ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

今年の山へは、スキルを持って。「山岳遭難は自分ごと 「まさか」のためのセルフレスキュー講座 (ヤマケイ新書)」  

山岳遭難は自分ごと 「まさか」のためのセルフレスキュー講座 (ヤマケイ新書)
北島 英明



山岳遭難や救助の事例集が多々刊行されているとおり、
楽しみの山を悲しみの山にしないよう、様々な方が啓発に努めている。

それを読むだけでも役に立つだろうと思うのは、
遭難は誰にでも起こり得ることであるだけでなく、
一度起これば、人生で最後の試練と成り得る可能性があるためだ。

例えば香川県では、1,000mを超える山は竜王山と大川山の2座しかない。
それでも残念ながら本書を読み終えて幾日も経たない2017年3月23日、
香川県内の五剣山(標高375m、ただし崩落の危険があるため山頂までは行けない)で、
滑落による死亡事故が発生した。

また、標高が低くとも、道迷いはいつでも起こり得るし、
一人で散策中に足首を捻挫することも有り得るだろう。

そうしたトラブルに、どこまで落ち着いて対処できるかが、
「遭難」になるか否かの分岐点だろう。

そして、トラブルへの対処能力は、様々なトラブルに対する知識と経験が左右する。

本書は、そうしたトラブルに対する知識、セルフレスキューに関するテクニックを、
東京都山岳連盟遭難救助隊隊長・日本山岳協会遭対常任委員会委員・日本レスキュー協議会委員という肩書を持つ著者が丁寧に誌上でレクチャーしてくれるものだ。

どのような装備が必要かといった基礎知識から、
助けを求める際の優先事項や伝達事項、
負傷者の搬送方法、補助ロープの使い方、
熱中症・低体温症に対する山中での対処法など、
多くの図と共に解説がなされている。

そしてそこで語られるのが、「一度やってみておけば良いだろう」という点。
本書によって知識は得られるとしても、
それがスキルになるまでには、やはり経験が必要だ。
それには実践あるべきだが、その本番が遭難時ともなれば、やはり事前に試し、
自分にできるスキルを高めると共に、何ができないかも見極めておく必要があるだろう。
それによって、正しい状況判断が可能になる。

本書では、実際の遭難事例が随所に挿入されており、
セルフレスキューを身につけていなかったことによる悲劇が痛感される。

上記のとおり、日本一小さく、山も低山が多い香川県でも、死亡事故は起こる。
それを踏まえ、ぜひ多くの方が本書を手に取ることを願う。

【目次】
第1章 山行計画
第2章 搬送法
第3章 補助ロープの使い方
第4章 救急法
第5章 ビバーク
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category: 技術

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猟師というスキルの素晴らしさと、日本の限界。「ぼくは猟師になった」  

ぼくは猟師になった (新潮文庫)



野鳥観察や野鳥保護に関わっていると、狩猟には断固反対と思われることがある。
人それぞれだろうが、僕は狩猟には狩猟の価値があるし、
その技術や伝統も尊重されるべきと思っている。
ただ、それは当然ながら現行法の範囲であり、伝統があるからといって法を逸脱して良い筈はなく、
また現行法の制限範囲を拡大するのであれば、それなりの根拠が必要だろう。

なお平等を期するために書いておくが、
昨今では野鳥観察愛好者・撮影者もマナーを守らない―というか、
道交法を守らなかったり、不法侵入や器物損壊を平気で行う輩も出だしている。
ハンターも観察・撮影も、当然ながら法を守って活動すべきだ。

では、法を守って狩猟を行うとき、その実態はどのようなものなのか。
アジア圏では率先して野鳥保護が進んだ(実効性は別だが)日本では、
マタギなどの伝統猟はともかくとして、
日常的な趣味としての狩猟は、長らく日蔭にあった感があり、情報もなかった。

そこに現れたのが、おそらく本書と、「山賊ダイアリー (イブニングKC) 」である。

本書では特に、ワナ猟をする際の技術や、捕獲した獲物の処理方法(トドメから精肉まで)がつぶさに記載されている。
また、解体に必要な場所や保存方法など、
著者自身がそうした情報が得にくかったという経験からだろうか、
次に目指す人にとっては、かなり有用な技術手引きとなるだろう。

また、スズメやカモ類といった、野鳥観察愛好家からすると眼を剥くような獲物もあるが、
それも現行法で認められた範疇の話である。
これについても、単純に毛嫌いして否定する(単純に言えば「かわいそう」とか「残酷だ」という感情論)のではなく、
各種について、狩猟を制限して保護する必要があると認められた場合にのみ、
堂々と反論するべきだろう(と、ぼくは考えている)。

ということで、本書は真っ当・真面目なハンターの物語であり、
動物保護を志す人でも、読んで損は無い。
むしろ、その動物の生態を見る眼の確かさや真摯さは、
珍鳥ばかりを追い求める鳥屋が範とすべきほどである。

だが一方、本書でも様々な課題が提示されている。
例えばシカの増加だ。
現在も沈静化する様子はないほど増加しているシカだが、その対策としてハンターの育成が行政により推進されている。
しかしながら、本書では食材としての価値はイノシシの方が上であり、また販売する場合もイノシシの方が高いことが指摘されている。
ハンターが増えても、シカを積極的に狙うことはないという事実がある。

似たような話で、僕も「ハンターが減ったからカラスが増えた、ヒヨドリが増えた」と言われることがたまに有るが、
ハンターも野鳥で獲るならまずカモ類だろう。

すなわち著者も指摘しているが、「ハンターを増やすこと」と、「有害鳥獣の駆除が進むこと」は直結しない。

「有害鳥獣駆除の実働部隊になる」という目論見があるのかもしれないが、
果たして趣味のハンターに対して、そこまで期待したり、背負わせて良いものか。

そしてもう一点気になるのは、ハンターの質である。
本書において、カモ猟の手伝いを始めた頃の著者自身が、
夕暮れの中、「双眼鏡を覗くと、薄ぼんやりとなんとかカモのシルエットが確認できますが、僕にはカル(マガモ)とアオクビ(マガモ)の区別などまだまったくつきません。」と記している。

シルエットというハンデがあること、
マガモもカルガモも狩猟鳥獣だから結果オーライかもしれないが、
やはり鳥屋からすると、「種類の識別もできないのに、なぜ狩猟免許がおりるのか」という疑問に至る。
これはハンターの問題というより、法制度の運用の問題である。

例えば香川県の狩猟鳥獣のうち、カモ類は11種。
ヨシガモ、ヒドリガモ、マガモ、カルガモ、ハシビロガモ、オナガガモ、コガモ、ホシハジロ、キンクロハジロ、スズガモ、クロガモ
一方、香川県で一度でも記録があるカモ類は、29種。
個体数が少ないとはいえ、例えばトモエガモやオカヨシガモは上記の群に混じっていても不思議ではない。
特に雌だと、条件によっては識別が難しい。
また、アメリカコガモ・アメリカヒドリなんて、もうサイズも雰囲気もコガモ・ヒドリガモだ。

イノシシやシカといった哺乳類とは違い、野鳥はかなり識別が難しい筈なのだが、
この識別能力が未熟なまま狩猟免許が出れば、錯誤捕獲は避けられない。
もちろん経験によって識別できるようになるだろうが、
そもそも「識別できるから」狩猟免許が出るのではないのかというのが、
一人の鳥屋から見た素朴な疑問である。

現在の「ハンター育成推進」という旗振りは、実のところ、
有害鳥獣の駆除には協力せず、
無法にワナ猟を実施し、錯誤捕獲しまくるような質の悪いハンターを濫造するだけではないかと、
危惧するものである。

ただし改めて書いておくが、本書著者が質の悪いハンターだと言っているのではない。
本書も「山賊ダイアリー (イブニングKC) 」の著者も、
初心者がまず目指す手本となる、善きハンターである。

【目次】
第1章 ぼくはこうして猟師になった
第2章 猟期の日々
第3章 休猟期の日々



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category: 技術

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自分で考えることが、全ての出発点だ。「卵が飛ぶまで考える―物理学者が教える発想と思考の極意」  

卵が飛ぶまで考える―物理学者が教える発想と思考の極意
下村 裕



客観的に考える、ということは極めて難しい。
考える主体が個々人である以上、考える個人自身の知識・経験・思考体系の枠組みを超えた思考と言うのは、原理的に在りえないだろう。

すなわち、「客観的思考」は不可能な行為だが、それでも多くの人はそれを自身に課し、また他人にも求める。
それはおそらく、それぞれの人の主観的思考をすり合わせながら、その中に共通理解を見出すことが、群れ行動の本質なのだろう。
そして、そうして勝ち得た共通理解を、「言語」と「文字」により抽象化し、時間を空間を超越させる手段を得たことが、ヒトのヒトたる所以ではないだろうか。

そう考えれば、「客観的思考」とはヒトの生得的な性質ではなく、学習により獲得していく能力であることが明確となる。

一方僕らは日々、自身の主観以外の情報の暴風に曝されている。
昔であれば、それは一定の学識や常識といったフィルターにかけられた情報であり、概ね「客観的思考」と同一のものだった。

しかし現在、蔓延する情報は何のフィルターも経ていない、「誰かの主観的思考」が大多数である。
(本ブログも、その一つだ。)

よって、過去のいかなる時代よりも、それぞれの人が客観的思考能力を学習することが重要なのだが、
残念ながらその事実に気づいていない人も多い。

昔の牧歌的時代と変わらず、メディアから流れる情報は「客観的事実」と考えて疑わない世代が、相変わらずTVや週刊誌の情報を追い、それを話題にする。

その次の世代になると、さらに問題が増加する。
自然とモデルとしてみる親は、情報を鵜呑みにしても安全と考えている。
一方、全く新しい媒体・量の情報が自身を取り巻く。

子供たちに「客観的思考能力は、個々人がそれぞれ磨かなければ身につかない」という事実を明確に教えなければ、
インターネットをはじめとした大量の情報に対して、親世代と同様の牧歌的感覚のまま、
全てを「客観的情報」と勘違いして安易に受け入れてしまうだろう。

昨今の疑似科学や似非歴史(僕は「江戸しぐさ」を想定している)は、客観的思考能力の習得不足が大きな原因の一つだろうと考える。

ただ翻って、でばどこまで努力すれば「客観思考」と言えるのか、という問題もある。
クレーマー的行動を行う人ですら、「自分は客観的に考えている」と主張する。
僕自身、自分の思考が、誰かの客観的思考に資するだろうと思っているからブログも書いているのだが、これすら誤解である可能性も高い。

個々人の主観的思考が、客観的思考に成るための批判に耐えうるか否か。
それを担保する手段こそが、人類が築き上げた科学的思考という技術だろう。

本書は、物理学者による科学的発想法・思考法のガイダンス。
大学等において、「科学的思考とはいかなるものか」を伝え、身につけるためための講義をベースとしたものだ。

第一章では、科学と疑似科学の違いについて説明する。
数十年前ならこんな項目は無かっただろう。
様々な事例を上げ乍ら、それぞれの疑似科学のいかなる点が、客観的批判に耐えられないか
(または、うまく誤魔化しているか)を説明する。
ここはまず、誤りに陥らないための予備段階だ。
副題は、「批判的に考える」だ。


続く第二章、副題は「問題を発見する 」では、現実から「問題」を見出すテクニックが説明される。
正しく問題把握ができなければ、もちろん答えは正しくならない。

そして第三章「問題を解決す」で、科学的思考のテクニックが説明される。
確実に応えに近づくための方法という意味で、
科学的事項の解決に限らず、現実世界の諸問題に対する問題解決方法といっても良いかもしれない。

第四章では、これまでの思考方法を踏まえたうえで、
「生きるために考える」ことの重要性が説かれる。

物理学的理論が展開されるわけではなく(事例として幾つかは掲載されているが)、
読む人を問わない。
むしろ、少しでも早く読んでおけば、以降の人生の視野が明るくなるだろう。
日本の将来を思えば、高校1年時の副読書として推薦すべきと考える。

【目次】
序 章 科学的に考える

思考に「王道」なし
福澤諭吉の「実学」のすすめ
科学的思考で「勘」を養う

第1章 批判的に考える
 科学と疑似科学の違い
 予言、占い、超能力、UFO
 「疑う人がいるとスプーンは曲がりません」
 「頭が固い」疑似科学
 「科学で説明できない現象です」
 科学者が妖精の存在を否定しない理由
 「空中浮遊」が科学になるとき
 疑似科学が人間の心理を説き明かす?
 疑似科学の大きすぎる危険
 姓名判断を科学的に検証する
 超常現象を再現する
 どうすればだまされないか
 Be skeptical―――批判的であれ
 ヘッドスライディングは本当に速いのか――常識を疑う

第2章 問題を発見する
 日常生活は問題発見の連続
 答えより問題を探すほうが難しい
 「異常」を見つける
 なぜニュートンだけが万有引力に気づいたのか
 「知っているものしか見えない」
 素朴な疑問を突き詰める
 知っていることから類推する
 幻の「下村の卵形曲線」
 煙の輪はなぜ変型するか
 類推から生まれた大発見
 アメンボはなぜ進むのか
 情報を鵜呑みにしない
 わからないことをわからないままにしておく
 大きな疑問を小さな疑問に分解
 情報を遮断する時間
 素朴な疑問を持ち続ける
 身近な問題の見つけ方
 自分で考えられる学び方
 理科の授業の実験はなぜつまらないのか
 「もっと知りたい」心が原動力

第3章 問題を解決する
 問題の発見から仮説を立てる
 仮説は夢を描くように
 日本刀のスイートスポット仮説
 丸太の体積を知るには
 類推して仮説を立てる
 単純な仮説が美しい
 最初は簡単な仮説から
 仮説が正しいか検証する
 傘がないとき、走ったほうが濡れないか――計算で検証する
 仮説が間違っているかもしれないとき
 極限の場合を考える
 仮説を発想転換する
 大胆な仮説を立てる勇気
 あきらめず考えた人だけが答えを見つけられる
 斬新な説ほど理解されない
 アインシュタインの大胆すぎる飛躍
 考えるために忘れる――創造のための破壊
 人の意見から学ぶ
 結果を表現して伝える
 文章を推敲する
 オリジナルに書く
 よい論文を書かせる力
 真剣勝負のプレゼンテーション
 簡単な言葉で表現する
 一直線には進まない
 模倣を超える一歩
 「1時間で答える」問題と「1カ月考える」問題

第4章 生きるために考える
 「学問は何の役に立つ?」
 実証科学のプロセスを身につける
 自分の頭で考える体験
 本質をつかみ出すための訓練
 「下手の横好き」から「好きこそ物の上手なれ」へ
 「孔子の教え」を疑ってみた
 焦って結果を求めない
 くだらない質問はない
 道具より頭を使う
 子どもの疑問を伸ばすには
 子どもと一緒に、子どものように考える
 表現力を育む会話
 できるだけ失敗を
 孤独になることも大切
 後悔しない選択とは
 勇気があれば真実が残る

付録 回転するゆで卵が立ち上がり、ジャンプするのはなぜか
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日本企業の縮図ともいえる、トヨタ・プリウス。「ハイブリッド」  

ハイブリッド
木野 龍逸



ハイブリッド車は、既に普通の存在である。

だが僕が子供の頃を振り返れば、ハイブリッドなんて影も形もなく、
道を走っているのはガソリン車、未来を走るのは電気自動車だったと思う。

そう考えれば、ハイブリッド車とは「夢の実現」ではなく、
「現実的な解」として評価されるものだと思う。

その「現実的な解」として示されたのが、プリウスだ。

日本の車メーカーといえばトヨタとホンダがまず浮かぶが(異論歓迎)、
技術的なチャレンジはホンダがやるもので、
トヨタは成熟した技術を投入してくるイメージがあった(個人の見解です) 。

それが、世界初の量産型ハイブリッド車を投入してきたのだから、当時は驚いた。
「トヨタがそれをやるのか」と。

本書は、そのプリウスを構想し、量産型として発売するまでの道程を取材したもの。
「21世紀の車」を造るという漠然としたチームがあったとしても、
それを「ハイブリッド車で行く」と決めてから、量産まで僅か2年。
その機構が全く新しいものであるがゆえ、達成するのは至難だったと思うが、
トヨタはやり遂げた。

0号車はイグニッションキーを回しても、電源すら入らなかったという。
また、当初はコストが非常にかかり、社内ではハイブリッド車なんか売れないという認識だった。
時間的にも市場的にも逆風のなか、よく成し遂げたものと思う。

個人的にはトヨタ車は好きではないのだが(個人の見解です)、
燃費・環境・給油の手間等から、多くの人がハイブリッド車を求めていたという潜在ニーズを引き出し、
現在に至るまでハイブリッド車や燃費効率の上昇など、
様々な技術革新を促した存在として、プリウスはエポックメイキングな車だと言える。
その舞台裏を覗く一冊として、本書は貴重な記録だ。

とはいえ、トップの(安易なとしか感じられない)期限設定、目標設定のために、
それを成し遂げるための社員は24時間体制、会社で寝泊まり等の過酷な業務体制となっている。
それでも、本人たちも「車作りが好き」なのかもしれないが、
その家族、影響を受ける通常部局、また本書では全く触れられない下請け会社等の負担は、相当なものだったのではないだろうか。

プリウスは、技術陣等の奇跡的な働きによって間に合った。
そのため本書は、おそらくサクセス・ストーリーとして位置づけ、刊行されたのだろう。

ただ、日本の各会社では、失敗に終わり語られないストーリーが数多くあるのではないか。
その中で倒れた人々のことは、誰も語ることはない。
ちょっと斜めに構えた視点で申し訳ないが、
ちょっと手放しで賞賛したり、経営者側が安易にモデルとすることは危険だろう。

【目次】
序章 三代目プリウス誕生
第1章 二十一世紀のクルマ
第2章 「燃費を二倍にしろ!」
第3章 ハイブリッド一本
第4章 「内製」にこだわった電池
第5章 「お客さんに育てていただいた」
第6章 世界の「環境ブランド」
終章 次世代のプラグインハイブリッド
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category: 技術

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「自分がやってみたい」が、一番大事だ。「宇宙を撮りたい、風船で。」  

宇宙を撮りたい、風船で
岩谷圭介



「将来何になりたいか」という質問は、今も昔も苦手だ。
自分が何が好きで、何が得意で、それがどんな職業に活かせるかが分かる子どもなんて、
ほんの一握りだろう。

また、教師や大人の問いかけの意図が、子どもらしい夢を聴こうとしているのか、
現実的な認識の有無を確認しているのか、それも分からなかった。

様々な分野で活躍する人について、
「彼/彼女は、子どもの頃から具体的な夢や目標を持ち、努力していました」と語られるが、
多くの人の場合は、おそらくそうではない。
彼らは好きなこと=得意なこと=仕事に成り得ること という方程式が成立した、
ごく一部の人間なのだと思う。

多くの人は、妥協のうえでの仕事、お金を稼ぐための仕事なのではないか。
僕はそう割り切って仕事を選ぶことも是と思っているが、
どうも日本では、「お金のために仕事をするなんて」「仕事だから仕方がない」など、
お金とのトレードオフ以上の価値を仕事に求めがちだ。納得できない。

そういう圧力が高いと、「仕事」が自身の存在理由そのものになる。
逆に、自身の存在理由が分からなければ、納得できる「仕事」はできないことになる。

フリーターやニート等を無条件に肯定する気もないが、
不要なまでに「仕事」に重きをおいて、その重圧故に仕事を選べない人も多いだろう。

本書著者も、バック・トウ・ザ・フューチャーのドクのような発明家になりたいと思っていた。
ところが現実には「発明家にはなれない」と知り、将来に対する夢も目標も失ってしまう。

その結果、目標を模索するための浪人、留年などを行う。
家族が暖かく見守っていたから著者は救われているが、
多くの家庭では、著者のような葛藤を甘えと呼び、強制的に社会に出すだろう。
その結果、ドロップアウトすることも少なくない。

ただ、仕事は単に、お金を稼ぐ手段。
大事なのは自分がやりたい事、好きなことを探し、追求することだ。
そこに第三者の評価はいらないし、お金を稼ぐ必要もない。

それが理解できれば、自分の人生を歩むことができる。

著者は、「発明することが好きだ」という自身の方向性と、
風船で宇宙からの写真を撮った人がいる(自分もやりたい)という欲求をもとに、
誰も歩んだことがない道を進み始める。

本書は風船で宇宙からの写真を撮るというプロジェクトの概要だが、
むしろ、人生が見えない一人の人間が、
自分の好きなことを、ひたむきに追求し続けることの大事さを伝える一冊だ。

「ふうせん宇宙撮影」については、何も先行例が無いなか、
高度30,000メートルまでに達する頑丈さ、
自動的に切れも安全に落下システム、
関係部局との調整など、
振り返ってみれば、どれも難しい話ばかりだ。

だが、それを一歩ずつ解決する姿勢、まさにトライ・アンド・エラーで、
著者は見事な世界を魅せてくれる(本書でも、カラー写真が多数掲載されている)。
そこには先人としてのおごりは無く、誰でも同じようにチャレンジしてほしい、という思いがある。

著者のホームページ「ふうせん宇宙撮影」でも、美しい写真、ノウハウが多数紹介されており、YOUTUBEでも動画がアップされている。

著者のYOUTUBEのチャンネルはこちら

ただ、実際に「ふうせん宇宙撮影」をやろうとすれば、かなり難しいだろう。
著者が言うとおり、打ち上げる場所として最適なのは道東であり、
交通費だけでも大きな負担となる。
そのうえ、製作、関係部局との交渉等々、
軽く「やってみよう」という世界では、ない。

だが大事なのは、こうした自身の夢を追求することだ。
それが「ふうせん宇宙撮影」でなくとも、よい。
多くの人は、日常の瑣末事にまぎれて、消耗しながら生きている。

その中で、改めて「自分のやりたいこと」を、誰の眼も気にせず、
好きなようにトライすること。
それが、「生きる」ということであり、人生の楽しさだと、本書は伝えてくれる。

【目次】
第1章 風船で宇宙を見る!
第2章 夢は転がってはいない
第3章 「やってみて」はじまった
第4章 失敗は教えてくれる
第5章 「達成した」その先へ
第6章 「ふうせん宇宙撮影」の扉を開く
第7章 手を伸ばした先にある宇宙の姿
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