ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

四国遍路道 弘法大師伝説を巡る  

四国遍路道 弘法大師伝説を巡る
白木 利幸,溝縁 ひろし



四国と言えば、遍路である。

気候がよくなると、国道沿いを歩いている白装束のお遍路さんを結構見かける。
札所近くに行けば、お遍路さん満載のバスに遭遇することも珍しくない。
お遍路さんは、四国においては日常である。

さて、四国遍路という祈りの道の、その原点とされる弘法大師・空海。
実在の人物ながら、その宗教的大きさゆえ、様々な伝説も多い。

遍路道が張り巡らされている四国では、弘法大師の伝説も津々浦々にある。
それを紹介するのが本書。有りそうで無かったガイドブックである。


ところで、本書ではまず「遍路」の歴史について解説する。

弘法大師信仰が確立するのは鎌倉時代以降だが、それ以前から四国では、海岸をめぐる「辺路(へじ)」信仰があった。

 我らが修行せしやうは
 忍辱袈裟をば肩に架け
 また笈を負ひ
 衣はいつとなくしほたれて
 四国の辺路(へじ)をぞ常に踏む
(後白河法皇の「梁塵秘抄」巻第二の今様歌)


「今は昔、仏の道を行ける僧、三人伴ひて、四国の辺地(へじ)と云は、伊予讃岐阿波土佐の海辺の廻也。」
(「今昔物語集」巻第三十一、「通四国辺地僧、行不知所被打成馬語第十四」)


四国全土の海岸線(磯や崖)をめぐる修行。
これが空海の事績めぐり、補陀洛渡海の出発点である岬での修行、山岳信仰等々が混り、四国全体を廻る「遍路」となったらしい。
おおむね現在のような遍路コースが確立されたのは江戸時代であり、17世紀(元禄時代頃)に宥辨真念(ゆうべんしんねん、真念法師 ?-1691)が遍路用宿泊所を建てたり、要所に標石を建てたり(琴弾八幡宮参道にも真念建立の標石あり)、様々な案内書を刊行したことで、普及に拍車がかかったようだ。

それでも、明治の頃には普通の旅姿であったらしく、やっと昭和15年(1940)荒川とみ三著「遍路図絵」の挿絵で、母親に連れられた子が笈摺(=白衣の上に着る薄い袖無し)のようなものを着ているとのこと。

現在の遍路道・お遍路さんが確立したのは、そう遠い昔ではないと分かる。

ただ、こうした歴史的な変化はあるにしても、四国という地を巡礼して回るという形態の信仰が連綿と続き、日常的であるというのは、すごいことだ。

ただ、太平洋戦争の昭和20年には、ついに遍路は途絶えたという。

太平洋戦争末期の昭和二〇年。うちのそばに大きな遍路宿があって、宿帳が残っているんです。昭和二〇年は完全な空白。唯一、お巡りさんが、スパイや徴兵忌避の人間が遍路になってまぎれていないかを調べに来た。でも、そのころはお遍路さんは一人も来なかったそうです。これを知ったとき、ぼくは、ああ、あの戦争で日本は国の底をさらうようにして戦ったんだと思いました。底力なんてものじゃない、底の底をたたいて戦争をした。
(「すごい人のすごい話」(レビューはこちら)、早坂暁氏の話)



四国遍路が日常であること。それは、日本にとって非常に重要なことかもしれない。


さて、本書のテーマである弘法大師の様々な伝説である。

例えば大師手植えの樹。杖が樹になったとかの伝説だが、
本書で紹介されたのを数えてみると何と杉、松、柳等23種で、48本くらいある。植えすぎであろう。

この他、石を網で運んだり、穴をあけたり、驚きの連続である。
でも自分の土地の伝説だけは、僕でも何となく本当のような気がしたりして、
いやはや地元の無意識の信仰というのは根強いと思うしだいである。

その他、弘法大師の伝説の数々、本書でお楽しみいただきたい。

【目次】
序章 弘法大師伝説を読み解く
第1章 四国遍路元祖、衛門三郎伝説
第2章 弘法大師の超越した能力
第3章 弘法大師の恩恵と懲罰
第4章 遍路の発展と展開
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category: 宗教

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目で見る聖遺物と聖書―イエスと聖人ゆかりの品々に秘められた謎と奇蹟  

目で見る聖遺物と聖書―イエスと聖人ゆかりの品々に秘められた謎と奇蹟

目で見る聖遺物と聖書


1神教であるはずのキリスト教に、乱造(後世の聖人にはこういう言葉が似合う)される聖人。
また、そこはかとなく漂う偶像崇拝的な気配。
どうもキリスト教もややこしそうだな、と思っていたところ、本書を発見。
映画や小説などで、聖杯やトリノの聖骸布、ヒトラーが求めたロンギヌスの槍などは知っていたが、
聖人・聖女にまつわる聖遺物も多いとは知らなかった。

本書は別冊歴史読本シリーズであり、個々の聖人ごとに著者が異なり、
各聖人の伝説を素直に紹介しているのが多い。
また、予想に反して聖遺物の写真も無いものがあり、この本のために取材したというよりは、
企画先行で記事を依頼し、写真は編集時点で確保できるものだけを採用した感じである。
まあ「別冊歴史読本」なので、多くは求めまい。
ある程度まとめて見ることができるだけでも良しとしよう。

それにしても、
聖人の遺骸が多いこと。あと干からびた手だけとか、頭蓋骨とか、
「モノ」ではなく「死体」が聖遺物になるところ、肉体は単なるモノであるという意識を反映していて面白い。(仏教に仏舎利はあるとはいえ、個々の聖人の手や首を崇拝する習慣はないと思う。)

あと本書冒頭で、聖人「崇拝」ではなく聖人「崇敬」である、崇拝では偶像崇拝につながる、という整理をしていたが、こうして言葉で整理しなければならないところ、
キリスト教の人工的教義と土着宗教的要素との対立が見えるのではないだろうか。

なお、個々の聖人について客観的に整理された本としては、むしろ「名画でたどる聖人たち もう一つのキリスト教世界」をお勧めする(レビューはこちら)。

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名画でたどる聖人たち もう一つのキリスト教世界  

名画でたどる聖人たち もう一つのキリスト教世界
秦剛平



聖人というのも良くわからない。
キリスト教は一神教というが、三位一体とかいうし、
じゃあ聖母マリアの「聖」って位置づけはなんなのとか、
疑問だらけである。
そもそも、どんな聖人がいるのかすら知らない。
そこで手に取ったのが本書である。美術書的匂いがするが、実際のところ、
本書は「キリスト教の聖人・聖女入門、イラストつき」である。
そもそも名画でないものが多いし。

また、キリスト教的価値観の強い方だと、
聖人伝説をそのまま事実として語られるので嫌だな、と思っていたが、
筆者はかなりキリスト教的価値観と距離を置いている。
むしろ、気持ち良いほどバッサリ切り捨ててている箇所すらあり、小気味よいくらいである。
とりあげられている聖人は38人かな、目次を転記したのでご参考にしていただきたい。

基本的な構成は、
各聖人の生い立ち、聖人とされた契機(殉教など)、図像解説である。
図像解説では、それぞれの聖人の伝説にちなみ、聖人とあわせて描かれる属性(アトリビュート)が解説されていて、キリスト教絵画を見るうえでの基礎知識となる。

また、聖人・聖女となる資格が、
時代によって異なること、また
それによって乱造もなされていることなどは、なかなか面白い話だった。


それにしても、皮を剥がれて殉教した聖バルトロマイのアトリビュートが皮剥ぎナイフっての、
悪趣味ではないのか。キリスト教的感覚はやっぱりよくわからない。




【目次】
第1講 新約聖書の聖人や聖女たち
聖性とは
聖ヨセフ
聖母マリア
洗礼者聖ヨハネ
聖女マルタ/聖女マリア
聖ニコデモ
福音書記者たち
聖マタイ
聖マルコ
聖ルカ
聖ヴェロニカ


第2講 十二使徒たちの事蹟
十二使徒とはだれ?
聖ペテロ
聖アンデレ
聖大ヤコブ
聖ヨハネ(ヤコブの兄弟の)
聖フィリポ/聖バルトロマイ
聖マタイ(収税人の)
聖トマス
聖ヤコブ(アルファイの子)
聖タダイ
聖シモン(熱心党の)
(ユダ)
聖パウロ


第3講 殉教の冠を戴いた聖人や聖女たち
聖イグナティウス
聖ポリュカルポス
聖イレナイウス
聖セバスティアヌス
聖ゲオルギオス
聖アカキウス
聖アンブロシウス

第4講 異教世界に立ち向かう聖人や聖女たち
キリスト教にとっての四世紀とは?
聖女ヘレナ
聖シルウェステル
聖アウグスティヌス
聖モニカ
聖ヒエロニムス
聖女パウラ
聖人・聖女になるための条件

第5講 修道士から聖人や聖女へ
聖ベネディクトゥス
聖女スコラスティカ
聖プラキドゥス
大教皇レオ一世
大教皇聖グレゴリウス一世
尊師ベーダ

第6講 十字軍時代の聖人や聖女たち
一一世紀から一六世紀までの聖人・聖女たち
聖ベルナドゥス
聖フランチェスコ
聖女キアラ
聖トマス・アクィナス
聖イグナティウス・デ・ロヨラ
聖フランシスコ・デ・ザビエル
聖シモン


第1・2講 新約聖書に登場したため聖人・聖女になった者
第3講 迫害の時代に殉教したおかげで聖人・聖女になった者
第4講 キリスト教が帝国の宗教となった時代の聖人・聖女になった者
第5講 修道士・修道女、教皇で聖人・聖女になった者
第6講 十字軍にまつわる聖人


【メモ】
p94
聖アンデレが架けられた十字架(X型)=「アンデレ十字」
スコットランドの国旗はこのアンデレ十字

p102
聖ヨハネ(ヤコブの兄弟の)
「実は、この人物はよくわかりません。」
「謎の人物を大まじめで取り上げることなどできません。すっ飛ばしましょう。」


p138
頭上の光輪=キリスト教の聖人・聖女のアトリビュート

p164
15~16世紀の画家が聖セバスチャンを繰り返し描いた理由
=黒死病や疫病に対する守護聖人
=その時代に疫病がはやったから

p188
キリスト教は、ローマ帝国の国教になると、
「迫害される宗教」から「迫害する宗教」に変貌。
キリスト教が神の栄光を求める宗教だから、他の宗教は邪教となる。
ヨーロッパ、とくにイタリアの教会には、
「…の上に建てられた○○教会(聖堂)」
「の上に」=supra、ラテン語
という名称のものがあるが、
これは異教徒の聖所を破壊したことをうたうもの

p333
「わたしは最近ある書物を読んでいて、聖人や聖女をつくりだす要因のひとつとなるのは
『経済効果』であることを知り、カトリックが二五年ごとに行っている『聖年』の一年間の
『経済的効果』を思い起こしました。」
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神道はなぜ教えがないのか (ベスト新書)  

神道はなぜ教えがないのか
島田 裕巳

神道はなぜ教えがないのか (ベスト新書)神道はなぜ教えがないのか (ベスト新書)
(2013/01/09)
島田 裕巳

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正直なところ、神道はよくわからない。
多くの神社で、古事記や日本書紀で語られる神々を祀っているのはわかるが、
初詣や何かで、その神社の祭神を確認して訪れているわけではない。
また、確認して「ここは行かない」なんて思うものでもない。

また、子供の頃に初詣に行った神社は八幡神社だったし、
現在最も身近なのは天満宮である。

様々な入門書もあるが、その本質をうまく説明してもらえるものは
出会えていなかった。

その点、本書は、「神道とは『ない宗教』である」という認識を示してくれる。
これが全てではないとしても、他宗教と比較するうえで、
かなり重要な手掛かりとなる。

何が「無い」のか。

p20
教祖も、宗祖も、教義も、救済もない宗教が神道である。

そして筆者は、
神道が「ない宗教」であるから「ある宗教」の仏教との親和性が良かったと説明する。
そして神道が豊穣などの現生利益に、一方仏教が悟り=成仏=死にかかわることで、
日本では神道が生、仏教が死と役割分担したと説明する。
いわゆる「葬式仏教」がどうして成立しえたのか、またなぜ日本では「葬式仏教」とならざるを得なかったのかを見事に解き明かしている。

また、神道と仏教が混じったと言っても、
キリスト教や仏教に現地宗教が溶け込むような、
一方が他方を圧倒し、吸収するような取り込み方(諸教混淆、シンクレティズム)ではない。

p78
むしろ、明治の「神仏判然令(神仏分離令)」が施策として可能だったように、
両者は集合しつつも、それぞれが分離可能な独立性を保っていた。

というのも、日本の仏教と神道の関係をみるうえで重要な指摘だろう。

日本の神道は、一般的・世界的な宗教とはかなり異なるというのは、
今後自分の宗教観を整理するうえでも非常に役に立つと感じた。

諸々のレビューを見ると、「これでは神道はわからない」というスタンスのものもあったが、
本書は「神道入門」ではなく、
「神道『学』入門」というものだろう。

この一冊で神道の歴史や成り立ちが全てわかるものではないが、
神道の本質を考える上では、非常に欠かせない視点を提供している。


【目次】
「ない宗教」としての神道
もともとは神殿などなかった
岩と火 原初の信仰対象と閉じられた空間
日本の神道は創造神のない宗教である
神社建築はいつからあるのか
「ない宗教」神道と「ある宗教」仏教との共存
人を神として祀る神道
神道とイスラム教の共通性
神主は、要らない
神道は変化を拒む宗教である
遷宮に見られる変化しないことの難しさ
救済しない宗教
姿かたちを持たないがゆえの自由
浄土としての神社空間
仏教からの脱却をめざした神道理論
神道は宗教にあらず
「ない宗教」から「ある宗教」への転換
神道の戦後史と現在

【メモ】
p20
教祖も、宗祖も、教義も、救済もない宗教が神道である。

p47
日本には、火を用いた火祭りというものが多い。
他の国にも火祭りがないわけでないが、火そのものが神聖視されるような祭りはほとんどない。

p51
御神体は、あくまで神が一時的に宿るもので、神そのものではない。
その点では、ご神体以上に閉じられた空間、つまり何もない空間が重要だともいえる。
姿形を持たない神を祭祀の対象として祀り上げるためには、閉じられた空間という装置が不可欠。

p66
日本最古の神社建築はどこか。その創建はいつか→明確な答えがない。

神道の場合、初期は屋外で祭祀を行うので、社殿が不要だった。

仏教の場合、仏像を本尊として安置したり、
仏舎利をおさめるため、どうしても建物が必要となる。

また仏教では、教えを学ぶ僧侶が説渇する場としての建物も必要となる。

p78
宗教の平和的共存という事態は、世界的にみるとかなり珍しい。

キリスト教やイスラム教に民族宗教が取り込まれる(諸教混淆、シンクレティズム)。
神道と仏教による神仏習合もこの一種だが、一方が他方を圧倒していない。

むしろ、明治の「神仏判然令(神仏分離令)」が施策として可能だったように、
両者は集合しつつも、それぞれが分離可能な独立性を保っていた。

神道は「ない宗教」、仏教は「ある仏教」なので、相性が良かった。

p83
神道:死語の世界として黄泉の国の存在が肯定されているが、それは生者の世界と地続き。
   日常生活、作物の栽培などの守護などに役割。
仏教:悟りをひらき、仏になること、浄土に生まれることに共通性を見出し、
   両者を共に「成仏」ととらえたことで、死の領域に深くかかわる。
→神道は生の領域、仏教は死の領域で役割分担
 よって子供の成長、結婚などは神道が担い、葬式から死後の世界は仏教が担う。

p95
人を神として祭る→他の宗教でもある。
キリスト教やイスラム教:聖人崇拝、聖者崇拝
ただしむやみに聖人崇拝が拡大されるのを恐れてか、
カトリックでは教会が誰を聖人とするかの主導権を握り、
聖人として認めるための手続き、儀式「列聖」が定められている。

p102
世界の宗教の中で、出家が制度化されているのは仏教とキリスト教だけ。
この二つは、現実の世界とは根本的に異なる聖なる世界の存在が前提となっている。

p122
神社:社家という神職を世襲する家がある場合がある
出雲大社:千家と北島家=出雲国造

p146
仏教:修行がある
神道:禊はあるが修業はない。滝行などは修行としてもとらえられるが、
   あくまで重要なのは身を清めること。

p154
日本で最も多い神社
八幡、伊勢、天神、稲荷、熊野、諏訪、祇園、白山、日吉、山神

p188
日本の歴史では、天皇家が仏教推進にかかわっているが、
明治になると、天皇家から仏教関係の信仰が一掃される。
皇室は信教の自由を奪われている。

ただし、神道は国家全体の祭祀であり、宗教ではないともされ、
多くの国民に受け入れた。
それは神道が宗教的な構成要素を欠いており、
伝統的に受け継がれた社会的慣習という側面があったため。

そのため、宗教ではない神道と、宗教である仏教の併存が個人の中で可能になる。
しかしそれは他の宗教、キリスト教やイスラム教からは認めがたく、
日本人は無宗教という選択になっている。

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教養としての世界宗教事件史 (河出ブックス)  

教養としての世界宗教事件史
島田 裕巳
【そもそも1冊にまとめられるテーマではないのではないか度】★★☆☆

教養としての世界宗教事件史 (河出ブックス)教養としての世界宗教事件史 (河出ブックス)
(2010/10/09)
島田 裕巳

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「教養として」、いったいどんな事件が取り上げられるのかに興味を持ち、読む。
まあ世界全体からエポックメーキングな「事件」をとりあげるとすれば、
こういうものだろうな、という気はする。

とりあえず、特定宗教の発生や分裂もさることながら、
インドで仏教が消滅する、という、長らく漠然と疑問に感じていたできごとにも焦点があたっており、
面白かった。

他に興味深かった視点。

○一元論と二元論
一神教-多神教という構造はよく見るが、
むしろこの世界がそもそも善によって成立し、その中に一時的な(または方便的な)悪がある(一元論)のか、
または最初から善悪の二元論であり、どう転ぶかわからない(二元論)という構造も重要であること。

○仏教とキリスト教は、聖と俗を明確に区分し、俗から聖に「出家」することに価値を見出している、
という点で共通性があること。

○ダライ・ラマ14世がもし死亡したら、チベット情勢は今よりももっと混乱するだろうなあ、ということ。


○世界宗教はなぜか開祖が著作を残すのではなく、弟子による伝聞録によって布教していること。

○日本とチベットに流入した「密教」は、その段階が異なるゆえに大きく違うこと。

宗教を知ることが世界を理解する一助になるとは思いつつも、
やはり一筋縄ではいかないなあ、と痛感した。


逆に、これはちょっと違うだろうという点。
筆者は
「直立二足歩行、言語、宗教」が人間にしか見られないため、
これらは密接に関係している、
特に直立二足歩行、言語が宗教を生んだ、としている。

宗教がなぜ人類にのみ誕生したのかはわからないが、
とりあえず、
「言語」が人類特有のものではないことは確かであり、この点、違和感を感じた。
(もちろん、どの程度抽象的な「言語」とするかの定義によっては、
人類にのみ発生したということは可能とは思うが、筆者は定義はしていない。)




【目次】
1 人類はいったいいつ宗教をもったのか
2 壁画が物語る宗教の発生
3 謎に満ちた巨大ピラミッドの建設
4 ゾロアスター教が後世に多大な影響を与える
5 一神教が誕生し、偶像崇拝が禁止される
6 老子、釈迦になる
7 結集から、仏教の歩みがはじまる
8 パウロとアウグスティヌスの回心が、キリスト教という宗教を生む
9 三蔵法師、天竺を旅する
10 ムハンマド、メディナに逃れる
11 東西の教会が分裂する
12 十字軍が召集され、「聖戦」をめぐる対立の発端となる
13 モンゴルの世界征服が原理主義を生む
14 インドで仏教が消滅する
15 ルターの異議申し立てが資本主義を生む
16 ヘンリー八世の離婚問題がイギリス国教会を独立させる
17 地動説を主張したガリレオ・ガリレイが異端審問で終身刑を課せられる
18 清教徒、新大陸にエクソダスを果たす
19 聖母マリア、出現
20 神の死を背景に宗教学が誕生する
21 ダライ・ラマ一四世、チベットを脱出しインドに亡命する
22 一〇〇年ぶりに開かれた第二バチカン公会議が修道女を解放する
23 毛沢東語録をふりかざす紅衛兵が孔子を厳しく糾弾する
24 イランのイスラム革命が世界を変える

【メモ】
p17
人類に特有なのが宗教。
地球上の民族・社会で、宗教が全く存在しないという場所は一か所も発見されていない。
一方、動物には宗教は全く見られない。
コンラート・ローレンツ(1903-89)は攻撃・威嚇のためにパターン化された儀式的な行動はとることは示唆しているが、信仰を伴う儀礼を司る動物はいない。

P17
「直立二足歩行、言語、そして宗教。この三つの要素は、他の動物、類人猿にさえ見られない人類だけの特徴である。そうである以上、この三つの要素の発達が密接な関連性をもつことが想像される。」
→言語は他の動物でも見られるのではないか?


p42
キリスト教もイスラム教も一神教であり一神教だけで世界の宗教人口のおよそ半分を占めている。

世界宗教の一つの条件は独自の教えをとく開祖が存在するかどうか。

→※「世界宗教」とは何か、筆者は明確に定義していない。

ゾロアスター(ギリシア語を元にした英語読み)教
:開祖ザラスシュトラ(ペルシア語)、ツアラトゥストラ(ドイツ語)

p49
日本人は一神教:多神教で対比させる傾向が強いが、世界観として考えた場合は、
一元論:二元論の違いの方が大きい意味を持っている。
一元論:全ては神によって作られたのだから、最終的には神の勝利に向かう
二元論:善悪二元論

p53
モーゼの十戒において、神が自分だけを信仰するよう求めたこと(一神教)、偶像崇拝を禁じたことは、
密接に関連しており、セム的一神教においては後世に絶大な影響を及ぼした。

p58
キリスト教:イエス・キリスト、イスラム教:ムハンマドという開祖がおり、民族を超えて広がった点で世界宗教。
ただし、ユダヤ教には「ハラハー」という神が定めた法があり、「トーラー」に詳細に述べられている。
イスラム教もイスラム法としての「シャリーア」がある。これらの宗教は、宗教的な法の世俗に対する規範力が強い。

一方キリスト教は、聖と俗を明確に区分する。かつ、俗なる世界を否定し、「出家」に価値が認められる。
イスラム教・ユダヤ教では、宗教的な指導者は、家庭生活を営む俗人である。

仏教も「出家」に価値をおく点で、キリスト教との共通性がある。


p70
世界の三大宗教:(日本人があげるなら)キリスト教、イスラム教、仏教
・これらの宗教は、すべて開祖が自らの著作を残しておらず、弟子による言行録によって開祖としてあがめられている。
親鸞も、自身の「教行信証」があるが、むしろ弟子の唯円が残した「歎異抄」によって知られる。
道元も、自身の「正法眼蔵」ではなく、「正法眼蔵随聞記」がある。

p73
キリスト教では、旧約・新約聖書におさめられているものの他に、「外典」がある。
セム的一神教では、神の正しい教えである「正統」と、それから逸脱した「異端」との区別が厳然として存在する。

仏教ではそうした区別はなく、一応全て釈迦の教えをといたものとされる。
ただしどれが正しい教えなのかを明確にする作業として、
「教相判釈」がある。インドでは実施されていない。
様々な時代の仏典が同時に渡来した中国で実施された。

中国天台宗を開いた智顗(538-97)=「五時八教」
(1)華厳時
(2)鹿苑(阿含)時
(3)方等時
(4)般若時
(5)法華・涅槃時
という区別を行い、この順に釈迦が説いたとした。
実際はそのようなことは無いが、
最澄や日蓮にはこの考えが引き継がれ、法華が重視されることとなった。

p85
キリスト教:キリストの教えは「福音」と呼ばれ、その「良き知らせ」を周囲に知らしめることが務め。
仏教:日蓮教のように「折伏」という布教手段をとるところもあるが、
   基本は「求法(求道)」。自らが教えを求めることを重視。
円仁:「入唐求法巡礼行記」

p104
東方教会:国ごとに教会が独立
カトリック:世界的に統一した組織:教皇庁:ローマ教皇

p106
395年 ローマ帝国の分裂:西ローマ帝国と東ローマ帝国
東ローマ帝国:国家と教会は一体、皇帝が神の代理人
       神は絶対的な存在であり、人間の世界とは隔絶。
       ゆえに、人間の世界で、聖と俗を区別する意味がない。
西ローマ帝国:国家と教会は別
       神の代理は宗教的な権威である教皇、その組織も世俗から隔絶されている(出家)

p133
般若心経:インドで作られたものの、サンスクリット語の原本はインドには残っておらず、
日本の法隆寺に8世紀後半と考えられる「法隆寺梵本」が残っている。

p144
宗教改革:カトリック→プロテスタント
「出家主義」→「在家主義」

出家主義である以上、世俗に価値がなく、勤勉な生産や資本主義の発達がない
在家主義となって初めて勤勉(世俗)に価値が認められる。
現在でも、プロテスタントが広まった国とカトリックにとどまった国では差がある。
カトリックの国では労働には価値が見いだされず、できるだけ働かない、余暇に生きがいを見出そうとする。

p151
イギリス:
ヘンリー八世のキャサリンとの離婚、アン・ブーリンとの再婚
そもそもキャサリン(兄嫁)との結婚が近親婚にあたるため、特別に教皇から許可を得た
離婚・再婚時には教皇が神聖ローマ帝国の支配下にあったため、許可がもらえなかった
よって、イギリスを帝国として、1545には「国王至上法」が成立する。
現在もエリザベス二世はイギリス連邦の元首であり、イギリス国教会の長である
=ある意味、祭政一致の国

p158
キリスト教では正統と異端の区別が明確
「公会議」の制度によって、ある協議が正しいかどうかを教会組織が決定する


p179
「聖母マリア」
一般的なキリスト教国では「聖母」とは言われず、「処女マリア」という言い方
「聖母」という言葉自体、母なるものを信仰する日本的な宗教意識との妥協、融合の産物

p188
西欧では最初「science of religion」(宗教の科学)という学問が生まれたが、
この言葉は死語となり、「宗教学」に相当する言葉が生まれなかった。
バックボーンであるキリスト教を相対化できなかった。
西欧では「宗教史」である。
あらゆる宗教を相対化して研究対象とする「宗教学」は、実は日本でしか存在しないかもしれない。

p193
密教=
初期密教:雑密:体系化が進んでいない
中期密教:体系化、護摩、大日経や金剛頂経、両界曼荼羅
後期密教:ヒンズー教等の影響、男性的原理と女性的な原理の合一による神秘的な力の獲得、
     歓喜仏がふんだんに登場

日本仏教:初期と中期が伝えられる
チベット仏教:後期が伝えられる
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