ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

生還者だからこそ伝えられる、生き延びるための努力と運。「御嶽山噴火 生還者の証言 あれから2年、伝え繋ぐ共生への試み」  

御嶽山噴火 生還者の証言  あれから2年、伝え繋ぐ共生への試み
小川 さゆり



御嶽山の噴火。
日本は火山列島だと知っていたが、少なくとも僕は全く想定外の出来事だった。
浅間山や桜島のように頻繁に噴煙が上がる、文字通りの「活火山」ならともかく、
見た目は殆ど他の山と異ならない「活火山」が噴火するということは、なかなか考えにくい。

登山者の間で、どこまで常識となっているのかは知らないが、様々な本や情報で知る限り、やはり自分が登ろうとしている山が噴火する可能性を、登山のたび真剣にチェックする人は少ないようだ。

もちろん火山の警戒レベルは公表されるし、警戒レベルの引き上げによる規制もなされる。

しかし、それで全ての危険が回避できるわけではないという事実を、御嶽山は明らかにした。
それまで当然だった、「本当に危険なら、誰かが情報をチェック・検討・規制してくれるはずだ」という認識は、実際には成立しない。

もちろん関係機関ごとに果たすべき役割と責任はあるが、やはり自らの安全は、最終的には自身が能動的に確保しなければならないだろう。

本書は、御嶽山の噴火時、頂上直下にいて生還した山岳ガイド、小川さゆり氏によるものだ。
(最初に明記しておくが、小川氏し当時ガイドをしていたわけではない。
 自身のガイドの下見として単独行をしていた中での遭難であり、他の登山者と立場は何ら変わらない。
 そしていかなる経験があっても、噴火という未知の状況下で、安易に他人の命を預かることはできないだろう。)

当時者にしか分からない極限状況。
突然の爆発的噴火。火山性ガスにまかれ、噴煙により視界喪失、そして火山灰による呼吸困難。
その中を高速で飛び交う、巨大な噴石。

噴火直後から、被災者は何を感じ、何を理解し、どう行動したのか(もしくは、しなかったのか)。
もちろん一人一人異なるものの、小川氏のように生還者が語ってくれなければ、到底僕らには想像できない。

そして極限状態を生き延びた小川氏は、その生死について、
運だけでは生き残れない。しかし、技術や判断だけで生き延びることはできず、やはり運も必要であると語る。

生き延びる努力を、可能な限り早期に行わなければ、掴めるはずの運も逃げてしまう。
小川氏が本書で使っているわけではないが、おそらく「人事を尽くして天命を待つ」ということだろう。

ただ残念ながら、小川氏も指摘しているように、噴火という極限状態において、
どのような行動が「人事を尽くす」ことなのかという、今後の被害を防止するために最も重要な検証が不十分な状況にある。

確かに、こうした災害において、生存者と犠牲者の行動を比較し、その生死を分けた要因を探るということは、
一方で犠牲者の落ち度を探ることにもなりかねない。

だが、犠牲者に何ら非がなく、まさに人事を尽くしていたとしても、こうした現場では「運」が生死を左右することも、小川氏が指摘する事実だ。

生存者を持ちあげるのではなく、また犠牲者を貶めるものでもない。
淡々と、今後に活かせるファクターを検証するという冷静な視点が、様々な事件・事故において、日本では不足している。

もっと予測精度を上げろ。
行政がもっと注意喚起しろ。
シェルターを設置しろ。
ヘルメットを義務付けろ。

いずれも単純明快な改善策だが、そもそも、それが実際に生死を分けたファクターなのか、
それが「人事を尽くすこと」なのかという検証がなされていない。

これでは、御嶽山の悲劇は、何ら教訓にならないのではないか。
そうした切実な思いが結実したのが、本書である。

同じく御嶽山で被災し、左腕を噴石によって切断した女性がいる。
自力では下山できなかったが、幸い翌日に救助されたようだ。
標高3000mを超え、夜間に急速に気温が低下する中で、左腕離断という重傷を負いながら生き延びたのは、
持っていたツエルトとダウンジャケットのおかげという。
「山に行く場合は、万一に備えた装備を」と、良く言われるが、まさにそれが役立ったというわけだ。
これが「人事を尽くす」の一端ではないだろうか。

災害の現場では、他者に頼ることはできない。
ガイド、医者、様々な役職・立場の人がいるが、同じ災害現場に同時に放り出された時点で、
誰もが被災者である。
自らの身を守ることもすら危うい中で、他人を助けることはできない。
また、人それぞれだろうけれども、
少なくとも僕が被災者であり、今まさに危険が迫っている中で、
目の前の同じ被災者である人間に、自らの安全確保のための判断・行動を全て委ねるなど、恐ろしくて出来ない。

既に日本では、いつ、どこで、どのような災害に遭遇するか分からない時代に突入している。
「人事を尽くす」 とはどういうことで、
自分には、家族には、どこまで可能なのか。
それを知っておくことが防災だと思うが、そうした冷静な報道はあまりにも少ない。

【目次】
第1章 運命の一日(絶好の登山日和
十一時五十二分、一回目の噴火 ほか)
第2章 噴火の実態(御嶽山という山 ほか)
第3章 噴火の爪痕(困難を極めた捜索活動
取材と報道、伝えることの大切さ ほか)
第4章 噴火の教訓(生還できた理由
正常性バイアスと多数派同調バイアス ほか)
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category: 災害

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日進月歩の恐竜研究。なおさら分かった「ティラノサウルスはすごい」!!  

ティラノサウルスはすごい
土屋 健



本書を紹介するものの、実は僕は、トリケラトプスが好きだ。あの巨体と、フリルが良い。
尻尾ハンマーのアンキロサウルスも好きであり、どうも鈍重ながら迫力のある種が好きな気がする。

今尋ねてみると、息子はやはりティラノサウルスであった。
しかしながら、「好きな恐竜は?」などという質問が成立するのは、おそらく限られた層だけであろう。
数千万年以上前に生息していた動物の好き嫌いなど、人生で考えたこともない人が大多数と思う。

それでも、やはり尋ねられれば、ティラノサウルスと答える人が多いのではないか。

恐竜にはロマンが溢れているが、ティラノのような圧倒的に「恐い竜」が発見されていなければ、おそらくこれほど多くの人間を引き付けることはなかったと思う。
そして昨今、良質な化石の発見と、おそらく発掘・クリーニング・研究方法の進展により、恐竜研究は日々進んでいる。

とすれば、最も多くの人々を惹きつけるティラノサウルスの研究が進まない筈はない。

本書刊行は2015年。
現在の日本の恐竜研究を牽引する小林快次氏と土屋健氏のお馴染みペアによる、最新のティラノサウルス学である。
2016年の夏にNHKスペシャルで「完全解剖ティラノサウルス~最強恐竜 進化の謎~」が放映されたが、おそらくはそのタネ本である。

最近のティラノサウルスの復元映像では、羽毛もしくは体毛が表現されていることも多い。
また前傾姿勢であり、尾を水平に上げて疾走する。
これだけでも、僕の子供の頃からとは大きな違いだ。

本書はこうしたティラノサウルスそのものの研究成果もさることながら、なぜ進化の過程で、ティラノサウルスが現在の身体的機能を持つ生物となったのか、という点に焦点をあてる。
いきなりティラノサウルス的生物が生じるはずもなく、そこには長い環境(自然環境も捕食関係も含む意味での)の変化に対する適応の歴史があったはずだ。

しかし僕らは、つい「ティラノサウルス」という単独の種のみに注目しがちだ。

十分な化石資料が無かった20世紀ならいざ知らず、現在はティラノサウルスの進化史を見渡すほどに研究が進展した。

ティラノサウルスの祖先は、どこで誕生したのか。
どのような環境変化が、祖先種からティラノサウルスへ進化するトリガーとなったのか。
ティラノサウルス誕生以前の肉食恐竜との関係。
ティラノサウルスの成長変化。
世界中に分布するティラノサウルス類の多様性。

本書が示すところは、恐竜の代表としてのイメージ的な「ティラノサウルスはすごい」ではない。

地球における長い進化史と、同時代における全世界的な広がりの中で、
究極的な回答として到達した生物としてのティラノサウルス。
その凄さを、現時点で判明している信頼できる情報を元に伝えるものだ。

残念ながら、生物として考えた時、おそらく「トリケラトプスはすごい」も「アンキロサウルスはすごい」は成立だろう。
そしてただ、ティラノサウルスのみが「すごい」と言い切れる。

その理由を辿る楽しみに溢れた一冊である。

【目次】
第1章 世界で最も愛されている恐竜
第2章 ティラノサウルスはどのように描かれてきたか
第3章 覇者の身体能力
第4章 覇者の生態
第5章 ティラノサウルス類の旅
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category: 恐竜

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絶望的な状況の中でも、希望を掴む闘いができる。「ユナイテッド93 テロリストと闘った乗客たちの記録」  

ユナイテッド93 テロリストと闘った乗客たちの記録
ジェレ・ロングマン



2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件。この事件でハイジャックされた飛行機は4機。
うち、ユナイテッド93便のみが攻撃対象に達せず墜落した。

その大きな要因は、滑走路の混雑により(日常的な出来事である)ユナイテッド93便のみが約40分遅れで飛び経ったことにある。

この遅れによって、ハイジャックに遭遇し、家族や会社等と連絡を取った搭乗客は、2機がニューヨーク世界貿易センターに突入した事実を知った。
全てが同時進行であれば、搭乗客に判断する材料が得られたかどうか、わからない。

だが現実には、搭乗客は事態を知り、自分たちの人生を自身でコントロールするための行動を起こした。

同時テロという「想像もしなかった敗北を喫したアメリカに、一つのまぎれもない勝利をもたらしてくれた」と筆者が位置付けていることから分かるように、この「行動」は、アメリカという国と国民にとって、ユナイテッド93便は一つの希望の兆しになっている。

本書は、パイロット2名、客室乗務員5人、ハイジャック犯4人を含む乗客37人について、それぞれ人生を辿りながら、その性格や家族を詳細に語っていくものだ。

著者は、多くの人々(もちろんハイジャック犯は除いて)を、誠実で、勇敢で、行動力に溢れる人物として描いている。
それをプロパガンダや美談と言うことはたやすいが、彼らが犠牲者であること、そしてユナイテッド93便のアメリカにおけるシンボル的な意味を考えれば、こうした書きぶりになることはやむを得ない。
単純に、日本でも同様な書物が記されたとき、あえて犠牲者の欠点を書き連ねる筈はない。
誰でも長所と欠点は有り、本書は各人の長所を積極的に評価しているに過ぎず、これをプロパガンダと騒ぎ立てる方がおかしいだろう。
犠牲者は全て、普通の人々だ。

そして本書は、想像もつかない事態に追い込まれた普通の人々の、
最後の時間-多くは機内ではなく、通話先の人々との最後の時間-を記録した本である。

もちろん、何があったかを正確に再現することはできない。
また記憶違いや我々の知らない配慮によって、事実と異なる証言がなされていることもあるだろう。
だが概ねこのように事態は推移したと考えられる。
そして、ユナイテッド93便を始め、多くの普通の人々が同時テロ事件と、それを契機として始まった戦争・紛争・テロで命を失っていることも事実だ。
果たして進むべき未来はこれで良いのか、ユナイテッド93の乗客に、胸を張って現代を語ることができるのか。
それを問う一冊である。


(付記)
同時多発テロ事件は、リアルタイムで知りました。
何が起こっているか分からない混乱、錯綜する情報。
当時、何機も「行方不明機」の情報があり、ユナイテッド93便と確定した情報を知ったのは後日だったと思います。
犠牲者の中に一人の日本人が含まれていましたが、その出身地と名前を聞いた瞬間の衝撃を、今も覚えています。
 友人に似すぎている。 本人ではないにせよ、友人の肉親に違いない、と。
その予想は、残念ながら的中しました。

歴史に残るだろう悲劇的な出来事だけど、僕にとっては「海外のテロ事件の一つ」だった9.11は、間接的ながら、ごく身近な出来事となりました。

数千人の犠牲者の存在を考えれば、日本でも直接的に関係ある方も多いと思います。
そして間接的に犠牲者や遺族の方に連なる方の数は、膨大な数になるでしょう。

世界レベルのニュースになる事件・事故に、日本人の誰もが無関係であり続けることは、もはや困難ではないかと思います。

残念ながら、9.11に限らず、様々なテロ・災害・事件に対して、無責任な陰謀論や、無節操なジョークを聴くことも少なくありません。

そうした言動を楽しむよりも、今も起こり続けている事件・事故に対して、何ができるか、少なくとも自身の言動が、犠牲者や関係者をさらに傷つけたり貶めたりしてはいないかを、自問すべきではないかと思います。
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category: 事件・事故

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戦後最大の(浅はかな)偽書は、多くの人を翻弄し続けている。「偽書「東日流外三郡誌」事件」  

偽書「東日流外三郡誌」事件
斉藤 光政



著者曰く。

「東日流外三郡誌」を見て、即座に「つがるそとさんぐんし」と読むことができた人は、ある意味で"マニア"である。


むむ、読めてしまった。まあ、だからこそ本書を読もうと思ったわけである。

中学生から高校まで、雑誌「ムー」を読んでいた。
超能力・霊・超古代等々、オカルティズム溢れる楽しい雑誌である。
その荒唐無稽さを、「またこんな(面白い)嘘を書いて」と思いながら、
でも「もしかしたら」と微かに思うところが、ロマンであり醍醐味である。

世知辛い世の中、人智を超えた不可思議な世界は、無いよりあった方が面白い。

アトランティス、ムー大陸、ポルターガイスト、インカ帝国、古代エジプト、UFO等々、様々なオカルト的テーマが溢れる雑誌「ムー」。
もろろん、こんな本が何の役に立つのか、と思う人も多いと思う。

だが振り返ってみると、多くのエンターテイメントは、これらをベースとして展開していることが多い。
学校・正しい社会では決して教えられない「元ネタ」を知ることができたという点で、雑誌「ムー」を若かりし頃に読んだのは、非常に有益な雑誌であったと感じている。

また同時に、雑誌「ムー」に掲載されるようなテーマや説であれば、それは「鵜呑みにすべき話ではない」ということでもある。

どこまでが正しい説で、どこからが創作か。どこに「嘘」が潜んでいるか。

いわば雑誌「ムー」は、自身の知識や判断力を試される雑誌でもあり、その「荒唐無稽さ」を「エンターテイメントとして楽しむ力」が要求される本でもある。

この雑誌に掲載された論を鵜呑みにすると、それこそトンデモないことになるのは明らかだ。

本書のテーマである、「東日流外三郡誌」。
1970年代に、青森県の和田喜八郎氏の自宅の「天井裏から落ちてきた」古文書である。
秋田孝季と喜八郎の先祖とにあたる和田長三郎吉次。
数百冊という膨大な量、日本史を書き換えるほどの古代史情報など、
雑誌「ムー」でも時折り取り上げられる有力テーマであった(最近は知らない)。

ただそれは、すなわち「東日流外三郡誌」は「警戒すべきもの」ということである。
それほど素晴らしい史料であるのに、なぜ「東日流外三郡誌」に書かれた史実がもっと普及しないのか。
それは、「何か問題がある」ということである。

当時はそこまでしか感じていなかったが、
いやはや、「東日流外三郡誌」の偽書問題が、これほど大規模な問題であったとは知らなかった。

「東日流外三郡誌」は和田氏が発見し、その写しを一時的に青森県の市浦村に提供。
市浦村はそのコピーを取り、「市浦村史 資料編」として刊行した。
公的機関が刊行したという事実が箔付けとなり、その記載を元にした歴史研究や「古物」の発見、
その「古物」を用いたいくつかの地域での祭事等、
様々な方面に影響を与える。

だが一方で、その実物を和田氏以外は誰も見ていないこと、次々と古文書が発見され続けることなどから、
偽書ではないかとの疑念が起こる。

本書は地元の東奥日報社の記者である著者が、ある民事裁判を契機に「東日流外三郡誌」問題に係り、その偽書派・真書派の戦いを取材し続けたレポートである。
ただし、真書派は何も証拠を出さず(原本を出せば解決するにも関わらず)、「真書だ」と主張するのみであるため、取材対象は偽書派が中心となる。

その結果示された偽書を示す証拠の多さには、あきれるほどだ。
・和田氏と古文書をであるはずの「東日流外三郡誌」字体の一致。
・「古文書」でありながら、近現代になって初めて創出された語句の使用。
・年代、階級など、当時の社会常識との不一致。
・一軒の住宅から、数十年にわたって、次々と「新史料」がでること。
・誰も原史料を見ていないこと。
・発見された住宅は、膨大な古文書を隠すような天井スペースがなく、
 梁などの構造も複数の長持ちを支えるようなものではないこと。
・「東日流外三郡誌」により発見された「古物」が、単なる土産物の遮光器土偶レプリカだったり、
 「人骨」として渡されたものが鯨化石であること。
・元ネタの本が複数特定されていること。

そして最終的に、発見者である和田氏の死去時にも原本は発見されず、
最大の真書派の中心であった古田武彦氏からも原本は提示されなかったこと。
(1度原本として提示されたものがあったが、それはかつて「写し」として提示されていたものだった。)

本書を読みながら、偽書派の主張のうち納得できるものに付箋をつけていたのだが、
いやもう付箋だらけになった。

和田氏がなぜ「東日流外三郡誌」という偽書を創作したのか。
虐げられた東北地方のプライド、様々な指摘があるが、
本書を読むと偽の古文書を巡り、相当の大金が動いていることが分かる。

・当初の「市浦村史 資料編」のための一時コピーのための提供で、数百万(1970年代である)。
・「東日流外三郡誌」関係の古物を譲り渡され、和田氏を中心に祭事を執り行ったいくつかの地域団体。
 (祭事の経費しか記載されていないが、もちろん和田氏への謝礼はあっだろう。)
・「東日流外三郡誌」に関係して発見されたという失われた史書「天皇記・国記」を入手するため、
 某新聞社支局記者が支払った(という噂)の数百万(もちろん入手できていない)。

そもそも和田氏は、単純な「偽古文書屋」としてスターとしたのではないか。
ところが、それを自治体が買い取ったため、その系列で量産化することになった。
それが「東日流外三郡誌」という一群の古文書ではないか。

本書著者はあまり突っ込んでいないが、当初の「市浦村史 資料編」への「東日流外三郡誌」の売り込み。
和田氏は駆け出しの郷土史家に過ぎず、むしろ他の郷土史家の後押し・協力もあったようだ。
もちろん、他の郷土史家も騙されたのか共犯的立場だったのかは不明だ。
だが、和田氏と共に「東日流外三郡誌」由来の神社を「創る」ことに関与している人もいたりと、
どうも当初はローカルに詐欺事件に過ぎなかったのではないか。

それが、「東日流外三郡誌」のような荒唐無稽さに免疫が無い層により善意の普及がなされ、いつしか「真書」として独り歩きする。
それを「偽書」として糺すために、本書に記録されたとおり、多くの人々の時間と労力が割かれることになった。

残念ながら、確信を持って「騙そう」とする人は確実に存在し、我々が出会う(出会っている)可能性は高い。
そして、さらに残念なことだが「自分だけは絶対に騙されない」という保証もない。

それを一定程度防御するには、自身の力で、より多く、広くを知っておくしかないのだが、それすら、「自分は十分知っている」という自己満足の場合もある。
どう理解し、生きていくかは本当に難しいものだが、まずは日々、それを意識することが重要だ。

【目次】
プロローグ
訴えられた謎の古文書
筆跡鑑定
偽書説
告発と告白
論争
御神体
聖地
増殖
奉納額
役小角と謎の竹筒
判決
背景
偽化石
寛政原本
エピローグ
あとがき
文庫版あとがきに代えて その後の『東日流外三郡誌』事件
解説 鎌田慧
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category: 歴史

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「◯◯リュウ」を巡る、様々なドラマ。「ニッポンの恐竜」  

ニッポンの恐竜
笹沢 教一



化石はロマンだ。言い切ってしまおう。
アンモナイト
就職し、自身の稼ぎで自由にモノが買えるようになった頃。僕は化石を買った。

本ブログでもいくつか紹介しているが(例えばこのレビューの回)、
前掲のアンモナイトの他、下の三葉虫、その他恐竜の骨等々、よく見かける種類はおおむね購入している。
そういえば糞化石も購入していたのに、いつの間にか無くなっているのが悲しい。
たぶん引越し時に、誰かにただの石と思われたのだろう。残念。

Flexicalymene ouzregui(フレキシカリメネ ウーズレグイ)
Flexicalymene ouzregui フレキシカリメネ

だが、やはり自身で発掘したい。それは無理だろうと思っていたが、実は香川県にも和泉層群という化石産出層がある。
今は下火となっているが、数十年前の砕石が盛んだったころには、多数の化石が採集されている。
塩江では、カメ化石Mesodermochelys undulatus も発掘されている。
カメのきた道―甲羅に秘められた2億年の生命進化 (NHKブックス)レビューはこちら に詳しいし、「香川県高松市塩江町の上部白亜系和泉層群より産出したオサガメ科化石」という報告も読める。


そうすると、「やってみる」べきだろう。
化石をやっている知人はいないので、過去の文献、地質図、ネット情報等々で場所を探り探り、今のところいくつか見つけることができている(と思っている)。
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(部分拡大はこちら)
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化石 甲殻類化石?

化石 ウニ類?

他、植物化石もいくつか得ている。
下手の横好きに過ぎないが、香川県産のアンモナイトを見つけたいところだ。

かように、「化石なんて日本では難しい」というのは、先入観に過ぎない。
まずは探すことだ。
そしてその結果、発見されるのは、貝や植物だけではない。
ロマン中のロマン、恐竜も発見され得る。

日本各地には熱心なアマチュアも多く、奇しくも本年、四国で相次いで恐竜化石の発見ニュースが続いた。
(うち一つは、再発見とでもいうものだ。)

◯香川県初の発見となる恐竜化石(胴体の背骨1個)
(大阪市立自然史博物館のプレスリリース)
中生代白亜紀後期カンパニアン期(約8300~7200万年前)の地層(和泉層群)から、ハドロサウルス類の背骨の一部が発見された。
この化石は、1986年10月21日、金澤芳廣氏(丸亀市在住)によって、香川県さぬき市の山中で発見された。
2013年からの大阪市立自然史博物館と金澤氏との和泉層群の共同化石調査を契機に、2015年9月に金澤氏の標本一式が寄贈され、その中で発見されたもの。
金澤氏も骨化石とはわかっていたが、恐竜とまでは確認できていなかったとのこと。

金澤氏は化石探索の状況をYOUTUBEにもアップされていて、いつもワクワクして拝見している。

別の骨化石も発見されているようだ。


◯徳島・勝浦町で最古級恐竜化石">徳島・勝浦町で最古級恐竜化石
(徳島新聞の報道) 
白亜紀前期(約1億3千万年前)の地層から、草食恐竜ティタノサウルス形類の歯の化石が発見された。
これは、阿南市在住の田上親子が、2016年7月3日に勝浦川支流植物化石を採集中に発見したもの。

こうした恐竜、かつては「◯◯リュウ」という愛称で呼ばれた。
国立科学博物館のフタバスズキリュウはその白眉と言えるものだ。
DSC_0698.jpg
だが、そうした「◯◯リュウ」の多くは、過去に発掘された恐竜等であり、
多くは最初に発掘され、そして唯一の個体である。

そのため、近年の恐竜ブームにあっても、羽毛恐竜などの世界的にも新しいトピックに関する本は多いが、
こうした「◯◯リュウ」の物語は、かなり少ない。

その中で、本書は「◯◯リュウ」にのみ着目し、その発見から現在に至るまでを記録するという、非常に価値の高い仕事の成果である。

本書では、様々な「◯◯リュウ」が紹介されるが、それぞれが不思議な物語を背負っている。
タイプ標本が行方不明とになっている「イナイリュウ」。
恐竜と騒がれたものの、後にモササウルス類と判明したが、初期に恐竜として天然記念物指定してしまったために
混乱が続いているエゾミカサリュウ。
上掲のとおり、1968年の発見以降、国立学博物館の「顔」とも言うべき存在になっているにも関わらず、
記載論文は何と38年後の2006年となったフタバスズキリュウ。
知っている(と思っている)、町おこしで陳腐化した感もある「◯◯リュウ」それぞれに、
知られざる物語があったのだ。

また同時に本書は、こうした「◯◯リュウ」の研究について、日本の研究基盤が非常に脆弱であることも示す。
しっかりした研究機関や自然史博物館の不足。資金不足。研究者不足。
それによる研究の遅延が、恐竜等を研究することの評価の低迷に繋がり、予算不足となる。
その結果、研究機関等が不足するという悪循環のスパイラルだ。

自然史系でも、基礎系のいわゆるナチュラル・ヒストリーにおいては、
標本を収集し、それを研究することが大前提だ。
だが標本の収蔵・管理には物理的なスペースと、継続的な予算が必要である。
それが不足している現在、全国有数の研究者やハイ・アマチュアのが所有している標本は、ともすれば散逸しがちだ。

現実に、香川県の自然史標本は県外へ流出しており、この夏も香川県産化石を徳島県立博物館で観覧した。
そして上記のとおり、ハイ・アマチュアである吉澤氏が採集したコレクションも大阪へ渡った。
香川県にはまだまだ多くの分野のハイ・アマチュアの方がおられるが、
これらの方々のコレクションが散逸すれば、香川県の自然史研究にとって測り知れない損失になる。
自然史に関係する標本は、まずは地元、少なくとも県レベルで統一して保管することが、生物分布を研究するうえでも重要だろう。
もちろん目玉的な標本であれば、「町おこし」として、資金が投入される可能性はある。
だがその観光資源としての価値が減じれば、「お荷物」になりかねない。

その例がエゾミカサリュウだ。
地域振興を担う行政的立場と研究者としての立場に苦しんだ三笠市立博物館の早川浩司氏は、
若くして博物館から退職した(その後、病により41歳で亡くなっている)。

彼は、「(化石研究は)決してまち起こしのためにやっているわけではありません」と遺している。

町おこしが主か、日本の古代世界の研究が主か。
こうした選択を一地方都市が強いられるのも、国が基礎研究に正しく経費を配分していないためではないだろうか。

経済発展、景気浮揚、社会福祉等々。それぞれの課題と予算は必要である。
だが、基礎的研究は、それらと単純にトレードオフされるべきものではない。

「◯◯リュウ」を巡る様々なドラマは、日本に眠る大きなロマンと、現実的な閉塞感を突きつけている。

【目次】
第1章 消えたイナイリュウ
第2章 日本最初の恐竜モシリュウ
第3章 もう一つの「日本初」ニッポンリュウ
第4章 エゾミカサリュウがたどった運命
第5章 リュウの昭和史とフタバスズキリュウ
第6章 手取層群と平成の恐竜たち
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category: 恐竜

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これほどの事件が、なぜ解決できなかったのか。「警察庁長官を撃った男」  

警察庁長官を撃った男
鹿島 圭介



1995年3月20日、地下鉄サリン事件発生。
それ以降は相当期間、上九一色村での強制捜査など、
それまで(少なくとも僕は)聞いたことがなかった「オウム真理教」が日常を覆い尽くす感があった。

その最中の3月30日に発生した、警察庁長官狙撃事件。
日本はこれからどうなるのか、という漠然とした恐怖と共に、
「オウムはとんでもない事をする団体だ」というイメージから、「またオウムがしでかした」と第一に感じた。

ただその後、様々なオウムの捜査が報告されるが、
どうも警察庁長官狙撃事件だけは、進捗が感じられない。
「元信者の警察官関与」という衝撃的なニュースのあとは、「嫌疑不十分で釈放」ということを聴く。
ところが数年後、また「元信者の警察官を捜査」というニュースが有ったかと思えば、また嫌疑不十分。

積極的に気にしてもいなかったので、「元警察官が狙撃したと確定したら警察のメンツに関わるため、一応は捜査するが、それで終わらせるつもりなのかな」、と感じていた。

その挙句が、2010年の公訴時効時の会見である。
簡単に言えば、「オウム真理教が犯人だと思うが、逮捕できなかった」という警察による釈明は、「疑わしきは罰せず」どころの話ではない。
いかなる事情があるにせよ、捜査・逮捕を行うべき警察が逮捕できない中で、一方的に「でもあいつが犯人だと思う」という見解を示すのは、異常であった。

この1点でも、警察庁長官狙撃事件における警察組織の紆余曲折さが現れていると感じられた。

だが、本書は、さらに別の事実を示す。

2002年11月、中村泰という初老の人物が、UFJ銀行での強盗・殺人未遂事件で逮捕された。

ところが逮捕後の捜査で、中村が多数の銃器を所持していることが判明。
本書で詳細に語られているが、およそ日本では想像できないような量・種類であった。
そこから、他の銃器による未解決事件との関連性を調べている中で、
中村と警察庁長官狙撃事件が繋がっていく。

本書は捜査の時系列を追いながら、中村の警察庁長官狙撃事件への関与を示す事実が、次々と明らかにされる。

狙撃事件では、コルト社製の38口径・8インチ銃身モデルに、殺傷力が高いホローポイント型のマグナム弾が使用されている。銃、弾丸ともに、日本はおろか、銃の本場アメリカでも流通量は少ない。
ところが中村は、この銃を買い、そして警察庁長官狙撃事件で使用された弾丸と同時期に製造された弾丸を所持していた。

また、狙撃事件前後に限り、近隣の貸金庫(銃等を保管していたと思われる)を頻繁に利用。
さらに中村の供述から、次のような事実も明かされる。
・狙撃事件の2日前に長官の公用車が変更された。
・狙撃事件の2日前にスーツ姿の2名が警察庁長官宅を訪れたこと
・現場に誰が置いたか不明な鉢植えがあったこと(中村によれば、中村の共犯者が隠れるために置いた)
・ある店の近くに盗まれた自転車が放置されていたこと(中村は、自身が逃走に使い、そこで捨てたと供述)
・現場に残された北朝鮮のバッジの位置
これらは、まだまだ一部に過ぎない。

中村は、ゲバラに憧れて若い頃から銃の訓練を行い、少数の仲間と共に、独立の武装団体「トクギ」の組織化を図る。
多くの銃器は、そのために準備したものの一部という。
そして警察庁長官狙撃事件は、「長官狙撃事件をオウムが起こしたと信じさせることで、オウムへの捜査が不十分な警察を刺激し、オウム真理教への捜査を徹底させ、日本を救う」ことが目的だったと語る。

中村への嫌疑は、公式には狙撃状況と供述が一致しないこと、
自白に信用性がないこと、とされている。

だが本書を読めば、中村にはハヤシという仲間がおり、狙撃事件時にも現場にいたことが判明している。

中村はハヤシを「売らない」ため、ハヤシの行動だけは曖昧に供述しているようだ。
そのため、おそらく数発はハヤシが撃っただろうが、それをも自分が撃ったと供述していることにより、
ほんの一部、自白と現場に齟齬が生じている。

だが、それだけで嫌疑不十分とするには、あまりにも様々な証拠が揃っている。
これを黙殺したのは、オウム真理教こそ真犯人として追い続けた警察上層部の意向だという。


もちろんオウム真理教同様、中村も裁判では「嫌疑不十分」となっている。
だから、中村のみを犯人扱いすることは、本来フェアではない。

だが中村は、一貫して「自分が撃った」と供述している。
また捜査の結果、様々な傍証も積み上げられている。

これを追究しきれなかったのは、捜査員の努力不足ではなく、
それを暗に阻んだ警察上層部の意思にある。

既に現時点では、真実は何かを明らかにする機会は失われてしまった。
本書が示すストーリーが真実か否かも、明らかにすることはできない。
法治国家において、これほど情けない状況は無い。

残念ながら、警察のメンツが真実の解明を阻むケースは、有るようだ。
組織として、判断ミスを問われることを避けたいことも理解できる。
だが例え判断ミスがあっても、まずは真実の解明を最優先してほしい。
何年かかろうが真犯人を見つけ出すこと。それこそが、究極的に一般人が警察に期待する役割だろう。

犯罪者が、その責を負わずにすむ事だけは、あってはならない。

なお、「殺人犯はそこにいる: 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件」(レビューはこちら) で示された、北関東連続幼女誘拐殺人事件の進捗を聴くことは、まだない。

【目次】
プロローグ パイソンを買った男
公安捜査の大敗北
悪夢、再び
捜査線上に急浮上した男
謎に包まれた老スナイパー
取調室の攻防
そして、アメリカへ
動機
幻の男
「―神よ もう十分です…」
告発の行方
ゲバラになれなかった男
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category: 事件・事故

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なぜ、生物だけが進化できるのか? 「生命のからくり」  

生命のからくり
中屋敷 均



生命とは何か。
そもそも、どうやって単なる有機物の固まりが自己完結的な挙動を行うようになったのか。
また、その有機物の固まりが、どうやって複雑な機能を持つようになったのか。
前者は生命誕生の問題であり、後者は進化の問題である。
そして本書は、後者の進化に焦点をあてた一冊だ。

進化の細かなメカニズムについては諸論があるが、
少なくとも地球上の生物については、長い歴史において、時々の環境に適した生物に「進化」していく、という方向性にあることは、基本的な科学的見解として同意がある。

では、「なぜ生物のみ進化が可能なのか」というのが、突き詰めるところ本書のポイントである。

鉱物にしても、結晶化という秩序化はある。だがそれを進化とは呼ばない。

生物進化のポイントは、「その時々の環境に対して適応的」であるという点である。
この場の覇者は、この環境における最適解に過ぎない。
過去や未来といった時間差は言うに及ばず、
同時代であっても、その生物種の移動範囲を超えた地においては、その在り方が最適解とは限らないのだ。

そのため、それぞれの生物は、自身の子孫を次代の覇者に変革しなければならない。
だが一方で、せっかく現時点の覇者となっているのに、不要な変革を行えば、自身の子孫は覇者でなくなる可能性もある。

このジレンマを解消する策が、自身の遺伝子レベルにおいては、「情報の保存」と「情報の変革」という相反する二面性として現れる。
そして生物は、それを可能とするシステムを創りだし、自身とほぼ近似の遺伝子を有する生物を産む一方、
突然変異が生じた生物をも誕生させることが可能となった。
一つの種において、複数の個体がこのような「元本保証された多様性の創出」が可能であれば、
環境が変わない限りは突然変異のない子孫が、環境が変われば突然変異個体の中から適応的な個体が有利となる。

これを可能とするため、生物は複雑なDNA複製様式(一方のDNAの複製はいわば順列的に行われるが、一方は断片的に行われる)、有性生殖、ゲノムの倍数化などのシステムを獲得している。

これはいわば、「無数の偶然から幸運を選び、自動的に蓄積するシステム」である。
その要は、「情報の蓄積システム」だ。
過去の変革を保持しながら、その上に新たな変革を行うことが可能だからこそ、次世代は0からスタートする必要が無い。

そして、ヒトは、その個体が一生の間に蓄積した脳情報を「文字」として蓄積することで、
次世代に引き継ぐことを可能とした。
すなわち情報をDNAに刻んで変革するのではなく、外部媒体に刻んで変革していくのだ。
それがヒトと他生物を分けた境界である。

本書は生命発生や各個体間の競争システムには全く触れていないが、
「なぜ進化が可能なのか」という点について明晰な論理を示すと共に、
なぜヒトだけが突出して「適応的」なのか、という点についての解をも示している。

新書という手軽なスタイルでありながら、
大局的な見地から進化を理解できる、知的冒険に溢れた一冊だ。

【目次】
序章 生命の糸・DNA
第一章 生命と非生命
第二章 情報の保存と絶え間なき変革
第三章 不敗の戦略
第四章 幸運を蓄積する「生命」という情報システム
第五章 生命と文明
終章 絡み合う「2本の鎖」
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category: 進化論

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植物は、したたかだ。「植物はなぜ動かないのか: 弱くて強い植物のはなし」  

植物はなぜ動かないのか: 弱くて強い植物のはなし (ちくまプリマー新書)
稲垣 栄洋



以前に、こう書いた(「樹木ハカセになろう (岩波ジュニア新書)レビューはこちら)l。

堀辰雄の作品に、確か「フローラとファウナ」というのがある。
作家は「フローラ」(動物的)と「ファウナ」(植物的)に分けられる、というのがベースの内容だったと記憶しているが、自然愛好者にも「フローラとファウナ」があるのではないか。


僕はどうしても植物が苦手だが、その原因はおそらく、個体の多様性にあると思う。
芽生えから老樹に至るまで、同種であっても姿・形が異なる。
同じ樹齢であっても、生息場所によって異なる。
もちろん樹であれば樹皮、葉、花などから識別可能だとは分かっているが、
「この樹」と「あの樹」の共通点を見出すことに、慣れていない。

この「個体の多様性」、本書では「可塑性」と定義している。

そして植物は、「固着性」と「可塑性」が生き方のポイントであり、
それゆえに、花粉と種子というたった2つの移動可能な時期において、
いかに進化してきたか、ということが示される。

また、面白いのは、植物の進化史だ。
裸子植物→被子植物において、花粉と種子の移動性が抜群に高まった(ほぼ風媒だったのが、生物媒介が増加した)とともに、
巨大化による形成層という構造の発達。
また、導管による効率的な水の輸送システムが発達した。
(古いタイプの植物の裸子植物は、導管(水柱となっている)が発達しておらず、
仮導管(細胞間に小さな穴が空いている)で水を運ぶ。)

ところが導管は、管内の水が途切れると、水を吸い上げられないという欠点がある。
このため、凍結→解凍により気泡が生じ、導管の連絡が途切れやすい寒い地域では被子植物は不利であり、
仮導管を持つ裸子植物(針葉樹)が優勢となる。

もちろん、前述の花粉・種子を媒介する生物が少ないというのもあるだろうが、
植物の分布について、進化史的視点が得られるのは楽しい。

また木から草が進化したことは知っていたが、
双子葉類から単子葉類が進化したという順番は知らなかった。

すなわち単子葉類とは、形成層(大きくなるために必要な構造)をなくし、巨大化を避け、
代わりに草として成長するためのスピードの増加を優先させた植物だ。

そのため、根元から茎をのばさず、すぐに葉。
花を咲かせるときだけ茎をのばす。
根も、主根・側根を作らず、全て同一のひげ根。

その徹底したシステムが、イネの枝分かれである「分げつ」であると知れば、
田圃を見るのもたのしい。
(「分げつ」が単子葉類ならではの増え方であることは、本書を読まれたい。)

さらに、二酸化炭素を効率的に光合成するC4植物。トウモロコシなどが該当するが、
なぜこれが植物において優勢になっていないのか、漠然とした疑問だった。
(通常のC3植物が90%を占める。)
本書によれば、C4植物がその効果を発揮するのは、
十分な気温と光がある環境のみであり、それらが欠けるとむしろ非効率になるという。
なるぼど、地球上では一部の地域を除き、
十分な気温と光がある環境なんて、なかなか無い。

植物の識別には役立たないが、
生物進化は共進化の歴史でもある故、動物を知るためには植物を知らなければならない。
本書はその一助となるだろう。

【目次】
第1章 植物はどうして動かないのか?―弱くて強い植物という生き方
第2章 植物という生き物はどのように生まれたのか?―弱くて強い植物の進化
第3章 どうして恐竜は滅んだのか?―弱くて強い花の誕生
第4章 植物は食べられ放題なのか?―弱くて強い植物の防衛戦略
第5章 生物にとって「強さ」とは何か?―弱くて強い植物のニッチ戦略
第6章 植物は乾燥にどう打ち克つか?―弱くて強いサボテンの話
第7章 雑草は本当にたくましいのか?―弱くて強い雑草の話
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category: 植物

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