ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

いかに遺体保存技術が発展し、ビジネスとなったのか。「レーニンをミイラにした男 (文春文庫)」  

レーニンをミイラにした男 (文春文庫)
イリヤ ズバルスキー,サミュエル ハッチンソン



ミイラと言えば古代エジプトである。
また、近代のヨーロッパ圏でも遺体をミイラ化する文化もあるが(ロザリア・ロンバルドの例など)、
それも宗教的理由によるものである。

そこには精神と肉体、生と死の関係を如何に捉えるかという問題が常に潜んでいる。

だが、宗教的理由によらず、一国の指導者の遺体を保存するというのは、何なのだろう?
いかなる説明があろうとも、それは一個人を偶像化しようとする意図があるように思える。
一個人を神格化することの危うさを歴史に学んできた感覚からすれば、なんとも違和感を禁じ得ない。

それが、名目上全ての人民の平等化を目的としている社会主義国であればなおさらだ。

だが近現代において、最も有名であり、多くの人に見られている保存遺体といえば、
レーニンである。
1870年生まれ、1924年没。
史上初の社会主義国家であるソビエト連邦の指導者だが、
晩年、スターリンが台頭する一方、レーニンの健康状態は悪化する一方だった。
そしてレーニンが死亡する直前に、スターリンは一つの決定をする。
レーニンの遺体を保存しろ、と。
自身の正当性を強化するため、 レーニン崇拝を利用しようとしたのだ。

だが、それまでの保存遺体はミイラのように外見が著しく変化するもの。
アメリカでも冷凍保存するのが最適との見解であり、
ソ連の政権内でも冷凍保存派と化学的保存派が対立する。
とりあえず冷凍しているものの、刻一刻と遺体の状況が悪化する中、
生化学者ボリス・ズバルスキーは、「バルサム液」と呼ばれる遺体保存液を開発していた解剖学者ヴォロビヨフを口説き、自身こそがレーニンの遺体を完全保存成し得るのだ、と名乗りを上げる。

その結果が、現在我々の時代にまで遺っているレーニンだ。

著者であるイリヤ・ズバルスキーは、このレーニン保存の主役であるボリス・ズバルスキーの息子。
また自身もレーニン廟付属研究所に属し、レーニン遺体のメンテナンスにあたる。
すなわち、レーニンの遺体保存作業の最も近くにいた人物の一人であり、これ以上の証言者は無いだろう。

その著者から語られるレーニンの死前後の混乱、そこで巻き起こった遺体保存を巡る駆け引き、
そしてレーニン廟の完成へ至るまでの流れは、
いかにソ連においてレーニンの遺体保存が国家プロジェクトであったかを実感させる。

だが同時に、著者は社会主義国の実態も克明に描く。
貧困。密告。粛清。
国家プロジェクトを成功させたボリス・ズバルスキー、そして著者自身も、
容赦のない粛清に遭う。
科学者としてどころか、一人の人間としての極限の生活。
多くの人々が苦しむ一方、一個人のレーニンの遺体は、相当の人員と費用を費やしながら、
そこに在り続ける。

一体社会主義とは何なのかと考えざるを得ない。

第二次世界大戦、そして冷戦。

鉄のカーテンに閉ざされたソ連では、ルイセンコの学説(遺伝学を否定し、後天的に獲得した性質が遺伝されるするもの。近年話題のエピジェネティクスとは全く異なるインチキ学説)が跋扈し、
正当な科学は否定される。
一方、本書で示されているエピソードに、日本の科学者に論文の抜刷を送ろうと思ったら、
「その日本人の生活、職歴、ソ連に対する認識を詳細に示した報告書を提出しろ」と保健省の役人に言われたように、
西側諸国との交流も途絶えてしまう。

そんな中発展し続けたのが、レーニンの遺体保存に始まった「遺体保存技術」だ。

この技術により、スターリン、ブルガリア首相ゲオルギー・ディミトロフ、モンゴルの独裁者チョイバルサン、ベトナム指導者ホーチミン、そして朝鮮民主主義人民共和国の金日成などの遺体に対し、保存処理が行われた。

著者も時代に翻弄されながら復職し、ディミトロフとチョイバルサンの保存処理には携わったという。

だがこれらの指導者の遺体の多くは、その後社会情勢の変化と共に埋葬された。
今、遺体保存技術は、エンバーミング(遺体の損傷修復と防腐処理)会社として活用され、
ロシアのニューリッチ―実態は抗争によって死亡したロシア・マフィア―に利用されているという。

そして既にソ連は崩壊したが、レーニンの遺体だけは、変わらず今もロシアに在る。

著者は、レーニンの遺体は埋葬すべきだと主張しているが、
そう主張するだけでも裏切り者呼ばわりされることがあるという。

正なのか負なのかは分からないが、レーニンの遺体はロシアにとって、
極めて重い遺産だ。

ベルリンの壁は崩壊したが、レーニンの遺体が改葬される日は、果たして来るのだろうか。
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石は、意思だ。「石ひとすじ―歴史の石を動かす」  

石ひとすじ―歴史の石を動かす
左野 勝司



2007年に実施された、高松塚古墳の解体修理は記憶に新しい。
石そのものではなく、表面に塗られた漆喰に絵が描かれた巨石を、
一切破損させずに運び出す。
しかもそれは国宝であり、一挙一動が注目されている。

これほどのプレッシャーの中、見事に成し遂げたのが本書著者が率いる飛鳥建設と、クレーンメーカーのタダノである。
なぜ著者が、高松塚古墳の解体工事に携わるようになったのか。

高松塚解体時には、既に伝統的石造物の保存・修理なら左野氏しかしないという評価を得ていたが、
そこに至るまでの人生、まさに駆け出しの時代から全ての記録が、ここに綴られている。

石屋として実直であるだけではない。
唐招提寺の故森本恭順長老との出会い。
左野氏は単なる石屋ではなく、森本長老の息子のように、森本氏の日常に寄り添うようになっていく。
本書の前半部はその日常が綴られているのだが、天衣無縫というか豪放磊落というか、
何とも複雑な優しさと厳しさと同居している森本氏の元で、
左野氏は石屋としても人としても修行しているかのようだ。

そしてその出会いの中で、伝統的石造物に積極的に携わっていたことから、
石のスペシャリストとして石舞台古墳の復元実験への参加に繋がる。

そしてその経験が、タダノが手がけたモアイ復元プロジェクトに活かされていく。
モアイ復元プロジェクトについては、南三陸町の復興のシンボルであるモアイに関する物語「モアイの絆」(レビューはこちら)でも詳しいが、本書はそれを左野氏の目線で語ったもの。
それそれの考え方は異なれども、モアイ復元プロジェクトが物心両面で偉大なプロジェクトであったことを実感する。

そして、モアイ復元プロジェクトを通してタダノと付き合っていたことで、
高松塚古墳の解体工事が成し遂げられたのだ。

考えてみれば、あれほどセクショナリズムによって劣化してしまった高松塚古墳である。
復元工事もセクショナリズムのために、船頭多くして船山に上るではないが、
遅々として進まなかった可能性も十分ある。

だが実際は、左野氏とタダノという、伝統石造物の修復・復原については誰もが疑いようのない実績がある両者がいたことによって、作業は極めてスムーズに(というか、自己犠牲の上に)進んだ。
日本の文化財保護において、このタイミングで両者が在ったことは、極めて僥倖であったと言える。

その後も両社はアンコールワット遺跡の修復なども手掛けるが、
気がかりなのは「あとがき」である。

左野氏は語る。
私はいま、修理ができました、石室を元に戻してくださいと言われたときが一番怖い。
(略)
なぜかというと、私は解体の二年半のプレッシャーを乗り越えた。解体している四か月ではない。私にとって大きいのは解体前の、二年半のプレッシャーだった。あわせて約三年という時間のプレッシャーを、また乗り越えられるか、私には自信がないからだ。

左野氏は、1943年生まれ。2017年現在で74歳だ。

高松塚古墳の復元(いつになるかは不明だが)だけでなく、
今後も、日本の伝統的石造物は常に修復・保存を要する。

左野氏に続く人が育つのか。日本の文化財保護行政の大きな課題だろう。


【目次】
1 石との出会い
2 唐招提寺と生涯の師
3 忍性の墓・行基の墓と竹林寺
4 石舞台古墳の復元
5 世界と飛鳥の石造物
6 モアイ像の復元
7 アンコール遺跡・西トップ寺院の復元
8 高松塚古墳の解体をめぐって


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category: 技術

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今年の山へは、スキルを持って。「山岳遭難は自分ごと 「まさか」のためのセルフレスキュー講座 (ヤマケイ新書)」  

山岳遭難は自分ごと 「まさか」のためのセルフレスキュー講座 (ヤマケイ新書)
北島 英明



山岳遭難や救助の事例集が多々刊行されているとおり、
楽しみの山を悲しみの山にしないよう、様々な方が啓発に努めている。

それを読むだけでも役に立つだろうと思うのは、
遭難は誰にでも起こり得ることであるだけでなく、
一度起これば、人生で最後の試練と成り得る可能性があるためだ。

例えば香川県では、1,000mを超える山は竜王山と大川山の2座しかない。
それでも残念ながら本書を読み終えて幾日も経たない2017年3月23日、
香川県内の五剣山(標高375m、ただし崩落の危険があるため山頂までは行けない)で、
滑落による死亡事故が発生した。

また、標高が低くとも、道迷いはいつでも起こり得るし、
一人で散策中に足首を捻挫することも有り得るだろう。

そうしたトラブルに、どこまで落ち着いて対処できるかが、
「遭難」になるか否かの分岐点だろう。

そして、トラブルへの対処能力は、様々なトラブルに対する知識と経験が左右する。

本書は、そうしたトラブルに対する知識、セルフレスキューに関するテクニックを、
東京都山岳連盟遭難救助隊隊長・日本山岳協会遭対常任委員会委員・日本レスキュー協議会委員という肩書を持つ著者が丁寧に誌上でレクチャーしてくれるものだ。

どのような装備が必要かといった基礎知識から、
助けを求める際の優先事項や伝達事項、
負傷者の搬送方法、補助ロープの使い方、
熱中症・低体温症に対する山中での対処法など、
多くの図と共に解説がなされている。

そしてそこで語られるのが、「一度やってみておけば良いだろう」という点。
本書によって知識は得られるとしても、
それがスキルになるまでには、やはり経験が必要だ。
それには実践あるべきだが、その本番が遭難時ともなれば、やはり事前に試し、
自分にできるスキルを高めると共に、何ができないかも見極めておく必要があるだろう。
それによって、正しい状況判断が可能になる。

本書では、実際の遭難事例が随所に挿入されており、
セルフレスキューを身につけていなかったことによる悲劇が痛感される。

上記のとおり、日本一小さく、山も低山が多い香川県でも、死亡事故は起こる。
それを踏まえ、ぜひ多くの方が本書を手に取ることを願う。

【目次】
第1章 山行計画
第2章 搬送法
第3章 補助ロープの使い方
第4章 救急法
第5章 ビバーク
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category: 技術

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猟師というスキルの素晴らしさと、日本の限界。「ぼくは猟師になった」  

ぼくは猟師になった (新潮文庫)



野鳥観察や野鳥保護に関わっていると、狩猟には断固反対と思われることがある。
人それぞれだろうが、僕は狩猟には狩猟の価値があるし、
その技術や伝統も尊重されるべきと思っている。
ただ、それは当然ながら現行法の範囲であり、伝統があるからといって法を逸脱して良い筈はなく、
また現行法の制限範囲を拡大するのであれば、それなりの根拠が必要だろう。

なお平等を期するために書いておくが、
昨今では野鳥観察愛好者・撮影者もマナーを守らない―というか、
道交法を守らなかったり、不法侵入や器物損壊を平気で行う輩も出だしている。
ハンターも観察・撮影も、当然ながら法を守って活動すべきだ。

では、法を守って狩猟を行うとき、その実態はどのようなものなのか。
アジア圏では率先して野鳥保護が進んだ(実効性は別だが)日本では、
マタギなどの伝統猟はともかくとして、
日常的な趣味としての狩猟は、長らく日蔭にあった感があり、情報もなかった。

そこに現れたのが、おそらく本書と、「山賊ダイアリー (イブニングKC) 」である。

本書では特に、ワナ猟をする際の技術や、捕獲した獲物の処理方法(トドメから精肉まで)がつぶさに記載されている。
また、解体に必要な場所や保存方法など、
著者自身がそうした情報が得にくかったという経験からだろうか、
次に目指す人にとっては、かなり有用な技術手引きとなるだろう。

また、スズメやカモ類といった、野鳥観察愛好家からすると眼を剥くような獲物もあるが、
それも現行法で認められた範疇の話である。
これについても、単純に毛嫌いして否定する(単純に言えば「かわいそう」とか「残酷だ」という感情論)のではなく、
各種について、狩猟を制限して保護する必要があると認められた場合にのみ、
堂々と反論するべきだろう(と、ぼくは考えている)。

ということで、本書は真っ当・真面目なハンターの物語であり、
動物保護を志す人でも、読んで損は無い。
むしろ、その動物の生態を見る眼の確かさや真摯さは、
珍鳥ばかりを追い求める鳥屋が範とすべきほどである。

だが一方、本書でも様々な課題が提示されている。
例えばシカの増加だ。
現在も沈静化する様子はないほど増加しているシカだが、その対策としてハンターの育成が行政により推進されている。
しかしながら、本書では食材としての価値はイノシシの方が上であり、また販売する場合もイノシシの方が高いことが指摘されている。
ハンターが増えても、シカを積極的に狙うことはないという事実がある。

似たような話で、僕も「ハンターが減ったからカラスが増えた、ヒヨドリが増えた」と言われることがたまに有るが、
ハンターも野鳥で獲るならまずカモ類だろう。

すなわち著者も指摘しているが、「ハンターを増やすこと」と、「有害鳥獣の駆除が進むこと」は直結しない。

「有害鳥獣駆除の実働部隊になる」という目論見があるのかもしれないが、
果たして趣味のハンターに対して、そこまで期待したり、背負わせて良いものか。

そしてもう一点気になるのは、ハンターの質である。
本書において、カモ猟の手伝いを始めた頃の著者自身が、
夕暮れの中、「双眼鏡を覗くと、薄ぼんやりとなんとかカモのシルエットが確認できますが、僕にはカル(マガモ)とアオクビ(マガモ)の区別などまだまったくつきません。」と記している。

シルエットというハンデがあること、
マガモもカルガモも狩猟鳥獣だから結果オーライかもしれないが、
やはり鳥屋からすると、「種類の識別もできないのに、なぜ狩猟免許がおりるのか」という疑問に至る。
これはハンターの問題というより、法制度の運用の問題である。

例えば香川県の狩猟鳥獣のうち、カモ類は11種。
ヨシガモ、ヒドリガモ、マガモ、カルガモ、ハシビロガモ、オナガガモ、コガモ、ホシハジロ、キンクロハジロ、スズガモ、クロガモ
一方、香川県で一度でも記録があるカモ類は、29種。
個体数が少ないとはいえ、例えばトモエガモやオカヨシガモは上記の群に混じっていても不思議ではない。
特に雌だと、条件によっては識別が難しい。
また、アメリカコガモ・アメリカヒドリなんて、もうサイズも雰囲気もコガモ・ヒドリガモだ。

イノシシやシカといった哺乳類とは違い、野鳥はかなり識別が難しい筈なのだが、
この識別能力が未熟なまま狩猟免許が出れば、錯誤捕獲は避けられない。
もちろん経験によって識別できるようになるだろうが、
そもそも「識別できるから」狩猟免許が出るのではないのかというのが、
一人の鳥屋から見た素朴な疑問である。

現在の「ハンター育成推進」という旗振りは、実のところ、
有害鳥獣の駆除には協力せず、
無法にワナ猟を実施し、錯誤捕獲しまくるような質の悪いハンターを濫造するだけではないかと、
危惧するものである。

ただし改めて書いておくが、本書著者が質の悪いハンターだと言っているのではない。
本書も「山賊ダイアリー (イブニングKC) 」の著者も、
初心者がまず目指す手本となる、善きハンターである。

【目次】
第1章 ぼくはこうして猟師になった
第2章 猟期の日々
第3章 休猟期の日々



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自分で考えることが、全ての出発点だ。「卵が飛ぶまで考える―物理学者が教える発想と思考の極意」  

卵が飛ぶまで考える―物理学者が教える発想と思考の極意
下村 裕



客観的に考える、ということは極めて難しい。
考える主体が個々人である以上、考える個人自身の知識・経験・思考体系の枠組みを超えた思考と言うのは、原理的に在りえないだろう。

すなわち、「客観的思考」は不可能な行為だが、それでも多くの人はそれを自身に課し、また他人にも求める。
それはおそらく、それぞれの人の主観的思考をすり合わせながら、その中に共通理解を見出すことが、群れ行動の本質なのだろう。
そして、そうして勝ち得た共通理解を、「言語」と「文字」により抽象化し、時間を空間を超越させる手段を得たことが、ヒトのヒトたる所以ではないだろうか。

そう考えれば、「客観的思考」とはヒトの生得的な性質ではなく、学習により獲得していく能力であることが明確となる。

一方僕らは日々、自身の主観以外の情報の暴風に曝されている。
昔であれば、それは一定の学識や常識といったフィルターにかけられた情報であり、概ね「客観的思考」と同一のものだった。

しかし現在、蔓延する情報は何のフィルターも経ていない、「誰かの主観的思考」が大多数である。
(本ブログも、その一つだ。)

よって、過去のいかなる時代よりも、それぞれの人が客観的思考能力を学習することが重要なのだが、
残念ながらその事実に気づいていない人も多い。

昔の牧歌的時代と変わらず、メディアから流れる情報は「客観的事実」と考えて疑わない世代が、相変わらずTVや週刊誌の情報を追い、それを話題にする。

その次の世代になると、さらに問題が増加する。
自然とモデルとしてみる親は、情報を鵜呑みにしても安全と考えている。
一方、全く新しい媒体・量の情報が自身を取り巻く。

子供たちに「客観的思考能力は、個々人がそれぞれ磨かなければ身につかない」という事実を明確に教えなければ、
インターネットをはじめとした大量の情報に対して、親世代と同様の牧歌的感覚のまま、
全てを「客観的情報」と勘違いして安易に受け入れてしまうだろう。

昨今の疑似科学や似非歴史(僕は「江戸しぐさ」を想定している)は、客観的思考能力の習得不足が大きな原因の一つだろうと考える。

ただ翻って、でばどこまで努力すれば「客観思考」と言えるのか、という問題もある。
クレーマー的行動を行う人ですら、「自分は客観的に考えている」と主張する。
僕自身、自分の思考が、誰かの客観的思考に資するだろうと思っているからブログも書いているのだが、これすら誤解である可能性も高い。

個々人の主観的思考が、客観的思考に成るための批判に耐えうるか否か。
それを担保する手段こそが、人類が築き上げた科学的思考という技術だろう。

本書は、物理学者による科学的発想法・思考法のガイダンス。
大学等において、「科学的思考とはいかなるものか」を伝え、身につけるためための講義をベースとしたものだ。

第一章では、科学と疑似科学の違いについて説明する。
数十年前ならこんな項目は無かっただろう。
様々な事例を上げ乍ら、それぞれの疑似科学のいかなる点が、客観的批判に耐えられないか
(または、うまく誤魔化しているか)を説明する。
ここはまず、誤りに陥らないための予備段階だ。
副題は、「批判的に考える」だ。


続く第二章、副題は「問題を発見する 」では、現実から「問題」を見出すテクニックが説明される。
正しく問題把握ができなければ、もちろん答えは正しくならない。

そして第三章「問題を解決す」で、科学的思考のテクニックが説明される。
確実に応えに近づくための方法という意味で、
科学的事項の解決に限らず、現実世界の諸問題に対する問題解決方法といっても良いかもしれない。

第四章では、これまでの思考方法を踏まえたうえで、
「生きるために考える」ことの重要性が説かれる。

物理学的理論が展開されるわけではなく(事例として幾つかは掲載されているが)、
読む人を問わない。
むしろ、少しでも早く読んでおけば、以降の人生の視野が明るくなるだろう。
日本の将来を思えば、高校1年時の副読書として推薦すべきと考える。

【目次】
序 章 科学的に考える

思考に「王道」なし
福澤諭吉の「実学」のすすめ
科学的思考で「勘」を養う

第1章 批判的に考える
 科学と疑似科学の違い
 予言、占い、超能力、UFO
 「疑う人がいるとスプーンは曲がりません」
 「頭が固い」疑似科学
 「科学で説明できない現象です」
 科学者が妖精の存在を否定しない理由
 「空中浮遊」が科学になるとき
 疑似科学が人間の心理を説き明かす?
 疑似科学の大きすぎる危険
 姓名判断を科学的に検証する
 超常現象を再現する
 どうすればだまされないか
 Be skeptical―――批判的であれ
 ヘッドスライディングは本当に速いのか――常識を疑う

第2章 問題を発見する
 日常生活は問題発見の連続
 答えより問題を探すほうが難しい
 「異常」を見つける
 なぜニュートンだけが万有引力に気づいたのか
 「知っているものしか見えない」
 素朴な疑問を突き詰める
 知っていることから類推する
 幻の「下村の卵形曲線」
 煙の輪はなぜ変型するか
 類推から生まれた大発見
 アメンボはなぜ進むのか
 情報を鵜呑みにしない
 わからないことをわからないままにしておく
 大きな疑問を小さな疑問に分解
 情報を遮断する時間
 素朴な疑問を持ち続ける
 身近な問題の見つけ方
 自分で考えられる学び方
 理科の授業の実験はなぜつまらないのか
 「もっと知りたい」心が原動力

第3章 問題を解決する
 問題の発見から仮説を立てる
 仮説は夢を描くように
 日本刀のスイートスポット仮説
 丸太の体積を知るには
 類推して仮説を立てる
 単純な仮説が美しい
 最初は簡単な仮説から
 仮説が正しいか検証する
 傘がないとき、走ったほうが濡れないか――計算で検証する
 仮説が間違っているかもしれないとき
 極限の場合を考える
 仮説を発想転換する
 大胆な仮説を立てる勇気
 あきらめず考えた人だけが答えを見つけられる
 斬新な説ほど理解されない
 アインシュタインの大胆すぎる飛躍
 考えるために忘れる――創造のための破壊
 人の意見から学ぶ
 結果を表現して伝える
 文章を推敲する
 オリジナルに書く
 よい論文を書かせる力
 真剣勝負のプレゼンテーション
 簡単な言葉で表現する
 一直線には進まない
 模倣を超える一歩
 「1時間で答える」問題と「1カ月考える」問題

第4章 生きるために考える
 「学問は何の役に立つ?」
 実証科学のプロセスを身につける
 自分の頭で考える体験
 本質をつかみ出すための訓練
 「下手の横好き」から「好きこそ物の上手なれ」へ
 「孔子の教え」を疑ってみた
 焦って結果を求めない
 くだらない質問はない
 道具より頭を使う
 子どもの疑問を伸ばすには
 子どもと一緒に、子どものように考える
 表現力を育む会話
 できるだけ失敗を
 孤独になることも大切
 後悔しない選択とは
 勇気があれば真実が残る

付録 回転するゆで卵が立ち上がり、ジャンプするのはなぜか
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