ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

修復作業から見えるモノ。「修復家だけが知る名画の真実」  

修復家だけが知る名画の真実 (プレイブックス・インテリジェンス)
吉村 絵美留



美術作品は、本来それ自体の素晴らしさを味わうものだろうが、
僕が下世話なためか、むしろその来歴、その作品を巡るドラマの方が面白い時がある。

例えば美術品の盗難については、「ムンクを追え! 『叫び』奪還に賭けたロンドン警視庁美術特捜班の100日 」(レビューはこちら)、「「失われた名画」の展覧会」(レビューはこちら)、
ナチスの財宝 (講談社現代新書)」(レビューはこちら)などだ。

一方、時の経過や空間的な移動によって、美術品は刻々と劣化していく。
それを留め、回復するのが「修復」だ。
数十年・数百年を経た作品を味わえるのも、修復あってこそ。

だかその世界は一般の眼には触れにくく、そのテクニックや配慮が知られることはない。

本書はその修復家の一人が、実際に関わった諸作品・作家のエピソードを通して、
修復という奥深い世界の一端を紹介するものだ。

例えば、亀裂の入った絵具層。
それを直すとしても、キャンバスのたわみ度合と材質、下塗り層の材質と厚さ、使用されている絵具と厚みが影響する。
また油絵の場合、描かれて50年以上経過しないと、表面が乾いていも内部は乾いていないという。
そうした情報を踏まえつつ、見た目に影響なく、しかも後世にも問題にならない修復を施す。
まさに職人芸の世界だ。

また画家・時代によって使用する絵具が異なるだけでなく、ある特定の時期だけ異なる絵具を用いるケースもある。
それらを把握しなければ、正しい修復はできない。

また例えば藤田嗣治の下塗りは、独特の調合による画材が用いられており、
真贋鑑定を左右することもあるため、その詳しい成分は公表されていないという。
だがその下塗りの硬さから、保存が悪ければどんどん亀裂が入ってしまう。

もちろん、こうした知識は、美術鑑賞に影響するものではない。
しかし、こうした情報があり、修復家の重要性が知られなければ、この極めて職人芸的な世界は、ますます先細りしていくだろう。

調べてみると、他の修復家の方も、修業の地はやはりヨーロッパ。
西洋美術ならもちろんそうだろうが、では日本絵画の修復家の確保・育成はどうなっているのだろうか。

文化を重んじるということは、単に芸術家を守るだけではない。
その作品を適正価格で流通させる者、
安全に輸送する者、ベストに状態で保管する者、
ふさわしい展示を行う者、そして修復する者と、様々な人々の関与により、
作品は時の試練を耐え抜き、文化に昇華していく。

日本は果たして、そのような環境にあるだろうか。

【目次】
第1章 絵画に秘められた物語
第2章 息詰まる修復の実際
第3章 修復で知り得た画家の真実
第4章 絵画をめぐる迷宮
第5章 西洋画家の隠された技法



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これ、高校日本史で教えるべきだ。「図像学入門 疑問符で読む日本美術」  

図像学入門 疑問符で読む日本美術
山本陽子




美術・芸術作品については、様々なカテゴライズがある。
地域性、時代性、具象・抽象、絵画・書・彫刻等々。
それぞれのカテゴリはもちろん重要なのだが、これらの基盤において、
おそらく非常に単純なカテゴリがある。
実用か否か、だ。

近年の芸術作品は、その生産時点で、既に作者が「芸術」と意識している。
「作家」という言葉と、「作品」という言葉が指し示すように、
外界の様々な価値観とは異なる次元の「何か」がある。

だが振り返ってみれば、現在様々な美術館に収蔵されている歴史的な美術品の大半は、
その創作時に生活から切り離された「芸術」とは意識されていなかった。
生活的な装飾、宗教的なシンボル。いずれにしても実用面が必ず存在した。

単純例でいえば、仏像は「拝む」ものであり、「観賞」するものでは無かったということだ。

ところが現在、「作品は観賞するもの」という大前提が無意識下にあり、
美術館に展示された仏像は「観賞」対象である。
(それでも「拝む」人もいるが、それこそ目前の仏像を美術品ではなく実用品と捉えている証拠だ。)

そのため、その「美」を理解することに夢中になってしまう。

だが仏像やら歴史的な絵画が実用品であったという前提を踏まえれば、
その実用的な意味を知らなければ、そのモノの全てを理解できないだろう。

西洋絵画では、やはり実用としては宗教絵画が多いが、
その理解の一助となるのが聖人の属性(アトリビュート) である。

それぞれの聖人の伝説にちなみ、聖人とあわせて描かれる属性(アトリビュート)は、
例えば「皮を剥がれた聖人バルトロマイ」だと「皮剥ぎナイフ」がアトリビュートである。
そのアトリビュートを描くことで有り難い聖人画として成立し、
人々はそのアトリビュートにより、有り難さを理解する。

(アトリビュートについては、「聖書と神話の象徴図鑑」(レビューはこちら)や、「名画でたどる聖人たち もう一つのキリスト教世界」(レビューはこちら)に詳しい。)

では、日本ではどうなのか。
歴史時代から残る様々な図像や仏像。
例えば様々な釈迦像、仏像、曼荼羅図、絵巻、山水画や花鳥画、そして浮世絵。
どれも日本美術の象徴として誰もが知っている逸品も、制作当時はもちろん実用品であった。

とすれば、どのような実用性があり、その作品に活かされているのかというのが、
現代の美術教育で欠落している部分である。

源氏物語絵巻を見る。「なぜ引目鉤鼻なんだろう?」
洛中洛外図を見る。「なぜ京都の図が多いのだろう?」
浮世絵を見る。「どうして江戸時代に流行ったのだろう?」

こうした疑問に対する回答は、決して作品鑑賞という姿勢からは得られない。

本書は日本美術史を代表する様々な作品について、こうした素朴な-けれども根源的な-疑問に答えるべく、
その「意味」を解説していくものだ。
1テーマにつき4頁程度と短いながら、バックグラウンドにある情報量は非常に多い。
その作品が生み出された時代、人々がどのよう生活し、何を願っていたかが垣間見えるような、
まさに「納得できる」作品解説である。

残念なのは、数多くの作品が引用されながら、それらが白黒であることだ。

個々の作品の色の重要性が解説されながら、それらがカラーで見られないのは本当に勿体ない。
コスト面の割り切りだろうが、こうした良書は何度も刊行できるものではない。
版元には頑張ってカラー出版(もしくは少しでもカラー口絵で)していただきたかったところである。

それにしても高円寺の鳥獣戯画、撰漕ぐ時代の修復や、
あまりに良いので多くの人が借りては抜き、それで元の絵や順序が分からなくなったというのは、
申し訳ないが面白い話である。
これに懲りた高円寺が、各紙の境に印をバンバン押しているのだという。
そんな話を知れば、鳥獣戯画の印一つでも楽しめる。


【目次】
まえがき
第1章 釈迦の生涯─仏像の基本
 どこまでホント?
 こんなみじめでいいの?
 こいつら何してるの?
 ルール違反じゃない?
 死んだ釈迦の何が面白い?
第2章 仏像の種類─4つのタイプ
 観音は女じゃないの?
 えらいのは釈迦だけじゃないの?
 女だって戦士だっているじゃないか!
 どうしてホトケが悪ガキに?
第3章 曼荼羅─密教世界の地図
 なぜ密教の世界地図が二つあるの?
 これでも曼荼羅か?
第4章 六道輪廻と浄土―人は死んだらどこへゆく?
 浄土を実感するためには?
 なぜ阿弥陀はキンキラキンか?
 どうしてこんなにおぞましい?
 それにしても悪趣味じゃない?
第5章 神々のすがた
 姿のない神をどう表すか?
 どうして風景を拝むのか?
第6章 人のかたち―肖像と似会
 聖徳太子はスーパーマン?
 怖いならどうして祀る?
 似顔絵描いてどこが悪い?
 不細工な顔のどこがイイ?
 この乞食は誰?
第7章 絵巻物―物語を絵にする
 女絵とは何か?
 なぜあんな顔?
 なぜ右から左へか?
 どうすれば時間を描けるか?
 絵巻はマンガか?
 絵巻のセリフはどうするか?
 鳥獣戯画は何のため?
 どうして付喪神が絵巻に?
 江戸時代の絵巻はなぜつまらない?
第8章 山水画と花鳥画―神仏でも人でもないもの
 なんで色を塗らない?
 春夏秋冬が一度にある!
 戦国大名になぜ必要?
 なぜド派手?
 こんなものどこがすごい?
 主人公はどこ?
 下手な絵がなんでイイ?
第9章 浮世絵
 美人画はどのようにお求めやすくなったか?
 誰のおかげでカラー化した?
 美女のタイプは不変か?
 役者絵はどこまで似ている?
 ゴッホはこの絵のどこが好き?
 武者絵はなぜあんな顔?
第10章 西洋絵画と日本
 写生画のどこが写実でないか?
 なぜ鮭か?
 裸体を描いてどこが悪い?
 意味がわからなきゃだめ?
あとがき・転載図版一覧
ついでのはなし(その1~その15)
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なぜ「書聖」なのか。答えは、ここに。「やさしく極める“書聖”王羲之」  

やさしく極める“書聖”王羲之
石川 九楊



いつくかの分野では、時にたった一人が、その分野の歴史を変えるときがある。
その人の存在には、大多数の人々はおそらく一生気づかない。
だが少しでもその分野に関わると、突如として眼前に聳え立つ。

書道では、王羲之である。

「書聖」と称され、同時期・後代に崇められた人物。
その書を愛した唐の太宗(李世民)は、多くの真筆を収集し、崩御した際には書道史上最も有名な「蘭亭序」の真筆を共に埋葬させた。
その他の真筆も全て失われ、現在は精巧な模写・模刻しか残っていない。

だが、それでもその書は燦然と輝き、以降の中国・日本の書道史の礎かつ目標となっている。

こうした伝説的な書家について、多くの写真等を交えて解説したのが本書である。

王羲之については、既に「書聖 王羲之――その謎を解く」(レビューはこちら)でも取り上げたことがある。
これと比較すると、
本書は王羲之の書が、いかに当時の書道界においてエポックメイキングであったのかという点について、
書法、字体、そして石に刻んだ文字との関係から解説していくという点に重点がある。

現在の素人目線からすると、王羲之の凄さは正直、分からない。
それは「楷書」という字体が当然のように存在し、日常的にそれを見ているためだ。

王羲之は「楷書」以前の存在であることが、まず重要である。

そして、未だ文字が「石に刻む」字体と「書く」字体とに分離していた時代に、
自身の「書法」- 字体、三折法というリズムなど-を確立。
この三折法があったからこそ、「石に刻む」字体と「書く」字体が統合、むしろ「書く」字体が優勢となる。

その結果が、「楷書」という字体である。

本書で初めて、王羲之の凄さが納得できた次第である。
もちろん、僕の読解は浅く、また王羲之の書もそんなに簡単なものではない。

だが、「なぜ王羲之は書聖なのか」という点について、
ビジュアルに理解するうえで、本書は良い手引きとなるだろう。

【目次】
1 王羲之―その生涯と書聖伝説
2 書からとらえた王羲之の実像
3 王羲之から見る書の歴史
附 日本は“王羲之立国”


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失われた美の数々に、呆然とする。「「失われた名画」の展覧会」  

「失われた名画」の展覧会
池上 英洋



モノにしろ人にしろ、長い歴史の中に生まれ、消えていくのが通常の姿。
だが、その価値が多くの人々に認められれば、その人々の思いを繋ぐことによって、時代の流れを超越することができる。

製作当初から来歴が明らかな逸品は当然ながら、
発掘・発見されたモノについても、その発見時に価値を見いだせば、以降はしっかりと受け継がれていくことになる。

だが、そうした価値があるにも関わらず、失われてしまったものの方が、当然多い。
特に西洋文化史においては、美術-特に絵画については、かなり古くから作者のオリジナル性が認められていたことから、
逆に、その価値ゆえの紛失も多かった。盗難や、分割などがその例だ。

天災、焼失、戦争・テロ、意図的な破壊、改修、盗難、紛失。

例えば、本書「戦争」の章で取り上げられているが、
第二次大戦中、フリードリヒスハイン高射砲塔にドイツ軍が芸術品を大量に保管していた事例。
ドイツ軍としては、堅牢な軍事施設に保管する意図があったが、
逆に火災によって収蔵されていた作品の多くが失われてしまった。

本書は、そうした「失われてしまった名画」に着目し、
それぞれの紛失原因ごとに整理されたもの。
現在残っている断片、下書き、紛失前の写真など、
多くがカラーで収録されており、失われたものの大きさが実感できる。

それぞれの来歴を見ていけば、一編のミステリ小説等も作れそうで、興味深い。
(そういう方向を手軽に楽しみたければ、「ギャラリーフェイク」や「ゼロ THE MAN OF THE CREATION」などのコミックが楽しいだろう。)

それにしても驚いたのが、僕がオリジナルと思っていたローマ時代の大理石像の多くが、
実は古代ギリシャ時代に作成されたブロンズ像のコピーだ、という点だ。
いや、ローマ時代のものはオリジナルという先入観があったということだが、
西洋美術史の長さに圧倒される次第だ。

なお、ナチスに限れば「ナチスの財宝 (講談社現代新書)」(レビューはこちら)という本があり、こちらも非常に興味深い一冊である。

【目次】
第1展示室 天災で失われた作品
第2展示室 焼失した作品
第3展示室 戦争とテロリズム
第4展示室 人為的な破壊1―改修と切断
第5展示室 人為的な破壊2―修復・加筆・塗りつぶし
第6展示室 盗難
第7展示室 消失―行方不明の作品





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運慶―リアルを超えた天才仏師  

運慶―リアルを超えた天才仏師
山本 勉,ヤノベ ケンジ,橋本 麻里,みうら じゅん



奈良・東大寺の仁王像の運慶・快慶。
社会科でも習うし、極めてメジャーな存在である。
それだけに、特に意識もしていなかった。

だが、なぜ「運慶」が特に優れた仏師として名が残ったのか。
円空や木喰といった独特の仏師はともかくとして、
日本の仏教彫刻において、なぜ運慶・快慶の他は名前すら記憶に残らないのか。

改めて考えると、不思議な話である。
本書は、現時点で運慶作と認められている諸仏をカラー写真で紹介しつつ運慶の生涯を辿り、
その過程で「なぜ運慶が特筆される存在なのか」を明らかにしていくもの。

端的に言えば、仏教彫刻としてスタンダードであった常朝の作風
(破綻がなく、均整がとれた、現在も仏具店でよく見る仏像の作風だ)、
これを突破したのが運慶である。
だが、運慶が格段に優れていたため、運慶以後は新たな展開の可能性がなく、再び常朝の作風に戻らざるを得なかった、というところだろうか。

そして、その天才・運慶と同時代にいきざるを得なかった、秀才・快慶。

本書によって、仏教美術史の単語でしかなかった運慶について、
その凄み、人生を感じることができるだろう。

仏師としてサインした日本最古の例が運慶であるとか、
俊乗上人座像(重源像)のようにリアリズムかつ抽象的で「静かな」像の存在など、
仁王像のような迫力満点のイメージしかない運慶について、手軽に新たな発見が得られる一冊である。

【目次】
第1章 始まりは弱小工房
第2章 運慶、東国へ
第3章 運慶と快慶の違い
第4章 慶派のさらなる飛躍
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