ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

ミケランジェロの想いを読み解く。「ミケランジェロの暗号―システィーナ礼拝堂に隠された禁断のメッセージ」  

ミケランジェロの暗号―システィーナ礼拝堂に隠された禁断のメッセージ
ベンジャミン ブレック,ロイ ドリナー



ミケランジェロ・ディ・ロドヴィーコ・ブオナローティ・シモーニ。
ルネサンス期というだけでなく、西洋芸術史において最も著名な芸術家の一人である。

まず彫刻家として「ダヴィデ像」で名を馳せたが、僕としてはやはり、ピエタの美しさに魅了される。
Michelangelo's Pietà, St Peter's Basilica (1498–99)
By Juan M Romero (Own work) [CC BY-SA 4.0], via Wikimedia Commons

彫刻だけでも素晴らしいのに、絵画でも最高の芸術家である点がミケランジェロの恐ろしさだ。
その代表作が、システィーナ礼拝堂の天井画と、
Sistine Chapel ceiling photo 2
By By Aaron Logan, from http://www.lightmatter.net/gallery/italy/4_G & Talmoryair [Public domain], via Wikimedia Commons

祭壇壁画「最後の審判」である。
Last Judgement (Michelangelo)
Michelangelo [Public domain], via Wikimedia Commons

ただ僕は漠然と、「両方に才能が有り、どちらにも思う存分力を発揮した」という印象があったのだが、
実はそうではない、というのが本書の入り口である。

メディチ家では、ミケランジェロに一般的なキリスト教(カトリック)のみならず、
古代ギリシャの芸術・哲学、聖書以外のキリスト教の伝承を学んだ。

これを踏まえて本書では、まず古代ギリシア的な美を追究する中で、男色にも寛容的であったこと、
そしてメディチ家が支配する時代のフィレンツェではユダヤ人も自由に暮らし、
ミケランジェロの教師もまた親ユダヤ的思想であり、その教養もユダヤ人的バックボーンがあったということを指摘する。

その一例として、システィーナ礼拝堂の「原罪と楽園追放」において、
アダムとエヴァが立つ「知識の木」をリンゴではなくイチジクとして描いていることを挙げる。
この、「知識の木はイチジクである」という解釈が、すなわちユダヤ教に伝わる伝承や聖書の解説を集めた「ミドラッシュ」に基づくものだという。

この事実を踏まえて、著者はミケランジェロにとって、
システィーナ礼拝堂の天井画を描くことは喜びどころか苦行であったことを示す。

・発注者は、自分を育ててくれたメディチ家と対立するローマ教皇であること。
・ユダヤ人はミケランジェロにとって教師・友人など身近な存在だったが、
 当時のカトリックにおいてはユダヤ人は迫害していたこと。
・ミケランジェロにとって、芸術とはあくまで彫刻であったこと。
・男色に寛容的だったフィレンツェに対し、カトリック教はそれを禁じていたこと。

そこから導かれる結論として、ミケランジェロは天井画の随所に、
ユダヤ人(及びその教え)を尊重することと、教皇に対する侮蔑を盛り込んだというのが、
本書のポイントである。

例えば著者が指摘するのは、例えば
システィーナ礼拝堂天井画に(一般的な)キリスト教的題材が少なく、
前キリスト教的題材や、ヘブライ語聖書の英雄たちが多いことだ。

日本ではあまり類例を思いつかないが、
西洋絵画でにおける聖書のテキスト性というのは、極めて強い。
バチカンが認めたのが「聖書である」という前提があるため、誰もが同じテキストを共有している。
そしてカトリックであれば、旧約聖書・新約聖書と並んだ時に、より重要な題材とはイエス・キリストとその使徒だろう。

ところが天井画には、新約聖書の人物が一切描かれていない。
(「最後の審判」は、天井画の20年後に追加された作品だ。)
それどころかあえユダヤ教により近いテキストから題材を選んだという点が、
ミケランジェロの恣意性を示すという。

その上で、具体的図像の解明にあたっていく。
教皇を模した人物に対し、背後の天使が侮辱するサインを示していること。

ユダヤ教の聖典とされるタルムードにおいて、真に高潔な父と評されるアミダナブが、
明らかに当時ローマ教会がユダヤ人に強要していたユダヤ人の印を衣につけ、
険しい表情で教皇の玉座にむかって指で「悪魔の角」のサインを示していること。

モーセに「聖なる土地」にいるため履物を脱ぐように神が指示したことを踏まえ、
描かれたヘブライ人預言者も裸足となっているが、
唯一教皇の頭上のエレミヤだけは靴を履いていること。

これ以外にも多数の図版を用いながら、本書はミケランジェロの隠された意図を描き出していく。

ユダヤ教的な暗示については、僕自身に知識がないこともあり、
どこまでが正当な主張なのかは、正直判断に迷う部分がある。

だが、システィーナ礼拝堂に対するミケランジェロの姿勢については、
おそらく本書が指摘するとおり極めて反抗的な意図があったのではないかと思う。
そしてミケランジェロの生い立ちと、当時の絵に様々な寓意を込める常識的思考を踏まえると、
本書の示す見方は、あながち間違いとも思えない。

いずれにしても、システィーナ礼拝堂を単なる美術として崇め奉るのではなく、
ミケランジェロが「なぜその題材を選び」、「どう描いたか」を考えることは極めて重要だろう。

本書はタイトルから、「ダ・ヴィンチ・コード」の二匹目のドジョウとか、
単なるトンデモ本と誤解される可能性が高い。
だがその内容は、丁寧な論理展開によるものであり、一つの見解として尊重すべきだろう。

なお本書のカバーは折り畳まれた特殊なものとなっていて、
展開するとA2版程度のシスティーナ礼拝堂天井画の図版となっている。
ミケランジェロの凄さを味わいながら、じっくり読める一冊だ。


【目次】
第1篇 はじめに、神は天地を創造された
 システィーナ礼拝堂のなりたち
 芸術作品に埋めこまれた言葉
 反逆児の誕生
 非常に特別な教育
 楽園から地上へ
 運命から地上へ
第2篇 システィーナ礼拝堂へようこそ
 扉の向こうへ
 天空の天井
 ダヴィデの家
 天空の四隅
 預言者たち
 天に通じる道
 別れぎわの捨てぜりふ
第3篇 天井の彼方に
 再び礼拝堂へ
 『最後の審判』の秘密
 晩年の秘密
 変わりゆく世界
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強烈な美の眼差しが見出したオブジェの数々。「澁澤龍彦 ドラコニア・ワールド」  

澁澤龍彦 ドラコニア・ワールド
澁澤 龍彦



河出文庫で刊行されていた様々な澁澤龍彦の本。
黒魔術の手帖」とか「毒薬の手帖」とか「異端の肖像」などなど、
魅力的なオカルティックな世界について、
しかしオカルト論からではなく、西洋文化史の一側面として、
様々な文献を駆使して紹介してくれる澁澤氏の本は、中高生の頃には、非常に魅惑的だった。

フランス文学・美術史を踏まえた豊富な知識、一方でサド論などを含むエロティシズム。
かれこれ数十年本を読んできたが、
そういえば澁澤龍彦的立場を承継した文筆家は、たぶん居ない。

それほどまでに「異質な魅力」に溢れる澁澤龍彦の本。
残念ながら今、それぼと多数流通している様には思えないが、
本書は澁澤龍彦氏が収集した様々なモノについて、
澁澤氏が様々な本に書き記したエッセイを抜粋し、収録したものだ。

澁澤氏の美意識を、モノそのものと文章から楽しめる訳で、
非常にお得な一冊である。

髑髏模型、メノウ・オパール等の宝石類、
貝殻やウニの標本、異国のナイフや、時計、仮面。
単なる美しさだけでなく、妖しさを兼ね備えた数々の品は、写真を見ているだけで楽しい。
しかもそれらについて、澁澤氏自身が語ったエッセイがある。
ゆったりとした夜に、短く、濃密な読書ができるだろう。
またやっぱり澁澤氏だなあと感じてしまうのが、
貞操帯や四谷シモンの人形なども含まれているところ。
だが、昨今のように下品・下世話な興味ではなく、あくまで、そこに含まれる美を追究する。

モノそれぞれも美しいが、それを描く写真も味わい深い。
澁澤龍彦の魅力が凝縮された一冊として、書棚に残しておきたい一冊である。

【目次】
プロローグ
1 髑髏の巻
2 アストロラーブの巻
3 人形の巻
4 庭へ
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修復作業から見えるモノ。「修復家だけが知る名画の真実」  

修復家だけが知る名画の真実 (プレイブックス・インテリジェンス)
吉村 絵美留



美術作品は、本来それ自体の素晴らしさを味わうものだろうが、
僕が下世話なためか、むしろその来歴、その作品を巡るドラマの方が面白い時がある。

例えば美術品の盗難については、「ムンクを追え! 『叫び』奪還に賭けたロンドン警視庁美術特捜班の100日 」(レビューはこちら)、「「失われた名画」の展覧会」(レビューはこちら)、
ナチスの財宝 (講談社現代新書)」(レビューはこちら)などだ。

一方、時の経過や空間的な移動によって、美術品は刻々と劣化していく。
それを留め、回復するのが「修復」だ。
数十年・数百年を経た作品を味わえるのも、修復あってこそ。

だかその世界は一般の眼には触れにくく、そのテクニックや配慮が知られることはない。

本書はその修復家の一人が、実際に関わった諸作品・作家のエピソードを通して、
修復という奥深い世界の一端を紹介するものだ。

例えば、亀裂の入った絵具層。
それを直すとしても、キャンバスのたわみ度合と材質、下塗り層の材質と厚さ、使用されている絵具と厚みが影響する。
また油絵の場合、描かれて50年以上経過しないと、表面が乾いていも内部は乾いていないという。
そうした情報を踏まえつつ、見た目に影響なく、しかも後世にも問題にならない修復を施す。
まさに職人芸の世界だ。

また画家・時代によって使用する絵具が異なるだけでなく、ある特定の時期だけ異なる絵具を用いるケースもある。
それらを把握しなければ、正しい修復はできない。

また例えば藤田嗣治の下塗りは、独特の調合による画材が用いられており、
真贋鑑定を左右することもあるため、その詳しい成分は公表されていないという。
だがその下塗りの硬さから、保存が悪ければどんどん亀裂が入ってしまう。

もちろん、こうした知識は、美術鑑賞に影響するものではない。
しかし、こうした情報があり、修復家の重要性が知られなければ、この極めて職人芸的な世界は、ますます先細りしていくだろう。

調べてみると、他の修復家の方も、修業の地はやはりヨーロッパ。
西洋美術ならもちろんそうだろうが、では日本絵画の修復家の確保・育成はどうなっているのだろうか。

文化を重んじるということは、単に芸術家を守るだけではない。
その作品を適正価格で流通させる者、
安全に輸送する者、ベストに状態で保管する者、
ふさわしい展示を行う者、そして修復する者と、様々な人々の関与により、
作品は時の試練を耐え抜き、文化に昇華していく。

日本は果たして、そのような環境にあるだろうか。

【目次】
第1章 絵画に秘められた物語
第2章 息詰まる修復の実際
第3章 修復で知り得た画家の真実
第4章 絵画をめぐる迷宮
第5章 西洋画家の隠された技法



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これ、高校日本史で教えるべきだ。「図像学入門 疑問符で読む日本美術」  

図像学入門 疑問符で読む日本美術
山本陽子




美術・芸術作品については、様々なカテゴライズがある。
地域性、時代性、具象・抽象、絵画・書・彫刻等々。
それぞれのカテゴリはもちろん重要なのだが、これらの基盤において、
おそらく非常に単純なカテゴリがある。
実用か否か、だ。

近年の芸術作品は、その生産時点で、既に作者が「芸術」と意識している。
「作家」という言葉と、「作品」という言葉が指し示すように、
外界の様々な価値観とは異なる次元の「何か」がある。

だが振り返ってみれば、現在様々な美術館に収蔵されている歴史的な美術品の大半は、
その創作時に生活から切り離された「芸術」とは意識されていなかった。
生活的な装飾、宗教的なシンボル。いずれにしても実用面が必ず存在した。

単純例でいえば、仏像は「拝む」ものであり、「観賞」するものでは無かったということだ。

ところが現在、「作品は観賞するもの」という大前提が無意識下にあり、
美術館に展示された仏像は「観賞」対象である。
(それでも「拝む」人もいるが、それこそ目前の仏像を美術品ではなく実用品と捉えている証拠だ。)

そのため、その「美」を理解することに夢中になってしまう。

だが仏像やら歴史的な絵画が実用品であったという前提を踏まえれば、
その実用的な意味を知らなければ、そのモノの全てを理解できないだろう。

西洋絵画では、やはり実用としては宗教絵画が多いが、
その理解の一助となるのが聖人の属性(アトリビュート) である。

それぞれの聖人の伝説にちなみ、聖人とあわせて描かれる属性(アトリビュート)は、
例えば「皮を剥がれた聖人バルトロマイ」だと「皮剥ぎナイフ」がアトリビュートである。
そのアトリビュートを描くことで有り難い聖人画として成立し、
人々はそのアトリビュートにより、有り難さを理解する。

(アトリビュートについては、「聖書と神話の象徴図鑑」(レビューはこちら)や、「名画でたどる聖人たち もう一つのキリスト教世界」(レビューはこちら)に詳しい。)

では、日本ではどうなのか。
歴史時代から残る様々な図像や仏像。
例えば様々な釈迦像、仏像、曼荼羅図、絵巻、山水画や花鳥画、そして浮世絵。
どれも日本美術の象徴として誰もが知っている逸品も、制作当時はもちろん実用品であった。

とすれば、どのような実用性があり、その作品に活かされているのかというのが、
現代の美術教育で欠落している部分である。

源氏物語絵巻を見る。「なぜ引目鉤鼻なんだろう?」
洛中洛外図を見る。「なぜ京都の図が多いのだろう?」
浮世絵を見る。「どうして江戸時代に流行ったのだろう?」

こうした疑問に対する回答は、決して作品鑑賞という姿勢からは得られない。

本書は日本美術史を代表する様々な作品について、こうした素朴な-けれども根源的な-疑問に答えるべく、
その「意味」を解説していくものだ。
1テーマにつき4頁程度と短いながら、バックグラウンドにある情報量は非常に多い。
その作品が生み出された時代、人々がどのよう生活し、何を願っていたかが垣間見えるような、
まさに「納得できる」作品解説である。

残念なのは、数多くの作品が引用されながら、それらが白黒であることだ。

個々の作品の色の重要性が解説されながら、それらがカラーで見られないのは本当に勿体ない。
コスト面の割り切りだろうが、こうした良書は何度も刊行できるものではない。
版元には頑張ってカラー出版(もしくは少しでもカラー口絵で)していただきたかったところである。

それにしても高円寺の鳥獣戯画、撰漕ぐ時代の修復や、
あまりに良いので多くの人が借りては抜き、それで元の絵や順序が分からなくなったというのは、
申し訳ないが面白い話である。
これに懲りた高円寺が、各紙の境に印をバンバン押しているのだという。
そんな話を知れば、鳥獣戯画の印一つでも楽しめる。


【目次】
まえがき
第1章 釈迦の生涯─仏像の基本
 どこまでホント?
 こんなみじめでいいの?
 こいつら何してるの?
 ルール違反じゃない?
 死んだ釈迦の何が面白い?
第2章 仏像の種類─4つのタイプ
 観音は女じゃないの?
 えらいのは釈迦だけじゃないの?
 女だって戦士だっているじゃないか!
 どうしてホトケが悪ガキに?
第3章 曼荼羅─密教世界の地図
 なぜ密教の世界地図が二つあるの?
 これでも曼荼羅か?
第4章 六道輪廻と浄土―人は死んだらどこへゆく?
 浄土を実感するためには?
 なぜ阿弥陀はキンキラキンか?
 どうしてこんなにおぞましい?
 それにしても悪趣味じゃない?
第5章 神々のすがた
 姿のない神をどう表すか?
 どうして風景を拝むのか?
第6章 人のかたち―肖像と似会
 聖徳太子はスーパーマン?
 怖いならどうして祀る?
 似顔絵描いてどこが悪い?
 不細工な顔のどこがイイ?
 この乞食は誰?
第7章 絵巻物―物語を絵にする
 女絵とは何か?
 なぜあんな顔?
 なぜ右から左へか?
 どうすれば時間を描けるか?
 絵巻はマンガか?
 絵巻のセリフはどうするか?
 鳥獣戯画は何のため?
 どうして付喪神が絵巻に?
 江戸時代の絵巻はなぜつまらない?
第8章 山水画と花鳥画―神仏でも人でもないもの
 なんで色を塗らない?
 春夏秋冬が一度にある!
 戦国大名になぜ必要?
 なぜド派手?
 こんなものどこがすごい?
 主人公はどこ?
 下手な絵がなんでイイ?
第9章 浮世絵
 美人画はどのようにお求めやすくなったか?
 誰のおかげでカラー化した?
 美女のタイプは不変か?
 役者絵はどこまで似ている?
 ゴッホはこの絵のどこが好き?
 武者絵はなぜあんな顔?
第10章 西洋絵画と日本
 写生画のどこが写実でないか?
 なぜ鮭か?
 裸体を描いてどこが悪い?
 意味がわからなきゃだめ?
あとがき・転載図版一覧
ついでのはなし(その1~その15)
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なぜ「書聖」なのか。答えは、ここに。「やさしく極める“書聖”王羲之」  

やさしく極める“書聖”王羲之
石川 九楊



いつくかの分野では、時にたった一人が、その分野の歴史を変えるときがある。
その人の存在には、大多数の人々はおそらく一生気づかない。
だが少しでもその分野に関わると、突如として眼前に聳え立つ。

書道では、王羲之である。

「書聖」と称され、同時期・後代に崇められた人物。
その書を愛した唐の太宗(李世民)は、多くの真筆を収集し、崩御した際には書道史上最も有名な「蘭亭序」の真筆を共に埋葬させた。
その他の真筆も全て失われ、現在は精巧な模写・模刻しか残っていない。

だが、それでもその書は燦然と輝き、以降の中国・日本の書道史の礎かつ目標となっている。

こうした伝説的な書家について、多くの写真等を交えて解説したのが本書である。

王羲之については、既に「書聖 王羲之――その謎を解く」(レビューはこちら)でも取り上げたことがある。
これと比較すると、
本書は王羲之の書が、いかに当時の書道界においてエポックメイキングであったのかという点について、
書法、字体、そして石に刻んだ文字との関係から解説していくという点に重点がある。

現在の素人目線からすると、王羲之の凄さは正直、分からない。
それは「楷書」という字体が当然のように存在し、日常的にそれを見ているためだ。

王羲之は「楷書」以前の存在であることが、まず重要である。

そして、未だ文字が「石に刻む」字体と「書く」字体とに分離していた時代に、
自身の「書法」- 字体、三折法というリズムなど-を確立。
この三折法があったからこそ、「石に刻む」字体と「書く」字体が統合、むしろ「書く」字体が優勢となる。

その結果が、「楷書」という字体である。

本書で初めて、王羲之の凄さが納得できた次第である。
もちろん、僕の読解は浅く、また王羲之の書もそんなに簡単なものではない。

だが、「なぜ王羲之は書聖なのか」という点について、
ビジュアルに理解するうえで、本書は良い手引きとなるだろう。

【目次】
1 王羲之―その生涯と書聖伝説
2 書からとらえた王羲之の実像
3 王羲之から見る書の歴史
附 日本は“王羲之立国”


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