ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

フランス革命、図書館、オリーブオイル  

〈2017/02/27月〉

死刑執行人サンソン ―国王ルイ十六世の首を刎ねた男 (集英社新書) 」 読了。
王政から共和制へと、人類史でも激動と言って良い時代の最中に、
そのうねりの最先端に位置したサンソン。
本書では、社会的地位としては対極に位置するルイ16世との邂逅・処刑を軸に、
フランスにおける死刑の死刑執行人の悲しみを描き出す。
いや、知らなかった話と視点。読んで良かった。

あと、忙しさの前の逃避としてコミック「夜明けの図書館 (ジュールコミックス)」を読む。
図書館を舞台とした司書、特にレファレンスを巡る物語。
本に関するコミックとして「鞄図書館1 」もあるが、これがファンタジーであるのに対し、
夜明けの図書館 (ジュールコミックス)」は現実(に有りそうなこと)をテーマとしており、万人受けするのはこっちか。
ただし、「本」直球モノではないので、「本好き」が満喫できるかは微妙。
なお、1巻だけしか読んでいないが、市役所職員(主人公の同僚もその他の者も)が一般的に「こうだろう」と思われているステレオタイプ公務員でちょっと好きくない。まあいいけど。

次に手に取ったのは、かねてから読みたかった「エキストラバージンの嘘と真実 スキャンダルにまみれたオリーブオイルの世界」。
店に行くたび、「こんなに〈エキストラバージンオリーブオイル〉 が生産できるのか」と常々疑問だったのが、やはり問題は多い。オリーブオイルの素晴らしさと、それ故の歪みに直面させられる一冊。
ところで本書、装丁がとても素敵。ただカラー写真の口絵が巻末にあるという特殊な構造のため、せっかくの写真だが、イントロダクションとして機能していない。勿体ない。




 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: 雑記:日々のこと

thread: 日々のつれづれ - janre: 日記

tb: 0   cm: 0

切なさと悲しさ。時代の閉塞感  

〈2017/02/27月〉
初めてのシーズンなので実感がないが、 仕事が木曜日以降ピークを迎える見込み。
こういう時は、どうしても楽に読める本に手が出てしまうというのが、
先日からのコミックに現れている。
本日は、また昨日入手した「山羊座の友人 (ジャンプコミックス)」と「トレース 科捜研法医研究員の追想 1 (ゼノンコミックス)」を読んだところ。

山羊座の友人 」は一巻完結、乙一氏作の、切なさと悲しさが詰まったファンタジー。
初期(初期のしか読んでないけど)の法月倫太郎(例えば「頼子のために (講談社文庫)」のような)のような感じ。ただ、もう20年以上前に読んだ感覚だけど。

トレース 科捜研法医研究員の追想 1 (ゼノンコミックス)」は、元科捜研の人が著者とのこと。ストーリーはフィクションでも、科捜研の佇まいとか仕事の段取りとか、中の人ならではの描写が楽しめる。
楽しめるが、ストーリーは重い。でも、これは続巻も入手したい雰囲気。

それにしてもフィクションは時代の投影だと思うが、「死役所 」にしても本書にしても、
「山羊座の友人」もそうだけど、閉塞感に息が詰まる思い。
一日も早く、今とこれからを生きる子どもたちに、救いと希望がある時代になってほしいもの。

ところで、「ビブリア古書堂の事件手帖7 ~栞子さんと果てない舞台~(メディアワークス文庫)」が刊行された。
ついに完結。これも読まなきゃ。

あ、「死刑執行人サンソン ―国王ルイ十六世の首を刎ねた男 (集英社新書) 」も読んでいる。ついにルイ16世が…。あと1章程度だが、終わるのがもったいないなあ。

ところで、常日頃思っていることを一つ。
本屋にて、本の上に荷物を置く者は滅びるがよい。









 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: 雑記:日々のこと

thread: 日々のつれづれ - janre: 日記

tb: 0   cm: 0

ヒトの進化を考える契機として。「親指はなぜ太いのか―直立二足歩行の起原に迫る」  

親指はなぜ太いのか―直立二足歩行の起原に迫る (中公新書)
島 泰三



なぜヒトはヒトに進化したのか。
そう問える存在も、地球上ではヒトのみだ。
であるからこそ、この謎は極めて大きく、魅力的だ。

この謎に挑む武器としては、発掘された初期人類の化石、石器、
同時期の環境復元などのほか、最近はDNAという新しいアプローチも可能となった。
そうした様々なアプローチの一つとして、著者はマダガスカルに生息するおける原猿類の生態・形態を手掛かりとした。
その観察から得た仮説は、

 種形成の根本原理は、独自の主食を開発し、他の種と食物を別にする「食べ分け」であり、 これを霊長類に適用した場合、主食が手と口の形を決定する


というもの。これを著者は「口と手連合仮説」と名付けている。
ここから、移動姿勢もこの「口と手連合仮説」によって特殊化した手の制約により変化すると見ているようだ。

この仮説について、著者はマダガスカルにおける原猿類で確認し、以降、世界の真猿類にも適用できることから、そこから原始人類に進化する直前の類人猿にも適用可能だろうと推測する。

その結果、著者は初期人類はサバンナにおける「ある硬いモノ」を主食とすることに特化した霊長類であり、
それ故に、その「ある硬いモノ」を砕くための「極めて硬い歯」を持った。
また、「ある硬いモノ」を砕くために石を握る必要があり、親指が太く変化。
そして手が道具を持つため、二足歩行となった、という結論に至る。
(「ある硬いモノ」が何かは、ちょっと調べると分かってしまうが、本書を読む楽しみの一つなので、あえて伏せる。)

正直、なるほどと感じる反面、首を傾げる部分も少なくない。

まず、「口と手連合仮説」だが、
主食がダイレクトに口と手の形態を決定する、と最初は論じながら、
途中で、その主食を手に入れるために移動する方法によって、手の形態が決定される、ともしている。
すなわち、主食→移動方法が決定→手の形態が決定、となる訳だが、このような間接的な要因をも
「口と手連合仮説」の論証として良いのか。
広義では確かにそうだけれども、生物の種が繁栄するためには、少なくとも
・他個体より効率的に餌を入手し、自身の生存率を高めること
・他個体より効率的に繁殖し、繁殖率を増加させること
の2点が必要だろう。(正確な理論ではなく、あくまで僕の思いつきに過ぎないが。)
すなわち事実上、生殖器以外の形態の決定には、間接的に主食が影響している筈だ。

「手」らしい「手」は、霊長類にしか存在しない。
その霊長類において、著者自身が、移動手段のため形態が決定したことも含めているため、主食がダイレクトな決定要因とは言い難い。

また、全ての(口がある)生物種においては、むしろ、「口の形態が主食に左右されない」というケースの方が考えられない。
(主食に左右されないのなら、口は何に適応していくのか。)
だから、あえて「口と手連合仮説」とせずとも、それは自明の理なのではないだろうか。

また、著者が示す「ある硬いモノ」を主食としたことによる理論展開について。

有りえる話とも思う一方、ちょっと考えたら別のケースも想定できるのではないか。

例えば、水棲のサル=「アクア説」の是非は置いとくとして、初期人類の狙である類人猿が、主食として、淡水湖なり海の水生生物を選択したと仮定する。魚でもエビでも貝類でも良いが、量と捕りやすさからして、魚か貝としよう。
これを捕獲するには、水際に入らなければならない。ここでまず、息をするため上半身を起こす姿勢が増加する。
また、獲物を捕獲しても、水際で大量に喰うことはできない。落としたり、外敵に襲われる可能性もある。
だから獲物を陸地の安全な場所まで運ぶ必要があるが、大量に持とうとすると、手に持つしかない。
手に獲物を持てば、ナックルウォーキングや四足歩行は不可能。
また、より早く、大量に獲物を運べる個体が有利となる。
よって、二足歩行に長けた個体が生き残った。
さらに、獲物の一つである貝は、それを喰うためには石を用いる。だから親指が太くなった。
また、小魚の骨や、カニのキチン質を砕くために硬い歯が発達した。
こう考えると、著者が示す「ある硬いモノ」を主食とせずとも良い。
また「硬い歯」も、主食による形態決定ではなく、長寿命化に対応した歯の延命と考えることもできる。

妄想の域を出ないが、結局のところ、著者が示す「ある硬いモノ」を主食としたことによる理論展開も、こうした発想の一パターンと言える。

「口と手連合仮説」 はともかくとして、もちろん、大陸移動説の例もあるため、著者の「ある硬いモノ」を主食としたという進化説が正しい可能性も有り得る。
そうした思考実験として、本書は楽しみたい。

なお、わりと著者が、他の研究者に言葉は悪いが長時間つきまとって議論したり教えてもらうシーンが散見される。
大学や研究機関に属さない人による研究を否定するつもりは全くないが、
だからこそ同じ研究者として、
相手の研究者としての時間や業務に配慮した行動をすべきでは、と感じた次第である。
チンパンジーの群れの中で、いつも通り秒刻みの行動をテープレコーダーに吹き込んでいる研究者に同行して、
その最中に(ゆとりがある時間だったにせよ)、質問を続けるというのはいかがなものか、と感じた。

【目次】
第1章 アイアイに会うために
第2章 レムール類の特別な形と主食のバラエティー
第3章 アフリカの原猿類の特別な形と主食
第4章 ニホンザルのほお袋と繊細な指先
第5章 ナックル・ウォーキングの謎
第6章 ゴリラとオランウータンの謎
第7章 初期人類の主食は何か?
第8章 直立二足歩行の起原
終章 石を握る。そして、歩き出す
 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: 進化論

thread: 読んだ本の紹介 - janre: 本・雑誌

tb: 0   cm: 0

人道的な死刑執行器具とは(昔のフランスの話)  

〈2017/02/23木〉
就寝前、ようやく「腰痛探検家」を読み終える。長い旅が終わった。
それにしても、腰痛のためとは言え、これほど次々と治療院を訪れること自体、エネルギッシュな話である。

〈2017/02/24金〉
朝の通勤時に「死刑執行人サンソン ―国王ルイ十六世の首を刎ねた男 (集英社新書)」。
今とは時代が全く異なるとはいえ、やはり過酷な仕事である。今、ルイ16世と二度目の出会いがあったところ。
「生涯に三度出会った」と書いていたので、次は断頭台か。
ギロチンが「人道的な死刑執行器具を」というスタンスから生まれたという話には、眼からウロコであり、
読み進めて納得した。
昼は休まず仕事、帰りはイタリア語で読書はなし。
他にもハードカバー1冊と文庫1冊とKINDLEを持って行ったが、読書ではなく、単なる筋トレ。
(ただ活字中毒者なら、持ち歩きたい気持ちは分かっていただけるかと。)
話は変わるけれど、サンレモ音楽祭終わったなあ。

〈2017/02/25木〉
関わっている野鳥保護団体の会誌作成。
続いて、今週読んだ本のレビューを3本書いたところで昼。
午後は本を読む暇もなく、雑事に追われる。
所用により車で移動中、近所の池でホバリング中のミサゴに遭遇。ゆっくり見たいのだが、今日も果たせず。
 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: 雑記:日々のこと

thread: 日々のつれづれ - janre: 日記

tb: 0   cm: 0

戦場カメラマンは、今日も現場から伝え続けている。「世界は危険で面白い」  

世界は危険で面白い
渡部 陽一



戦場カメラマンの仕事術 」(レビューはこちら)では、朴訥なイメージの渡部氏が、やはり実際はタフな「戦場カメラマン」であることが実感できた。

さて、本書を読むと、渡部氏の取材地は戦場に限ったものではなく、災害、過去の紛争地等様々であることがわかる。
だから渡部氏のターゲットは、戦場と言うより、むしろ普通の人々の生活を蹂躙する「現場」といった方がふさわしいかもしれない。
カメラマンのスタンスは、「告発」、「伝達」、「記録」等様々だが、
蹂躙される人々の姿を映し出す渡部氏のスタンスは、やはり「優しさ」と言うべきだろう。

そうした優しい人が、世界各国の厳しい現場で遭遇した様々なエピソードが、本書では短く、完結に綴られている。

時系列的には「戦場カメラマン」よりずっと前に刊行されたもののため、「戦場カメラマンの仕事術 (」と同エピソードもある。

だが、一編一編が完結しているだけに、本書の方がドキュメンタリーとして濃厚だ。
両書に綴られている、渡部氏と一カ月間ジャングルを歩きながら、最後には渡部氏のカメラを盗んで去った男性も、本書では写真が掲載されている。

こうした生き方しかできない地とは、どんな場所なのか。
渡部氏の仕事はもちろん写真で評価すべきだろうが、
本書もまた、世界各地で蹂躙される人生があることを伝える渡部氏のメッセージである。

渡部氏の公式サイトは、こちらである。
またオフィシャルブログ「戦場からこんにちは」では、日々の記事と写真がアップされている。

【目次】
アフリカ編
中東編
アジア編
中国・チベット編
欧州・その他編
戦場カメラマン背景メモ

 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: ノンフィクション

thread: 読んだ本の紹介 - janre: 本・雑誌

tb: 0   cm: 0

ジャイロ・ツェペリと死刑執行人の一族  

〈02/22水曜日〉
ぼくは猟師になった 」読了。
真面目な猟師の知恵と技術と向上心に感服。
それにしても、猟師を増やせば有害鳥獣が減るとか、
鳥獣保護が行き過ぎたから有害鳥獣まで増えたとかの短絡化した話にはウンザリしているが、
本書を通して、改めて日本における野生鳥獣(特に鳥獣害)と猟師とのバランス(質・人数ともに)の問題、
また捕獲した個体の処理・流通に課題が山積している現状に直面し、暗澹たる思い。

次に手に取った本は「死刑執行人サンソン ―国王ルイ十六世の首を刎ねた男 (集英社新書)」。

Amazonの内容紹介には

<集英社新書創刊15周年フェア>
究極といえる宿命と血族。社会と死に対する尊厳が描かれている。――荒木 飛呂彦


とあり、一瞬ムム?と思ったが、そういえばジョジョの第7部「スティール・ボール・ラン」の実質的主人公の一人であるジャイロ・ツェペリが、死刑執行人の一族という設定だった。本書がモデルであったかと納得(Wikiを見たら、もう書いてた)。
まだ冒頭だけだが、読むのが楽しみ。




 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: 雑記:日々のこと

thread: 趣味と日記 - janre: 趣味・実用

tb: 0   cm: 0

海自と海上保安庁特殊救難隊  

〈02/19日曜日〉
野鳥観察会のため読書はお休み。
参加者も多く、カワセミ・トラツグミも見られて良かった。

〈02/20月曜日〉
妻ゲットのコミック「海自オタがうっかり「中の人」と結婚した件。」を読了。


ノンフィクション系エッセイコミックが多発されているが、
知らない世界を読みやすく・手軽に紹介してくれるので有り難い。
ただし、独特な世界を外部から笑うようなスタンスの本はちょっといただけない。
その点、本書も海上自衛隊の方と結婚した女性の目線であり、
海自の方の生活や習慣を単に「変」「おかしい」で片付けず、「◯◯の理由だから」と明らかにしていく。
海自に対する敬意か、夫である方への愛かは分からぬが、読んでいて嫌な気持にならない一冊。
また、本書でもそうだが、東日本大震災の時の話が出ている。
こうした本を通して、様々な目線(特に個人)での記録が残るのは、やはり大事な事だろう。

ちなみに「天才 柳沢教授の生活」の著者が、数寄屋造りの家を建てるルポ・コミック「数寄です! 3―女漫画家東京都内に数寄屋を建てる」でも、東日本大震災時の話が収録されている。同時期に、それぞれの想いがあるんだなあと実感。


この海自テーマに触発されたわけでなく、たまたま「海難救助のプロフェッショナル 海上保安庁 特殊救難隊」を借りていたので、読み始める。

大変なお仕事と、隊員の方の努力と苦労に感嘆する。
それにしても、体力と根性が根本的に欠如している僕には絶対無理。

就寝前に「腰痛探検家 」を読む。
少しずつしか読めないので、一向に著者の腰痛が良くならない。今更ながら、寝る前に読む本ではないと気づく。

〈02/21火曜日〉
海難救助のプロフェッショナル 海上保安庁 特殊救難隊」を読了。
あの事故に出動していたのか、この事故にもか、と驚くことしきり。
ただし、専門のノンフィクション作家によるものでなく、
本書を刊行するための委員会(おそらく内部の関係者の方々で構成されていると思う)によるもののため、
「隊員の生の声を集めた」という感じ。
専門用語も注釈があまりなく、それぞれの隊員による様々な事故現場の実体験が掲載された後に、
その事故の総括的な紹介があったりする。
全体→細部という構成でもなく、生の素材を生のまま出した感。
それも良いが、せっかく大変な仕事が日の目を見る機会なのに、ちょっと勿体ないつくり。
でも、こうした人と組織が日本にあることは、有り難い。多くの方に読まれるべき本。
いずれレビュー予定。

で、昼休みの読書はまた「ぼくは猟師になった 」に戻った。

 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: 雑記:日々のこと

thread: 趣味と日記 - janre: 趣味・実用

tb: 0   cm: 0

真摯な生と、大きな遺産。「白畑孝太郎─ある野の昆虫学者の生涯」  

白畑孝太郎─ある野の昆虫学者の生涯
永幡 嘉之



動植物の保全にあたっては、破壊が進んだ現在の末期状態を維持するのではなく、過去の状態へと復元するという視点が不可欠なのだが、そのためには過去の状態を知ることが前提になる。ところが、過去の資料というものは、必要になったからといって入手できるものではない。雑木林が当たり前に広がっていた時代には、誰もそのようなものに気をとめることもないからだ。(p15)



現在の記録を残す、という行為は、現代に生きる人間にしかできない。
しかし、「現時点」は、その時々の自分にとって最も「当たり前」の状況。それを細かく記録することは、ともすれば変人・マニアの類に見られかねない。

それでも、記録することは、保護の第一歩である。

ただ野鳥の場合、観察記録又は撮影記録が主だ(鳥類標識調査だと捕獲記録もあるが、鳥類標識調査員自体が少ない。2016年11月現在、香川では僕一人である)。そのため、いきおい「珍しい種」ほど記録されやすいのだが、その記録さえも、文献として残されることは稀だ。
だから、少なくとも観察・撮影した「珍しい記録」くらいは丁寧に文献化しておこうよと、僕も運営している団体で冊子を刊行している(「香川県野鳥記録・研究報告集 Woodpecker」香川の野鳥を守る会)。

一方、昆虫だと「採集」という手段がある。だからとにかく採集して標本化(ラベル付)さえしておけば、その時代の普通種の多くも記録化できる。

だが逆に、昆虫の種数の多さ、そして地域ごとのバリエーションを考えるならば、簡単に「できるだけ多く」とも言えない。それを達成しようとすれば、恐ろしいほどの労力と時間と費用を要するだろう。

しかし、冒頭に引用に戻る。
野鳥にしろ昆虫にしろ植物にしろ、とにかく資料がなければ話にならない。

また保護だけでなく、研究という面においても、網羅的な資料は極めて重要だ。
生物地理学という分野があるが、個々の生物には、それぞれ「そこに存在する歴史」がある。
それを紐解くことで、進化、地史、気候変動、生態系の絡まり等々、僕らは地球の歴史を知ることが可能となる。
(ちなみに、その歴史を無視して存在するのが人為的な外来種である。)

本書からも引用しておく。

動植物のそれぞれに、過去の地殻や気候の変動の上に成り立ってきた、長い歴史がある。
つまり、飛んでいる一頭のチョウにも、今そこにいる理由があるのだ。(p237)



現代を記録すること。それは誰かが行わなければならない務めである。
通常、それを担うのは研究者と思われることが多いが、自然史の分野では、在野のアマチュア研究者が担っていることが多い。
もちろんアマチュアが、自身の愉しみだけのために活動しても、構わない。
だが、彼らが残した標本・記録は、未来の人々への貴重な遺産となる。
「記録を残そう」と考えたアマチュア研究者の活動は、やはり献身的な意味があると言っていいだろう。

本書で語られる「白畑孝太郎」氏は、昭和初期から第二次世界大戦以降まで、山形県において昆虫調査を牽引してきた在野の研究者である。

(ただ「在野の」とは言うものの、それは本人の意思ではない。
 もちろん家庭の事情等もあったが、後年は山形県の自然史研究を担う博物館の設立に奔走し、
まさに山形県の昆虫研究のコアになるべき位置にあった。
だが山形県の方針転換で、博物館職員は専門研究者ではなく、教職員の派遣となってしまう。
山形県の昆虫相を明らかにすべく、生涯をかけて尽してきた白畑氏の無念は計り知れない。)

白畑氏は、山形県の昆虫層を全て記録し、まさにその生物地理学的な面での研究を行おうとしていた。
そのため、残された記録は極めて膨大であり、また資料価値に富む。
昆虫標本だけではない。様々な文章記録、また当時の環境写真も多数撮影し、そのそれぞれに撮影時期・場所・撮影した主旨を裏書している。

本書は、この圧倒的な努力の人、白畑氏の生涯の記録である。

そして白畑氏の足跡を膨大な資料で辿ることで、同時に、失われた環境の多さに呆然とさせられる。
いわゆる自然だけでなく、水田、里山といった、連綿と続いていた人と自然の共生の場も、
白畑氏の生きている間に加速度を増して失われ続けた。

現代以降の課題は、やはり少なくとも現環境の保護、そして失われた環境の回復だ。
他県と異なり、白畑氏が膨大な記録を遺してくれている山形県は、回復するべき環境のヒントは十分にあると言って良いだろう。

そしてもう一つが、白畑氏が成し得なかった、昆虫を軸とした山形県の生物地理学的な研究である。
経済発展により様々な環境が失われる以前に得られた膨大な昆虫標本は、それを研究する人を待っている。

ただ現在、これらの標本は博物館には納められていない。
それは、前述のとおり博物館設立時の理想に対する裏切りと、それに対する真摯な想いに起因する。

白畑氏の死後、妻の礼子氏は次のように考えている。

生涯をかけて打ち込んだ研究資料を安心して委ねられるかどうかを判断するときに、組織や設備は関係ない。情熱をもって調査研究にあたる人がいるかどうか、その一点に尽きる。(p248)



そして現在、白畑氏の標本の管理を託されている著者も、次のように記している。

決して、どこかに寄贈して保管すれば済むものではない。志を受け継ぐ人物が標本を調べ、写真や文章から環境を復元し、そして今と比較することで、初めて活用される。それこそが、白畑自身が最も望んでいたことのはずである。遣品となつてしまった標本を、単なる飾り物にしてしまうか、それとも研究資料として生かすことができるかの分岐点は、後世で活用に携わる人物の情熱と力量にかかっているといってよい。(p257)


決して山形県の人にのみ課せられた義務ではないが、それでもこうした「二度と得られない自然史標本」は、その地の宝である。

(実際、山形県の指定文化財(天然記念物)に指定されている。 HP:山形県の宝 検索navi(山形県教育庁文化財・生涯学習課) )

白畑氏の生涯を継ぐべき人物が現れ、行政を含む環境がそれをバックアップし、白畑氏の遺産が、真に活用される時代が早く来ることを、心から望む。

本書は、一人の自然史研究者の生涯と想いを丁寧に辿った、素晴らしい伝記である。
昆虫云々ではなく、多くの方に読んでいただきたい。


ちなみに、昆虫に興味を持ち始めた頃、マークオサムシという重厚なオサムシの存在を知った。
まるで鎧を装備したかのような黒いオサムシ。東北地方の湿地帯にしか生息しない、極めて珍しい種という。
このマークオサムシ、イギリス人のルイスが明治年間に日本で採集し、名前がつけられた種類だったが、日本人は誰も採ったことがなかった。

それを日本人で初めて採集したのが、白畑氏。一九三二(昭和七)年のことと言う。
当時は、マークオサムシは山形県全域の水田に生息し、白畑氏の若い頃には、田の畦道を横切ることもあった程と言う。
だが、水田の基盤整備が進行するにつれ、マークオサムシは県内全域から一斉に姿を消し、現在ではわずか二地点の休耕田に細々と生き残るのみとなっている(本書の記述による)。

この一点だけを取り出しても、失われたものの大きさに呆然とする。


【目次】
第一章 標本に埋もれて
 標本に埋もれた書斎
 夢の軌跡
第二章 生い立ち
 標本に埋もれて自然への開眼
 進学の夢
 独学の決意
 広がる交流
第三章 警察官として 酒田へ
 ギフチョウ属の混生地
 初めての鳥海山
第四章 大陸に渡る
 中国に描く夢
 制約のなかで
 持ち帰った葉書
 新婚のころ
 黒澤良彦
 戦争の波 7
第五章 断たれた夢
 雨の行軍
 アルビオン
 蛍の海
 虫たちを支えに
 望郷のマイコアカネ
第六章 新たな幕開け
 故郷の虫
 ミヤマシジミ
 高橋多蔵
 酒田を本拠地に
 タイリクアキアカネ
 飛島とミンミンゼミ
 高館山と上池・下池
第七章 研究の途
 総合学術調査会の結成
 朝日連峰の学術調査
 山形昆虫同好会
 チョウセンアカシジミの発見
 滅びゆくものへの焦り
第八章 博物館に託した思い
 洪水と湿地の虫たち
 鈴木健太郎
 上山の風景
 博物館建設
 曲げられた夢
第九章 『山形県昆虫誌』の構想
 写真の束から
 湧水のある風景
 消えていったギフチョウ
 ウスバシロチョウの移植
 公共事業のもとに
 月山
 鳥海山と仁賀保高原
 朝日連峰縦走
第十章 夢の軌跡
 ひとつの時代
 標本の行方
 確固たる信念
 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: 昆虫

thread: 読んだ本の紹介 - janre: 本・雑誌

tb: 0   cm: 0

電子書籍と語学テキスト 20170218  

20170218

日記をどういうスタイルで投稿するか思案中。まあ、すぐやめるかもしれないけれど。

〈水曜日〉
鳥屋のための雑誌「BIRDER」の定期購読を、出版社ダイレクトから雑誌のFujisanに切り替える。
出版社だと11,400円、Fujisanだと12,960円。1,560円高だが、Fujisanだと専用リーダーでのデジタル版もついてくる。
定期購読を解約すると見れなくなるが、必要な部分をPDF印刷しておけば、
デジタル・スクラップがしやすいだろう(ただし、画質は若干落ちるようだ)。

これまでは必要箇所をコンビニでカラーコピーし、それをスクラップとPDF化していたので、
やや手軽になるかもしれない。それだけの労力をかけるかが問題だが。
1993年から定期購読しているため、BIRDERだけで250冊以上溜まっている。置き場に困る。

資料価値の高い(と自負する)雑誌なら、
本来、出版社が定期購読者へ+α料金でデジタルスクラップの随時閲覧サービスを提供して良いのではないだろうか。
どうもデジタル出版を積極的に武器に使おうという出版社が少ない感じ。

ところで最新号、翼式や初列風切の突出やP10とPCの関係など、
野鳥を手に取って翼を確認する必要があるため、
かつては鳥類標識調査員だけが使えていた識別点の概略説明が掲載されている。
デジタル写真の高精細さにより、この識別ポイントが、
これからの(特にスズメ目の)識別屋の武器になるだろう。

こうした鳥類標識調査員的な視点での識別知識を知りたい方には、「ヨーロッパ産スズメ目の識別ガイド」がお勧め。
普通のウォッチングでは使えない情報も多く、ヨーロッパ産スズメ目が対象だが、
日本との共通種も多いし、例え亜種が違っていても類似種との識別ポイントを見つける参考になる。

各専門分野には持っているだけで武器になる本が有るが、そんな一冊である。

その他、かなり普通の図鑑には掲載されていない話題が多く、今月号のBIRDERはお勧め。
ただ、唯一の識別専門コーナーだった「Young Gunsの野鳥ラボ」が最終回。識別に拘るのは時代遅れなのか。


午後、レビューを1冊書いて、積読タワーを2つに分割。読みたい本が相変わらず山積している。

ところでふと見ると、
NHKのラジオ語学「まいにちイタリア語」のテキストが、AMAZONのKINDLEで最新号以外が99円になっているのに気づく。
紙テキストは持っているが、外出先での復習用に2016.4~9月分を購入した。

こういう用途にKINDLEは適しているなあと感動したところで、本日は沈。
明日は野鳥観察会の予定。
 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: 雑記:日々のこと

tb: 0   cm: 0

本にまつわる日記20170213-0217  

本にまつわる日記20170213-0217

読書日記を書こうと思いつつ、いつも手をつけないで後悔している。
でもこの3日間はチャレンジしたので、まとめて投稿してみた。

〈水曜日〉
KINDLEで、長らく就寝前に読んでいた「池上彰教授の東工大講義 学校では教えない「社会人のための現代史」」を読了。
こういう章ごとに完結する本は、KINDLEでの読書に向いていると感じた。
他にKINDLEでは、「この社会で戦う君に「知の世界地図」をあげよう―池上彰教授の東工大講義 世界篇」と、「幻獣ムベンベを追え」(レビューはこちら)でデビューした探検家・高野秀行氏による一風変わった探検記・「腰痛探検家」も読書中。

ただ、「池上彰教授の東工大講義 学校では教えない「社会人のための現代史」」と「この社会で戦う君に「知の世界地図」をあげよう―池上彰教授の東工大講義 世界篇」、どっちを読んでいたのか混乱して困った。
KINDLEで並行読みする際は、完全別ジャンルの本が良いと痛感。

〈木曜日〉
しばらくぶりに休みを取り、AM、眼科で精密検査。
毎年健診で視神経乳頭陥凹拡大で指摘を受ける。
緑内障疑いとのことで、これまでは5年スパンで精密検査を受診。
自覚症状が出るまで待つというのも何だし、そろそろ老眼も来ているので、もうちょっとコンスタントに受診するべきか思案中。
待っている間、「山歩きのオキテ―山小屋の主人が教える11章 (新潮文庫)」読了。山荘主人視点の山野安全策指南、とても具体的。独特の厳しさがあり、それぞれの拘り・偏りもあると感じるものの、1,500m以上の山へ行くならこの程度の厳しさを自身に課すべきか、と、登りもしないのに偉そうに感じる。

昼食後、いつもとは違うBOOKOFFの支店へ。
新刊書店やAMAZONとは違い、思いがけない本との出会いがあるのが古本屋の良いところであり、罠。
今回も色々目に入ってしまった。

まず、美しい表紙と、
「なぜ、デカルトは虹を研究したと思う?虹を美しいと思ったからだよ。」
という帯の言葉に惹かれて「ファインマンさん 最後の授業」。
「ファインマンさん」シリーズとして著名な「ご冗談でしょう、ファインマンさん」が昔から気になっていたが、
いつの間にか古典になって、単価の高い文庫しか見かけなくなったので読んでいなかった。
本書は本人の著書ではないが、それも良し。

モアイの絆」。東日本大震災後の、チリと南三陸町の友好の物語とのこと。知らない話だ。
チリでの地震による津波は三陸にも被害を及ぼすことがあるが、
そうした自然災害を通してすら、遠い異国の人と繋がることが出来るのは、心の支え。

東日本大震災の日が近いなあと感じたためか、「河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙」も目に入る。
こちらは話題になり、いずれ読むかなと気になっていた一冊。今日がその縁が結ばれた日だろう。

再読したいと感じて購入したのが、良質の日本スパイ小説「ジョーカー・ゲーム 」(シリーズ全てのレビューはこちら))と、
実録系漫画の先駆け、「失踪日記」。

さらに探索中、雰囲気が良いコミック発見。
あらゆる本を収蔵し、無限の世界を秘めた喋る鞄と、トレンチコートの渋い司書の物語らしい「鞄図書館1」。本を題材にした漫画は楽しい。

掘り出し物は、「アンモの地球生命誌」。帰宅後、すぐに読了。
最後の一匹となったアンモナイトが、仲間を求め、仲間を救うために長い長い生命の歴史をタイムトラベル。
その過程で、時々の生き物と出会い、時に戦い、様々な環境変化を潜り抜けていく。
可愛い絵柄ときちんとした古生物の描写、アンモナイトに感情移入しながら生命進化史を通観できる良書。

この世とあの世の境にある「死役所」は、ネットの評判で気になっていたもの。とりあえず1巻購入。

他にも妻も数冊購入。コミックも良い本があるし、いつかレビューしたいなぁ。

あと、「さまぁ~ずの悲しい俳句」も買った。安定のくだらなさ。こういう本も良い。

久方ぶりの休みでハイになっているのか、KINDLEで「お酒は夫婦になってから 1 」が期間限定無料だったので試し読み。
カクテルの作り方が毎回掲載されていて、酒好きには二度(以上)楽しめるだろう一冊。
絵も今ドキ風で可愛さを狙っているが、まあ1巻で満足かな。
なお、僕は酒が飲めないが、酒が嫌いなのではない。
飲めたら楽しめるのになあ、と思う屈折した感情が、酒飲みコミックに手を伸ばさせる。
類書に「ワカコ酒 1 (ゼノンコミックス)」や、こっちは食だが「花のズボラ飯」がある。

それにしても、本買いのタガが外れた1日だった。

〈金曜日〉
鞄図書館1」と、「死役所」読了。

鞄図書館1」は「あらゆる本が納められている喋る鞄」というファンタジーを堪能する一冊。情緒のある絵柄で、読むことに安心感がある。フィクション系の様々な名作が顔を覗かせるので、本好き程楽しめるだろう。
一転、「死役所」は絵が特別上手いとは感じず、一般的レベルな少年コミック。しかし扱っているテーマと個々の物語は、人間のエゴと身勝手さと悲しみをこれでもかと抉るもの。人によっては読み進めるのがつらい程。
鞄図書館1」は妻に素直に進められるが、「死役所」は中々。出会うべき人が出会うコミックか。

読書中や積読中が多いくせに、新しく読み始めたのが「ぼくは猟師になった」。野鳥保護は頭から狩猟を拒否すると思われがちだが、少なくとも僕は適法で真っ当な猟まで否定する気はない。ただ昨今の猟師の濫造傾向はいかがなものかと思う。まあ野鳥愛好家もマナーを守らない層が増えていて、どっちもどっちの感があるが。
でも、まともな猟師の野生動物を見る眼には感服する。本書もそういう気配が濃厚。

あと、妻発見の「患者さまは外国人 無国籍ドクターと空飛ぶナースのドタバタ診療日誌」も手を付ける。思いがけない人が出てきて驚き。日本にも色々な世界があるなあ。

























 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: 雑記:日々のこと

thread: 日々のつれづれ - janre: 日記

tb: 0   cm: 0

50年前の遭難事故から、人は学んでいるのだろうか。「空と山のあいだ―岩木山遭難・大館鳳鳴高生の五日間」  

空と山のあいだ―岩木山遭難・大館鳳鳴高生の五日間
田沢 拓也



山へ向かえば、どんなに低くとも遭難の可能性は常にある。
(その事例は、例えば「ドキュメント 道迷い遭難 (ヤマケイ文庫) 」(レビューはこちら)に詳しい。)

ただ一般的に、高い標高、冬山や春秋であっても天候の急変、ルートの難しさ等から、遭難の可能性は高まる。
近年も様々な遭難事故が発生し、例えば羽根田氏によるケース紹介と分析が行われている。
(例えば「ヤマケイ新書 山岳遭難の教訓 --実例に学ぶ生還の条件--レビューはこちら)など。)

遭難記録の刊行とそれを読むことは、通常の読書とは異なり、やはり遭難防止という実務的な面もあるだろう。

ただ、岩木山で本遭難事故が起こったのは1964年。今から50年以上前でもあり、
装備・情報・テクニック等々は、余りにも変わっている。
(確認したら、Googleのストリートビューで山頂まで確認できたほどだ。)

だから、本書がこれからの遭難防止に直接的に資するとは、思えない。

だが、「高校生が、慣れ親しんだ山の山頂を、いつもと違う季節に仲間と共に目指す」という冒険は、
いつの時代も有り得るだろう。

本書は1964年(昭和39年)1月、秋田県大館鳳鳴高校の山岳部員5人が、
青森県の岩木山(標高1,625m)の山頂を目指し、遭難。
そして4人が死亡するという事故の記録である。

他の事故と異なる点は、生還者がいること。

それにより、遭難時の状況や経緯を具体的に把握することができ、
どのように遭難し、悲しい結末に向かっていったのか、
そして当時の警察等による捜索の不足点や限界など、多面的に事実を把握することができる。

もちろん、本書の記述から、「もしこうしていたら」という教訓を学ぶことは可能だ。

ただしそれがそのまま、遭難した高校生や、捜索に当たった人々に対する指摘には、おそらく成りえない。
やはり残念ながら、時代の限界もあったのではないかと思う。

斃れていく高校生の状況と、発見された時の状況から伺える事実を踏まえると(ぜひ本書で確かめていただきたい)、
本当に何とかならなかったのかという残念な思いで一杯になるが、本書の時代は余りにも遠い。

岩木山の遭難現場付近には昭和39年には慰霊碑が、また岩木山御倉石には別に慰霊碑が建立されており、
慰霊登山もなされているようだ。
その様子は、花一匁氏による「K・Hanadaのブログ」、2014/7/12の「大館鳳鳴高校岩木山遭難者慰霊登山・慰霊祭」で紹介されている。

今更ではあるが、命を落としてしまった4人の冥福と、
今後の遭難事故が一件でも減少することを祈る。

【目次】
第1章 北門鎮護
第2章 山頂のメモ
第3章 足跡を追え
第4章 奇跡の生還
第5章 最後の歌




 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: 事件・事故

thread: 読んだ本の紹介 - janre: 本・雑誌

tb: 0   cm: 0

医療を必要とする人々の元へ。「国家救援医 私は破綻国家の医師になった」  

国家救援医 私は破綻国家の医師になった
國井 修



日本は非常に閉じた国と、僕は思っている。
性格的にしろ物理的にしろ、「国内」と「外国」という区別を非常に強く意識すると言えばよいか。

それは島国という立地条件だけではない(それならイギリスも同じだ)。
言語の問題もあるだろうし、
単純に、国民の大部分が海外に気軽に行く時間と金銭的余裕が無いことの裏返しなのかもしれない。
(多くの社会人が、1週間の連続休暇すら取れないという国は、
 逆に言えばリスクに対する余裕がないということだが、果たして良いのか?)

「それなのに」と言うべきか、「それだからこそ」と言うべきかは分からないが、
「国内」に対する「外国」を強く意識する結果、
特に、「外国の人」へは、まず善意をもって対応すべしというのが、
一般的な日本人の感覚ではないかと思う。

しかも、「日本人か外国人か」がベーシックな区分(差別ではなく)であるため、
宗教的な差異や、出身国、人種といった、対象となる人の属性によって
好意・関心を分けることが少ない(無いとは言わない)。
世界的に見れば、かなり珍しい感覚なのだろう。

さて、こうした善意の集合体が国家による援助だ。
民間での援助も有り得るが、その多くはかなり奥ゆかしい、
小さな募金の積み重ねなどによるようだ(ただ、その善意の分母がケタ外れに多い)。

だが時に、そうした奥ゆかしさを打ち破り、
時に強烈なキャラクターが、国家間で活躍することがある。
ところがその多くの方は、残念ながら一般に知られることが少ない。

例えば私たちにできること。 新型インフルエンザとの戦い (NHKプロフェッショナル仕事の流儀)」(レビューはこちら)の著者、進藤奈邦子氏。
WHOでの活動を、僕は長らく知らなかった。

また、紛争国家における武装解除(DDR、兵士の武装解除(Disarmament)、動員解除(Demobilization)、社会復帰(Reintegration))を仕事とする伊勢崎 賢治氏(「武装解除 -紛争屋が見た世界 (講談社現代新書)レビューはこちら)や瀬谷ルミ子氏(「職業は武装解除」レビューはこちら)。
(伊勢崎氏は国連のPKOミッション等、瀬谷氏はNGOとして)。
これらの方の国際的な努力を、いったいどれ程の日本人が知っているのだろうか。

そして本書の著者も、そうした人だ。
もちろん僕が知らなかっただけかもしれないが、ぜひ多くの方に知っていただきたい。

著者、國井修氏は紛争地等での医療活動を志し、様々な活動をしながら自治医大を卒業。
その後、栃木県の山間へき地での診療を行い乍ら、紛争国等の緊急援助活動に従事。
その後はJICA、外務省を経て、2006年からはユニセフ(国連児童基金)で活動。デスクワークのみならず、
ミャンマーやソマリアでの緊急的な医療援助と、現地の医療体制の再構築に携わる。
2013年からは、世界エイズ・結核・マラリア対策基金の戦略・投資・効果局長を務めている。

一人の人間ができることなど、たかが知れている。
だが國井氏の熱意は、ユニセフという活動を通じ、数十万人の子供たちを救うための活動に繋がっていく。

誰にでも出来ることではない。
だが、日本という国で育ち、そこで学び、それでもこうした国際的な場で働くという生き方を、
もっと多くの人、特に若い人に知ってほしい。

もちろん、無責任にチャレンジしろなんて、言えない。
また、ここまで国際なレベルに達することも、現実的には難しいだろう。

だが、彼らの後姿は、自分の一歩を踏み出す勇気になるはずだ。


【目次】
序章 世界最悪の破綻国家、ソマリアで国をつくる
第1章 国に跳ね返された若き日―日本の僻地とソマリア
第2章 激烈な生と死が駆け巡るアジア
第3章 鎮魂の鐘が鳴り続けた西アジア・中近東
第4章 徹底した格差のアメリカ大陸
第5章 動乱と騒擾のアフリカ
第6章 ミャンマーの軍事政権の下で国づくり
終章 ソマリアの症状は必ず快方に向かう

レビューはこちら
2010年、WHOインフルエンザ担当官であった新藤奈邦子氏の本。


レビューはこちら


レビューはこちら
 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: ノンフィクション

thread: 読んだ本の紹介 - janre: 本・雑誌

tb: 0   cm: 0

今度は、世界だ。「地球の石ころ標本箱: 世界と日本の石ころを探して」  

地球の石ころ標本箱: 世界と日本の石ころを探して
渡辺 一夫



河川敷や自然海岸へ行けば、誰しも石を拾うものである。異論は認めない。
それらの石ころは、日常の石ころとは違う。
多くは丸く、握り心地が良く、何だか知らないが黒かったり白かったり模様があったりする。
平たい石なら水きり遊びをするだろうし、 手頃なサイズを記念に持って帰る人もいるだろう。

だがその多くは、持って帰る途中、重くて捨てる。
また持って帰っても、いつしか何処で拾ったかすら忘れてしまう。

子どもっぽいと言わば言え。
それでも人は石ころを拾わずにはいられないのである。

そんな悲しくも愛おしい習性を、真っ正面から肯定してくれたのが本書の著者による書物たちであった。

日本の石ころ標本箱: 川原・海辺・山の石ころ採集ポイント」(レビューはこちら)では、基本的に河川・河口での石ころ採集を。

そして「海辺の石ころ図鑑」(レビューはこちら)では、海岸の石ころ採集の喜びを示してくれた。

ただし、何しろ、「石ころ」である。鉱物でもないところがミソで、
もちろん砂岩が泥岩かとか、火成岩か変成岩かという違いはあるものの、
あまり学術的な話は無く、ただ石ころを愛でる心のみが在る。

それゆえ前二冊により、著者による石ころ愛の布教活動は終えた―簡単に言えばネタ切れ― かと思っていた。

が、やはり先達のスケールは違ったのである。
地球規模で石ころを拾っていたのであった。
それも1国や2国ではない。なんと19ヵ国である。
しかも普通の人が行かないようなマニアックな場所で、現地の人と石ころを拾うのである。

ボルネオ島から更に船で20分を要する小島、マヌカン島。
その透明な海、白砂のビーチに著者は立ち、こう語る。

シュノーケルを楽しむには絶好の島のビーチだが、
忘れてはならないのは波打ち際の石ころ。


バックだかポッケだか知らないが、
異国の辺境で、嬉々として手のひらサイズの小石を拾うその姿。
この心の余裕を、我々は見失っているのではあるまいか。

本書はガイドブックの体裁をなしており、もちろん記載されたルートを辿れば、
同様な石ころを拾うことはできるだろう。
だが、残念ながら「たかが」石ころ、そんな酔狂者はいまい。
本書は実用書のようで全く実用ではない、完全に「趣味が昂じた」結果の本である。

とはいえ、僕は心の底から本書に感謝している。
というのも、異国の地に、日本同様に石ころが転がっているという「日常」を想像したことがなかった。
野鳥、昆虫、植物、建物等々、外国を知る手立ては様々だが、
様々な地の肌で実感するには、持ち帰りはしなくとも、
まずは石ころを手に取って拾ってみるのが良いのかもしれない。

著者の趣味は、どこかしら日本人の琴線に触れるような部分がある。
本シリーズを刊行し続けた著者と出版社に、心から経緯を表したい。

【目次】
フィンランド
ドイツ
イギリス
フランス
スペイン
韓国
タイ
マレーシア
インドネシア(バリ島)
インド
イラン
モロッコ
カメルーン
マダガスカル
ケニア
カナダ
アメリカ
コスタリカ
ニュージーランド
 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: 地学

thread: 読んだ本の紹介 - janre: 本・雑誌

tb: 0   cm: 0

遭難は、誰にでも起こり得る。「ドキュメント 道迷い遭難」  

ドキュメント 道迷い遭難 (ヤマケイ文庫)
羽根田 治



遭難といえば、身近なものではない。
だが、道迷いとなると、話は別である。
本格的な登山でなくとも、低山のハイキング、山菜捕りなどは、
「ちょっと慣れた友人」が近くにいれば、同行する機会はいくらでもある。
また、今は縁がなくとも、将来どうなるかはわからない。

そうした来るべき将来には、体力・判断力は低下していることが確実であり、
現在の安心が、そのまま継続する保証はない。

本書は遭難事例のルポルタージュを多く刊行している羽根田氏のシリーズの一環。
「道迷い遭難」、語感だけだと「うっりミス」のような雰囲気もあるが、
道に迷いった結果、それが冬山であれば凍傷・凍死もあり、沢筋に迷い込めば滑落も有り得る。

ルートから外れてもいないのに遭難するのは、気象条件が影響する場合が多いと類推するが、
「道迷い遭難」はよく晴れた日中にも発生しうるという点で、遭難としては特別なものであり、
一方、極めて日常的な遭難とも言えるだろう。

実際本書においても、冬山での道迷いという事例は少なく、
多くは明るい日中のルート・ファインデングのミスによるもの。

そのミスは、当人の注意不足もさることながら、
ルートそのものに問題があることがある。
(検証に行った山と渓谷社の取材チームすら迷うようなルートだ。)

とすれば、何度も通ったことがあるルートを辿る時はともかく、
慣れない山を歩く場合、それがどんな低山であったとしても、
道に迷う可能性を頭に入れておく必要があるだろう。

すなわち問題は、「いかに道に迷わないか」ではなく、
「道に迷ったと感じた瞬間から、いかに行動するか」なのだ。

【目次】
南アルプス・荒川三山 一九九九年八月
北アルプス・常念岳 二〇〇一年一月
南アルプス・北岳 二〇〇一年九月
群馬・上州武尊山 二〇〇二年五月
北信・高沢山 二〇〇三年五月
房総・麻綿原高原 二〇〇三年十一月
奥秩父・和名倉山 二〇〇五年五月

レビューはこちら

 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: 事件・事故

thread: 読んだ本の紹介 - janre: 本・雑誌

tb: 0   cm: 0

今だからこそ、知っておきたい。「「よど号」事件122時間の真実」  

「よど号」事件122時間の真実
久能 靖



よど号ハイジャック。
1970年3月31日発生。日本初のハイジャックである。

僕が生まれる前の事件であるし、物心ついた時にはもう過去の事。感覚的には関ヶ原の戦いと同次元の、教科書上の出来事だ。

だが、本書冒頭でも触れられているとおり、9.11という同時代の事件がある。
ハイジャックという犯罪は、おそらく今後も世界各地で発生するだろうが、
日本における端緒として、やはり「よど号事件」を知っておく必要があるのではないか。
そうした澱のような感覚があったところに、出会ったのが本書である。

著者は、当時よど号事件を放送したテレビキャスターであった、久能 靖氏。
僕としては、皇室に関する報道で目にする機会が多いキャスターという印象だが、
それだけにおそらくは中立・冷静な立場での書となっていると期待できる。

本書は時系列に沿って事件を辿る。
羽田空港から離陸直後の発生。
そして福岡での給油、北朝鮮への着陸、そして帰還だ。

恥ずかしながら、北朝鮮に迎う途中、韓国へ着陸していたなんて知らなかった。
どうも韓国の空軍や空港関係者が偽装していたようだが、
それが当該空港関係者の間独断なのか、日本政府も関与していたのかは判然としない。
だが本書を読む限り、当時の国際情勢の中、当該空港関係者の独断というか、
北朝鮮へ向かう不明機は着陸させるという韓国側の不文律によるものという印象を受ける。

また丁寧なインタビュー、記録等から、
当時の北朝鮮での機長らの待遇や、着陸したは良いがスターターが無く離陸できない状況を打破する技術者の動きなど、
今なお伺しれない北朝鮮の状況が垣間見える部分もある。

また日本初のハイジャック事件とあって、
混迷する政府、独自に動く日航、
そして犯人の赤軍派に共感してしまう「ストックホルム症候群」の顕著な事例など、興味深いエピソードも多い。

さらに恥ずかしいことながら、
この赤軍派が現地で結婚し、その子供たちの一部は日本に戻っている(正確には「戻る」ではないが)など、
報道されているはずなのに、自分が認識していない状況があることにも気づかされた。

どの世代においても、やはり生まれる前の出来事に対する関心は薄くなりがちである。
だが、過去の出来事が現在の礎であることを踏まえれば、
やはり「知らない」というのは問題だろう。

特に、日本が荒れていた時代については、僕の世代は他人事のような感覚がある。
それを反省させられる一冊でもあった。

同様な事件のルポとして、「狼の牙を折れ: 史上最大の爆破テロに挑んだ警視庁公安部」(レビューはこちら )もある。
この事件も、現在まで伏流水のように続いていると言えるだろう。

なお、よど号事件は、以降の北朝鮮による拉致事件へ発展していく。
それについては「宿命―「よど号」亡命者たちの秘密工作 (新潮文庫)」に詳しく、その事実にさらに驚かされるのだが、レビューはまた後日。



【目次】
1 事件勃発
2 福岡
3 ソウル(第一日)
4 ソウル(第二日)
5 ソウル(第三日)
6 ソウル・ピョンヤン(第四日)
7 ピョンヤン(第五日)
8 ピョンヤン・東京(第六日)
9 代議士と機長その後
10 ピョンヤンの赤軍派その後


 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: 事件・事故

thread: 読んだ本の紹介 - janre: 本・雑誌

tb: 0   cm: 0

中の人

アクセス

RSSリンクの表示

最新記事

カレンダー

アクセスランキング

月別アーカイブ

ブロとも申請フォーム