ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

次世代にも、生き物を丁寧に見る習慣を。「楽しい昆虫採集」  

楽しい昆虫採集
奥本 大三郎,岡田 朝雄



生き物を殺傷することが好きなのではない。
だから、対象を全く殺傷する必要が無い野鳥観察を趣味としたし、密猟対策にも取り組んできた。

だが、小さいころから、昆虫の種類も知りたかった。
けれども、真面目に昆虫を知ろうと思うと、どうしても捕獲して、図鑑と見比べなければならない。
その過程で、どうしても昆虫は死ぬだろう。
それを無にしないためには、標本にする必要があるが、そんな知識も技術も無かった。

現在でもデジカメがあるが、マクロ撮影に耐える機材の購入と、
識別点を過不足なく撮影する知識となると、やはりハードルが高い。

一人で昆虫を学ぶには、どうしても昆虫採集と標本化が必要だ。

その時出会ったのが、「ぼくらの昆虫採集 」(レビューはこちら )。
待っ正面から昆虫採集を説明する、稀有の本であった。

本書は、その前身と言える一冊。刊行は1991年と、もう20年以上前になる。
著者は奥本 大三郎氏と岡田 朝雄氏だが、
本来の著者となるはずだった奥本氏は多忙のためエッセイ的なもののみに留まり、
後半、岡田氏が技術的な解説を行っている。

ぼくらの昆虫採集 」よりも、より細かな内容が多く、また採集禁止区域等の資料的内容も多い。

残念ながら刊行から時間が経過しているため、採集禁止区域等の情報については古くなっているものの、
昆虫採集という趣味を持つ人が近くにいない場合、よき先達として本書は活用できるだろう。

「昆虫なんて」という感覚が多くの方にはあると思う。
また、「殺して標本にするなんて」という嫌悪感もあるだろう。
だが昆虫を的確に知ることで、僕自身、
野外を歩くときに「鳥の視点」だけでなく、「虫の視点」が得られたと感じている。

例えば「鳥の視点」だと、ある林があれば、それを全体としてとらえる。
その上で、この突出した樹上には囀る種類、この樹はイカル、ここの茂みは夏はキビタキ・冬はルリビタキ、
この草が両脇にある林道はホオジロ類、この道はツグミ類…という把握の仕方だ。

だが「虫の視点」だと、樹一本、草一本が問題となってくる。
そうすると、この樹にはハムシが多い、「だから」カラ類が通過しやすい、という見方になってくる。
自然を重層的に視ることが可能となる。

もちろん、まだまだ僕は入口にたったばかりだが、
この楽しみは、20年以上前、野鳥を始めた頃のようなワクワク感がある。

それにしても、「ぼくらの昆虫採集 」 の刊行は、2011年。本書は1991年。
20年に一回のペースでしか、総合的かつ真っ当な昆虫採集入門書は刊行されない、ということになる。

野鳥にしろ昆虫にしろ植物にしろ、「その存在を知ること」が、保護の第一歩だと僕は思う。
だからこそ、昆虫については、昆虫採集という「責任の重い知り方」をきちんと知ってほしい。



【目次】
第1章 人はなぜ虫を捕るか
 虫の掴まえ方
 書類を捨てて野山に出よう
 捕虫網の研究
 蝶の罠
 虫のだまし方
 虫の殺し方
 標本の作り方
 昆虫採集の実践記―マダガスカル採集旅行 ほか
第2章 昆虫採集入門
 おもな昆虫採集法
 簡単なチョウの飼育法
 採集旅行
 採集禁止の昆虫
 標本の作り方
第3章 資料編
 日本産蝶類一覧表
 日本産クワガタムシ一覧表
 昆虫関係器具の店・標本商・専門書店
 昆虫の図鑑類と雑誌
 昆虫関係の学会と学会誌
 研究会・同好会と会報
 博物館・昆虫館一覧
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category: 昆虫

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昆虫写真家ならではの観察眼が、楽しい。「虫の目になってみた: たのしい昆虫行動学入門」  

虫の目になってみた: たのしい昆虫行動学入門
海野 和男



昆虫はすごい (光文社新書)」(レビューはこちら)のおかげなのか、なんだか昆虫関係が元気である。

僕が昆虫に興味を持ちだしたせいかもしれないが、それにしても刊行される本やメディアで取り上げられる回数は増加している。
2016年には昆虫好きの(そんなの多分誰も知らなかった)香川照之 による、「香川照之の昆虫すごいぜ!」がNHK教育で放送された。
カマキリ先生となった香川照之が、バッタについて解説したり、野外で数時間バッタを探したりと、本当に好き放題やる番組であり、突き抜け具合は見ごたえがあったところである。新たなファンを獲得したに違いない。少なくとも僕の心は鷲掴みである。
番組ホームページはこちら。(2015年11月時点で確認。今のところ単発番組らしいので、いつまでHPがあるかは不明。)

さて、そうした昆虫の魅力を伝える方法の一つとして、昆虫写真がある。
さほど昆虫に興味がない方でも、ふと雑誌や広告で昆虫写真にでくわすことがあるだろう。
そこにクレジットされている多くは、今森光彦氏か、海野和男氏、栗林慧氏だろう(個人の見解です)。

これらの方々が地道に撮影した昆虫がいる世界は、間違いなく昆虫のイメージアップに寄与している。
また、志賀昆虫普及社を設立した志賀卯助氏により、日本に昆虫採集は学習・趣味であるというイメージが定着している。
これらの礎があってこそ、今のブームを受け入れる層がいるのだろう。

そして本書は、その海野和男氏による「昆虫行動学入門」である。
もちろん様々な写真が活用されているけれども、本書は写真がメインではなく、
あくまで「昆虫行動学」。
実際に国内外で多くの昆虫に出会い、撮影のためにじっくり観察してきた海野氏だからこそ描き得る、
昆虫の不思議かつ魅力的な生態が紹介されている。
上に紹介した「昆虫はすごい (光文社新書)」と同一の志向をもつ本であり、
同書が楽しかった人には、同じように楽しめる一冊になるだろう。

例えば昆虫の翅の動かし方について、
トンボのように飛翔筋が直接翅につながり、筋肉の収縮が翅を動かす直接飛翔駆動タイプと、
ハチやハエのように飛翔筋がまず外骨格を振動させ、それが間接的に翅を動かす間接飛翔駆動タイプがある。
ここまででも「へえ」というところだが、
一般に直接飛翔駆動タイプは不完全変態、間接飛翔駆動タイプ は完全変態が多いと言われると、
なにやら進化の謎の一端に振れる興味が湧いてくる。
(ただし、その答えは本書では示されていない。)

また、テントウムシの集団越冬も有名だが、
いったいどのくらい離れた地域から集まるのか、という単純な問に対する答えは得られていないようだ。
なるぼと確かにテントウムシにマーキングなんて聞いたことないし、
ましてそれを再発見するなんて、ほぼ不可能だろう。
だからといって謎のままというは、なかなか消化不良なところである。

さらに、カタクリの種。エライオゾームという物質によりアリを誘引し、運ばせるというのは知っていたが、
このエライオゾーム、匂いとしてはアリの幼虫に似ているという。だから誘引し、巣に運ぼう(連れ戻そう)という気にさせるのだ。
しかも24時間もすると、逆に死んだ幼虫の臭いに変化し、今度はアリに捨てさせるという。
これによってカタクリの種はアリの巣という遠方に運ばれ、かつ発芽可能な浅い場所に放置されることになる。
いやはや、昆虫と植物の関係は奥深いものである。

また花に擬態しているハナカマキリ。
昆虫は紫外線が見え、それにより蜜の有無を見ているが、
ハナカマキリは紫外線色まで擬態しているそうだ。
言われてみれば納得だが、それにしても自然界の妙と言うべきか。

こうした知識が詰まった一冊、
香川照之氏のように「昆虫大好き!」という方でなくとも、
手元において読む楽しさはあるだろう。

ところで香川照之氏は本書を読んでいるのだろうか。伺ってみたいところである。

【目次】
第1章 昆虫たちにとっての世界
第2章 昆虫たちが感じる世界
第3章 昆虫の運動能力
第4章 群と移動
第5章 昆虫の生活
第6章 昆虫のデザイン
第7章 オスとメス
第8章 隠れる擬態
第9章 目立つ擬態
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category: 昆虫

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島に行きたい。生きものが見たい!「そもそも島に進化あり (生物ミステリー)」  

そもそも島に進化あり (生物ミステリー)
川上 和人



鳥類学者 無謀にも恐竜を語る (生物ミステリー)」で一躍有名になった著者の本。
テーマは島。
生物の進化は種々絡み合っていて、なかなか全体像をつかむことは難しい。
また、生物地理学-「なぜ、この種がここにいるのか」という(僕にとっては)楽しい話題も、
それこそ地質学的年代まで遡る時代背景と、
文字通り世界レベルの広がりで把握するとなると、かなり煩雑となる。

島は、その限定的モデルとなる。
また一方、島ならではの制約や、条件も存在する。

それらを理解すれば、
多くの人にとっては単なる「南の方の島」である ガラパゴス、沖縄諸島、小笠原諸島やハワイ諸島といった、
様々な島々の生物相の違いが見えてくる。
珍しい種だけを追う生き物屋は別として、おそらく多くの生き物屋が、
様々な生物を追いかけながら、本当に「知りたい」と思っているのは、こうした「進化の成り立ち」ではないだろうか。

本書著者は、そもそも鳥類学者である。
だから鳥類が話題になることが多いものの、
昆虫、爬虫類、両生類(これは海を超えられない生きものとしてだが)、そして植物に至るまで、
それぞれの生物群に従って異なる、「どのように島へ移動するか」、「どのようにして適応放散して種分化するか」が丁寧に説明されている。

また、島といえば固有種が楽しみだが、
それが生じるメカニズムとして、
島と言う隔離された空間で分化することによる隔離分化固有と、
広汎な地域に存在していた種が島だけに残った遺存固有があること、
そして現実にはそれらが入り混じり、特定の固有種がいずれのタイプかを確認することは
なかなか難しいことを知れば、島における固有種を見る目も変わってくるだろう。

また後半では、様々なメカニズムによって島に特化した種に対して、
いかに外来種が脅威となるか(実際になっているか)が説明される。
外来種が在来種の脅威になるということは既に常識だが、
「なぜそこまで脅威になるか」という点について、良い解説書は少ない。
まして、島においてどれ程の脅威になるかは、多くの人間は知ることは少ない。

だが本書を通読すれば、島の生物相が、それぞれの島の地理的歴史と生物進化の賜物であること、
そしてその結果ゆえ、島の在来種は、「島外の生物」(すなわち外来種)に脆弱であることが実感できる。

本書は、軽妙な語り口、様々なジョークといったオブラートに包まれているけれども、
その伝える内容は、島における生物学の最新の到達点である。
鳥でも虫でも植物で良い、
陸上生物に興味がある方は、ぜひ一読をお勧めする。

なお、かなり真面目な口ぶりでジョークをかまし、知らないと真実と勘違いしそうなネタも含まれているので、
ご注意いただきたい。鼻行類の存在を知らない方は、必ずネットでチェックされたい。

【目次】
◆はじめに ここに海終わり、島始まる

◆序 章 そもそも

◆第1章 島が世界に現れる
Section1/島にヤシの木は何本必要か
Section2/島を二つに分類せよ
Section3/新島、大海に立つ

◆第2章 島に生物が参上する
Section1/島に招くには、まず隗より始めよ
Section2/食べれば海も越えられる
Section3/太平洋ヒッチハイクガイド
Section4/ビッグ・ウェンズデー
Section5/風が吹けば、誰かが儲かる
Section6/早い者勝ちの島
Section7/翼よ、あれが島の灯だ

◆第3章 島で生物が進化を始める
Section1/さらば、切磋琢磨の日々よ
Section2/島の「し」は、進化の「し」
Section3/正しい固有種の作り方
Section4/多様化する世界
Section5/動物がときめく島の魔法
Section6/植物がかかる島の病
Section7/フライ、オア、ノットフライ
Section8/だって海鳥ですもの

◆第4章 島から生物が絶滅する
Section1/楽園の落日
Section2/闘え!! ベジタリアン
Section3/プレデターvs エイリアン
Section4/拡散する悲劇
Section5/カガヤクミライ

◆第5章 島が大団円を迎える
Section1/天地開闢
Section2/あなたの島の生まれるところ

◆おわりに ここに島終わり、現始まる
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category: 進化論

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読み続けることも、力だ。「読書脳 ぼくの深読み300冊の記録」  

読書脳 ぼくの深読み300冊の記録
立花 隆



立花隆氏の論説には特段の興味が無いが、「週間文春」で「私の読書日記」を連載しているらしく、時折り書評をまとめたものが刊行される。
氏は読書家として知られるとおり、 ちょっと毛色は違うが、「立花隆の書棚」(レビューはこちら) なんて本もあって、
たくさん本を持つ蔵書家に対する憧れが、まだまだ世間では大きいんだなと感じた記憶がある。

本書では、ただ書評だけを集めるのもなんだからという訳で、
「読書の未来」と題した東大付属図書館副館長の石田英敬氏との対談が収録されている。
本書の表紙にもあるとおり、書籍のデジタル化が大きなテーマだ。
電子書籍としての刊行、既存の書籍のデジタルデータ化、書籍のデジタル上でのキュレーション・システムなど、
様々な点について語られているが、特筆すべき点もない。というか、現時点では当たり前の認識である。

さて、本書のもとになった連載は、2006年12月~2013年3月の期間らしく、
2011年3月11日の東日本大震災も範囲である。
そのためか、原発と東日本大震災時の政府対応に対する話がやや多い。

通読したところ、
 アメリカ、政治、原発、第二次世界大戦と広島・長崎の原爆、陰謀論、
 ドストエフスキー、性倒錯、金融と金融危機、昭和
といったキーワードにヒットする方は、たぶん参考になる本が多いと思う。

僕が読んだか、読みたいと思った本は23冊。
既読は次の6冊だった。まだまだアンテナの張りが十分ではない。

レビューはこちら

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▼(ブログ開始前に読んだため、レビューは無し)

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重複率は23冊/300冊=7.7%なので、
立花氏とは興味の方向性が全く違うのを再確認した次第である。

逆に言うと、それだけ人によって取り上げたいと思う本が異なるということであり、
ノンフィクシヨンの世界は幅広いなあと思うところ。

なお、立花氏が取り上げている「気骨の判決―東條英機と闘った裁判官 (新潮新書)」は、
戦時中の翼賛選挙に対して、毅然として無効判決を行ったという「司法の独立」の理想のような話。
この事件については「裁判百年史ものがたり (文春文庫) 」(レビューはこちら)で取り上げられているので、併せて読みたい。
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category: 読書

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「見る」は、当たり前ではない。「どうしてものが見えるのか」  

どうしてものが見えるのか (岩波新書)
村上 元彦



「眼」の発明・存在が、生物進化を爆発的に促進させたという「眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く」(レビューはこちら)
は、衝撃的だった。
まるでコロンブスの卵のような、「言われてみれば確かに」という説だが、エポック・メイキングな説とはこういうものを言うのだろう。

その「眼」、生物により構造・見え方が様々であり、
多くの生物が、人間に見えない紫外線領域を視ている。
また一方で、ヒトは用いていない構造色による発色を用いる生物が多いことを知ると、
いやはや地球の生物は、「視覚」の生物なのだなと痛感する。

紫外線、構造色、眼の進化など、この分野は良書も多いが(末尾に紹介している)、
本書は、その「眼」そのものについて、その構造を大から小まで、それこそ細胞以下のレベルまで説明するものだ。

例えば脊椎動物は「カメラ眼」だ、というのは様々な本で説明されている。
だがカメラ眼は、光が空気中から角膜に入る際に大きく屈折させ、それによって焦点をあわせている。
そのため、屈折率が変わってしまう水中では、像が歪んでしまう。
(だから、水中ゴーグルで空気の層をつくれば、正しく見える。)

では、カメやラッコ、ウなど、水陸両用の生物の「カメラ眼」はどうなっているのか。
実は瞳孔括約筋が非常に強力で、水晶体前部を無理やり歪め、上から見ると、眼球を西洋梨みたいな形にしてしまう。
これによって屈折率をあわせ、水中・陸上でもピントが合うのだ。
水中と空中を同時に見るヨツメウオに至っては、もっと眼が歪な形になっており、
それによって屈折率の異なる世界を認識できているらしい。
ちなみにペンギンはこうした構造をもってなくて、水中に適応した眼になっているため、地上では近視という。

また、ヒトの眼は明暗を感知する桿体と、
色を感知する青錐体・赤錐体・緑錐体によって成立しているが、
本書によると次のように進化したという。
・約5~6億年前 青錐体の祖先にあたる構造と、赤錐体と緑祖先にあたる構造
・4億年前 青錐体の祖先から桿体の祖先が発達
・約2000万年前に 赤錐体と緑錐体が分化

これに対して、「サルの小指はなぜヒトより長いのか: 運命を左右する遺伝子のたくらみ (新潮文庫)」(レビューはこちら )では
・まず明暗を感じるロドプシン
・約7億年前 ロドプシンから青オプシンが分化
・約3億年前 赤オプシンか緑オプシンができる
・約3000万年前 赤オプシンか緑オプシンの残りができる
ができたらしいという(オプシンは錐体に含まれるタンパク質)。

桿体のできる順番、赤・緑錐体の祖先にあたる構造のできる時期など一部不一致があるが、
本書が1999年刊行であることを踏まえ、研究時点の認識差と考えるのが妥当だろう。
いずれにしても、現在の色覚は、
約3000万年前に赤と緑を認識できるようになったことにより確立されたことになる。
この
緑・赤オプシンに関わる遺伝子(便宜上赤色遺伝子と緑色遺伝子)は、
同じ祖先から分化したために、同じX染色体上にある。

ここで、この赤・緑遺伝子に異常があった場合、これは 伴性劣性遺伝する。
たとえば正常なX染色体を大文字X、異常なX染色体を小文字xとすると、
女性はXx xX xx XX が有り得るが、xxのみが遺伝子異常として発現する。
一方男性は、XY xYのいずれかが有り、このうちxYが遺伝子異常として発現する。
よって、男性に高率に発現することになる。

ただ、だからといって色覚異常-カラー・ブラインドネスの人が、
どこまで日常生活に制限を要するかは別の話であり、
例えば著者は赤緑色覚異常のみで学校・就職等に不当な制限が課せられすぎている、と指摘する。
また、赤緑色覚異常検査は実際には遺伝子検査であり、それを安易に行うことにも疑義を表している。

さらに、「サルの小指はなぜヒトより長いのか: 運命を左右する遺伝子のたくらみ 」によると、
むしろ女性の中には色覚に必要な物質が通常の3種類ではなく、4種類ある人がいることがわかっている(X染色体が2つあるために、一方に異常があると逆に色覚のバリエーションが増える)こと、
その場合、この赤オプシンが増え、もしこれが色覚に反映されれば4色覚に成り得る(実際にいるかは未確認)と言うことを紹介している。
そうすると、もし3色覚より優れた4色覚の人がいれば、その人は「異常」なのか、という疑問が湧く。

味覚にあっては、感知能力の個人差はさらに大きく、
人類の1/4は味覚が敏感な、超敏感舌であるもいう(「迷惑な進化―病気の遺伝子はどこから来たのかレビューはこちら )。
(苦みに敏感で、甘味への感受性も唐辛子への反応も普通の2倍高い。)

結局、正常・異常というよりは多数・少数の問題かもしれない。


話が本書から大きくそれた。
本書は眼の構造について、非常に細かく、各細胞の構造、
そして光量子が感知されたあとの神経伝達メカニズムまで紹介している。
正直、後半からは非常に細かく専門的な世界となり、かなり読むのに力がいるところ。
だが、「眼」という不可思議かつ、地球生命の要ともいうべきモノについて、
真っ正面から解説してくれる数少ない本だ。

刊行年度は古いものの、眼について学ぼうとするとき、
まず読んでおいて損は無い一冊である。

【目次】
1 眼はどのようにできるているか
2 網膜―精巧な神経のネットワーク
3 視細胞―光を電気信号に変える
4 色を見分けるしくみ
5 視物質タンパク質の構造
6 網膜の神経細胞のはたらき
7 脳はどのように視覚情報を処理するか
8 色覚異常について
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category: 進化論

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知られざる戦争遺産。「陸軍登戸研究所“秘密戦”の世界―風船爆弾・生物兵器・偽札を探る」  

陸軍登戸研究所“秘密戦”の世界―風船爆弾・生物兵器・偽札を探る
山田 朗 明治大学出版会



第二次世界大戦中の日本の秘密軍事組織といえば、七三一部隊が有名である。
定番として、森村誠一による「新版 悪魔の飽食 日本細菌戦部隊の恐怖の実像!<悪魔の飽食> (角川文庫)」(もちろん読んだのは元版だが)、「『悪魔の飽食』ノート」を(事前知識無しに)中学生だか高校生だかで読んだのだが、「戦争」にしろ「科学」にしろ、とにかく「大義名分」さえあれば、人間はとことん残虐になれる-というか、感覚がマヒするのだなと驚嘆した。

ただ、「桜花」のような大形の特攻兵器に日本の技術開発は進み、
また、スパイ技術など「小手先の」技術開発は少なかったのだろうと思い込んでいた。

そんな時、大陸間爆弾「風船爆弾」の存在を知り、改めて日本の戦時中の技術開発も多岐にわたっていたのだなと感じた。

その「風船爆弾」、陸軍の秘密科学研究所「登戸研究所」において開発された。
登戸研究所は、正式には「第九陸軍技術研究所」。
第一科から第四科まであり、概ね次の所管となっていた。
 第一科は特殊兵器(風船爆弾等)、電波兵器の開発。
 第二科はスパイ器材、毒薬、生物兵器。
 第三科は偽造紙幣製造。
 第四科は第一・二科のフォロー等を行っていた。

「風船爆弾」はもちろん登戸研究所の成果だが、
第二科は使われることがなかったが散布可能な牛痘ウイルス、帝銀事件にも用いられたかと言われる遅効性の毒薬・青酸ニトリル、
第三科も中華民国の偽造紙幣を大量に製造するなど、他科も多くの成果をあげている。

本書は、その「登戸研究所」の施設が残る明治大学が設立した「平和教育登戸研究所資料館」について、
各展示室のコンセプトや展示紹介を行いながら、
現在把握できている登戸研究所の概容を説明していくもの。

後半には、登戸研究所の「秘史」が発掘される契機ともなった高校生による平和学習など、
多岐にわたる内容となっている。
しかし一方で、「これこれの主旨の展示パネルとなっている」など、
この一冊で登戸研究所がわかる、という内容にはなっていない。
すなわち、いわゆる資料館の展示概説でもないし、
また総括的な本でもなく、やや中途半端な位置づけとなっている。

登戸研究所については、当時の研究員その他による類書もいくつか刊行されているが、
資料館といういわば当時者的位置にありながら、
大学という客観的論述が可能な立場であるだけに、本書はもっと深く、
資料的価値を追究したものでもよかったのではないかと思う。

ところで、以前NHKの「所さん!大変ですよ」で、「まさか…愛用の農具が“幻の秘密兵器”だった!?」という回があった。
長野県の農家が愛用している農具、
実際には「火が噴き出すように燃焼する棒」なのだが、これが確認の結果、
「登戸研究所」の開発品だったことが判明している。

登戸研究所は神奈川・登戸にあったのだが、戦争末期、長野・駒ヶ根市に疎開的に移設されている。
戦争終了後、開発した品や記録は徹底的に破壊されたらしいが、なぜか流出していたらしい。
第二次世界大戦における日本の技術開発については、まだまだ謎が深い。

【目次】
第1章 アウトラインを探る―登戸研究所とは何か
第2章 時代背景を探る―登戸研究所と戦争の時代
第3章 登戸研究所の全体像を探る
第4章 風船爆弾の実像を探る
第5章 生物兵器・スパイ兵器の謎を探る
第6章 証拠なき世界を探る
第7章 偽札印刷の真相を探る
第8章 “秘密戦”のその後を探る
第9章 戦争の記憶をどう継承するかを探る
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category: 戦争

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遺された古代の世界のガイドブック。「風土記の世界」  

風土記の世界 (岩波新書)
三浦 佑之



なぜ「日本書紀」 は、「日本書『紀』」なのか。
「古事記」で「記」を使うことから、「日本書『記』 」でも良かった筈だ。
ところが六国史を見ると、日本書紀、続日本紀、日本後紀、続日本後紀、日本文徳天皇実録、日本三代実録と、
日本書紀以降は『紀』という名称が引き継がれており、『記』ではない。
またこの名称の引き継ぎを見ると、
同時に、なぜ『書紀』という名称ではなく、『紀』のみが引き継がれるのかという新たな疑問も生じる。

この点について、著者は次のように推測する。
当時朝廷は、中国の歴史書に従い、一国の正史としての「日本書」の編纂を志す。
それは、歴史 の「紀」、地誌の「志」、人物誌 の「列伝」で構成されるものだ。
ところが結局、「日本書」の「紀」のみ編纂された。
それが「日本書 紀」として遺されていたが、いつしか「日本書紀」という固有名詞になったのではないか。

なるほど腑に落ちる話であり、そうすると以降の歴史書が「紀」を引き継ぐ意味もわかる。
正史のうち、「紀」の続編だからだ。

そしてここから、風土記は「日本書 志」を編纂させるため、各国に命じてその資料として提出させたものではないか、とも指摘。
実際、公文書では律令政府が下級官庁に出す通達は「符」、それに対する報告は「解」と呼ばれる。
そして事実、現存する常陸国風土記の冒頭には、
「常陸国司解 申古老相伝旧聞事」(常陸の国司の解 古老の相伝える旧聞を申す事)と記載されているのだ。

地方において風土記を作成し、中央官庁に提出するというのはまさしく国家事業である。
であればこそ、それほどのビッグプロジェクトの目的が問題となるが、
「日本書 志」のベース資料を提出させたというのは、妥当な話だ。

そのうえで見ると、出雲国造が携わり、編纂されたのが20年後という「出雲国風土記」は、
「解」としての風土記そのものではなく、手控えを編纂しなおしたもの(だから内容も、朝廷にそのまま提出したものとは考えにくい)だという指摘も納得できる。

ちなみに風土記は、残存するのは常陸国、出雲国、播磨国、豊後国、肥前国の5ヶ国のみ。
あとは逸文が残されている程度であるが、この5ヶ国の風土記からも、
日本書紀成立当初、まだ日本書紀に示される大和朝廷の「公式」神話と合致しない、
土着の神話や天皇の認識があることが伺える。

例えば常陸国風土記には、日本書紀にはない「倭武天皇」の業績が語られている。
これを一地方の誤解と一笑に付すことも可能だが、
・記載は十数例あること
・風土記は中央政府に提出するものであること(だから中央政府の意に背く内容はありえない)
・和銅六年五月に官命が出て、数年内に撰録された常陸国風土記ができた時点では、日本書紀がまだ存在しなかったこと
などから、
天皇の系譜が日本書紀により固定される前の状況を、現在に伝えるものと見ることができる。

こりように、風土記と日本書紀、さらに本書でもかなり触れられているが、
もう一つの異質な国史である古事記を対比・整理することによって、日本の黎明期が深く理解できるだろう。
これらの史料が残っていることに感謝したい。

さて、常陸国、出雲国、播磨国、豊後国、肥前国の5ヶ国においては、
日本書紀と同時代のローカルな神話が残されていることになる。
非常にうらやましい話である。

【目次】
第1章 歴史書としての風土記
第2章 現存風土記を概観する
第3章 常陸国風土記―もう一つの歴史と伝承の宝庫
第4章 出雲国風土記―神の国ともう一つの文化圏
第5章 語り継がれる伝承―播磨国風土記と豊後国・肥前国風土記
まとめにかえて
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category: 歴史

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「裁き」も不変・絶対ではない。「裁判百年史ものがたり」  

裁判百年史ものがたり (文春文庫)
夏樹 静子



人間社会が在る限り、その社会の一員としてのルールが定められる。
そして、そのルールを逸脱する者は必ず発生し、その者に対しては罰が与えられる。
人間の歴史とは、このルールとシステムの洗練化ではないかと思う。

日本では、明治維新という変革によって社会のルールが一新された。
そこで定められたルールは、司法独立という西洋社会の知恵と、
個人よりも天皇や国家、家族や男声を尊ぶ旧来の価値観の併存のうえに成立していた。

日本の裁判は、この「司法独立」と「旧来の価値観」との間において、
時代ごとに様々な判断を行ってきた。

「司法独立」を貫き通した、本書の「ロシア皇太子襲撃、大津事件」や「翼賛選挙が無効になった日」。
「旧来の価値観」を重視することにより検察・司法が暴走した「明治天皇暗殺謀議、大逆事件 」。
そして、「旧来の価値観」 を超えることになった「悲しみの尊属殺人 」や「離婚裁判、運命の一日 」。

日本裁判史は、あたかも日本社会の変遷史の縮図ともいえる。

本書は、明治以降の裁判のうち、特に司法や社会を動かした12の裁判について、
種々の資料を駆使しながら、客観的に追っていくもの。

帝銀事件や松川事件など、事件の真相追について幾多の論がある事件も収録されているが、
本書では真相追及は重視せず、
当時の裁判そのものの問題性に焦点をあてることにより、視野にブレがない。

また、本書では様々な冤罪事件が取り上げられており、
日本における司法・警察の課題も見えてくるだろう。

また最終章、突如として「被害者の権利」がテーマとなる。
この唐突さは、本書の構成が原因なのではなく、
まさに明治維新以後の日本において、全く被害者の存在が無視されていたことを示している。

鳴り物入りで始まった裁判員制度も、いつしか話題にもされなくなった。
裁判は、またも「遠い世界のもの」になったかのようだ。
だが、誰でも裁判に関与する可能性は存在する(加害者にはならないだろうが、被害者になる可能性はいつでもある)。

その日のために-というわけではないが、
裁判がいかなるシステムで、いかなる限界があるのかを知っておくのは、必要である。

なお、「翼賛選挙が無効になった日」 。
戦時中の翼賛選挙に対して、毅然として無効判決を行ったという、
「司法の独立」の理想のような事件については、「気骨の判決―東條英機と闘った裁判官 (新潮新書)」という本がある(立花隆の「読書脳 ぼくの深読み300冊の記録 (文春文庫)」で紹介されていた(この本のレビューはいずれまた))。いずれ読みたい。

【目次】
ロシア皇太子襲撃、大津事件
明治天皇暗殺謀議、大逆事件
昭和の陪審裁判
翼賛選挙が無効になった日
帝銀事件、犯罪史に残る大量毒殺
松川事件の十四年
チャタレイ夫人の衝撃
八海事件、三度の死刑判決
悲しみの尊属殺人
永山則夫、十九歳の罪
離婚裁判、運命の一日
被害者の求刑
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category: 事件・事故

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「自分がやってみたい」が、一番大事だ。「宇宙を撮りたい、風船で。」  

宇宙を撮りたい、風船で
岩谷圭介



「将来何になりたいか」という質問は、今も昔も苦手だ。
自分が何が好きで、何が得意で、それがどんな職業に活かせるかが分かる子どもなんて、
ほんの一握りだろう。

また、教師や大人の問いかけの意図が、子どもらしい夢を聴こうとしているのか、
現実的な認識の有無を確認しているのか、それも分からなかった。

様々な分野で活躍する人について、
「彼/彼女は、子どもの頃から具体的な夢や目標を持ち、努力していました」と語られるが、
多くの人の場合は、おそらくそうではない。
彼らは好きなこと=得意なこと=仕事に成り得ること という方程式が成立した、
ごく一部の人間なのだと思う。

多くの人は、妥協のうえでの仕事、お金を稼ぐための仕事なのではないか。
僕はそう割り切って仕事を選ぶことも是と思っているが、
どうも日本では、「お金のために仕事をするなんて」「仕事だから仕方がない」など、
お金とのトレードオフ以上の価値を仕事に求めがちだ。納得できない。

そういう圧力が高いと、「仕事」が自身の存在理由そのものになる。
逆に、自身の存在理由が分からなければ、納得できる「仕事」はできないことになる。

フリーターやニート等を無条件に肯定する気もないが、
不要なまでに「仕事」に重きをおいて、その重圧故に仕事を選べない人も多いだろう。

本書著者も、バック・トウ・ザ・フューチャーのドクのような発明家になりたいと思っていた。
ところが現実には「発明家にはなれない」と知り、将来に対する夢も目標も失ってしまう。

その結果、目標を模索するための浪人、留年などを行う。
家族が暖かく見守っていたから著者は救われているが、
多くの家庭では、著者のような葛藤を甘えと呼び、強制的に社会に出すだろう。
その結果、ドロップアウトすることも少なくない。

ただ、仕事は単に、お金を稼ぐ手段。
大事なのは自分がやりたい事、好きなことを探し、追求することだ。
そこに第三者の評価はいらないし、お金を稼ぐ必要もない。

それが理解できれば、自分の人生を歩むことができる。

著者は、「発明することが好きだ」という自身の方向性と、
風船で宇宙からの写真を撮った人がいる(自分もやりたい)という欲求をもとに、
誰も歩んだことがない道を進み始める。

本書は風船で宇宙からの写真を撮るというプロジェクトの概要だが、
むしろ、人生が見えない一人の人間が、
自分の好きなことを、ひたむきに追求し続けることの大事さを伝える一冊だ。

「ふうせん宇宙撮影」については、何も先行例が無いなか、
高度30,000メートルまでに達する頑丈さ、
自動的に切れも安全に落下システム、
関係部局との調整など、
振り返ってみれば、どれも難しい話ばかりだ。

だが、それを一歩ずつ解決する姿勢、まさにトライ・アンド・エラーで、
著者は見事な世界を魅せてくれる(本書でも、カラー写真が多数掲載されている)。
そこには先人としてのおごりは無く、誰でも同じようにチャレンジしてほしい、という思いがある。

著者のホームページ「ふうせん宇宙撮影」でも、美しい写真、ノウハウが多数紹介されており、YOUTUBEでも動画がアップされている。

著者のYOUTUBEのチャンネルはこちら

ただ、実際に「ふうせん宇宙撮影」をやろうとすれば、かなり難しいだろう。
著者が言うとおり、打ち上げる場所として最適なのは道東であり、
交通費だけでも大きな負担となる。
そのうえ、製作、関係部局との交渉等々、
軽く「やってみよう」という世界では、ない。

だが大事なのは、こうした自身の夢を追求することだ。
それが「ふうせん宇宙撮影」でなくとも、よい。
多くの人は、日常の瑣末事にまぎれて、消耗しながら生きている。

その中で、改めて「自分のやりたいこと」を、誰の眼も気にせず、
好きなようにトライすること。
それが、「生きる」ということであり、人生の楽しさだと、本書は伝えてくれる。

【目次】
第1章 風船で宇宙を見る!
第2章 夢は転がってはいない
第3章 「やってみて」はじまった
第4章 失敗は教えてくれる
第5章 「達成した」その先へ
第6章 「ふうせん宇宙撮影」の扉を開く
第7章 手を伸ばした先にある宇宙の姿
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