ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

「誰から見ても正しい判断基準」が成立し得るのか。「メモリアル病院の5日間 生か死か―ハリケーンで破壊された病院に隠された真実」  

メモリアル病院の5日間 生か死か―ハリケーンで破壊された病院に隠された真実
シェリ・フィンク



仮定してみよう。あなたは医者である。
町全体を襲った洪水により、数人の医者と患者と共に、勤務先の病院で孤立した。
病院は既に停電し、自分では回復できない。
季節は真夏。激烈な暑さが続いている。
連絡手段はメールのみ。公的機関には繋がらず、
唯一応じてくれる病院のマネジメント部門は「自分で何とかしろ」と言うのみだ。
被災後、高度なケアを必要とする患者は、全て死亡した。
それでも不定期に来るヘリにより、他の同僚と患者は、なんとか脱出できた。

残るは自分と、身動きが取れず、昏睡状態の患者のみ。

洪水が引く気配は一切なく、食料や水は無くなりつつある。
病院内は腐臭と排泄物の臭いが充満し、暑さも増すばかりだ。
ラジオでは略奪や暴動が起こっているという。
近くでも銃声や叫び声が聴こえていて、数日以内に襲わる可能性が高いだろう。

そんな中、明日ヘリが来るとの連絡があった。
だが、これが最後の救助であり、動ける者しか連れて行けないと言われる。

自分ならどうするだろう?

2005年8月29日、アメリカ・ニューオリンズを、巨大ハリケーン・カトリーナが襲った。
いくつもの堤防が決壊。元々低地にあったメモリアル病院も被災した。
電源は地下にあり、当然ながら停電。水道も機能しない。
病院には200人以上の患者、600人以上の病院スタッフ、1000人以上の近隣住民が閉じ込められた。
真夏の、停電して水が出ない病院に、膨大な人々。衛生状態は急速に悪化していく。
それでも脱出できる者は、何とか逃げられた。

問題は、患者と医療スタッフだ。
先が見えない絶望的な状況の中にあって、どんな患者から脱出させるべきか。
日本と異なる点として、明確に蘇生禁止の意思表示をしている患者もいる。
病院から脱出させたとしても、その途中で危篤状態に陥るかもしれない。だが、蘇生措置は行えない。
ならば、蘇生禁止患者の優先順位は下がるだろう。
また蘇生禁止を表明していない重症患者も、劣悪な環境下での搬送に耐えられないかもしれない。

メモリアル病院の一部の医師は、重症患者と蘇生禁止患者の救助は後回しにするという判断を行った。
そして脱出の最後のチャンスを迎えつつある時、これらの患者を死ぬままに残し、
苦しみの中で死亡したり、略奪者に殺される可能性を残すよりはと、
大量の薬物による安楽死を選択した。

本書は、ハリケーン・カトリーナの襲来、絶望的な状況、
殺人事件としての逮捕、そして無罪となるまでを、多くの関係者へのインタビューや取材により、
極めて克明に描き出すもの。翻訳されたものでも4cmの厚さだが、これでもカットした部分があるという。

第三者的視点に立てば、単純に殺人事件か否か、と問うことも可能だろう。
だが本書冒頭のような状況に自らが(もしくは身近な人が)陥ったとき、彼/彼女の判断に、
果たして「正解」があるのだろうか。
それどころか、正解を導けるようなヒントすらないのが、現状なのではないだろうか。

本事件でも逮捕後、このような事態で殺人罪が適用されるならば、
災害時に医者として活動できないという意見を表明した医師も多いという。

日本人は「仕事」という言葉に甘えて、「仕事なんだから我慢しろ」というスタンスを他者に強要しがちだ。
たが災害時、医療関係者も等しく被災者である。
それなのに、なぜ医師は被災者ではなく「医師」として行動と責任を求められるのだろうか。
医師にそれを強要するならば、
実は勤務中に被災した職業人は、すべからくその職務を「死ぬまで」続ける責任と義務があるということになってしまう。
医師(または公務員や公共インフラに携わる者)は別だというのであれば、
そうした災害時の判断と責任を「個人」に負わせない仕組みが必要だろう。

冒頭のシチュエーションを思い出していただきたい。
残った患者が、末期ガンだったら。子供だったら。老人だったら。外国人だったら。知人だったら。
蘇生禁止を常に告げていたら。
あなたは、どう判断するだろうか。その責任を問われることに納得できるだろうか。
そうした場合の判断基準があるのだろうか。

また本書での「電源喪失」は、現在日本からみれば、どうしても東日本大震災とだぶってしまう。

メモリアル病院の悲劇は、様々な教訓を残している。
だがそれを活かしているとは、決して言えない。
本書は、多くの人々に読み継がれなければならない一冊である。

【目次】
第1部 死の選択
 1926年、1927年の嵐
 カトリーナ襲来前夜
 カトリーナ襲来とメモリアル病院
 停電と洪水
 電源喪失とトリアージ
 猛暑と命がけの避難
 蘇生禁止患者と安楽死
第2部 審判
 不審死と告発
 逮捕と大陪審
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category: 災害

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華やかな世界を彩る職業人。「オークションこそわが人生」  

オークションこそわが人生
ロバート・ウーリー



子どもがまだ仮面ライダーや戦隊モノにハマっていた頃。
X'masには当然それらのグッズが期待されるのだが、
そうしたグッズが販売されるのは、おおむね夏から秋。
12月には既に転売屋に買い占められ、高価格の出品しかなくなる。
だからX'masを見越して入手しておくのが、数年間の任務であった。

需要と供給が価格を決めるというのは仕方がないが、
こうした「プレミア価格」は、長らく日本では骨董品や切手・コイン等、
限られた趣味の世界だったと思う。

何でもかんでもプレミアがついたり、「プレミアがついて当然だ」と期待(または諦め)するようになったのは、
恐らく「開運!なんでも鑑定団」も一部影響しているだろう。

そして、プレミア価格という需要と供給によって決定される価格を、
リアルタイムで創出する場が、オークションである。

オークションと言えば、すぐ思い浮かぶのがChristie'sクリスティーズとSotheby'sサザビーズ。
美術品競売で著名だが、そのうち本書はサザビーズにおいて、
装飾美術品部門の責任者であり、また1974年には上席副社長にも就任した、
名物競売人ロバート・ウーリーの自伝である。
ロバート・ウーリーは特にロシアの装飾美術品が専門であり、まずはその価値を見抜き、高くオークションでさばくことによって高評価を得た。
本書前半部では、そうした「目利き」として成長してきた過程と、サザビーズでどう働き、
いかなる成果をあげたかが紹介される。
時代は1965年から70年代。サザビーズ自体もまだ現在のような大規模会社ではなく、
西洋絵画がほぼ中心だった時代だ。
だから、つまらない成功譚やビジネス論というより、過去の時代を振り返るスタンスで楽しめる。

そしてサザビーズにおいては、様々な顧客やオークションの話題。
ある個人の遺産全てをオークションにかけるハウス・オークションの段取り・テクニックなど、
全く今後の人生に役に立たないけれども、華やかなオークションの陰にこうした苦労(と楽しみ)があるのか、と興味深い。
登場する様々な大富豪の名前には日本では縁がないが、ちらほら、アンディ・ウォーホルやエルトン・ジョン等の名前もあって、アメリカの成功者たちの生活が垣間見える。

またロバート・ウーリーのオークションは、単なる進行役としてではなく(それでも十分な知識と技術が必要だが)、会場に参加している人々を直接煽り、誘い、促すことでオークションを盛り上げていく。
競売人がこうして関与するオークションはロバート・ウーリーが嚆矢らしく、
本書後半でもそのテクニックを用いて、様々なチャリティ・オークションに競売人として呼ばれている様子が伺える。

そう、本書を読んで最も驚いたことの一つが、オークションの「競売人」が単なる雇われ者ではなく、
彼自身が目利きであること、
そして「オークションという手段で多額の収益を上げるプロ」として、社会的な立場が確立されていることだ。
日本でもチャリティー・オークションは開催されているだろうが、
そこに「プロの競売人」が呼ばれ、積極的に多額の収益(チャリティーとしての収入)を得ようとすることは、まずないだろう。
だが、チャリティ・オークションを開くコストをかけるなら、最大限の収入を上げようとすることは、間違いではない。
日本だとなあなあと済まされるところだが、こうしたアメリカのリアリスティックな考え方は、とても好ましい。

さて、本書はこうした競売人の自伝としても楽しめるが、一方で、ロバート・ウーリーがゲイであり、エイズで死亡しているという事実が、かなり大きなウエイトをもって語られている。
1980年代以降といえば、ゲイに対するバッシングと理解、エイズに対する恐怖と受容など、
アメリカ社会でも激変期と言える時代だ。
その中にあって、サザビーズを代表する競売人であり、様々な階層と接する機会が多かったロバート・ウーリー。
だが彼は、自らがゲイであることを隠さず、常にオープンであった。
本書でも、真剣な恋愛と別れ(一人は相手がエイズにより死別するもの)が描かれているが、
男女間の恋愛と変わるところは全く無い。

あくまで競売人として人生を全うしていくロバート・ウーリーの姿は、
ゲイだとか何とかは関係なく、やはり一人の、とても特殊なビジネス界で成功をおさめた人間の物語として、
誰もが楽しめるだろう。

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category: ノンフィクション

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石は、意思だ。「石ひとすじ―歴史の石を動かす」  

石ひとすじ―歴史の石を動かす
左野 勝司



2007年に実施された、高松塚古墳の解体修理は記憶に新しい。
石そのものではなく、表面に塗られた漆喰に絵が描かれた巨石を、
一切破損させずに運び出す。
しかもそれは国宝であり、一挙一動が注目されている。

これほどのプレッシャーの中、見事に成し遂げたのが本書著者が率いる飛鳥建設と、クレーンメーカーのタダノである。
なぜ著者が、高松塚古墳の解体工事に携わるようになったのか。

高松塚解体時には、既に伝統的石造物の保存・修理なら左野氏しかしないという評価を得ていたが、
そこに至るまでの人生、まさに駆け出しの時代から全ての記録が、ここに綴られている。

石屋として実直であるだけではない。
唐招提寺の故森本恭順長老との出会い。
左野氏は単なる石屋ではなく、森本長老の息子のように、森本氏の日常に寄り添うようになっていく。
本書の前半部はその日常が綴られているのだが、天衣無縫というか豪放磊落というか、
何とも複雑な優しさと厳しさと同居している森本氏の元で、
左野氏は石屋としても人としても修行しているかのようだ。

そしてその出会いの中で、伝統的石造物に積極的に携わっていたことから、
石のスペシャリストとして石舞台古墳の復元実験への参加に繋がる。

そしてその経験が、タダノが手がけたモアイ復元プロジェクトに活かされていく。
モアイ復元プロジェクトについては、南三陸町の復興のシンボルであるモアイに関する物語「モアイの絆」(レビューはこちら)でも詳しいが、本書はそれを左野氏の目線で語ったもの。
それそれの考え方は異なれども、モアイ復元プロジェクトが物心両面で偉大なプロジェクトであったことを実感する。

そして、モアイ復元プロジェクトを通してタダノと付き合っていたことで、
高松塚古墳の解体工事が成し遂げられたのだ。

考えてみれば、あれほどセクショナリズムによって劣化してしまった高松塚古墳である。
復元工事もセクショナリズムのために、船頭多くして船山に上るではないが、
遅々として進まなかった可能性も十分ある。

だが実際は、左野氏とタダノという、伝統石造物の修復・復原については誰もが疑いようのない実績がある両者がいたことによって、作業は極めてスムーズに(というか、自己犠牲の上に)進んだ。
日本の文化財保護において、このタイミングで両者が在ったことは、極めて僥倖であったと言える。

その後も両社はアンコールワット遺跡の修復なども手掛けるが、
気がかりなのは「あとがき」である。

左野氏は語る。
私はいま、修理ができました、石室を元に戻してくださいと言われたときが一番怖い。
(略)
なぜかというと、私は解体の二年半のプレッシャーを乗り越えた。解体している四か月ではない。私にとって大きいのは解体前の、二年半のプレッシャーだった。あわせて約三年という時間のプレッシャーを、また乗り越えられるか、私には自信がないからだ。

左野氏は、1943年生まれ。2017年現在で74歳だ。

高松塚古墳の復元(いつになるかは不明だが)だけでなく、
今後も、日本の伝統的石造物は常に修復・保存を要する。

左野氏に続く人が育つのか。日本の文化財保護行政の大きな課題だろう。


【目次】
1 石との出会い
2 唐招提寺と生涯の師
3 忍性の墓・行基の墓と竹林寺
4 石舞台古墳の復元
5 世界と飛鳥の石造物
6 モアイ像の復元
7 アンコール遺跡・西トップ寺院の復元
8 高松塚古墳の解体をめぐって


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category: 技術

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ワイルドな世界のハードな職業。「バウンティハンター(賞金稼ぎ)―日本人ただひとり、殺しのライセンスを持つ男」  

バウンティハンター(賞金稼ぎ)―日本人ただひとり、殺しのライセンスを持つ男
荒木 秀一




現代日本は、基本的には安全な社会だ。

ただし、本来、社会の安全を維持するという仕事は、その社会を構築する一人一人の義務であり、
そして、そのための「力」を持つのも、一人一人の権利として在るのだろう。
それを、どこまで行政(司法)に委ね、どこまで自身で担うのかという折り合いをつけるのが、
国と国民の関係の基礎と考える。

その点で日本は、やや社会システムの構築・維持を行政(及び司法)に丸投げしすぎている感が在る。
そのほぼ対極に位置するのがアメリカだ。

本書の著者は、アメリカにおける「バウンティ・ハンター」。
賞金稼ぎと訳されることもあるが、そのような無法者的な立ち位置ではない。

アメリカでは逮捕・勾留された際、逃亡や証拠隠滅の恐れがなければ、
その罪に応じた保釈金を支払えば、裁判までの期間、身柄の拘束が解かれる場合がある。
(その保釈金は、裁判で判決が出れば返還される。)

判決が出るまでは「被疑者」に過ぎないこと、
勾留の目的が捜査と証拠隠滅・逃亡の防止であることを考えれば、
その恐れが無い以上、相当額の保釈金を「身代わり」として勾留を解くというシステムは理解できる。

だが、誰もが法を犯す可能性がある一方(自動車等による過失傷害もそうだ)、
誰でも保釈金を支払える訳ではない。
そこで、保釈金(ベイルボンド)を貸すというビジネスが発生する(ベイルボンズ)。

ところが、もちろん裁判に出れば有罪・刑務所行きが見えている犯罪者が、
保釈金で自由になった後、ノコノコと戻る筈もない。高飛びである。

このまま逃げられれば、ベイルボンズは多額の損失が発生する。
一方司法としても、被疑者逃亡と言う事態に陥る。

そこで逃亡者を発見・連れ戻すのが、バウンティハンターだ。

州の集合体であるアメリカでは、警察ではなかなか他州の管轄に手を出せない。
しかしバウンティハンターは特定の州の職員ではなく、民間の有資格者だ。
そしてアメリカにおいては、市民こそが本来の権利・義務の担い手であることから、
バウンティハンターは警察やFBIよりも大きな権限を持っている。
捜査令状などなくても、どこでも踏み込むことが可能であり、
いかなる武器の使用も可能。
そして警察の鑑識等のネットワークの利用や、応援要請も可能である。

著者は、執筆時点において、日本人でただ一人のバウンティハンター。
本書はバウンティハンターとなった契機、駆け出し時代、
そして特筆すべきいくつかの事件で構成されている。

日本と全く異なる司法システム、しかもその中で或る意味「法を超える」立場であるバウンティハンターという職業について、その当時者の視点から語られる本は、恐らく今後も無いだろう。

また、こうした職業を選択したとおり、著者もかなり個性的な魅力に富んでいる。
安っぽいが、「ハードボイルド」という言葉が似つかわしい。
自身の力を信じ、麻薬を憎み、自制心で獲物を追い詰めていく姿は、一つの小説のようですらある。

ただ著者自身がそれに酔っているという感はなく、素のまま、在りのままの生き様だろう。
日本人には少ないタイプのため、もしかすると「カッコつけてる」と誤解されるかもしれないが、
こうした人も、現実に存在する。
(外国人部隊に入っている日本人もいるし。)

読みやすく、またアメリカの日常を知るうえで、非常に興味深い一冊。
もし興味があれば、読んで損は無いだろう。


【目次】
1 ガバメント・キラー
2 スキップトレーサー
3 アルカイダ
4 ブラジャーをつけた賞金稼ぎ
5 ドラッグディーラー
6 パイナップル
7 被弾
8 失踪人
9 クルマ窃盗団
10 レイプ犯
11 ロシアン・マフィア
12 ハンター狩り
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category: ノンフィクション

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知らないことの、恐ろしさ。「私を通りすぎたスパイたち」  

私を通りすぎたスパイたち
佐々 淳行



佐々氏といえば、あさま山荘事件を思い出す。
日本の警備警察の先駆けであり、またスペシャリストである。
既に起こった犯罪を捜査し、犯人を摘発するという一般的な警察とは異なり、
警備警察は犯罪を「未然に防ぐ」という違いがある。
その延長上には、国家を諸外国からの敵対行為―戦争ではなく、平時におけるもの―を防止する外事警察が在る。

「外事」という言葉には余り馴染みが無い。
おそらく、外国の諜報機関による諜報活動や、テロを防止するための活動目的からすれば、
やはり最も端的に言えば「スパイ防止」である。

本書は佐々氏の様々な職歴の中から、特にスパイ防止活動に携わった部分を抽出したもの。

第一章「父弘雄とスパイゾルゲはいかに関係したか」において、
父はスパイではなかったとしても、ごく身近な位置にスパイがいた、という特殊な少年時代の回想から、
本書は始まる。

そして、一流のスパイ・キャッチャーになるために、秘密裏にアメリカへ留学。

また大阪府警察外事課長としては、北朝鮮から密入国してきた工作員の暗号無線を傍受し、
その所在を解明していく。

さらに初代内閣安全保障室長としての活動。
その限界、共産圏からのスパイ工作の手口など、通常知り得ない「舞台裏」が満載である。

特に大阪府警察外事課時代の話では、
いかに多数の北朝鮮工作員が日本に侵入していたかいう事実が明らかにされるが、
その状態には驚かされるばかりだ。
当時、スパイ活動に対する明確に刑罰は無く、方針としては「泳がせる」というものだった。
だが、もしこの時点で北朝鮮工作員の現状が世間に認知されていれば、
世論もシビアな対策を是としていたのではないか。

そうすれば、現在の、砂上の楼閣のような日本の「安全神話」もなく、
諸外国並みの対策が取られていたのではいか。

本書で佐々氏も主張しているが、以降の拉致問題も違った展開を見せていたかもしれない。

この他、ラストボロフ事件など、なかなか通常では知らないままに終わる、
しかし日本の外国史においては重要な事件について、
本書では佐々氏という第一線にいた人物の証言が読めるのも、本書の良い点だ。

そして何より、最終章の「私を通りすぎた「スパイ本」たち」である。

ここでは佐々氏が薦めるに足ると考えた「スパイ本」が多数紹介されているが、
日本・世界におけるスパイ史や現状、
また様々な事件の実際を知るうえで、どのような本が在り、
どれを読むべきかが詳しく紹介されている。
こうした切り口によるブックガイドは非常に珍しく、興味がある人にとっては宝の山だろう。

【目次】
はじめに 私とスパイたちとの関わりを書く
第1章 父弘雄とスパイゾルゲはいかに関係したか
第2章 スパイ・キャッチャーだった私
第3章 日本の外事警察を創る
第4章 彼は二重スパイだったのか?
第5章 ハニー・トラップの実際
第6章 私を通りすぎた「スパイ本」たち
おわりに 一九六三年の危惧
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category: ノンフィクション

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