明される前の人物だ。
だから、そこで用いられる武器は、図形と思考のみ。
三角形の面積とか、単純なレベルかなと思って読み進めていただいてよい。

そうすれば、図形と思考という極めて原始的な武器しかなかったにも関わらず、
アルキメデスが恐ろしく複雑な図形の体積を求め、
その過程で「実無限」の概念に肉薄し、
また組み合わせ論にも思い至るという、とんでもない天才であることを実感できるだろう。

一方、数学は無視して、本書を純粋な考古学的興味だけで読むことも可能だ。
何といっても、1000年前の羊皮紙写本。
中には全面が塗りたくられたページすらある。

どのような技法で、どのような苦労で、文字を再現するのか。
古代研究としても、本書は優れた(そして現在進行形の)冒険物語だ。

【目次】
アメリカのアルキメデス
シラクサのアルキメデス
大レースに挑む第1部 破壊から生き残れるか
視覚の科学
大レースに挑む第2部 写本がたどった数奇な運命
一九九九年に解読された『方法』―科学の素材
プロジェクト最大の危機
二〇〇一年に解き明かされた『方法』―ベールを脱いだ無限
デジタル化されたパリンプセスト
遊ぶアルキメデス―二〇〇三年の『ストマキオン』
古きものに新しき光を
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古文書は、情報の宝庫だ。「中世の古文書入門 (視点で変わるオモシロさ!)」  

中世の古文書入門 (視点で変わるオモシロさ!)
小島 道裕



連綿と続く日本だが、それでも大きな断絶がある。
特に、明治維新だ。
政治的な機構だけでなく、話し言葉・書き言葉すら、大きく江戸時代から変わってしまった。
その結果、江戸時代に刊行された膨大な量の書物を読むことができる人間は、現在、極めて少ない。

いわんや、「刊行された本」という体裁をとらない文書に至っては、「読む」という行為すら思いつかない。

だが、それでも同じ日本である。「読めない」のは、悔しい。

そこで以前、「やさしい古文書の読み方 」(レビューはこちら )を紹介した。

同書は、
古文書とは何かかに始まり、書き方の作法、文書の仕組みを解説し、
その上で「くずし字」を読むコツを解説してくれた。
これ一冊で「読める」とは言わないが、「古文書は読める」と知ることは、確実にできる一冊であった。

一方本書は、対象を中世の古文書に絞る。
朝廷、幕府、戦国大名が入り乱れる波乱の時代。
それは、多くの文書が飛び交う時代でもあった。

恩賞、命令、軍令、主従関係。
様々な関係が、文書によって伝達された。

その多くの文書を、見開きで実例として紐解いていく。
特筆すべきは、その視点だ。
「文字を読む」ことも重要だが、本書では特にその形式に注目する。

中世の古文書では、宛名をどう、どこに書くか、
また差出人の名前をどのように、どこに書くかということにより、言外のメッセージを伝えることができた。
現代社会では忘れ去られてしまった、これらの「決まり」を、本書は教えてくれる。

また同時に楽しいのは、「花押」の成り立ちだ。

戦国大名の文書を彩る花押だが、その形成、書き方、特徴などは、
なるほどこれらの「文書史」を知ることで、具体的に理解できる。

本書では、足利尊氏、伊達政宗、織田信長、豊臣秀吉などの花押を例に、
その書き方、構成、そしてそこに籠められた「意思」なども紹介する。
「古文書の読み方」だけでなく、こうしたトピックを知ることができるのも、また楽しいところだ。

人生において、古文書を読むというシチュエーションがそう在るとは思えない。
だが、「古文書は当然ながら読めるものだ」と知っておくことは、日本に生きる者としては知っておくべきだろう。

【目次】
第1章 朝廷と天皇の文書
第2章 武家の文書
第3章 文書が残るということ
第4章 さまざまな契約書
第5章 組織と儀礼
第6章 戦国大名の文書
第7章 近世の文書へ

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ニホンオオカミ、廃線路橋  

〈2017/03/25土〉

久方ぶりに新刊書店へ。娘が6巻まで読み終わったので「ビブリア古書堂の事件手帖7 ~栞子さんと果てない舞台~ 」を入手。
僕が読めるのはまだまだ先だなあ。
ついでに自分のための本を物色していると「ニホンオオカミは消えたか?」を発見。ざっと目次や参考文献を見ただけだが、かなり深く調査し、とても丁寧にニホンオオカミ問題を整理している感じ。期待が高まり購入決定。
まだ読んでいないが、雑誌「シンラ」で山根眞氏も問題提起していた「そもそもニホンオオカミとは何なのか」という種の記載に関わる問題も視野に含めながら、「ニホンオオカミは生きている」(レビューはこちら)での目撃事例、「オオカミの護符 」(レビューはこちら)で取り上げられたオオカミ信仰まで包含している。
ニホンオオカミについて単純化すれば、
「ニホンオオカミとは、どんな形態の生物か」という点について、学術的な整理がないまま、
「誰も見なくなったから絶滅ね」と結論付けたもの。
「見なくなった」のか「見ても分からなくなった」のかも曖昧。また「見なくなった」というのも、積極的に調査したわけでなく、「見たという記録が無くなった」という程度。
日本の動植物保護史における重要な問題を含むテーマなので、ぜひ多くの方に興味を持っていただきたい。

車検ついでに、またブックオフ。
子供が読むかもと考え、太宰の「晩年」、漱石の「こころ」を確保。
自分用には、まず「マイケル・ジャクソンの思い出」。以前読んだ「患者さまは外国人 無国籍ドクターと空飛ぶナースのドタバタ診療日誌」でマイケル・ジャクソンが受診しているエピソードがあり、とても驚いた記憶があったので、
同様に「日本人とマイケル・ジャクソン」のエピソードを知りたくなり購入。
マイケル・ジャクソン THIS IS IT」も見たけど、やっぱり「夢を与える人」として偉大と考える。
あとは、「東大教師が新入生にすすめる本 (文春新書)」を、自分の射程外の本を見つける手掛かりとして購入。寝る前にチェックする本にしよう。

さて、所用で宇多津中学校付近を通行中、古そうなアーチ橋を発見。
2017IMG_1165.jpg
位置からして古い鉄道跡と直感、降りてみた。予想通り説明看板もあった。
2017IMG_1166.jpg
明治30年(1897年)の讃岐鉄道から国鉄を経て、昭和63年(1988年)まで現役だったアーチ橋。
味わいのある佇まいである。
2017IMG_1167.jpg
ちなみにスタンフォード大学が公開している陸軍地図(昭和7年修正、まだ坂出市が「坂出町」だった時代)でみると、このあたりかな?
2017地図宇多津
こういうの見ると、ワクワクするね。















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category: 雑記:日々のこと

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ニセモノだからこそ、面白い。「ニセモノ図鑑: 贋作と模倣からみた日本の文化史 (視点で変わるオモシロさ!)」  

ニセモノ図鑑: 贋作と模倣からみた日本の文化史 (視点で変わるオモシロさ!)
西谷 大



ゼロ THE MAN OF THE CREATION」という漫画がある。
天才的な技術と豊富な知識、圧倒的な記憶力によって、依頼された品を完璧に複製・再現する人物の物語だ。
いわゆる贋作モノだが、ゼロが創るものは「本物」であるとされる。
なかなか面白い漫画なのだが、これが楽しいのは、現実世界でも常に真贋の問題があるためだ。

実際、驚異的な贋作者もいれば(未読だが「ピカソになりきった男」など)、杜撰なモノであっても、人を「騙す」ことさえできれば本物として通用し、社会を混乱させうる(例えば、「偽書「東日流外三郡誌」事件 」(レビューはこちら )など)。

また贋作は美術作品に限らない。
むしろ実用品であればこそ、ニセモノが介入する余地もある。
特に金銭に直結するモノ、例えば遺言書(「筆跡鑑定入門──ニセ遺言書、文書偽造を見破るには」(レビューはこちら ))にもニセモノは有り得るし、
ずばり偽札(「」レビューはこちら)になれば、国家レベルでの贋作づくりも有り得る。
(第二次世界大戦中の日本の偽札作りについては、「陸軍登戸研究所“秘密戦”の世界―風船爆弾・生物兵器・偽札を探る」(レビューはこちら) )でも取り上げられている。)

人の営みが損得勘定に左右される以上、ニセモノは人々の生活から切り離すことはできない。

そうすると、人がニセモノを造り、買い求め(騙される場合もあれば、知ったうえでの購入もある)、活用する姿というのは、まさに人の「民俗」そのものと言えるだろう。

本書は、「本物」を収集・展示することが使命の一つである国立歴史民俗博物館が、
あえてニセモノに注目した企画展、
「ジュラ紀から現代まで」とうたった「大ニセモノ博覧会」 から、そのエッセンスたる展示物を紹介したものだ。

例えば戦前までの日本では、ある程度の家には座敷があり、床の間があった。
床の間には春夏秋冬、また祭事に応じて掛け軸―書画をかける。
その「家」が地域を代表する資産家であれば、その書画は「由緒正しい作品」である必要がある。
そこに、ニセモノが介在する余地が発生する。

また、「由緒」といえば、そのものずばり「家の由緒」「特別扱いの由緒」もニーズがある。
本書で紹介されている例は、先祖が武田家に仕官したという「由緒」や、
また甲斐国で行われた特殊な換金法に基づき、年貢が低率になることが保証される「恩借証文」などだ。
精巧なものから稚拙なものまで、こうした偽文書造りが一般化していたことが伺える。

ちょっと脱線するが、「東日流外三郡誌」事件を引き起こした和田氏も、
こうした「古文書偽造」を商いとする系譜に連なる人物だったのだろう。

さて、本書で面白いのは、本物が存在しないニセモノ、すなわち空想の動物も取りあげている点だ。
具体的には「人魚のミイラ」である。
ペリーの航海誌には、和歌山を通過する際に「人魚のミイラを作っている」と記述があるらしく、
どうも人魚のミイラは特産物の一つだったようだ。

「大ニセモノ博覧会」の開催にあたり、人魚のミイラを借りることができなかったため、
筆者らは新しく作っていまう。
その「正しい作り方」を知っている人がいたというところが、面白い話である。

サルの上半身と鮭の下半分を組み合わせるといった基本的な技法は知っていたが、
実際に作るとなると、さらに様々なテクニックがあって興味深い。

生の素材をミイラ化させるために漬け込む液、その期間。
サルだと腕が長すぎるため、それを短くする配慮。
そしてミイラに古色をつけさせめための方法など。

いやはや、ニセモノ造りは奥が深い。


【目次】
第1章 ニセモノとおもてなし
第2章 なぜ偽文書は作られたのか?
第3章 パクリかパロディか
第4章 ニセモノを創造する
第5章 ニセモノから学ぶ

▼手軽に楽しめる。


▼未読。いつか読みたい。


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古書好き 連綿と  

〈2017/03/22水〉
ニッポン旅みやげ」読み始め。通常の観光地とは異なる土地、そこでの歴史の欠片を見つけるような本。
ぶらり途中下車の旅がしたくなる一冊。春になったら、何事もなかったら旅行するんだ(死亡フラグか)。
娘が「ビブリア古書堂の事件手帖 (6) 」まで読み終え、俄か古書ファンになる。
パラフィン紙やアンカットが良く分からないというので、手元の本や、何かに使えるかもと思って撮影していた実家にある本(近代文学館の復刻版「詩集 邪宗門」。本当に役に立つとは思ってなかった)の写真で説明。
アンカットの状態はこんなのである。
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他に古書はあるかというので、写真を撮っていた芥川の「羅生門」と太宰の「人間失格」を示す。

太宰は筑摩書房版なので価値はそこそこ。
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芥川は阿蘭陀書房版の初版(の筈)なのだが、やや痛みがひどい。函もないし。
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他にも三島由紀夫の署名本とかあった筈。
いずれ実家から持ってきたいが、置き場が悩ましい。
ただ、我が家に新しい本好きが生まれつつあることだし、
興味を深めるのに協力したいところ。
色々確執があったが、これらの本を遺した亡き祖父も喜ぶかと思う。
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古書と温泉  

〈2017/03/20月〉
会誌や諸々の文書を作成したりで午前中は沈没。午後買い物につきあい、特に自分の用事は無し。
夕方、心が折れそうだったので、雨中だったが初めての「仏生山温泉」へ。
温泉施設とは思えないオシャレな空間、ロビーには「50m古書店」(だったっけ?)と銘打ち、
古書も販売するという不思議な空間。
品揃えが多い訳でなく(文庫本数十冊と、ハードカバー20冊程度かな)、
何でこの本?という雑多なセレクションだが、雰囲気は楽しい。
なにしろ近くにブックオフがあるのが鬼門。絶対に通ってしまう。

〈2017/03/21火〉
ざっとだが「ヤマケイ新書 山岳遭難は自分ごと」を読了。道具の使い方・救助時のロープワーク・ビバーク時のツエルトの使い方等、シーンごとに、かなり具体的な方法が紹介されているのが特徴。
「セルフレスキュー」というタイトル通り、本書のノウハウを知り、練習しておくだけで、山でのトラブルへの心構えが変わってくると思う。
1,000m未満の低山であっても、山道を踏み外しての負傷や道迷いは有り得る。
また僕らのような野鳥観察でも、それなりに人気のない山道を行くこともある。学んでおいて損は無いし、本書を参考に装備を見直しておくことも重要と痛感。

それにしても、国立科学博物館の「大英自然史博物館展」、いいなあ。行きたいなあ。
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2017/03/19 リフレッシュ!   

〈2017/03/19日〉
香川県三豊市・宝山湖にて 野鳥観察会実施。今回は久しぶりに息子も同行。
羽数は少ないが種数は多かった。できれば明日報告を会のブログに投稿したいところ。
今日くらいの気温が楽で良いが、鳥的にはあと1か月前倒しすべき感。
ツバメの群れ、巣材運びのカラスなどを見る。春。
昼は宝山湖から車で10分程度の道の駅に併設されている「たからだの里 環の湯」へ。
温泉にて最近の精神的な消耗を癒す。3連休だからか、ライダー多し。
湯上りに、一章だけ残っていた「世界を変えた10冊の本 (文春文庫) 」を読了。
自分がこういうテーマで10冊選ぶとしたら、何だろう?

午後は自宅で観察会の記録を整理し、、夕方からまた所用で外出。
夜、これまた珍しく家族でブックオフ。
娘は「6時間後に君は死ぬ (講談社文庫)」(高野和明)、「沙羅は和子の名を呼ぶ (集英社文庫)」(加納朋子)、「桜ほうさら(上) (PHP文芸文庫)」(宮部みゆき)、「何者 (新潮文庫)」(朝井リョウ)などを購入。
僕と全く方向性が違うが、曰く、ノンフィクションよりフィクションが良いとのこと。
ああでも、高野和明は「ジェノサイド」(レビューはこちら。最初期のレビューなのであっさりしているなぁ。)を読んでいた。「これも面白いよ」と言ったが、相手にされず。例によって処分済みであり、娘が同著者の本を読むんだったら置いておけば良かった。最近こんなのばっかり。

僕はほぼ荷物持ちで、かろうじて「サハラに死す――上温湯隆の一生 (ヤマケイ文庫)」と、「岳(4) (ビッグコミックス)」、「図書館の主 2 (芳文社コミックス)」から数巻を購入した。「サハラ―」は気になっていた一冊だが、こんなのがブックオフに出るとは珍しい。
明日も休日。野鳥の調査に行こうかとも思うが、とりあえず家を片付けなければならない。




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「美しい化石」を堪能しよう。「楽しい動物化石」  

楽しい動物化石
土屋 健



最近は三葉虫の化石を入手しやすくなったとはいえ、
やはり国立科学博物館の化石を見れば、その美しさに圧倒される。

その個体の珍しさ、保存状態、そしてクリーニングの技術。

全てが高いレベルにある化石は、やはり唯一無二の美しさを持つ。
そして失われた動物である以上、美しい化石ほど、その当時の姿を想像させる力は、強い。

本書は、近年の恐竜ブームの立役者というか伝道者である土屋健氏による、
動物化石の逸品の数々を紹介するもの。

最近流行りのアノマロカリスよりも更に古い先カンブリア時代の化石から始まり、
人類と同時代を生きていたマンモスに至るまでの、他種多様な動物化石を紹介する。

土屋健氏だけあって、取り上げられている化石は、それぞれが極めて美しい。
約6億3500万年前という、途方もない過去の生きものの、極めて精細な化石。
複雑怪奇なトゲトゲを持つ三葉虫の数々。
もちろん始祖鳥化石、ティラノザウルスといった有名どころもおさえつつ、
サーベルタイガーやメガテリウム(オオナマケモノ)といった哺乳類まで、これ一冊で素晴らしい過去の旅が堪能できる。
(ちなみにメガテリウムは、2016年に僕も見てきた徳島県立博物館収蔵の化石だった。)

植物化石も同シリーズで刊行されており、気軽に楽しめる一冊である。

なお、随所に「化石トーク」とか「古生物と人々」といったコラムページがある。
さほど専門的な話題でもなく、数冊近年の恐竜本を読んでいれば知っている話題も多い。
初心者向けと考えれば良いと思う。

ただ気になったのは、その紙質である。
化石紹介ページは、わりと厚いマット紙様であり、美しい。
だがコラムページはちょっと粗い紙質のものを用いている。
何という紙かは知らないが、上質なわら半紙のようなもの。
また、文字色も青一色とか赤一色であり、紙自体の色とあいまって、やや読みづらい。

「楽しい」とタイトルに冠するとおり、親しみやすさも狙っているのだろうが、
やや読みやすさと本としての価値を損なっているような気がする。残念。

なお、姉妹本に「楽しい植物化石」がある。こちらも楽しい。

【目次】
1 先カンブリア時代末と古生代(先カンブリア時代の動物たち
カンブリア紀の動物たち
オルドビス紀の動物たち
シルル紀の動物たち
デボン紀の動物たち)
2 中生代(三畳紀の動物たち
ジュラ紀の動物たち
白亜紀の動物たち)
3 新生代(古第三紀の動物たち
新第三紀の動物たち
第四紀の動物たち)


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category: 恐竜

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2017/03/16-18 アホ・バカの深み、風邪再発   

〈2017/03/16木-17金〉
何を読もうか思案した結果、分厚い四六版から選んだのが「全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路」。「探偵ナイトスクープ!」に端を発し、日本語の謎に迫った一冊として著名な一冊である。大学時代、国語の教官にお薦めいただいてたのに、読まずにいた一冊(堀辰雄で精一杯だった)。
驚くべき成果もさることながら、ドキュメンタリー形式で綴られているため、試行錯誤や調査の苦労なども余さず収録。
読み物としても極めて面白い。もっと時間がかかると思っていたが、予想外に金曜日に読了。

僕が読んだのはハードカバーだが、文庫本も出ている。



〈2017/03/18土〉
ようやくの休日。まずは今週読んだ3冊のレビュー書き。
手間ではあるものの、気になる所をもう一度見直しつつ、自分にとって(「万人にとって」ではない)、その本の意味・価値は何かを再確認する行為でもあり、やはり楽しい。
明日は野鳥観察会。それはそれとして、会誌の原稿を作成。
午後、図書館へ。雑誌数冊と幾つかの本を借りる(自身の積読が溜まっているのに…)。
古墳時代 美術図鑑 (別冊太陽 日本のこころ)」、古代日本の技術に感服。大判本なので、写真が良い。
ヤマケイ新書 山岳遭難は自分ごと」、遭難モノとして。
ニッポン旅みやげ」、日本を見る新しい視点として。ちなみに「土産物」の話ではなく、「おみやげ話」の意。
米原万里ベストエッセイ (1) (角川文庫)」、本当は「打ちのめされるようなすごい本 (文春文庫)」が読みたいんだけど、そのウォーミングアップとして。

風邪、ぶり返し。副鼻腔炎と喉の痛みが再発したため、市販薬を服用。眠い。











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これほど貴重な品々が、数多く遺されていたとは!! 「正倉院宝物: 181点鑑賞ガイド 」  

正倉院宝物: 181点鑑賞ガイド (とんぼの本)
杉本 一樹



正倉院と言えば、学校での知識が思い出される。
校倉造り、高床式倉庫、聖武天皇。
奈良時代の天皇ゆかりの宝物を納め、現在に伝える稀有の存在。
東西世界を結ぶシルクロードの末端として、収蔵される宝物は日本だけでなく、世界的にも貴重なものである。

だが、
実際のところ、どのような宝物が納められているのかを、多くの方は知らないのではないだろうか。
少なくとも、僕は学校の資料集に掲載されていた写真と、
天下第一の名香として有名な蘭奢待くらいしか、具体的な宝物は知らなかった。

奈良国立博物館では、定期的に正倉院展を行っているようだが、
なかなか地方在住者が正倉院展のためだけに行くというのも、非現実的である。

しかしながら、日本を代表する逸品の数々。知らずにいるのは、勿体ない。
そこで本書のようなガイドブックの出番である。

本書は正倉院に納めらた宝物、細かく数えれば約9,000点にものぼる品々のから、
181点を抽出し、大きなカラー写真とともに、それぞれの由来・見どころを解説する。
著者は、宮内庁正倉院事務所長として、実際に様々な宝物の調査・修復に携わっている方。
だから単純な「見た目」の美しさだけのセレクトに偏らず、
歴史的な貴重さ、たとえば染織品ならば、断片であっても技術的な重要性も選択に考慮されている。

さらに解説も「見た目」だけに留まらない。
実際に手に取った人だけが分かる重さや質感が語られているところが、特色だ。

様々な正倉院の宝物本はあるだろうが、
こうした直接的に携わる人が紹介するものは、貴重である。

さて、それにしても圧倒されるのは、宝物の数々だ。
いわゆるガラス製品や太刀といった、当時の天皇家にとっての宝物だけが納められているという印象があったが、実際は全く異なる。
すなわち、当時の天皇家が用いた品々のうちから、特に素晴らしい逸品を、
また聖武天皇が日常的に愛用した品を収蔵するという観点から、
収蔵されるモノのジャンルは、書跡、楽器、伎楽面、遊戯具、文房具、飲食具等々多岐にわたっている。

ここから逆に、当時の天皇家の美術的・技術的到達点を、総合的に知ることが可能だ。

きらびやかな装飾のある楽器だけでなく、それを納めていた楽器袋。
また、素晴らしい仏具を載せるための台「献物几」。
そして奈良時代の定規や紙なんて、想像することは難しい。

だがそれらが、しかもその時代の最高の品が、現代まで伝わっているというのは、なんという幸運だろう。
ぜひ本書でその幸運を噛みしめていただきたい。

また一方、「失われたもの」を知ることができるのも、本書の特徴である。
例えば刀剣や弓矢。数多く収蔵されていたらしいが、
764年の恵美押勝の乱の際、内裏守護のため持ち出されたという。
後日戻されたものの、失われたものも多く、また収蔵された当時のラインナップとの関係もわからない。

また、染織品。
どうしても時の経過により損傷しやすく、バラバラになったものも多い。
絹製品の寿命は約800年らしいく(本書による)、むしろ残っている方が奇跡だ。
そして知らなかったのだが、
正倉院の宝物に「何が」あるかの点検は今もまだ続いており、
特に染織品の整理については、明治末から現在まで続いているという。
本書に収録されている「花喰鳥刺繍裂」も、発見は昭和50年(1975)という。
まだまだ、正倉院は宝物が眠っているようだ。

それにしても、王羲之の書まであったとは!!
真筆かどうかはともかく、それでも天皇家が収蔵した品である。
もし伝来していればと考えると、失われたことが残念ならない。

【目次】
書蹟―過去と未来をつなぐ
楽器―天平の音色さまざま
伎楽面―仏に捧げる舞と調べ
遊戯具―ちょっと息抜き
調度―日常の彩り
鏡―波涛のかなたへの憧れ
飲食具―供養のうつわ
文房具―文字文化の周辺
装身具―貴人たちの装い
仏具―荘厳・供養・敬礼のかたち
儀式具―大陸文化の受容
武器武具―威儀の備え
香薬―仏の供養、ひとの救済
染織―経と緯の織りなす世界
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category: 歴史

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卒業式、知的徘徊趣味  

〈2017/03/15水〉
本日は、息子の小学校卒業式であった。
少なくとも、小学校卒業時の僕自身よりは真っ当な心を持っていると思われるので良し。

ところで、養老氏の「身体巡礼: ドイツ・オーストリア・チェコ編」と松岡氏の「多読術 (ちくまプリマー新書)」読了。
いずれも難儀な読書となった。

身体巡礼: ドイツ・オーストリア・チェコ編」、特殊な情報と思索が多いのに、そもそも養老氏自身がテーマを探り探り進んでいるため、行きつ戻りつする。そうした過程がある本だと思って臨めば、楽しい一冊。たぶん気持ちに余裕がある時に良い。
「知的徘徊趣味」という言葉で表現するのがぴったりかな。

さて、松岡氏の「多読術 (ちくまプリマー新書)」、「多読術」という言葉に違和感があるのだと最終結論。
おそらく「多読術」=「多く読むテクニック」と捉えがちだが、本書で示されているのは「多種多様な本を見つけ、それらを有機的に結合させながら読むテクニック」である。
量ではなく、質。松岡氏にとって多読は方法であり、目的ではない。
その意味で、本書で示されているのは「多読術」ではなく、やはり松岡正剛流「読書術」である。
そこを「多読術」という言葉で推し進めるため、ムムムとなる。

あと、インタビュアー(聞き手)は筑摩書房の編集担当者であった。
読み手でなく作り手・売り手である。
そのためか、例えば読むべき本を見つける核となるキーブックがあるという話題に対して、
「具体的にどんな本か教えてくれ」と短絡的な問いかけをしたり、
正剛氏の持論に対して自説をぶつけるという対等な対談が無い。
すなわち、インタビュアーが単なる狂言回しであり、話題が予定調和的に展開していく。
これならば、正剛氏自身が素直に読書術として書いた方が良かっただろう。

参考になる点、考えさせられる点なども多く良い内容だが、
タイトルと構成がやや雑な感(少なくとも、僕には合わなかった)。残念。

さて、明日から何を読むか。文庫・新書と読んだので、四六版かな。
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集中できない読書  

〈2017/03/14火〉

「面白い本無ない?」という娘へ、先日「ビブリア古書堂の事件手帖―栞子さんと奇妙な客人たち」を紹介したところ、本日読了した模様。
以前紹介した時は食いつかなかった。やはり本との出会いには時機があるもの。
なお、予想通りの「続きは?」との問いに、「もちろん有る。」
父としての面目躍如である(という程のモノでもない)。

通勤時は、結局養老氏の「身体巡礼: ドイツ・オーストリア・チェコ編」と松岡氏の「多読術 (ちくまプリマー新書)」を並行読み。どうしても一方に集中できない。

改めて考えてみる。
養老氏のは東欧圏の墓制等を通して人間観を探る、独自の視点と分析が楽しい。
ただ、テーマが独特であるため、きちんと養老氏の推測や考えを理解し、自分の中に取り込むには集中力が必要。
通勤時の疲弊した脳ではやや大変。

一方正剛氏のは「読書」という営みの分析。
読書テクニックもさることながら、「本」というシステムに関する考察が興味深い。
ただインタビュー形式なのだが、残念ながら(実際するかどうかは不明だが)聞き手が雑。
正剛氏の見解を深める問答がなされるわけでなく、ただ次の展開を促す程度。
読書のリズムを壊していると感じる程で、これが集中できない理由と思われる。

どちらも面白いテーマなので、もっと丁寧に読みたいところだが、
現在の(珍しく仕事面での)不安に満ちた精神状態では、どんな本でも集中するのは難しいかもしれない。

ただ就寝前に相変わらず「世界を変えた10冊の本 (文春文庫)」を読んでいるので、単なる寝不足か?
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category: 雑記:日々のこと

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頭重感、娘への本  

〈2017/03/10金〉
週末に読み始める本選びは、難しい。
雑事により休日にはなかなか活字本を読めないため、
週明けに「読み続けたい」というモチベーションが維持できる本である必要がある。
それに休日に新しい本を手に入れるかもしれないし。

ということで先週末、最後に手を付けた本は「最相葉月 仕事の手帳」と養老 孟司氏の「身体巡礼: ドイツ・オーストリア・チェコ編 (新潮文庫)」。
今の感じで行くと養老先生か。

〈2017/03/11土〉
午前中は、先週読んだ本のレビュー。自分なりに3.11を振り返る意味も込め、「モアイの絆 」を投稿。後は風邪と副鼻腔炎で沈。外へ出る元気も無し。

〈2017/03/12日〉
依然として風邪が治らず。喉も痛いが、何よりも副鼻腔炎からの頭重感がキツイ。
頭が重く、特に下を向いていると(つまり勉強の姿勢だと)酷くなる。
鼻の奥は熱っぽいのに体温を測ると熱は無く、
それでいて常にキナ臭い感じがする(自分の頭の中の膿の臭いだ)。

若い頃は、これらの症状が副鼻腔炎のせいと知らず、
また周囲にも同症状の人もいないため、誰にも理解してもらえず非常に辛かった。
(何度親に気のせい扱いされたことか。)
もしこれを読んでいる方の周囲に副鼻腔炎の方がいたら、
よろしくご理解ください。端から見ているより、かなり苦しいものです。

さて、それでも休みであるので、気力を振り絞って午前中を利用して本を買い行く。
先日娘のリクエストに応えられなかったので、その仕返しである(何が?)。以下の4冊を確保。
・太宰治「人間失格 (集英社文庫)
・カフカ「変身・断食芸人 (岩波文庫)
・横溝正史「本陣殺人事件 (角川文庫)
・江戸川乱歩「江戸川乱歩傑作選 (新潮文庫)

横溝はホントは「八つ墓村」が良かったのだが、これしかなかった。
江戸川乱歩は「二銭銅貨」、「芋虫」、「D坂の殺人事件」「屋根裏の散歩者」「人間椅子」と、これ一冊でベーシックな作品が楽しめる良い選集。
何となく父が娘に買い与える本のラインナップではない気がするが、まあ良いのである。

それにしても、横溝正史とか江戸川乱歩とかホームズとか、
昭和世代の本屋だと必ずあったスタンダードな本を入手するのが、逆に難しい時代になっていると痛感。
これから少しずつ買いなおそう。

ところで、改めて買おうと思って気づいたのだが、
やはり昔ながらのシリーズに対して、最近のカジュアルな表紙は気に入らない。
横溝正史はあの怖い絵が良く、太宰の新潮文庫は真っ黒いのが良いのである。

自分の本としては千夜千冊http://1000ya.isis.ne.jp/top/で有名な松岡正剛氏の「多読術 (ちくまプリマー新書)」(以前一度読んだことがあるが、ちょっと読み直したく)と、「岳 (ビッグコミックス)」を2冊購入。こちらも買い足していきたいが、最近こういうのばっかりである。













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時代の制約の中で、時代を超越した偉大な科学者。「解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯」  

解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯
ウェンディ ムーア



現代に生きていることは、極めて幸運と思っている。
もちろん様々な不幸も問題もある。将来の不安も尽きない。
それでも、いわゆる科学的な思考方法は確立し、
その成果を(全世界がその恩恵を受けているとは言えないにしても)活かすことが是とされる時代だ。

長い人類を見れば、科学的(客観的と言っても良い)思考よりも、宗教的思考が尊重される時代の方が圧倒的に長い。
(現代も多くの国・地域では、まだまだそうした伝統が残っているところがあるくらいだ。)

その端的な例が、医学である。

様々な病気や先天的異常は「神の罰」として「理解すべき」であり、その個人の肉体の内に根拠を求めるということは、神の介在を否定することになりかねない。
さらには、世界は神が造ったという理解に立てば、人類と動物を共通の土台に乗せて理解し、その生理学的機構を理解するということは、明らかに神を否定する行為だ。

そのため、様々な技術的発展を成し得た人類だったが、こと医学に対してはいわゆ伝統医学、薬草や「自然とヒトの対応」等をベースとした治療しか発展しなかった。

現在、科学的思考が最も重視される西洋医学にしても、それが「西洋医学」として成立しだしたのは、ごく最近である。

18世紀に至っても、人体の構造に関する基本的な知識もなく、治療法といえば瀉血くらい。
外科的な処置をする場合にも、もちろん麻酔はなく(アヘンや酒といったものはあったが)おろか、衛生的な観念もなく、汚れた手で患部をいじり、不衛生な環境で放置する。
「治療」といえば聞こえはいいが、実際のところは「昔から言われている処置をする」だけであり、その結果患者が治癒するか否かは運任せだった。

その状況を、劇的に転換させたのが本書で取り上げられる、解剖学者ジョン・ハンターである(1728年2月13日 - 1793年10月16日)。
18世紀のイギリス、前述のとおり未だ医学が未開の学問である時代、彼は数多くの遺体を自身で解剖し、生物としての人間を誰よりも理解した。

また、様々な動物も同様に解剖するとともに、生理学的な実験を行い、そのトライ&エラーの結果から、人間にも応用可能な医学的知識を蓄積。
とにかく外科的処置を行うことが当然だった時代において、実際の経験から、「手術は必要最小限に留めるべき」と判断。
内科的・外科的な処置を行ったものの、患者が死亡した場合には、その遺体を解剖し、死因を追及した。

どれも現代医学としては「当たり前」だが、医学者が遺体を自身で解剖するということすら稀有だった時代には、どれも常軌を逸した、非常に困難な行為だった。

事実、ジョン・ハンターを初めとした解剖学者は、定期的に解剖すべき遺体を入手するために、墓泥棒と連携した。

また、興味深い患者や先天的異常がある者が死亡した場合には、その遺体を入手すべく裏社会から手を回す。
屋敷には、夜な夜な遺体が運び込まれ、数時間後、切り刻まれた遺体の断片が運び出される…。

本書のタイトルでも「数奇」とされているし、他にジョン・ハンターを語る際も、「奇人」「変人」という言葉が用いられる。
この点だけを、現代社会から見れば明らかに「変人」である。
それどころか、「ジキルとハイド」のモデルとなったように、極めて異常な側面のある人間だったと思いかねない。

だが、現実は違う。
ジョン・ハンターは奇人でも異常者でもなく、極めて真っ当な科学者だったのだ。
ただ彼が生きた時代には、まだ科学そのものが存在せず、社会も科学を育むシステムではなかった。
その中で、科学的思考を実践するために、ジョン・ハンターは可能な手段を全て用いたに過ぎない。

ジョン・ハンターの科学的教えは、むしろアメリカで花開く。
また、その「自身で考えろ」という教えは、その弟子ジェンナーによる種痘にも結びつく。

実際のところ、ジョン・ハンターがいなければ、いわゆる「西洋医学」の発展は数十年以上遅れていただろう。
それほど、ジョン・ハンターが一代で成し得たことは、大きい。

だがその反時代性ゆえ、死語には対立する旧医学界や、その手柄を横取りしようとする義弟により、存在価値を抹消されてしまう。

しかし彼は、ダーウィンに先駆けること数十年、数多の動物を解剖することにより、多くの生物の関連性と歴史的な変遷にも気づいていた。
進化論という言葉はもちろん使っていないが、その概念は掴んでいたのだ。

「時代を超越した」とか、「時代に先駆けた」という形容詞を聴くことは多い。
だがジョン・ハンターこそは、その形容詞が最も相応しい人物である。

本書を奇人伝として避けることは、大きな損失だ。
これは、黎明期の、そして最初の科学者の偉大なる伝記である。

なお、ジョン・ハンターが収集した様々な解剖標本や動物標本は、現在もハンテリアン博物館として公開されている。
http://medicalmuseums.org/museum/hunterian-museum/
ダーウィンも何度も訪れたというそのコレクション、ぜひ見てみたいものである。

とは言え、ジョン・ハンターの「面白さ」を知るのも、悪くない。
様々な科学ネタと科学者ネタが満載の「決してマネしないでください。」でも、取り上げられている。

【目次】
御者の膝
死人の腕
墓泥棒の手
妊婦の子宮
教授の睾丸
トカゲの尻尾
煙突掃除夫の歯
乙女の青痣
外科医のペニス
カンガルーの頭蓋骨
電気魚の発電器官
司祭の首
巨人の骨
詩人の足
猿の頭蓋骨
解剖学者の心臓
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category: 医学

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東日本大震災から、6年。「モアイの絆」  

モアイの絆
モアイプロジェクト実行委員会



宮城県南三陸町。この町には、様々なモアイが存在する。
謎とロマンに溢れたモアイ、そのどことなくユーモラスな風貌から、
「モアイを使って町起こしか」と短絡的に考えがちだ。

だが地震と津波の被害に繰り返し遭ってきた南三陸町において、
モアイは単なる「異国の像」では、無かった。

1960年5月。南米のチリで、観測史上最大のチリ地震が発生した。
この地震によって引き起こされた津波は太平洋を横断し、日本では142人が犠牲となる。
うち岩手県大船渡市では53人、現南三陸町である志津川町でも41人が犠牲となった。

チリ地震から30年後。
志津川町では津波被害の記憶が風化することが懸念されていた。
被害を記憶し、一方でチリーの気持ちを「被害」から「友好」に変えていきたい。
その気持ちが1990年、チリとの交流のなかで、
津波と同じ5.5mの高さを示すアンデスコンドルを抱く塔と、
チリの象徴としてモアイ像を建立する。モアイ像は、チリ本土の石を用い、
チリの石工によって創られたものだ。

このモアイを契機として、旧志津川町では「モアイの町づくり」に取り組み始める。
未来に生きるという意味のモアイ像をモチーフに使うことで、
津波被害を記憶に刻みながらも、明日に向かって進む意思を示したものだ。

だが志津川町は歌津町と合併し、南三陸町が誕生する。
歌津町はモアイには馴染みが無く、一時期モアイによる町づくりは中断する。

だが合併から5年後、二つの街を一体化する象徴は何か、
今後の町づくりに活かせるシンボルは無いか。
8人の高校3年生が授業の中で見出したものは、やはりモアイだった。
旧歌津町住民に馴染みが無いからこそ、モアイは団結のシンボルと成り得る。
町の活性化だけでなく、防災意識の高揚やチリとの友好にまで発展し得るモアイ。

高校生たちは「南三陸モアイ計画」と称し、様々なモアイキャラクターで町づくりを展開し始める。
そのプロジェクトが軌道に乗り、大きく展開しようとしていた中。
東日本大震災が発生した。

建立していたアンデスコンドルのブロンズ像は失われ、
モアイ像の頭部は50mも内陸へ運ばれてしまった。

モアイ像を元に戻したいと高校生も動くが、復興すらままならない。
そな中、放置されるモアイ像の頭部に出会ったのが、
日本とチリを繋ぐ日智経済委員会委員長の、佐々木氏(三菱商事相談役)だった。
佐々木氏の尽力により、モアイ像の頭部は、高校生たちが待つ志津川高校へ運ばれた。

一方、チリでも、多くの人々が義捐金を託し、復興支援のためにエスペランサ委員会が立ち上げられていた。
義捐金を南三陸町が必要とする用途、将来にわたってその価値が続く形として贈りたいと考えていた同組織では、壊れてしまったモアイ像の代わりに、新しいモアイ像を贈ることを提案する。
それもイースター島の石材を用い、イースター島の石工が造る、本物のモアイ像だ。

だがそのプロジェクトには、いくつも難題があった。
イースター島の石材は、既に持ち出しが禁じられている。
また、誰が、いくらでその仕事を担うのか。
どのように運び、誰が建立する重機を準備するのか。

ところがチリと日本の交流史をなぞるかのように、
様々な人や企業が、このプロジェクトにおける「在るべき場所」に導かれていく。

先に記した、佐々木会長。
エスペランサ委員会のアンドラカ会長。
イースター島で倒れたモアイを起こすプロジェクトを実施した、クレーンメーカー「タダノ」。
同じく、そのブロジェクトに関わった奈良の石工、左野勝司氏。
イースター島の長老、マヌエル・トゥキ氏。
その息子であり、数少ないマイスターの称号を持つ石工、ベネディクト・トゥキ氏。
そしてチリ、イースター島の人々、そして南三陸町の人々。

東日本大震災のあと、「奇跡の一本松」が取り上げられことは記憶に新しい。
人の力では如何ともしがたい大自然の脅威に対したとき、
おそらく人々は、願いや祈りを託すモノを必要とするのだろう。

そして、将来の復興を担うのは、若者である。
その若者自身が見出し、人々が祈りを託したもの。
それが南三陸町では、モアイだったのである。

チリ地震、東日本大震災。
残念だが今後も、日本各地で様々な自然災害が繰り返されるだろう。

だが、このモアイ像は、
どんな災害に遭っても、人々は助け合いながら前進できることを伝えてくれる。

東日本大震災から、6年。
ぜひ本書をお読みいただきたい。

なお、南三陸町のモアイについては、南三陸町モアイスポットも詳しい。
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category: ノンフィクション

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2017/03/09 体調不良。ジャッキーとダーティ・ハリー  

〈2017/03/09木〉
昨晩こそ早く寝ようと思いつつ、就寝前には「世界を変えた10冊の本 (文春文庫)」を読む。つらい現実からの逃避である。
健康が回復する筈もなく、今日も頭が痛い。Anche oggi, ho mal di testa.

ファインマンさん 最後の授業」読了。
将来が有望視される研究者として、多大なプレッシャーの中にあった著者。
いかなる研究をすべきかの模索から、いかに生きるべきかを問うようになる。
その中で出会ったファインマン氏、具体的なアドバイスを与えてくれる訳ではないが、その言動には著者を動かす力があった。
若手研究者による晩年のファインマン氏回顧録。
著者の葛藤の記録は、人生を模索している世代には参考になるかもしれない。
なお、ファインマン氏を敬愛する余りと言うか、
ファインマン氏とウマが合わない人物は、同様に嫌いだったようで、かなり辛辣に綴られている。
人によっては、その辛辣さが受け入れられないかもしれない。

帰宅中の電車で、「図書館の主 1 (芳文社コミックス) 」読む。
もちろん舞台は架空の図書館だが、現実の本(児童書)を中心とした物語。
ビブリア古書堂の事件手帖」から、推理を抜いてドラマを足した感じである。
一巻だけしか読んでいないが、今のところ読んで嫌な気分にならない良い一冊。
続巻購入決定。

風呂にて、昔の日曜洋画劇場のラインナップがバラエティに富んでいたことを息子に話す。
その勢いで、YOUTUBEを用いてジャッキー・チェンとダーティー・ハリーの魅力を息子に伝え、
本日終了。
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category: 雑記:日々のこと

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自分で考えることが、全ての出発点だ。「卵が飛ぶまで考える―物理学者が教える発想と思考の極意」  

卵が飛ぶまで考える―物理学者が教える発想と思考の極意
下村 裕



客観的に考える、ということは極めて難しい。
考える主体が個々人である以上、考える個人自身の知識・経験・思考体系の枠組みを超えた思考と言うのは、原理的に在りえないだろう。

すなわち、「客観的思考」は不可能な行為だが、それでも多くの人はそれを自身に課し、また他人にも求める。
それはおそらく、それぞれの人の主観的思考をすり合わせながら、その中に共通理解を見出すことが、群れ行動の本質なのだろう。
そして、そうして勝ち得た共通理解を、「言語」と「文字」により抽象化し、時間を空間を超越させる手段を得たことが、ヒトのヒトたる所以ではないだろうか。

そう考えれば、「客観的思考」とはヒトの生得的な性質ではなく、学習により獲得していく能力であることが明確となる。

一方僕らは日々、自身の主観以外の情報の暴風に曝されている。
昔であれば、それは一定の学識や常識といったフィルターにかけられた情報であり、概ね「客観的思考」と同一のものだった。

しかし現在、蔓延する情報は何のフィルターも経ていない、「誰かの主観的思考」が大多数である。
(本ブログも、その一つだ。)

よって、過去のいかなる時代よりも、それぞれの人が客観的思考能力を学習することが重要なのだが、
残念ながらその事実に気づいていない人も多い。

昔の牧歌的時代と変わらず、メディアから流れる情報は「客観的事実」と考えて疑わない世代が、相変わらずTVや週刊誌の情報を追い、それを話題にする。

その次の世代になると、さらに問題が増加する。
自然とモデルとしてみる親は、情報を鵜呑みにしても安全と考えている。
一方、全く新しい媒体・量の情報が自身を取り巻く。

子供たちに「客観的思考能力は、個々人がそれぞれ磨かなければ身につかない」という事実を明確に教えなければ、
インターネットをはじめとした大量の情報に対して、親世代と同様の牧歌的感覚のまま、
全てを「客観的情報」と勘違いして安易に受け入れてしまうだろう。

昨今の疑似科学や似非歴史(僕は「江戸しぐさ」を想定している)は、客観的思考能力の習得不足が大きな原因の一つだろうと考える。

ただ翻って、でばどこまで努力すれば「客観思考」と言えるのか、という問題もある。
クレーマー的行動を行う人ですら、「自分は客観的に考えている」と主張する。
僕自身、自分の思考が、誰かの客観的思考に資するだろうと思っているからブログも書いているのだが、これすら誤解である可能性も高い。

個々人の主観的思考が、客観的思考に成るための批判に耐えうるか否か。
それを担保する手段こそが、人類が築き上げた科学的思考という技術だろう。

本書は、物理学者による科学的発想法・思考法のガイダンス。
大学等において、「科学的思考とはいかなるものか」を伝え、身につけるためための講義をベースとしたものだ。

第一章では、科学と疑似科学の違いについて説明する。
数十年前ならこんな項目は無かっただろう。
様々な事例を上げ乍ら、それぞれの疑似科学のいかなる点が、客観的批判に耐えられないか
(または、うまく誤魔化しているか)を説明する。
ここはまず、誤りに陥らないための予備段階だ。
副題は、「批判的に考える」だ。


続く第二章、副題は「問題を発見する 」では、現実から「問題」を見出すテクニックが説明される。
正しく問題把握ができなければ、もちろん答えは正しくならない。

そして第三章「問題を解決す」で、科学的思考のテクニックが説明される。
確実に応えに近づくための方法という意味で、
科学的事項の解決に限らず、現実世界の諸問題に対する問題解決方法といっても良いかもしれない。

第四章では、これまでの思考方法を踏まえたうえで、
「生きるために考える」ことの重要性が説かれる。

物理学的理論が展開されるわけではなく(事例として幾つかは掲載されているが)、
読む人を問わない。
むしろ、少しでも早く読んでおけば、以降の人生の視野が明るくなるだろう。
日本の将来を思えば、高校1年時の副読書として推薦すべきと考える。

【目次】
序 章 科学的に考える

思考に「王道」なし
福澤諭吉の「実学」のすすめ
科学的思考で「勘」を養う

第1章 批判的に考える
 科学と疑似科学の違い
 予言、占い、超能力、UFO
 「疑う人がいるとスプーンは曲がりません」
 「頭が固い」疑似科学
 「科学で説明できない現象です」
 科学者が妖精の存在を否定しない理由
 「空中浮遊」が科学になるとき
 疑似科学が人間の心理を説き明かす?
 疑似科学の大きすぎる危険
 姓名判断を科学的に検証する
 超常現象を再現する
 どうすればだまされないか
 Be skeptical―――批判的であれ
 ヘッドスライディングは本当に速いのか――常識を疑う

第2章 問題を発見する
 日常生活は問題発見の連続
 答えより問題を探すほうが難しい
 「異常」を見つける
 なぜニュートンだけが万有引力に気づいたのか
 「知っているものしか見えない」
 素朴な疑問を突き詰める
 知っていることから類推する
 幻の「下村の卵形曲線」
 煙の輪はなぜ変型するか
 類推から生まれた大発見
 アメンボはなぜ進むのか
 情報を鵜呑みにしない
 わからないことをわからないままにしておく
 大きな疑問を小さな疑問に分解
 情報を遮断する時間
 素朴な疑問を持ち続ける
 身近な問題の見つけ方
 自分で考えられる学び方
 理科の授業の実験はなぜつまらないのか
 「もっと知りたい」心が原動力

第3章 問題を解決する
 問題の発見から仮説を立てる
 仮説は夢を描くように
 日本刀のスイートスポット仮説
 丸太の体積を知るには
 類推して仮説を立てる
 単純な仮説が美しい
 最初は簡単な仮説から
 仮説が正しいか検証する
 傘がないとき、走ったほうが濡れないか――計算で検証する
 仮説が間違っているかもしれないとき
 極限の場合を考える
 仮説を発想転換する
 大胆な仮説を立てる勇気
 あきらめず考えた人だけが答えを見つけられる
 斬新な説ほど理解されない
 アインシュタインの大胆すぎる飛躍
 考えるために忘れる――創造のための破壊
 人の意見から学ぶ
 結果を表現して伝える
 文章を推敲する
 オリジナルに書く
 よい論文を書かせる力
 真剣勝負のプレゼンテーション
 簡単な言葉で表現する
 一直線には進まない
 模倣を超える一歩
 「1時間で答える」問題と「1カ月考える」問題

第4章 生きるために考える
 「学問は何の役に立つ?」
 実証科学のプロセスを身につける
 自分の頭で考える体験
 本質をつかみ出すための訓練
 「下手の横好き」から「好きこそ物の上手なれ」へ
 「孔子の教え」を疑ってみた
 焦って結果を求めない
 くだらない質問はない
 道具より頭を使う
 子どもの疑問を伸ばすには
 子どもと一緒に、子どものように考える
 表現力を育む会話
 できるだけ失敗を
 孤独になることも大切
 後悔しない選択とは
 勇気があれば真実が残る

付録 回転するゆで卵が立ち上がり、ジャンプするのはなぜか
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category: 技術

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2017/03/08 悲しみでいっぱい  

〈2017/03/08水〉
朝から喉が痛い。Ho mal di gola. 昼からは頭も痛い。
喉は風邪、頭痛は花粉症と風邪による鼻水が引き起こした蓄膿症である。
そして朝、コンビニでカードを1枚を紛失していることに気づいた。
昨日使用した時に置き忘れたか、落としたのである。
カードの使用停止は手配済み、警察への紛失届は今から行く。

今日から「ファインマンさん 最後の授業」を読み始めた。また帰宅すると「プランツ・ウォーク 東京道草ガイド」が届いていた。

だが今日は、悲しみでいっぱいなのである。


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category: 雑記:日々のこと

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2017/03/06-03/07 モアイ、「堀辰雄は知らない」  

〈2017/03/06月〉
ミステリーな仏像」読了。改めて仏像に込められた様々な想いを実感。
なお本書でも触れられていたが、ある程度は様式が定まっており、人々の眼に触れやすい仏像に対して、
神社の奥深くにある御神体・御神像は未開拓な世界。もちろん、むやみに詮索する必要は全くないが、
日本各地の御神像・御神体を見ていけば、更に深く興味深い世界が見えるだろう。

続いて手に取ったのは「モアイの絆」。まだ冒頭だけだが、この本は良い本の雰囲気がする。

〈2017/03/07火〉
一気呵成に「モアイの絆」読了。
様々な悲しみ、それを乗り越えようとする若い意思、その象徴としてのモアイ。予想通り素晴らしい本である。
東日本大震災から6年が経とうとしている今だからこそ、この物語を知らない方は(僕もそうだった)、ぜひこの機会に読んでいただきたい。できれば早めにレビューしたいもの。

さて先週末、散々ブックオフで本を購入したが、帰宅すると「なぜ戦争は伝わりやすく平和は伝わりにくいのか ピース・コミュニケーションという試み (光文社新書)」が届いていた(まだ、あと1冊注文中)。
いつ読むかは未定だが、「読みたい時にいつでも読める」というのが、読書で大事なところ。

と思っていると、娘が江戸川乱歩は有るかとかカフカの「変身 (新潮文庫)」は有るかとか太宰は有るかとか尋ねてきた。
全部「有った」のだが、結婚を機に一度本棚をリフレッシュした際に全て処分済み。むむむ。

だから本は捨てるべきでない、という過去の声が聞こえてきそうだが、
あのペースで本を残していると、たぶん今頃自宅全てが本棚になっていた筈。
まあ改めて、良きところを買い集めていこう。

ところで、芥川や堀辰雄なら全部有るぞと告げると、「堀辰雄は知らない」と無慈悲な一言。
おおおお父さんが青春を捧げたほほほ堀辰雄なのにににぃぃぃ…。




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2017/03/04-3/05 仏像、ウグイスの囀り、ブックオフ巡礼  

〈2017/03/04土〉
ミステリーな仏像」を手に取る。
もしやあの仏像も、とかつて見た事がある特殊な仏像を探すと、やっぱり掲載されていた(それが何かはレビューの時まで取っておく)。どんなコトが書かれているのだろうと、読むことを決定。
他にも変わった姿の仏像が多いが、それは古の人々の想いが写されたもの。日本における仏教の広がりを実感。
ところで本日、今季初のウグイスの囀りを聴く。ウメも盛りで香川は春が近いが、ブログを通して(一方的に)お馴染みの皆さんの地域はどうかなと、想いを馳せた。春は見えているでしょうか。

〈2017/03/05日〉
目覚めと共に思い立ち、免許更新に行く。ついでにいつもと違うブックオフへ、実際はこちらが目的。
ところが、リニューアルと称する棚替えのため、本を探すのに難儀する。
買いたいと思っていた本は見つからず、逆にいつか買いたいと思う本が目につく。
とりあえずチェックだけしておいて、まずは「ゼロ (ジャンプコミックスデラックス)」を2冊確保。
続いて「第2図書係補佐 (幻冬舎よしもと文庫)」が目に入る。一度読んだことがあるが(レビューはこちら)、本棚の本を回転させるために売却していた。でも最近、娘が色々と本を物色することが多いので、参考にするかもと再購入。
帰宅して教えると、早速読み始めた。計画通り(ニヤリ)。

午後、何もする気力が湧かないまま、「ミステリーな仏像」をつまみ読み。
夕方、ついでが有るのでいつものブックオフ(朝とは違う店)へ。まず、妻も気に入ったらしき「夜明けの図書館(2) 」購入。
すると、同様の図書館ものコミック「図書館の主 1 (芳文社コミックス) 」を発見。
何かテーマが出来ると、今まで見えなかった本が見えてくる。本好きとしては喜びの一瞬だが、現実的には新しい沼に足を踏み入れたということ。特にコミックは危険なのに…購入。10巻以上も刊行されてるじゃない。あと、「トレース 科捜研法医研究員の追想 2」も購入。
さらに文庫の棚で「記憶喪失になったぼくが見た世界 (朝日文庫)」が目に入った。
これまで数回買おうかと迷ったものの、見送っていた本。それがまた引っかかったということは、縁が在ったということ。購入。









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生粋の研究者が、昆虫少年に戻った。「ホソカタムシの誘惑 第2版: 日本産ホソカタムシ全種の図説」  

ホソカタムシの誘惑 第2版: 日本産ホソカタムシ全種の図説
青木 淳一



著者青木淳一氏は、日本におけるダニ類研究の第一人者、だった。
特に、土壌中で腐食質を餌とするササラダニ類という、目立たないが非常に重要な分類群については、450種以上の新種記載を行っている。
ダニに関する書籍も多く、例えば「ダニにまつわる話 (ちくまプリマーブックス) 」(レビューはこちら )は、そのダニ研究史の過程で起こった様々なトピックスを紹介するものとして、楽しい。

また神奈川県立生命の星・地球博物館長としても活躍し、生き物を調べる「博物学」の楽しさも普及。
博物学の時間: 大自然に学ぶサイエンス」(レビューはこちら)では、その面白さを紹介している。
この本の中で、退職と共に、標本と文献を全て国立科学博物館、横浜国立大学、宮城教育大学に分散して寄贈して全てを後進に委ね、昆虫少年に戻ったという記述がある。

昆虫少年に戻った青木氏が手がけたもの。それは、50年以上前に夢中になったホソカタムシだ。
ホソカタムシとは細くて堅い虫。体長はおおむね2.5mm~5mmといった小さな虫で、枯れ木についた菌類やキクイムシの幼虫などを捕食する。
その習性から、葉が全くない枯れ木に生息している、という。

そして、ササラダニ研究の第一人者になるような極めて学究的で着実な人が、
本気でマイナーな分野の昆虫採集を手掛けたらどうなるか。
その結実が、本書である。

ホソカタムシとは何ぞや、から始まり、
1部では、著者のホソカタムシへの愛情、
再開したホソカタムシ採集によって培われた発見法・採集法の数々、
標本作成法(普通の昆虫標本だけでなく、ホソカタムシ研究のために必要なプレパラート標本の作製法)、
本書でも収録されている細密画の作画法、そして仲間であるホソカタムシ愛好者のエピソード、採集記が収録されている。
ホソカタムシを見つけ、探し出し、研究する楽しさとルートが余すことなく記載されていると言えるだろう。

そして2部。日本産ホソカタムシのリストから始まり、
各種の細密画、解説、日本における分布図(記録がある地点を●でプロット)、そして特徴的な分布をしているホソカタムシの分布状況を収録。
こちらは、刊行当時のホソカタムシに関する知見のほぼ全てを網羅しようという意気込みに溢れている。

もうこの一冊だけで、ホソカタムシが宝の虫のように感じてしまうのは、僕だけではあるまい。
本書が、ホソカタムシという極めて地味な虫の本ながら、「第2版」まで出ているところが、その凄さを示しているのだろう。

たった一冊の本で、ある分類群に対する知見の到達点を纏め上げる。
それだけでも大変なのに、その虫を追う楽しさ、魅力まで伝えてしまう。
非常にマイナーな分野だが、これほど知的な楽しさに満ちた本も、なかなか無い。

【目次】
1部 ホソカタムシの採集と研究の楽しみ
 ホソカタムシに関するQ&A
 ホソカタムシの魅力
 ホソカタムシの研究法
 採集日記から
 ホソカタムシ採りの達人たち
2部 日本産ホソカタムシの分類と分布
 日本産ホソカタムシの種名リスト
 日本産ホソカタムシ図集
 日本産全種の解説
 日本産ホソカタムシの分布図
 日本列島におけるホソカタムシの分布状況


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category: 昆虫

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2017/03/01-3/03 オリーブオイル、絞首台からのレポート、どん底  

〈2017/03/03金〉
仕事の避けられぬピークを迎える。当分嵐模様。

それはそれとして、「エキストラバージンの嘘と真実 スキャンダルにまみれたオリーブオイルの世界 」読了。
やはりという実感だか、「エキストラバージンオリーブオイル」の価値がこれほど損なわれたものとは思わなかった。
ワインとオリーブオイルの対比については目からウロコであった。いずれ紹介する予定だが、興味がある方はぜひ。

寝る前の本として、「ニュースの裏には「科学」がいっぱい」と、「世界を変えた10冊の本 (文春文庫)」を天秤にかける。
双方を1章だけ読んだ結果、まずは「世界を変えた10冊の本 (文春文庫) 」にした。
こういう本は、どの本が選ばれているかもさることながら、「なぜその本を選んだのか」という点が面白い。
ちなみに1冊目は「アンネの日記」だった。その選択の視点がなるほど池上彰。
ところで、僕は「アンネの日記」を読んだことがない。読むべきだとは思うが、「◯◯すべき」と思ってやるコトほど嫌なコトはないので、たぶんよっぽどでないと読まない。

ただ、同様にナチス・ドイツにより命を絶たれた人物として、
共産主義者という立場のために捕えられ、拷問と来るべき死を見据えつつも、強靭な意志の力を示したユリウス・フチークの「絞首台からのレポート (岩波文庫 赤 775-1)」は読んだ。「アンネの日記」の陰に隠れていて、また共産主義者という立場のためか日本では全く知名度がない。だが、人間の思想に対する迫害と、それに対する闘い(それも絶望的な闘い)の記録として、こちらも名著である。

ところで、「絞首台からのレポート」を読むと、なぜか「どん底 (岩波文庫)」が読みたくなる。中学・高校の頃の刷り込みである。
もう岩波文庫版しか販売していない気配だが、僕が愛読しているのは角川文庫版、神西清の訳である(昭和55年版)。
神西清と言えば、我が愛する堀辰雄の友人。ということで、こちらをお薦めする次第。

それにしても、こういう翻訳書、特に古い本になると、それぞれの世代で訳者が異なることも多い。
訳文によってかなり印象が変わるので、同じ本好きでも、かなり読後感が異なるのではないだろうか。
僕はやはり、ちょっと古い文体の翻訳が好きだ。
ということで、「ハムレット 」なら、迷うことなく講談社文庫・木下順二訳(と言いつつ岩波文庫も持っているが)。
この版の、「生き続ける、生き続けない、それがむずかしいところだ。」のクダリを暗誦したのも、今は遠い思い出である。










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日本企業の縮図ともいえる、トヨタ・プリウス。「ハイブリッド」  

ハイブリッド
木野 龍逸



ハイブリッド車は、既に普通の存在である。

だが僕が子供の頃を振り返れば、ハイブリッドなんて影も形もなく、
道を走っているのはガソリン車、未来を走るのは電気自動車だったと思う。

そう考えれば、ハイブリッド車とは「夢の実現」ではなく、
「現実的な解」として評価されるものだと思う。

その「現実的な解」として示されたのが、プリウスだ。

日本の車メーカーといえばトヨタとホンダがまず浮かぶが(異論歓迎)、
技術的なチャレンジはホンダがやるもので、
トヨタは成熟した技術を投入してくるイメージがあった(個人の見解です) 。

それが、世界初の量産型ハイブリッド車を投入してきたのだから、当時は驚いた。
「トヨタがそれをやるのか」と。

本書は、そのプリウスを構想し、量産型として発売するまでの道程を取材したもの。
「21世紀の車」を造るという漠然としたチームがあったとしても、
それを「ハイブリッド車で行く」と決めてから、量産まで僅か2年。
その機構が全く新しいものであるがゆえ、達成するのは至難だったと思うが、
トヨタはやり遂げた。

0号車はイグニッションキーを回しても、電源すら入らなかったという。
また、当初はコストが非常にかかり、社内ではハイブリッド車なんか売れないという認識だった。
時間的にも市場的にも逆風のなか、よく成し遂げたものと思う。

個人的にはトヨタ車は好きではないのだが(個人の見解です)、
燃費・環境・給油の手間等から、多くの人がハイブリッド車を求めていたという潜在ニーズを引き出し、
現在に至るまでハイブリッド車や燃費効率の上昇など、
様々な技術革新を促した存在として、プリウスはエポックメイキングな車だと言える。
その舞台裏を覗く一冊として、本書は貴重な記録だ。

とはいえ、トップの(安易なとしか感じられない)期限設定、目標設定のために、
それを成し遂げるための社員は24時間体制、会社で寝泊まり等の過酷な業務体制となっている。
それでも、本人たちも「車作りが好き」なのかもしれないが、
その家族、影響を受ける通常部局、また本書では全く触れられない下請け会社等の負担は、相当なものだったのではないだろうか。

プリウスは、技術陣等の奇跡的な働きによって間に合った。
そのため本書は、おそらくサクセス・ストーリーとして位置づけ、刊行されたのだろう。

ただ、日本の各会社では、失敗に終わり語られないストーリーが数多くあるのではないか。
その中で倒れた人々のことは、誰も語ることはない。
ちょっと斜めに構えた視点で申し訳ないが、
ちょっと手放しで賞賛したり、経営者側が安易にモデルとすることは危険だろう。

【目次】
序章 三代目プリウス誕生
第1章 二十一世紀のクルマ
第2章 「燃費を二倍にしろ!」
第3章 ハイブリッド一本
第4章 「内製」にこだわった電池
第5章 「お客さんに育てていただいた」
第6章 世界の「環境ブランド」
終章 次世代のプラグインハイブリッド
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category: 技術

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