ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

細やかな環境に、多くの命が育まれている。「生命は細部に宿りたまう――ミクロハビタットの小宇宙」  

生命は細部に宿りたまう――ミクロハビタットの小宇宙
加藤 真



自然を相手にしてきて、実感するのは「視点」の難しさだ。
説明が難しいが、どのようなサイズ感で環境を捉えるか。

例えば僕は長らく野鳥を相手にしてきたが、そうすると野外での視点は自ずと野鳥目線になる。
一本ずつの樹木、個々の植物の種類も大事だが、
むしろ地形と、それらで形成される環境が重要となる。

同じ河原でも、下草と低木が混じる河原と、アシ原では鳥種が異なる。
同じ山であっても、広葉樹林か針葉樹か、下草があるか否か、水場があるか、崖地か否か等々、
かなり大きな枠組みで環境を見ている。
もちろん餌となる果実・種子は重要だけれども、その木草が1本あるか否かというより、
それを取り巻く一帯―少なくとも多分数m~数10mの範囲で、環境を認識している。

だが、昆虫採集を初めると、より細かな視点となる。
個々の樹種、草、一本の倒木などの単位で見なければ、昆虫が見つからない。

端的に表れるのは、歩くスピードだろう。
野鳥であれば、「ゆっくり歩く」ことで観察できる。

だが昆虫だと、立ち止まることの方が多い。

当初は「野鳥の視点」で移動していたため、全く昆虫が見つからなかったものである。

こうした経験から、より大きな視点や、逆に細かな視点を得ることで、
新しく見えてくるものがあるだろうと考えられる。

本書はそのうち、極めて細かい目で環境を見ようとするもの。

砂浜、礫浜、水田、水の滴る崖、草原、林などの良く見る風景の中で、
さらに細かな環境の違いに注目し、それぞれの環境(ミクロハビタット)に生息する独自の生物を見出していく。
それは、「歩くスピード」では決して見つけられないレベルの生きものだ。

そして、こうした細やかな環境は、脆い。

本書でも、奄美大島ヒエン浜や京都大学芦生研究林のトチ林などの、
かつての姿と刊行時点の姿が示されているが、その荒れ具合には目を覆いたくなる。

直接的・間接的にしろ、人間の営みが、多くの環境を改変し、
そしてさらに多くのミクロハビタットが失われていく。

ミクロハビタットを認識できる視点を得ることは、極めて重要だろう。

なお、そうした視点を教えてくれる素晴らしいブログをひとつ紹介しておきたい。
IM 地面と同化

こうした視点って、どうやって身につくんだろう。

【目次】
1 入江の波打ち際―オカミミガイ、ドロアワモチ、ウミアメンボ
2 波くだける礫浜―アオガイ、クロヅケガイ、ミミズハゼ
3 潮流がつくる砂堆―イカナゴ、ナメクジウオ、アサヒガニ
4 原野の自然と風光―ヒゴタイ、ササナバ、オキナグサ
5 平野の氾濫原―フジバカマ、カワネジガイ、カタヤマガイ
6 水田の生態系―デンジソウ、ミズアオイ、メダカ
7 森の聖域―ヒナノシャクジョウ、タヌキノショクダイ、オニノヤガラ
8 岩清水が伝う湿崖―ジョウロウホトトギス、シブキツボ、ツブミズムシ
9 せせらぎの国―アユ、ニンギョウトビケラ、カワラバッタ
 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: 動物

thread: 読んだ本の紹介 - janre: 本・雑誌

tb: 0   cm: 2

他人の趣味は変な趣味? 「趣味は何ですか?」  

趣味は何ですか?
高橋 秀実



趣味って何だ。
自分を振り返ってみると、こうして読書をしている。
だがこれは日常であって、「読書が趣味です」という感覚は全く無い。

では、野鳥観察か。
ところが最近は足(車)が確保できず、自分の愉しみのためにフィールドに出ることは滅多にない。
月1回の観察会の案内と、不定期の鳥類標識調査の実施くらいだ。
どちらも楽しみではあるのだけれど、わりと義務的な側面もある。
少なくとも、自分の楽しみが優先する状況ではない。

化石はどうか。安いものを購入したり、自力で採集にも出かけている。
だが、「熱心」というほどではない。機会があれば、と言う程度。

実は若いころは切手収集もしていた気がする。
父から譲り受けたものも含め、それなりに残っているだろうが、
現在コレクションとして整理しているかというと、そうでもない。

また、一昨年からイタリア語の勉強を、昨年から昆虫採集を開始しているが、こうした学習や散発的な楽しみは、趣味と言えるのだろうか?

むむ。趣味って何だ。

何となく、自身の愉しみのためにやっているもので、
他者のために義務化されるものではなく、
不定期であっても、年中それなりに実行しているもの、と考えている。

そうすると、実は僕は、趣味を持っていないのではないか。これはいかん。

ということで、本書である。

著者は、ある講演会で「趣味は何ですか?」と問われた時、
答えに窮したことを契機として、自身が無趣味であることを認識する。

そこで様々な趣味人を尋ね、その趣味の魅力、醍醐味などなどを聞き、
自身の趣味とすべく実践してみる。

取り上げられる趣味は、切手収集という伝統的な趣味から、
歴史、ヨガ、ボウリング、そして最近のゲームまで、多岐にわたる。
詳しくは【目次】をご覧いただきたいが、自分の趣味や、興味がある分野なども含まれているのではないだろうか。

しかし予想されるように、こうした「楽しいのだろうか」と冷めた入り方だと、
いかなる趣味も全く面白くない。

むしろ、各趣味の特殊性というか、「変なところ」が冷静に見えてしまう。
いわば、あるモノに熱中している人と、興味がない人のギャップだ。
どちらの立場かは別として、たぶん多くの方が感じたことがあるだろうが、
本書は各趣味の紹介ではなく、そうしたギャップを楽しむ本である。

他人の趣味は理解できず、自分の趣味は王道に見えがちだが、
そうした感覚を笑い飛ばす、軽妙な視点を楽しみたい。

なお、本書は古本で購入したが、新聞の数独パズルを切り抜いたものが挟まっていた。
おお、先の購入者の方はパズルが趣味でしたかと、出来過ぎの出来事に驚いた次第である。

それにしても、ネットの海を漂っていると、
いやはや皆さん多彩な(変な)コトをされているなと思う事しきりである。
お互い頑張りましょう。

【目次】
趣味の発見―人生の味わい
幕末をゆく―官僚は「鉄道」と「坂本龍馬」がお好き
マニアの苦悩―「航空無線」を傍受せよ
硬めの愛―男は「蕎麦」、女は「ヨガ」
スタンプ巡礼―「八十八カ所巡り」から「切手」「消印」「手相」まで
地球に優しく―「エコ」の醍醐味
備えよ常に―楽しい「防災」
カメの気持ち―「カメ」になった人々
本当はさめている?―「ファン」「ゲーム」「ラジコン」心理
レーンを読む―ひとりで「ボウリング」
時間潰しの作法―「武士道」に「階段」
田舎の時間割―「ウォーキング」「茶道」「ガーデニング」の果て
なぜ山に登るのか?―「登山」の心得
あとがき 趣味の再発見
 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: 趣味

thread: 読んだ本の紹介 - janre: 本・雑誌

tb: 0   cm: 0

生物の様々な器官は、どのようにして進化したのか?「爆発的進化論 1%の奇跡がヒトを作った」  

爆発的進化論 1%の奇跡がヒトを作った
更科 功



化石の分子生物学 生命進化の謎を解く (講談社現代新書)」(レビューはこちら)において、近過去から化石時代に至るDNA分析の事例、それらを通してDNA分析の技術発展、DNAの保存性、コンタミネーション(試料汚染)の問題など、冷静かつ丁寧な視点で説明してくれた著者によるもの。

「爆発的進化論」というタイトルだが、新たな進化論のスキームを提示するものではない(「爆発的進化論」という論があるわけではない)。

【目次】にも掲載しているが、細胞「膜」「口」、「骨」、「眼」…と、ヒトを含む現生動物に至る進化の過程において、
エポックメイキングな「機能」や「形質」が獲得された過程や意味を、個別に進化の視点から解説するものだ。
著者による独自研究をベースとするものではなく、
内外の最新の研究成果をうまく取捨選択し、現時点で最も妥当だろうと思われている説、
もしくは著者が最も妥当と思う説を紹介していく。

こういうタイプの本の場合、著者の考えへの我田引水の程度が大きく問題となるが、著者においては、
化石の分子生物学 生命進化の謎を解く (講談社現代新書) 」でも示されたとおり、他者の研究手法や成果に対するフェアな視点は担保されていると安心して良いだろう。

全体としては最初の生物の発生から人間による「生命」の再現という流れ、
また、ほぼ全動物にある形質(共通的なもの)から、ヒトや鳥など、特定の分類群に関係する特殊な形質という流れになっており、
通読することでヒトに至る進化の道筋が垣間見えるようになる。

もちろん「骨」において紹介される外骨格の獲得が、「眼」の獲得による生存競争が引き金になっている等、
相互に影響しあう形質もある。
ただ概ね、それぞれのトピックは独立して語られているため、各章ごとに分けて読んでも楽しい。

むしろ、非常にあっさりと解説されているが、そのベースになる研究や事実だけで一書が成立するようなトピックも多い。

例えば「眼」だと、「眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く」(レビューはこちら)だ。

また「羽根」だと、「羽―進化が生みだした自然の奇跡 」(レビューはこちら)が詳しい。

だが、まさに本書の目次が示すように、地球上の動物は、様々な形質が、それぞれの意味と必要性をもって獲得され、個々の種等の生態にあわせ、様々なバリエーションと組み合わせによって進化している。

おそらく個々の形質に着目した本だけでは、この地球上の動物の進化の妙を実感するには足りないだろう。

その導入として、本書はかなり有意義であるのだが、
そうするとやはり「爆発的進化論」という独自の説の本と誤解させるタイトルが、惜しい。

【目次】
第一章「膜」 生物と無生物のあいだに何があるのか
第二章「口」 よく噛むことはいいことか
第三章「骨」 爆発的進化はなぜ起きたのか
第四章「眼」 眼がなくても物は見えるのか
第五章「肺」 酸素をどう手に入れるか
第六章「脚」 魚の脚は何をするのか
第七章「羽」 恐竜は空を飛べたのか
第八章「脳」 脳がヒトを作ったのか
第九章「性」 男は何の役に立つのか
第十章「命」 生命は物質から作れるか
 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: 進化論

thread: 読んだ本の紹介 - janre: 本・雑誌

tb: 0   cm: 0

これ、高校日本史で教えるべきだ。「図像学入門 疑問符で読む日本美術」  

図像学入門 疑問符で読む日本美術
山本陽子




美術・芸術作品については、様々なカテゴライズがある。
地域性、時代性、具象・抽象、絵画・書・彫刻等々。
それぞれのカテゴリはもちろん重要なのだが、これらの基盤において、
おそらく非常に単純なカテゴリがある。
実用か否か、だ。

近年の芸術作品は、その生産時点で、既に作者が「芸術」と意識している。
「作家」という言葉と、「作品」という言葉が指し示すように、
外界の様々な価値観とは異なる次元の「何か」がある。

だが振り返ってみれば、現在様々な美術館に収蔵されている歴史的な美術品の大半は、
その創作時に生活から切り離された「芸術」とは意識されていなかった。
生活的な装飾、宗教的なシンボル。いずれにしても実用面が必ず存在した。

単純例でいえば、仏像は「拝む」ものであり、「観賞」するものでは無かったということだ。

ところが現在、「作品は観賞するもの」という大前提が無意識下にあり、
美術館に展示された仏像は「観賞」対象である。
(それでも「拝む」人もいるが、それこそ目前の仏像を美術品ではなく実用品と捉えている証拠だ。)

そのため、その「美」を理解することに夢中になってしまう。

だが仏像やら歴史的な絵画が実用品であったという前提を踏まえれば、
その実用的な意味を知らなければ、そのモノの全てを理解できないだろう。

西洋絵画では、やはり実用としては宗教絵画が多いが、
その理解の一助となるのが聖人の属性(アトリビュート) である。

それぞれの聖人の伝説にちなみ、聖人とあわせて描かれる属性(アトリビュート)は、
例えば「皮を剥がれた聖人バルトロマイ」だと「皮剥ぎナイフ」がアトリビュートである。
そのアトリビュートを描くことで有り難い聖人画として成立し、
人々はそのアトリビュートにより、有り難さを理解する。

(アトリビュートについては、「聖書と神話の象徴図鑑」(レビューはこちら)や、「名画でたどる聖人たち もう一つのキリスト教世界」(レビューはこちら)に詳しい。)

では、日本ではどうなのか。
歴史時代から残る様々な図像や仏像。
例えば様々な釈迦像、仏像、曼荼羅図、絵巻、山水画や花鳥画、そして浮世絵。
どれも日本美術の象徴として誰もが知っている逸品も、制作当時はもちろん実用品であった。

とすれば、どのような実用性があり、その作品に活かされているのかというのが、
現代の美術教育で欠落している部分である。

源氏物語絵巻を見る。「なぜ引目鉤鼻なんだろう?」
洛中洛外図を見る。「なぜ京都の図が多いのだろう?」
浮世絵を見る。「どうして江戸時代に流行ったのだろう?」

こうした疑問に対する回答は、決して作品鑑賞という姿勢からは得られない。

本書は日本美術史を代表する様々な作品について、こうした素朴な-けれども根源的な-疑問に答えるべく、
その「意味」を解説していくものだ。
1テーマにつき4頁程度と短いながら、バックグラウンドにある情報量は非常に多い。
その作品が生み出された時代、人々がどのよう生活し、何を願っていたかが垣間見えるような、
まさに「納得できる」作品解説である。

残念なのは、数多くの作品が引用されながら、それらが白黒であることだ。

個々の作品の色の重要性が解説されながら、それらがカラーで見られないのは本当に勿体ない。
コスト面の割り切りだろうが、こうした良書は何度も刊行できるものではない。
版元には頑張ってカラー出版(もしくは少しでもカラー口絵で)していただきたかったところである。

それにしても高円寺の鳥獣戯画、撰漕ぐ時代の修復や、
あまりに良いので多くの人が借りては抜き、それで元の絵や順序が分からなくなったというのは、
申し訳ないが面白い話である。
これに懲りた高円寺が、各紙の境に印をバンバン押しているのだという。
そんな話を知れば、鳥獣戯画の印一つでも楽しめる。


【目次】
まえがき
第1章 釈迦の生涯─仏像の基本
 どこまでホント?
 こんなみじめでいいの?
 こいつら何してるの?
 ルール違反じゃない?
 死んだ釈迦の何が面白い?
第2章 仏像の種類─4つのタイプ
 観音は女じゃないの?
 えらいのは釈迦だけじゃないの?
 女だって戦士だっているじゃないか!
 どうしてホトケが悪ガキに?
第3章 曼荼羅─密教世界の地図
 なぜ密教の世界地図が二つあるの?
 これでも曼荼羅か?
第4章 六道輪廻と浄土―人は死んだらどこへゆく?
 浄土を実感するためには?
 なぜ阿弥陀はキンキラキンか?
 どうしてこんなにおぞましい?
 それにしても悪趣味じゃない?
第5章 神々のすがた
 姿のない神をどう表すか?
 どうして風景を拝むのか?
第6章 人のかたち―肖像と似会
 聖徳太子はスーパーマン?
 怖いならどうして祀る?
 似顔絵描いてどこが悪い?
 不細工な顔のどこがイイ?
 この乞食は誰?
第7章 絵巻物―物語を絵にする
 女絵とは何か?
 なぜあんな顔?
 なぜ右から左へか?
 どうすれば時間を描けるか?
 絵巻はマンガか?
 絵巻のセリフはどうするか?
 鳥獣戯画は何のため?
 どうして付喪神が絵巻に?
 江戸時代の絵巻はなぜつまらない?
第8章 山水画と花鳥画―神仏でも人でもないもの
 なんで色を塗らない?
 春夏秋冬が一度にある!
 戦国大名になぜ必要?
 なぜド派手?
 こんなものどこがすごい?
 主人公はどこ?
 下手な絵がなんでイイ?
第9章 浮世絵
 美人画はどのようにお求めやすくなったか?
 誰のおかげでカラー化した?
 美女のタイプは不変か?
 役者絵はどこまで似ている?
 ゴッホはこの絵のどこが好き?
 武者絵はなぜあんな顔?
第10章 西洋絵画と日本
 写生画のどこが写実でないか?
 なぜ鮭か?
 裸体を描いてどこが悪い?
 意味がわからなきゃだめ?
あとがき・転載図版一覧
ついでのはなし(その1~その15)
 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: 美術

thread: 読んだ本の紹介 - janre: 本・雑誌

tb: 0   cm: 0

写真を読む力を学ぼう。「今森光彦ネイチャーフォト・ギャラリー  四季を彩る小さな命・日本の昆虫」  

今森光彦ネイチャーフォト・ギャラリー  四季を彩る小さな命・日本の昆虫
今森 光彦



野鳥写真では、一般には対象種をより大きく撮影したものが、一般ウケする。
「なかなか見られない野鳥を、こんなに明瞭に撮影するなんて、すごい!」という感覚だろう。

鳥屋の間でも、大きく明瞭に撮影した写真を否定することは、普通ない。
ただ、それは写真としての出来ではなく、「この種の記録を残した」行為に対する賞賛も含まれている。
図鑑写真的な記録を残したことを、否定する必要は全くないためだ。

いずれにしても、「見づらい野鳥」という被写体の特性が、写真を評価するときに大きく関与する。
(単に、ヒトを写しただけでは評価されないことの裏返しだ。)

ところが、それを自身の「写真」に対する評価と勘違いしてしまう。
そうすると、新しい賞賛を得るためには、「より大きく」「より珍しい種を」撮影するしかない。
その結果生まれるのが、常軌を逸した野鳥写真家である。
 撮影後の野鳥を、クラクションを鳴らして飛ばそうとする者(撮影した人間が少ない程、評価が高まるためか)。
 撮影のために樹木を伐採する者。
 巣やヒナに異常に接近したり、執着する者。

どんな趣味の写真の分野にも、そういう勘違いした輩はいると思う。

僕は、写真に対して何かを語れるほどの知識も感性もないが、
少なくとも、物語を感じさせない写真は、「作品」としての価値はないと思う。

本書は、今森光彦氏の作品集。

普通の写真集と異なるのは、まず、なぜこうした写真を捕ろうとしたか、
その上でどんな悩み、テクニック、苦労があったかという舞台裏や、
作品の初出データ、被写体の昆虫の情報、撮影データなどが見開き2頁にまとめられている。
ここでは、写真はモノクロのほんの小さなスペースしか与えられていない。
そして次の見開きで、初めてカラーで掲載されている。

写真は写真だけで語れば良い、というのは真っ当な話だ。

だが一方で、媒体が何であれ「作品を読む」には、やはりそれなりの知識と経験が必要である。
特に、被写体が特殊であればあるほど、「読み手の技量」のハードルは高くなる。

メッセージを含めた写真は、メッセージを伝えられなければ、意味がない。

本書は、いわば、ギャラリーで作者の解説付きで観賞するようなものである。

だからこそ、昆虫には全く興味が無い方に、一度読んで見てほしい。
今森氏がどんなメッセージを、どんなテクニックを駆使して伝えようとしているかが、
はっきりと分かるはずだ。
そしてそれは、他の写真を「読む」力にもなるだろう。

【目次】
キリギリスの孵化
レンゲとモンキチョウ
オオカマキリの影
ショウリョウバッタのひげ時計
ウドの花とキアゲハ
ヨツボシトンボの死
チューリップ畑のツマグロオオヨコバイ
巣に帰ってきたミツバチ
明け方のゲンジボタル
昆虫の顔
アブラゼミの羽化
ウリ畑で羽化するトノサマバッタ
ベニイトトンボとオンブバッタ
ノコギリクワガタと夕日
ため池のショウジョウトンボ
水面に浮かぶスジブトハシリグモ
水の輝きとハッチョウトンボ
岩のすき間で鳴くスズムシ
山からおりてきたアキアカネ
コバノガマズミとハラビロカマキリ
落ち葉に隠れるアカエグリバ
キタキチョウの越冬
 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: 昆虫

thread: 読んだ本の紹介 - janre: 本・雑誌

tb: 0   cm: 0

二人の「思い付き」から、何を掴み取れるだろうか。 「虫眼とアニ眼」  

虫眼とアニ眼
養老 孟司,宮崎 駿



昆虫採集を通して日本の移ろいを実感している、解剖学者・養老氏。
異世界を描きながら、日本人の共通的な「懐かしさ」で魅せる、宮崎駿氏。
この二人を対談させるとは、なんと見事な「思いつき」か。

ただ、本書はその「思いつき」の結実に過ぎない。
両者ともに、ある程度達観している部分があるだけに、
本書は良質の放談の域を出ず、それがおそらく本書の全てである。

戦後、日本はいかなる道を歩んだのか。
「懐かしさ」とは、どのようなモノに感じるのか。
日本人の子どもの、また大人の感性を取り戻すには、いかなる道があるのか。

本書では様々な「思いつき」が語られている。

読み手それぞれが、それぞれの体験と立場によって、
二人の「思い付き」から何かを掴み取ることができるだろう。

例えば、日本人は有史以来、自然を破壊し続けていたが、
日本の自然がそれに耐えられるほど丈夫だった(相当年数が必要としても、復活できた)。
ところが、近年の大規模な土木工事による破壊は、さすがの日本の自然力でも回復困難なのだ、という指摘がある。

この点、多くの人も誤解しているだろう。
現状よりも戦前、戦前よりも江戸時代と、時代を遡るほどに緑豊かになるだろう、と。

だが、例えば香川県の琴平山に続く峰は「象頭山」という。
琴平街道から見た山容が象の頭のようだったからというが、現在の緑豊かな輪郭からはそう感じられない。
実は長い歴史では、当山も薪炭林として伐採され続けていたようだ。
(江戸時代の絵図を見れば、禿山のようにすら見える。)
その時代、もっと山容は鋭角な輪郭を示し、なるほど象のようだったのだろう。

一般的に里山は薪炭林であり、熱エネルギーも建材も全て木材が源だったのだから、
森林は持続可能な程度に伐採し続けられていた。
過去のほうがより緑豊かだったというのは幻想であり、
日本の森林の回復力が世界的に稀なほど強力だったのだ。

そうすると、現在行われる開発が、いかに不可逆的な破壊なのかが実感できる。

また、様々な事故・災害に際して、「人のせい」と追及すること。
自然災害に対してさえ、誰のせいかを追及すれば足りるという思考は、
極めて都会的な感覚だろうという指摘もある。

その他、本書には様々な指摘や思い付きが散りばめられているが、
もちろんその全てが正しいと立証されているものでもなく、
また無批判に受け入れる必要はない。
(おそらく両者とも、そういう受け入れ方を最も否定するだろう。)

だが、自身の信じる道を歩み続けた先達が示した手掛かりであることは、間違いない。
なかなか有りえない組み合わせによって生み出されたヒントを、
うまく今後に生かしたいものだ。

【目次】
養老さんと話して、ぼくが思ったこと(宮崎駿)
『もののけ姫』の向こうに見えるもの
 対談1 1997
 対談2 1998
『千と千尋の神隠し』をめぐって
 対談3 2001
見えない時代を生き抜く―宮崎アニメ私論(養老孟司)
 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: エッセイ

thread: 読んだ本の紹介 - janre: 本・雑誌

tb: 0   cm: 0

森林を「ありのまま」に認識する力。 「森は怪しいワンダーランド」  

森は怪しいワンダーランド
田中 淳夫



著者は、森林ジャーナリストとして活動される方。
その原体験というか、視点の基礎になっているだろう体験が、第一部で展開される様々な探検譚だろう。
ここで紹介されるのは、探検部として(学生時代も、OB以降も)探った、熱帯をはじめとした辺境各地での実体験である。
自身で情報を集め、文字通り道を切り開いた経験が、森林に対する不必要なまでの過剰な信仰を待たず、
また逆に、森林による身体的な危険や精神的な畏れも実感し、森林をあるがままに見る視点を培ったのではないだろうか。

とはいえ、第一部で紹介される巨大洞窟や、水上に縦横に構築された巨大スラム、返還後の小笠原諸島など、素直な冒険譚として楽しめる一冊だ。

続く第二部は、上記のとおり森林の肉体的・精神的な恐ろしさ。
ボルネオ奥地の完成直前のリゾートホテル訪問。
 (川旅を想定していたら、川旅→途中から四駆での陸路→四駆も進めない雨中での徒歩へ推移。)
ジャングル奥地での夜間の豪雨。
 (ソロ・キャンプが水浸しになり、数日間続いた結果、体調も崩し退却せざるをえなくなる。)

机上のサバイバル術が役に立たないこと、また思っているよりも簡単に遭難することは、まさに実体験から見出された結論である。

第三部は、これまでの個人としての視点から、
ジャーナリストとしての視点に移行し、森林をめぐる様々なトピックが主となる。
いわゆるトンデモ科学に分類される話や、森林を利用する各種ビジネス・活動だ。
実際に森林を歩く者の視点から、それらの矛盾や自己破綻をしていく。

例えば、実際にどのように健康に良いのか、なぜ良いのかという検証もなく、
(もしくは意図的に操作した検証により)
「森林は健康に良い」という付加価値が定着している。

一般人は、なぜそのような評価・結論になったのかは気にせず、結果だけを重視する。
その結果、「森林は健康に良い」という付加価値を利用した、森林セラピーというビジネスが成立する。
著者は森林セラピーに関するガイドブックも書いたことがあるようだが、
本書では明確に、実際の効用等とは別に、「森林セラピー」がビジネス化していることが指摘されている。

また昨今、様々な媒体で普及が図られているオオカミ再導入論についても、明確に批判する。

かねてから僕は、ニホンオオカミの生存・絶滅の検証が不十分であることを否定根拠としている主張しているが、
著者は一方、再導入の現実的なリスクを指摘する。
オオカミが、果たして駆除対象と目論むシカやイノシシだけを狩るか。
ノミズミ、ノウサギ、タヌキ、また林縁集落の家禽・家畜の方が、はるかに狩りやすい。
また、2010年にハンターが駆除したシカとイノシシは各40万頭前後というが、これでも獣害が減少しないことからいうと、
これ以上捕獲しなければ効果は無い。
だがオオカミは、群れで狩りをする動物だ。
では、年間数十万頭のシカ・シノシシを狩るために、いったい仮に何匹のオオカミが必要なのだろうか。
オオカミ1頭が週に1匹害獣を狩るとして、年50頭。
(実際は群で狩ること、害獣以外も狩るため、もっと少ないだろうが。)

著者はある程度の効果を得るには、1万匹近くのオオカミが必要であると計算し、
それだけのオオカミを野に放つことが、いかに愚策か明らかにする。

確かに、沖縄のマングース、ボウフラ駆逐のためのカダヤシの例などがあるように、
在来の害獣・害虫対策の天敵として導入した外来種が、期待したとおり動かない例は多い。

まして、この日本において、鳥獣害を引き起こすニホンジカやイノシシなどは、
人家と森林が密接・混在した環境に生息している。
そのような地域で、群となったオオカミが、ニホンジカやイノシシだけを選択的に襲ってくれるなんて、
甘すぎる考えだ。
出歩くネコ、繋がれたイヌ、そして林内をうろつく高齢者や子どもを、単独行者を襲う可能性の方が高い。

第一部を読む限り、著者は端的な行動派・感覚派かなと感じるが、
第二部では冷静な判断を、
そして第三部では具体的かつ明快な数値等を用いながら、それぞれのトピックの矛盾点・問題点を指摘する。
人によっては反論もあるかもしれないが、僕としては至極真っ当な、納得できる論理展開であった。

国内外の様々な森林を自ら訪れ、その中で過ごした筆者だからこそ、
森林を「ありのまま」に認識できているのでないか。

本来、森林にしろ動植物にしろ、それらは様々な動植物の複雑な営みによって形成された結果であり、
それ以上でも以下でもない。
不必要な神格化も、また過度の期待も持つべきではない。
しかし未だ日本では、「森林保護」という言葉に甘えた行為のみが多い。

【目次】
第一部 森は不思議がいっぱい
・ソロモンの孤島で精霊に出会う
・幻の民“森のプナン"に会えた!
・ボルネオの空中スラムに居候する
・巨石文化の謎解きは天空にあり 他

第二部 遭難から見えてくる森の正体
・切り株の年輪から方位を読み取れ!
・人語の響く里山で遭難する
・幻の巨大クレーターにたどりつけ 他

第三部 森を巡る科学とトンデモ話の間
・東奔西走、世界の森に火をつける
・パワースポットは誰がつくる?
・月の魔力は樹木も変身させる
・「本物の植生」はどこにある 他
 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: 環境

thread: 読んだ本の紹介 - janre: 本・雑誌

tb: 0   cm: 0

古代、想像を超える精密機械が創られていた。「アンティキテラ 古代ギリシアのコンピュータ」  

アンティキテラ 古代ギリシアのコンピュータ
ジョー・マーチャント



オーパーツという言葉、そして「アンティキラ・コンピュータ」と呼ばれる不可思議な遺物を知ったのは、
若い頃に読んでいた雑誌「ムー」であった。

この機械は、地中海に沈没していた古代ギリシャの船の積み荷の中から発見された。
ブロンズ製の小さな遺物だが、それは大小さまざまな歯車が精密に組み合わされ、
明らかに何かの「計算機械」のように見える。

だが、古代ギリシャにこうした「機械」がある筈もない。

そうした考えにより、「アンティキラの機械」は説明不可能なオーパーツの類とみなされ、
雑誌「ムー」の格好のテーマとなったのである。
もちろん、同誌に展開される宇宙人が作ったとか現代人がタイムトラベルした等の話を信じるわけはないが、
それにしても「アンティキラの機械」は、ストーンヘンジやピラミッドと同様、現実に存在する。
そうすれば、そこには現実的な回答がある筈だ。

「アンティキラの機械」が発見されたのは、1901年。地中海における水中考古学のまさに黎明期だった。
だが引き上げられて以降、きちんと精査されることなく、博物館の倉庫で長年眠っていた。

だがこの魅力的な遺物の存在を認知した者は、その謎を解明したいという欲求に駆られる。

本書は「アンティキラの機械」の発見から、様々な人々がこの遺物に魅せられ、その謎を解明すべく挑み、
そしてついにその構造、そして目的をほぼ解明するに至るまでのドキュメンタリーだ。

各部品が錆に覆われ、脆くなっている「アンティキラの機械」を解明するには、
高精度のX線装置やCT、撮影した画像をデジタル処理により明瞭化できる現代のテクノロジーが不可欠だろう。

だがそれが理解できるのは、我々が現代に生きているからだ。

例えば本書の主人公といって良い研究者、マイケル・ライトは、
深度を変えたX線写真を撮影すること自体が困難であり、現像にも細心の注意を要していた時代から
この機械に魅了されてしまった。

様々な人々との出会い、そして協力研究者からの裏切りや博物館からの解雇。
古代のロマンに憑りつかれた人々の例にもれず、
マイケル・ライトも孤独な戦いを強いられる。

先行された「誤った解釈」を正すべく、一人孤独に研究を続け、
やっと光が見えたと思えば、
最新テクノロジーを用いた研究グループが参戦する。

「アンティキラの機械」の謎の解明もさることながら、
この謎を解明するための先陣争いも、また稀有のドラマだ。

そうして様々な人々の人生を犠牲にし乍ら、
ついに解明された「アンティキラの機械」は、古代ギリシャ時代の天文学をベースにしつつ、
任意の時の太陽・月・惑星の状態を確認すると共に、
将来の惑星の運行や日食・月食を正確に予測できる機械だった。

当時の最先端の天文学に基づき、天体の動きを精密に再現する驚異の機械。

天動説に基づくとはいえ、実際の天体の動きと矛盾のないシステムは、
バビロニアから古代ギリシャへ続く、知の系譜の結晶と言えるだろう。

また、「アンティキラの機械」がオーパーツと認識された所以は、
これほどの知識が突如発生する訳はなく、
また一度獲得された高度な知識が失われるはずはない、という考えによる。

だがその点についても、本書は古代バビロニアでの天体観測の知識や、
古代ギリシャの天文学者ヒッパルコスや哲学者ポセイドニオスの到達点等を踏まえ、
むしろ当時までに得られた知識が蓄積がこの機械に活かされていること、
そしてこの機械の機構が様々な道具(例えば天体観測に用いられたアストロラーベ等)に活かされ、
それが最終的に時計の爆発的な発展に繋がっていくことを示している。

さらに詳細な研究により、この機械が「いつ」「どこで」作られたかについても明らかになりつつある。

古代ギリシャでは多数のブロンズ像が作られたが、
その多くは金属の再利用のため失われた。
いわんや、これほど小さく(両手で抱えられる程度だ)、しかもそれほど数多くは無かっただろう機械が、
現代まで残っていた方が、考えてみれば奇跡だ。

だがそのおかげで、我々は2000年前の人々の知の結晶を見ることができる。
そして本書は、それを解明しようとした現代人の苦闘の記録だ。
こうした「物語」は、そうそう在るものではない。

それにしても、こんな機械が古代ギリシャにあったなんて、本当に驚くばかりだ。

【目次】
1 海底より現れしもの
2 ありえない
3 「戦利品」
4 科学史は塗りかえられた
5 大胆な推理
6 十九世紀のコンピュータがふたりを結びつけた
7 すべては解読の名誉のために
8 最強の布陣
9 みごとな設計
10 アルキメデスの影
 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: 歴史

thread: 読んだ本の紹介 - janre: 本・雑誌

tb: 0   cm: 2

新年のご挨拶  

明けましておめでとうございます。

お読みいただいている皆様、
そして、いつもブログを楽しませていただいている皆様、いつもありがとうございます。

本ブログ、一応ペースを保ったまま、無事5回目の新年を迎えることができました。

昨年は久方ぶりの異動もあり、今まで通り読書できるのか不安でしたが、何とか読み続けることができました。
週2冊紹介していますので、年間100冊以上は読んでいる筈なのですが、
それでも、まだまだ読みたい本が見つかります。
現在も積読タワーを絶賛形成中ですが、
「いずれこれらの本も読めるだろう」と思えるのは、やはり幸せな話ですね。

本年も、皆様が、
「沢山の幸福とよろこびと潤沢な日日とを恵まれますように。」
(出典:「木の十字架」堀辰雄、立原道造が堀辰雄へ宛てた手紙)

香川県より、心よりお祈り申し上げております。
 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: 雑記:日々のこと

thread: 日々のつれづれ - janre: 日記

tb: 0   cm: 2

中の人

アクセス

RSSリンクの表示

最新記事

カレンダー

アクセスランキング

月別アーカイブ

ブロとも申請フォーム