ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

読み続けることも、力だ。「読書脳 ぼくの深読み300冊の記録」  

読書脳 ぼくの深読み300冊の記録
立花 隆



立花隆氏の論説には特段の興味が無いが、「週間文春」で「私の読書日記」を連載しているらしく、時折り書評をまとめたものが刊行される。
氏は読書家として知られるとおり、 ちょっと毛色は違うが、「立花隆の書棚」(レビューはこちら) なんて本もあって、
たくさん本を持つ蔵書家に対する憧れが、まだまだ世間では大きいんだなと感じた記憶がある。

本書では、ただ書評だけを集めるのもなんだからという訳で、
「読書の未来」と題した東大付属図書館副館長の石田英敬氏との対談が収録されている。
本書の表紙にもあるとおり、書籍のデジタル化が大きなテーマだ。
電子書籍としての刊行、既存の書籍のデジタルデータ化、書籍のデジタル上でのキュレーション・システムなど、
様々な点について語られているが、特筆すべき点もない。というか、現時点では当たり前の認識である。

さて、本書のもとになった連載は、2006年12月~2013年3月の期間らしく、
2011年3月11日の東日本大震災も範囲である。
そのためか、原発と東日本大震災時の政府対応に対する話がやや多い。

通読したところ、
 アメリカ、政治、原発、第二次世界大戦と広島・長崎の原爆、陰謀論、
 ドストエフスキー、性倒錯、金融と金融危機、昭和
といったキーワードにヒットする方は、たぶん参考になる本が多いと思う。

僕が読んだか、読みたいと思った本は23冊。
既読は次の6冊だった。まだまだアンテナの張りが十分ではない。

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▼(ブログ開始前に読んだため、レビューは無し)

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重複率は23冊/300冊=7.7%なので、
立花氏とは興味の方向性が全く違うのを再確認した次第である。

逆に言うと、それだけ人によって取り上げたいと思う本が異なるということであり、
ノンフィクシヨンの世界は幅広いなあと思うところ。

なお、立花氏が取り上げている「気骨の判決―東條英機と闘った裁判官 (新潮新書)」は、
戦時中の翼賛選挙に対して、毅然として無効判決を行ったという「司法の独立」の理想のような話。
この事件については「裁判百年史ものがたり (文春文庫) 」(レビューはこちら)で取り上げられているので、併せて読みたい。
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単なるブックガイドではなく、科学史概論だ。「科学の本一○○冊」  

科学の本一○○冊
村上 陽一郎



本との出会いは、難しい。
新刊ならまだしも、数年前に刊行された本-しかも科学やノンフィクションといった本だと、
刊行部数自体も少なく、あっと言う間に時の谷間に消え去ってしまう。
その谷底から、自分が読みたい本や読むべき本を見つけるのは、かなり経験とテクニックが必要だろう。
本書のようなブックガイド本も、そうした探索の手掛かりとなることから、
気が付いた時には手に取るようにしているが、
本書は、単なるブックガイドではなかった。嬉しい誤算である。

著者は物理学史が専門。だかそれはおそらく研究範囲であり、それを知るためには当然より大きい科学史を知ることが必要となる。
その科学史を学んできた著者のバックボーンを活かし、
科学史上重要な本や、著者自身の研究において大きなターニングポイントとなった本を100冊取り上げる。
本書を通読すれば、自ずと「科学史」を辿ることになるのだ。

かといって、単なる歴史順に並んでいるわけではなく、
まずはアインシュタインの「自伝ノート」から始まる。
次はアリストテレスの「自然学」と、科学史家ならではの知識を踏まえて縦横無尽に展開していく。
ただ、(全く存じ上げないのだが、)文は人なり、
非常に読みやすく、簡潔にして丁寧、かつ明確な文章。関係する章があればそれも記載されており、
心地よく読み進めることができる。

そのうえで、科学史を知るうえで、一般的なイメージと大きく異なる点等が、紹介されていく。
例えば、次のようなことだ。

・コペルニクスが地動説を説いたが、その著書は、
 実のところ現代でいう科学的論拠によるものではなく、
 ルネサンス期という時代を踏まえて、地動説を「採用した」。

・ガリレオが地動説により迫害されたというイメージがあるが、
 「それでも地球は動く」と言ったことも虚構であり、
 むしろ当時のヨーロッパの最高権力者の多くがパトロンだった。

・西洋科学はヨーロッパ圏で発達したのではなく、
 むしろ一時期のイスラム圏が、
 ローマ時代の西洋知識とインド等の東洋知識を融合し、
 それがヨーロッパに逆輸入されたことが大きな影響となっている。

また、本書は、最新の科学書(だけ)を紹介するものではない。

むしろ科学史上スタンダードとなっているが、実際のところ現代では殆ど読まれない書物-、
例えばガリレオの「天文対話」、ニュートンの「自然哲学の数学的原理」、コペルニクス「天球の回転について」など。

また、「科学」「科学者」という存在が発生し、持続する背景となる学問-、
ヴィトゲンシュタイン「論理哲学論考」、プラトン「ソクラテスの弁明」など。

そして、人の営みとしての 「科学」を研究する上で重要となる、
「創世記」、「古事記」、「解体新書などと、非常に幅広い視野で選定がなされている。

数多あるブックガイドは、最先端か、有名なものに特化している。
だが本書は、科学史という確固たる土台の上に立ち、
現代の人類にとって、知識の「骨」となってる本を紹介してくれるものだ。
一人でも多くの人が、本書から、一冊でも「読みたい本」に出会えることを願う。
(こういう本こそ、学校図書館に必置すべきだ。)

なお、こうしたバックボーンがある著者が、一書から「学問」についての考え方を紹介している。
文系は役に立たないとか馬鹿なことを言っている時代への警鐘として、引用しておく。

学問は、科学を含めて、経済的な成功や、世間的な豊かさをもたらすものではなく、
一人の人間としての、人間性の豊かさを広げ、深めていくものである。


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「喰らう読書術 一番おもしろい本の読み方」読むことを恐れてはいけない。  

喰らう読書術 一番おもしろい本の読み方
荒俣 宏



フィクションは、自身の嗜好(時には、自分自身も意識したことがない嗜好)に合うものとの出会いを喜ぶもの。
ノンフィクションは、自身が知らないモノとの出会いを喜ぶもの。

推理小説作家の森博嗣氏がこんな感じのことをもっと上手い表現でどこかに書いてたと思うのだが(「封印サイトは詩的私的手記 I Say Essay Everyday」あたりと思う)、メモし損ねたので、正確なところは分からない。

もちろん、どちらか上というものではない。

僕も若い頃から、文学かエンターティメントかを問わず、フィクションも割と良く読んでいた。
だが、いつの間にか世界は自分が知らないことだらけだと気づいて、ノンフィクションばかり読むようになった。
(正確には、読みたいノンフィクションが増えて、フィクションを読む暇がなくなった、という感じである。)

※以下、「ノンフィクション」という言葉が、(ドキュメンタリー的なものに限定された)やや狭い定義と混同しそうなので、
「非フィクション」と称する。

本ブログでも9割以上は非フィクションを紹介しているが、
読めば読むほど、個々の本やジャンルがネットワーク化されて、世界が立体的に見えてくる(と、感じている)。
また一方で、自分が世界の「何」が知りたいのかが浮かび上がってくる(僕だと、例えば生物地理学と進化史だ)。
少しずつ世界が見えてくる喜び。
フィクションだけを追っていると絶対に味わえない感動である。

この感動が非フィクションを追う原動力になるのだが、荒俣氏はその原動力を、見事に説明している。

たとえ悪魔に魂を売り渡しても、知りたい、教えてもらいたい、この世の秘密を少しでも解きたいという渇きが、私の魂を揺するからです。好奇心が満たされる歓びよりも上の幸せなんて、滅多にありません。


「たとえ悪魔に魂を売り渡しても、」と言い切れるかどうかが荒俣氏と余人との違いなのだろうが、
それでも、僕程度の人間でも非フィクション街道から抜け出すことは容易ではない。

本書は、そんな非フィクションを愛してやまない荒俣氏による読書方法論。
ただ、そんなに具体的なHOWTOが記載されているわけではなく、
・非フィクションを読むことは、ヴァーチャルな経験だよね
・非フィクションを好きになるって、こんな事例があるからだよね
・自力で非フィクションを読み続ければ、自分に合う本を見つける読書感度が増すよね
・とはいえ、慣れないうちは、大系的に読むのも良いよね
・あと、見つけた本から興味の趣くままに展開すると良いよね
的なことが記載されている。

ただ、そこかしこに荒俣氏の実体験や実際の本の紹介があるのが、読みどころだろう。
実際の非フィクション系の読書に役立つ「術」が書かれているかと言えば、たぶん多くの人には、満足できる「術」は無いだろう。そういうのは、「読書は1冊のノートにまとめなさい[完全版]」とかの得意分野である。

本書はそれよりも、非フィクションを読むという「人類の知を探る愉しみ」を実例で紹介する点に、大きな主眼がある。
自分はこんなに本ばっかり読んでいていいんだろうか、と不安になった時に、ぜひお読みいただきたい。
開き直る特効薬となるだろう。

▼「他人がどんな本を読んでいるか」というのは、下世話ながら興味深いところ。(レビューこちら)

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本棚にもルールがある-ズバ抜けて頭がいい人はなぜ本棚にこだわるのか  

本棚にもルールがある-ズバ抜けて頭がいい人はなぜ本棚にこだわるのか
成毛眞



小説以外の本を紹介する書評グループ、HONZの主宰者による読書本。
「ズバ抜けて頭がいい人はなぜ本棚にこだわるのか」という一方的に決めつけて興味を持たせる煽り文句といい、昨今らしい本である。

もちろん内容はサブタイトルとは直結していない。
第一章は、小説以外の本を読むことのメリットについて。特にどうという内容でもない。

具体論は第2章の本の管理方法。
著者は、これから読む本を入れる新鮮な本棚、
自分にとって残すべき本を置くメインの本棚、処分用のスペース、
自分の「資料」となる本を置くタワーの本棚の3つに分ける方法を紹介している。

ちょっと振り返って自分を見てみた。

まず、僕のささやかな作業コーナーには、大きな本棚が一つある。中は野鳥関係の本。
図鑑、地方出版、論文等のコピーなど。
収まり切っていないものもあるが、通常の図書館には置いていない専門図鑑等も収納しており、大半の野鳥関係の調べものはここで足りる。これは、野鳥屋としての「タワーの本棚」だろう。
足下に処分スペースとなる段ボール箱。一杯になったら売却。
また、作業スペース脇には、購入した本。
図書館で借りた本を優先的に読むため、なかなか減らない。
しかし、ここは本当に読みたい本なので、眺めるだけでも(そして積み上がること自体)楽しい。

別の部屋には、保存用本棚。ここは家族共用のため、さほど置けない。
しかし、だからこそ「処分」する必要が生じて、本の新陳代謝が加速している。
こうして見れば、ある程度量を読む読者屋なら、こうした「流れ」はできているのではないだろうか。


さて、第3章は、本の探し方。でも本屋での購入がメイン。
正直、毛色の違う大規模書店がある都会向けであり、郊外では某宮脇書店ばかりの香川県では役に立たない。


最後に「特別付録」として、書評の書き方。
HONZ主宰者ならではの一章なのだろうが、どうも納得いかない。

「書評と読書感想文は違う」、「個人の経験や感想は不要であり、誰が書いても同じ書評が理想だ」と著者は言う。

しかし、そもそもどの本を取り上げる価値があると思うかからして、個人の主観に左右される。

まして、「どのポイントが紹介したいか」というセレクトは、まさに個人の知識・経験が反映されるところ。
個人的背景を一切排除した書評という著者の理想は、厳密には成立しないだろう。

むしろ、同じ本について、「どういうバックボーンを持つ人が、どう読んだか」ということの方が、
良くも悪くも参考になるのではないか。
また、自分にとってはつまらない本でも、誰かには役に立つかもしれないし、「つまらない」という情報が役立つ場合もあるだろう。
ということで、僕は、僕が本を読み、どう感じたかを、これからも私的に書き続ける次第である。

むしろ、これほど書評(もしくは読書感想文)ブログが多い時代だ。
様々なブログから、自分の嗜好に合う本を取り上げるブログを見つけたり、
ブログ記事を自分に合う本か否かを選別する資料として活用する力。すなわち、書き手のテクニックを云々よりも、
情報の受け手の「書評(もしくは読書感想文)ブログを読み抜く力」が必要な時代ではないだろうか。

【目次】
本棚はあなたの知を増やす最高の道具
第1章 本棚は外付けできるあなたの脳である
 本棚に「ゆとり」のない人間は、成長できない
 いい本棚は、頭の中身もアップデートしてくれる
 本は読んだそばから忘れていい

第2章 「理想の本棚」になる仕組みをつくる
 あらゆる本を拒まず、大量に受け入れるのが「新鮮な本棚」
 特別展示をすると、1年で12の専門知識がつく
 「メインの本棚」に入れる基準は「面白い」「新しい」「情報量が多い」
 ひらめきを生むのが「タワーの本棚」

第3章 教養の深まる本の買い方、読み方
 書店の歩き方で読書が変わる
 文系人間でもサイエンス本をスラスラ読む方法

特別付録 HONZ特製 Webで読まれる書評の書き方
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図説 よりすぐり国立国会図書館 竹取物語から坂本龍馬直筆まで  

図説 よりすぐり国立国会図書館 竹取物語から坂本龍馬直筆まで
国立国会図書館



粘土板や電子書籍を「書物」に含めるかという問題はあるにせよ、
人類が人類たる所以として、前世代以前が獲得した知識を、書物(粘土板のように紙以外もあるが)として伝達できる、という点がある。

「情報」を客観的なモノに移すこと。

遺伝子の選択や、個体間の直接的なコミュニケーションではなく、
独立したモノに情報を込められれば、次世代はその情報の上に新たな情報を積み重ねられる。
それこそが、人類の知識の発展の源泉だろう。

しかし「モノ」は、形があるゆえに、外的要因によって失われやすい。

世界を見回してみれば、古くから書物という「モノ」を創り、
それを現在まで維持し続けている社会というのは、そう多くない。

そして日本は、その数少ない国の一つである。
むしろ、「有数の」といっても良いほどだ。

現代、その蓄積を公に担っているところ、それが国立国会図書館である。

その蔵書は、近年デジタル化され、公開されつつある。
(国立国会図書館デジタルコレクション)

だが、そもそもどんな史料・資料があるのか。
膨大な蔵書の前に、立ち尽くす思いだ。

本書は、その「ほんのわずかな一部」を抽出したガイドブック。
実に、約4000万点の蔵書から、たった115品を取り上げているに過ぎない。

だがそれでも、紹介されたモノは、絵巻物、仏典、古活字、写真、地図、書簡、行政文書など、
様々な時代・地域・分野に及ぶ名品である。

こうしたモノを日本が伝え残していることに、やはり誇りを感じざるを得ない。

電子出版やインターネットが主流となりつつあるが、
こうした「モノ」として蓄積すること。それもやはり、文化ではないだろうか。
(それにしても、冷泉家時雨亭文庫や宮内庁書陵部の蔵書について、同じように見てみたいものである。)

【目次】
目 次
第1部 貴重書と古典籍
第1章 書物の華 絵本・絵巻・錦絵など
第2章 書物の歴史 奈良時代から江戸時代まで
第3章 さまざまな資料 絵図、記録、名家の筆跡
第4章 外国の書物 中国・朝鮮、西洋
第2部 憲政資料
第1章 幕末洋学
第2章 維新明治期
解説 国立国会図書館の概要とデジタル化事業―本書の背景として
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