ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

失われた人生を辿る不思議な旅の記録。「前世への冒険 ルネサンスの天才彫刻家を追って」  

前世への冒険 ルネサンスの天才彫刻家を追って (知恵の森文庫)
森下 典子



杏のふむふむ 」(レビューはこちら)において、女優・杏氏が愛読し、また縁あってドキュメンタリー・ドラマにも関与した本が紹介されている。それが、「デジデリオ―前世への冒険」、加筆後の最新刊が本書である。

本書は、ノンフィクションライターである著者が、「前世が見える」という女性を取材することから始まる。
試しにと自身の前世を見てもらったところ、一つは鑑真と同行した僧。
そしてもう一つ、イタリアのルネサンス期の彫刻家だ、とその女性は語る。
その女性自身、詳しく視える訳ではなく、関係する単語やシーンが羅列されることが多い。
著者森下氏は、「前世が視える」という言葉を疑い、自身の前世と言われる人物を探っていく。
もちろん、ネタ本を探すためだ。
ところがイタリアのルネサンス期の彫刻家、デジデリオ・セッティニャーノについては、
当時の日本ではほとんど資料が無い。
だが、断片的に得られる情報からは、なぜかデジデリオの生涯が、具体的に語られているようだ。
そして、日本で入手できない事実も、「前世」として語られていた。
それが事実かどうかを突き止めるため、著者はイタリアへ飛び、教会、残された彫刻、伝説、古書等を探っていく。

その結果浮かび上がる、デジデリオ・セッティニャーノの生涯。

もちろん、前世がある/ない という点については、様々な意見がある。
著者自身も、前世の有無については結論を設けておらず、
読者一人ひとりの前世観を無視し、一方的に前世がある/ないと押し付けるような内容ではない。

また、例えデジデリオ・セッティニャーノという人物が「いた」という事実が確認できても、
それが著者の「前世である」ことはイコールではない。
本書でも、著者はその点、確認しようがない事実として認識している。

だから本書はとりたててオカルティックなものではない。
むしろ前世というキーワードをきっかけに、
著者の人生に突然現れた「デジデリオ・セッティニャーノ」というルネサンス期の彫刻家について、
失われた生涯を探っていく淡々としたドキュメンタリーである。
その背景、デジデリオが著者の前世であるかどうかは、
前世の有無とあわせて、読者それぞれが考えればよいだろう。

ただ、こうした不思議な物語について、
こうした一冊の本によって追体験できるのは、楽しいものである。
「前世」というキーワードだけで選り好みするのは、ちょっと勿体ないだろう。

とは言うものの、前世はあるのか、ないのか。
僕は、映画等でよくある「正しい人が悪人と誤解されるシチュエーション」が堪らなく苦手なのと、
寝ている時は別として、「自分の記憶がない状況」というのが怖い。
どうも他の人はそんな恐怖感は無いようだし、自身の幼時体験にも思い当たる節はない。
そうすると、前世に何にしろ、僕自身の人生とは違うところに何かあるのかなと思う時はあるが、
まあ、だからと言って何も変わらない。

【目次】
第1章 旅のはじまり
第2章 前世への冒険
第3章 迷宮デジデリオ
 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: ノンフィクション

thread: 読んだ本の紹介 - janre: 本・雑誌

tb: 0   cm: 0

低山へ向かう人にこそ、読んで欲しい。「ドキュメント 滑落遭難」  

ドキュメント 滑落遭難 (ヤマケイ文庫)
羽根田 治



山での「滑落」と言うと、少なくとも2,000m前後の峰、
装備を十分に整えた登山者が行くような山での事故というのが、
多くの方のイメージではないだろうか。

しかし実際のところ、ツアー登山やガイド登山が盛んとなっている現在では、
定年退職して「登山でもやろうか」という方も遭遇する可能性が高い事故だ。

というのも、「滑落」という言葉が持つイメージに騙されがちだが、
滑落するというのは、いわば結果である。
その背景には、道迷いや能力不足(自身の体力や技術の過信)、気の緩みなどが潜んでおり、
そちらこそが重要な原因であり、防御点となる。

だが、上記の通り、一般人になればなるほど、
「滑落」というのは山のベテランが遭遇する事故と思っており、
「自分には起こり得ない」と誤解している。

本書は、近年山岳遭難をテーマとして、様々な事例を収集し、丁寧に再現し、
冷静な視点での分析を加えてくれる筆者によるシリーズの一冊(これまで紹介した本は末尾にて)。

滑落遭難としながらも、読み進めれば、
滑落に至った原因が誰にも起こり得るものだというのが実感される。

また、滑落後の自身・パーティの行動についても言及があり、
高度に関係無く、「登山道を登る」という人なら一度は読んでおくべきだろう。

なお、「埼玉県警山岳救助隊からの報告」の章では、
1,500m程度の山での道迷いからの滑落と言う事例が紹介されている。

報道では、日本アルプスなどでの滑落事故ばかり伝えられるが、
こうした低山での道迷い/滑落という事故は、
おそらく「滑落事故」とは誰も認識せず、また情報が共有されることも無いだろう。

だが、大部分の「山好き」が遭遇するのは、こうしたレベルの事故である。

山岳での事故は、陥ってからでは遅い。
体力・技術が十分でないのなら、知識だけでも増やし、
自身と周囲の人を悲しませないよう心掛けたい。

【目次】
富士山―二〇〇〇年四月
北アルプス・北穂高岳―二〇〇一年九月
大峰山脈・釈迦ヶ岳―二〇〇六年五月
赤城山・黒桧山―二〇〇七年一月
北アルプス・西穂独標―二〇〇七年三月
南アルプス・北岳―二〇〇七年六月
近年の事例―埼玉県警山岳救助隊からの報告

▼レビューはこちらhttp://birdbookreading.blog.fc2.com/blog-entry-540.html


▼レビューはこちらhttp://birdbookreading.blog.fc2.com/blog-entry-534.html

 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: 事件・事故

thread: 読んだ本の紹介 - janre: 本・雑誌

tb: 0   cm: 0

なぜ現生人類だけが生き延びたのか。「ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた」  

ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた
パット シップマン



日本人はどこから来たのか?」(レビューはこちら)でも書いたが、
僕としては現生人類の歴史を知るテーマが3つある。

1 いかにして現生人類に進化したか。
2 なぜ(さまざまな原人・旧人の系譜から)現生人類だけが生き残ったのか。
3 いかにして世界中へ広がったのか。

本書はこのうち、2の「現生人類が生き残った過程」について、
新たな視点、タイトル通り「ヒトとイヌ」がネアンデルタール人を絶滅させたという説を論じるものだ。

ネアンデルタール人といえば、これまでも関連書をいくつか読んできているが、
おおむね、現生人類と一定期間(それが長期間か短期間かによって、現生人類の関与度も変わってくる)、
同所・同時代的に生息していたようだ。

ネアンデルタール人は私たちと交配した」(未読)という本があったり、
人類進化700万年の物語 私たちだけがなぜ生き残れたのか」(レビューはこちら)では現生人類に寄生する2系統のアタマシラミのうち、
一方はネアンデルタール人由来で、2万5000~3万年前のアジアで、ネアンデルタール人からヒトに移ったものとしているように、
一部地域では交雑もあったと思う。

だが一方、歴史的には現生人類のみが生き残っていることから、
ネアンデルタール人が気候変動や種としての限界等により自然絶滅したか、
ヒトによって絶滅に追いやられたのか、という点が問題となってくる。

そこで本書ではまず、各旧石器時代の遺跡を再精査し、
それぞれの特徴、出土遺物、そしてコンタミネーション(試料汚染)を排除した現時点で可能な限りの年代決定を行い、
ネアンデルタール人と現生人類が並行して生息してい期間や、
それぞれの種に特徴的な遺物等を明らかにしていく。

例えば、ネアンデルタール人の最後の生き残りはイベリア半島南部のジブラルタル海峡付近にいた、という話をよく見るが、
著者によると、そもそも当該遺跡の年代決定が誤っている可能性が高いようだ。

そして、信用に値するデータからすれば、
ヒトとネアンデルタール人が同時生息していた期間は、ヨーロッパでは約2600~5400年程度と極めて短期間となり、
何らかのヒトによる影響があったことが伺える。

また一方、ヒトの遺跡では、大量のマンモスの骨が出土すること、
そして競争関係にあった様々な捕食動物のうち、特にオオカミを選択的に狩っていたことも明らかとなる。

大量のマンモスの捕獲の例証として、マンモスの骨による住居遺跡がある。
マンモスの家
国立科学博物館で見たが、いやはや強烈な存在感のある住居であり、
これほどマンモスを狩れる要因が何か、非常に気になったものだ。

そして頂点捕食者としての競争性、他の捕食動物との関係等を丁寧に追ったうえで、
本書後半、旧石器時代のイヌに関する研究(タルマンら)への言及となる。

旧石器時代の遺跡から出土するイヌ科動物と現生のイヌ科動物の比較研究から、
まずタルマンらはイヌ科動物の分岐関係を明らかにする。
そしてその結果、
旧石器時代の遺跡から出土するイヌ科動物の骨に、実はオオカミとオオカミイヌの2種があることを示す。
ここでいうオオカミイヌとはオオカミとイヌとの雑種ではなく、また現生のイヌでもない、全く別の動物だ。
これが現生イヌの祖先かどうかは不明だが(母系遺伝のミトコンドリアDNAでは類縁関係はないが、核DNAでの比較はまだなされていない)、当時、ヒトの遺跡に選択的に見られるイヌ科動物である。
また、このオオカミイヌについては仲間としての埋葬が見られること、
一方オオカミがこのオオカミイヌを敵対視することから、ヒトが駆除していたのではないかという仮説が展開される。

そして、このヒト+オオカミイヌのセットによる狩りの高度化こそが、ネアンデルタール人とヒトの運命を決定づけた、と著者は論じている。

ヒト+オオカミイヌによる狩りの連携として、例えば著者はヒトの目に注目する。
ヒトの目には色のついた虹彩(瞳)と白い強膜(白目)があり、それを露出させる瞼がある。
僕らはそれを当たり前と思っているが、著者によると、
こうした目は現存する霊長類の中でも独特であるという。

確かに、サルをはじめ多くの哺乳類では、白目はあるものの、通常はあまり露出していない。
そしてこの白目の露出は、「どこを見ているか」という視覚コミュニケーションをより効率的にさせ、
組織だった狩りに非常に有用である。

そしてオオカミの瞳も、白目はないものの、
「どこを見ているか」というコミュニケーションを可能にさせるの色彩パターンだ。
こうしたパターンは群で狩りをする動物に多く、
単独で狩りをする動物では逆に、そうした視点がわかりにくい色彩パターンとなるようだ。

この「視点コミュニケーション」こそが、ヒトとオオカミイヌとの連携を可能にさせたのではないか、と著者は考える。

本書の論理展開には、あとがきにも有るとおり、まだ仮説の域を出ない。

だが、
生物進化における眼の重要性(「眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く」 (レビューはこちら)しかり、スノーボール・アース仮説(「スノーボール・アース: 生命大進化をもたらした全地球凍結」(レビューはこちら )しかり、
ブレイクスルーとなる仮説は、多くの場合、様々な分野の課題が腑に落ちるかたちで統合されるものだ。

そして本書は、そうしたブレイクスルー仮説と成り得る素地があると感じた。
人類進化史に興味がある方は、ぜひご一読をお勧めしたい。

なお、本書によって、初めてマンモスが北アメリカ由来の動物だということを認識した。
ついつい旧大陸起源→新大陸侵入しかないと思っていたが、逆もまたあったということを、
よく覚えておきたい。

また、ネアンデルタール人については、その失われた第一発見場所を再発見するというドラマがある。
興味がある方は、「ネアンデルタール人 奇跡の再発見 (朝日選書)」(レビューはこちら)をどうぞ。
 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: 進化論

thread: 読んだ本の紹介 - janre: 本・雑誌

tb: 0   cm: 0

プロフェッショナルの眼を疑似体験。「野生動物カメラマン」  

野生動物カメラマン
岩合 光昭



岩合光昭氏といえば、最近ではにゃんこの写真を良くみる。
だが、ちょっと前にはスノーモンキー、さらに前にはペンギンの写真屋さんという印象があった。





特にスノーモンキー、僕も想像すらしていなかったシーンであり、
世界で最も北限に生息する我らがニホンザルの魅力を、たった一葉の写真で表現したものだ。

そして本書は、こうした野生動物カメラマンとしての岩合氏が、
それぞれの被写体を追う過程での体験、発見を綴ったものだ。
(だから、にゃんこを被写体としてきた体験は含まれていない。)

その発見は、地道に、長い時間を動物に密着するカメラマンならではのもの。
例えばサバンナでは、ハイエナが夜明け前に狩りを行うシーンに遭遇し、
ライオンがそれを横取りする状況を観察する。

夜明け後、観光客が訪れた時にはライオンが餌を喰い、まわりをハイエナが取り囲むという
お馴染みの状況となっており、
「ハイエナがライオンの残し餌を狙っている」という図式となる。
だが、実は狩りが上手いのはハイエナのようだ、と岩合氏は語る。

またペンギンを追っている際には、
親と同じ大きさまで成長したオウサマペンギンの雛が、
親鳥が戻ってくると背を屈めて身を小さくするという。
岩合氏は「おそらくわざとだ」と、親により餌を求めるしぐさと解釈する。
もちろんそれが事実かどうかは更なる検証が必要だとしても、
そうした細かな動きに気づくかどうかというのは、やはり見る「眼」の細やかさだ。

もう一つ、その「眼」が発揮された対象に、同じくオウサマペンギンの脚がある。
岩合氏によると、オウサマペンギンの脚の太さが左右で異なっている個体が多いという。
餌か、傾斜か、育ちか、それはわからない。
イギリスの鳥類学者に尋ねても、「そんなところは見ていない」というようだ。
だが、確かに写真では太さが異なるものもある。
一般的な鳥類に比して、ペンギンの脚の径は太く、また潜水や氷上移動など、
脚を使うシーンは極めて多い。
そこに何か有意な差があるとすれば、そこには何か理由があるはずだ。

いずれにしても、こうした細やかな眼を持った野生動物カメラマンの日常を、
自身の言葉で語ってくれる本と言うのは、日本ではなかなか少ない。
カラー写真も多数満載され、ライオン、アザラシ、クジラ、ペンギン、ニホンザルと、
様々な野生動物をじっくり堪能できる。
また同時に、一歩間違えば命を失う、野生の厳しさも伝える写真の数々。
手頃に本ながら、期待以上の時間を提供してくれる一冊だ。
 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: 動物

thread: 読んだ本の紹介 - janre: 本・雑誌

tb: 0   cm: 2

アマゾンを彷徨い、消えた探検家の軌跡を追う。「ロスト・シティZ~探検史上、最大の謎を追え」  

ロスト・シティZ~探検史上、最大の謎を追え
デイヴィッド・グラン



中学生の頃、もちろんマニアックな文系少年の嗜みとして、雑誌「ムー」を購読していた。
宇宙人やUFO、幽霊や超能力、陰謀論に謎の古代文明。
もちろん荒唐無稽な話だが、そのオカルト的な話の数々は、
現実の史実や地理の上に成立している。
振り返ると、雑誌「ムー」で得た知識ほど、
後のSF、冒険小説や推理小説、様々な映画等々の素養として有用なものは無かった、と思ってしまうほどだ。

念のため書いておくが、もちろん、それらが事実という話ではない。
そうした「伝説がある」「奇譚がある」という知識が、
様々な分野のフィクションを楽しむ基礎知識として有用である、という意味だ。

さて、その中でも、だいたい3年に1度くらいのペースで取り上げられていたのが、
謎の古代文明都市、エル・ドラドである。

アマゾンの奥地に、極めて高度な、そして黄金に溢れた未知の文明が存在し、
その文明を代表する都市こそが、エル・ドラド。
確かダイレクトに「黄金郷」と和訳することが多かったと思う。
その都市は数多の冒険者を引き寄せ、著名な探検家パーシー・フォーセットもまた、
エル・ドラドを求めて密林を分け入り、そして戻ってこなかった。

インディ・ジョーンズのような話だ。
だが、パーシー・フォーセットという優れた探検家が存在し、
彼がエル・ドラドを求め、そして行方不明になった、という部分は、史実である。

本書は、著者デイヴィッド・グランが、「フォーセットはどうなったのか?」という、
いわゆるフォーセット・ミステリーに取り組み、自身アマゾンへ向かう物語である。
「ロスト・シティ Z」とは、すなわち上記の「エル・ドラド」(本書では「エル・ドラード」と表記)のことだ。

二重奏のような構成となっており、著者の旅と、
探検家・フォーセットの人生がほぼ交互に繰り返される。
現代の旅と比較して、なんとフォーセットの時代のアマゾンが過酷だったか。
虫、病気、飢え、泥。
読み進むうちに、まるで自身が密林にいるかのような息苦しさを覚えるほどだ。

また、フォーセットに関する客観的な本はあまり見た事が無い。
だが本書では、フォーセットのタフさ、有能さ、
また一方、部下に対しての苛烈さなど、
リアルな人間としてのフォーセット像が伝わってくる。

本書中ほどには数ページの白黒写真が収録されており、
フォーセットを始め、当時の状況が分かる写真等が掲載されている。

そこから後半、フォーセットが行方不明になり、
著者がアマゾンで、フォーセットが消えただろう現場に立ってからが、
本書の山場となる。
いったいフォーセットに何が起こったのか。
そしてエル・ドラドは、あったのか。

アマゾンという遥かにして過酷な地に刻まれた謎に対して、一つの解答を示した本書。
これが正解かどうかは分からないが、
いずれにしてもフォーセットの足跡と、アマゾン文明史は、もっと注目され、
研究されるべきだろう。

本書は、エベレストに消えた登山家、ジョージ・マロリーを探す旅を綴った、
そして謎は残った―伝説の登山家マロリー発見記 」(レビューはこちら )と同様、偉大な冒険家に関わる謎を追究する物語として、非常に楽しめる一冊。
ぜひ、夏場に読んでいただきたい。

そう、夏と言えば、本書はブラッド・ピットが映画化権を取得。
長らく待っていたのだが、ようやく2016年夏公開と言う2017年公開としてオフィシャル・サイトも公開http://www.lostcityofz.com/。予告編もYOUTUBEに出てきた。(まだまだ一抹の不安はあるが)。 

いよいよ公開されるだろう映画を期待したい。


【目次】
はしがき
1 かならず戻る
2 失踪
3 捜索がはじまる
4 埋蔵された財宝
5 地図上の空白
6 門弟
7 フリーズドライのアイスクリームとアドレナリンソックス
8 いざアマゾンへ
9 秘密文書
10 緑の地獄
11 デッドホースキャンプ
12 神々の手中
13 身代金
14 Zの論証
15 エル・ドラード
16 鍵のかかった箱
17 全世界が狂っている
18 科学的妄念
19 予期せぬ手がかり
20 心配はいらない
21 最後の目撃者
22 デッド・オア・アライブ
23 大佐の遺骨
24 別世界
25 Z
謝辞
解説--石川直樹
 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: ノンフィクション

thread: 読んだ本の紹介 - janre: 本・雑誌

tb: 0   cm: 0

ケンさんは今日も虫を慈しむのである。「虫屋の虫めがね」  

虫屋の虫めがね
田川 研



知識を紹介してくれる本も嬉しいが、
やはりフィールドでの経験を綴った書物も、楽しい。

日常的にフィールドに出られないことの代償行為という面もあるが、
むしろ、自分には無い視点からの気づきや感動を知ることが、楽しみの一つなのだろう。

また、新しい視点を得れば、次にフィールドを訪れた時、自分自身の目も変わる。
そして、今までにない驚きや感動に出会えるかもしれない。
そうした切っ掛けとなる書物として、最も有名なのは、
もちろんソローの「森の生活 ウォールデン」だろう。

こうした、連綿と続くフィールド・エッセイストの系譜に続くのが、著者、田川 研氏である。

と、盛り上げて見たが、
本書は広島県における昆虫好き、いわゆる「虫屋」である著者の経験を綴ったエッセイ。
自身を客観視し、洒脱な文体によって「ケンさんは◯◯するのである」と描写するスタイルは、読んでいてとても楽しい。
それでいて随所に挿入されるイラスト、一部は著者によるものだが、とても丁寧な人柄を感じさせる。

海外に遠征するわけでもなく、
それどころか車がないので、近郊の山でも友人に連れて行ってもらう必要がある。
マニアックな虫よりも、身近な昆虫の消長や、偶然部屋に飛来する虫を期待する。

一編6頁ほどで完結する、ごくごく短いエッセイということもあって、
ダイナミックさとはかけ離れた世界なのだが、これが病みつきになってしまう。
恐らく、読む人によるのだろうが、
ごく当たり前の日常の中で、無理もせず、それでいて最大限に楽しんでいる姿が、
とても羨ましく感じられるのだ。

昆虫採集とか観察といった趣味がない方も、
本書を読むことによって、
「ユーモアをもって、人生を等身大かつ最大限に楽しむこと」の素晴らしさを知ることができるだろう。
そうした意味では、やはり田川 研氏は、優れたフィールド・エッセイストである。

【目次】
ハナムグリとの会話
ウスタビガの繭の穴としわ
キャンプというものは…
冬の河原にて
ツクツクボウシを食うの記
プランター物語
サルトリイバラとかしわ餅とルリタテハ
秋の夜長に腰痛を
ついに羽化したウスタビガの巻
小さな水いろのわすれもの 等々
 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: 昆虫

thread: 読んだ本の紹介 - janre: 本・雑誌

tb: 0   cm: 0

出会いは一期一会。「杏のふむふむ」  

杏のふむふむ




スタートはモデルとのことだが、
最近はTVドラマに出ていることも多いようである(子どもが見ているのを横目で拝見)。

そこかしこで伝え聞くお話では、本好き・歴史好きとのこと。

特に興味があったわけではないが、古本屋でふと本書の文庫版を手に取ったところ、
その文章が読みやすく、それでいて独自の個性があることに惹かれた。
ちょっとニュアンスは違うけれども、明るい軽妙さ、というところ。

読みやすい文章を書く人は多いが、そこに個性を盛り込むのはなかなか難しい(と思う。自戒を込めて)。

また、その題材が芸能界のよしなし事というドーデモ良いことではなく、
一人の本好き・歴史好きの方が、様々な人との「出会い」を大切に語るというものだ。

文は人なりというが、文章・題材共に、とても魅力的な雰囲気が感じられた。

僕が読んだのは単行本、どうも文庫版にはムラカミハルキが解説を寄せているようで、
どってかというとそちらが良い。
だが、本の佇まいとしては、単行本の方が似合っている。

杏氏の個人的な出会いのエピソードだし、
それこそが本書の愉しみなので、詳しくは語らない。

ただ、
・陶芸とマタギの旅
・出会えなかった出会い
には、一期一会という言葉を再度噛みしめさせられるものがあるし、
・穂高成人式
には、手に汗握る思いだった。

また、
・フィレンツェ・ラビリンス
では、イタリアに興味がある者として、さっそく章中で触れられている本を手配したことは、言うまでもない。
(また紹介したいが、興味深い本だった。「前世への冒険 ルネサンスの天才彫刻家を追って (知恵の森文庫) 」(レビューは後日))

モデルという職業は華やかだが、
外国で職業とするには、とてもハードでタフな世界だ。
そこを自ら切り開いた杏氏だからこそ、
様々な経験を、素敵な記憶に昇華できるのだろう。

そこかしこに散りばめられたイラストからも、杏氏の楽しさと明るさが伝わってくる。

単なる「タレント本」として見過ごすのは勿体ない一冊であった。

【目次】
大切な思い出
仕事での出会い
出会いは広がる
おまけ
 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: エッセイ

thread: 読んだ本の紹介 - janre: 本・雑誌

tb: 0   cm: 0

音楽を(殆ど)語らない音楽エッセイ「DOG&DOLL」  

DOG&DOLL (講談社文庫)
森 博嗣



時折り、ミステリ作家である森博嗣氏のエッセイを読みたくなる。

自分の頭で考えていないとか、自分の気持ちに正直に生きていないとか、
自分自身が惰性に陥っているな、と感じた時だ。

で、ブックオフで見かけたので、中身が推理小説ではないことだけを確認して購入。

読んで見ると、珍しく音楽をテーマとしたエッセイだった。
「珍しく」というのは、著者も語っているとおり、あまり森氏と音楽は直結しないし、
そもそも与えられたテーマでエッセイを書くというスタイル自体があまり無い印象だからだ。

さて、その通り本書では、特に音楽に対する薀蓄が語られるわけでもなく、
森氏の細かな音楽趣味が語られるものでもない。
淡々と、音楽を巡るよしなしごとについて、森氏の独白が続いていく。

そういう意味では、森氏のファンとかでない限り、あえて手を出す必要もない。

だが、その中にこっそりと、心を突き刺す考えが潜んでいる。

・「良いな」「面白そうだな」と感じたものに、抵抗なく手を伸ばすことは、本当に大事なことだ、と僕は思っている。
 それに抵抗する意識があったら、その理由は何だろう、と考えた方が良い。
・人間は、生まれた時にはあらゆる可能性を持っているけれど、成長するにつれて、自分を限定するようになる。
 自分の年齢、自分の過去の経験、そういったものから、新しいものに抵抗するようになるのだ。
・このように、興味の範囲を狭めることで、探す労力を削減する。
・自由でいるためには、自分の行動を客観的に見て、「誰が何故、抵抗するのか」を見極めることが必要だ。



惰性に陥るというのは、まさに「興味の範囲を狭めることで、探す労力を削減する」状態だ。

迷うかもしれないし、苦労するかもしれない。
だが、それを恐れて、自分から自由を捨てる生活に陥らないようにしたい。自戒。
 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: エッセイ

thread: 読んだ本の紹介 - janre: 本・雑誌

tb: 0   cm: 0

道端のコケに、話しかけてみたい。「苔の話―小さな植物の知られざる生態」  

苔の話―小さな植物の知られざる生態
秋山 弘之



野鳥に慣れてくると、街中もフィールドとなる。
街路樹くらいしかない舗装路でも、季節によればカラ類が飛来しているし、歩道脇のセイヨウツゲなどには冬にウグイスが入っていることすらある。
見上げればトビ、カラス類も通過するし、場所によればサギ類・カワウなども通過するだろう。
そんな野鳥とともに、どこにでもある生物が、コケだ。

これまでも、「苔とあるく」(レビューはこちら)や「コケの謎―ゲッチョ先生、コケを食う」(レビューはこちら)などを紹介している。

これらの本の中で、コケに興味を持つ人への基本的な一冊として紹介されているのが、本書である。
コケ植物の基本的な分類から始まり、様々なコケが持つ環境への適応力、
そして分布の特異性、日本文学での扱われ方などが紹介される。
さらに巻末には図鑑活用術、代表的な苔20選、苔庭ガイド、参考文献など、
これからコケを見ていこうという人の参考になる情報が掲載されている。
なるほど一冊の新書ながら、これだけで非常に多岐にわたるコケ知識が得られるだろう。

例えば、コケ植物は高等植物と比べて、隔離分布や広域分布する種が多いという。
隔離分布については、本当にそうなっている場合と、そもそも研究者が少ないとか見つけにくいとかの理由で、実際には分布していても発見されていないだけ、ということも有り得る。
ただ、コケ植物は「根」が無く個体そのものが小さいこと、そして胞子はさらに小さく軽いことから、鳥類や風による長距離散布が起こりやすいようだ。

また鳥といえば、コケを巣材に用いる野鳥も多い。
オオルリやカワガラスなんて、巣材がほぼ全てコケである。
こういう渓流の野鳥が巣材に用いるのはまあ納得できるが、
カラ類の産座に、コケ類の特定の一部(名前はよく分からない)が使われているのも見た事がある(よくあることだ)。

しかし、コケ類の「特定の一部」だけを集めるなんて大変な労力だろうから、
相当積極的な意味があると思うのだが、その理由が長らく分からなかった。

それに対して、本書では2点の理由が示唆されている。
まず、そもそもコケ類の特定の一部(本書によると、胞子体や菌糸束とのことだ)は、それほど珍しくないということ。
特定の環境を好むコケならかなり密生するし、これらの部位そのものも何十本も群生するため、逆に集めやすいという。

また、コケは抗菌作用があるという点。確かに湿り気のある場所に多く生えるが、コケ自身にはカビが生えにくい。
カビ防止まで意識しているかはわからないが、結果的に産座の衛生確保には役立っているのだろう。

こうした点等について、本書では小海途銀次郎氏の鳥の巣コレクションを題材として語られている。
小海途氏のコレクションは非常に資料性が高く、より詳しく知りたい方には
日本鳥の巣図鑑―小海途銀次郎コレクション (大阪市立自然史博物館叢書)」をお勧めする。
本ブログ開始前に入手しているためレビューはしていないが、
写真と詳しい解説が満載の、野鳥の巣に関する資料としては一級の本である。
なお、もちろん野鳥・雛・卵を勝手に捕獲・殺傷することは違法行為なので注意されたいが、
フィールドで野鳥の古巣、羽根、卵のかけらを見つけることもあるだろう。
その際に使える図鑑については、こちらの記事に紹介しているので参考にされたい。

さて、この他本書では、焚火跡のみに発生するヒョウタンゴケや、高濃度の銅が含まれる土壌に発生するホンモンジゴケ、窒素分を好むヤワラゼニゴケなど、特定の環境のみに生息するコケなども紹介されており、
「見てみたい」と思わせる話題が満載である。

コケに興味があるが、そもそもコケって何?という方に対して、総括的な知識を提供してくれる一冊。
新書かくあるべしという本である。

【目次】
第1章 コケ学事始め
第2章 おそるべき環境適応能力
第3章 苔はこんなに役に立つ
第4章 苔に親しむ

 このエントリーをはてなブックマークに追加

category: 植物

thread: 読んだ本の紹介 - janre: 本・雑誌

tb: 0   cm: 0

中の人

アクセス

RSSリンクの表示

最新記事

カレンダー

アクセスランキング

月別アーカイブ

ブロとも申請フォーム