ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

明日起こるかもしれない危機に備えて。「飛行機に乗ってくる病原体―空港検疫官の見た感染症の現実 (角川oneテーマ21)」  

飛行機に乗ってくる病原体―空港検疫官の見た感染症の現実 (角川oneテーマ21)
響堂 新



「自分は専門家ではないから」と言ってみたところで、病原体のほうは聞く耳をもたないだろう。できる範囲で自衛策をとるしかないのだ。
p166


本書は2001年発行。実のところ感染症については日々刻々と状況は変わっており、
刊行以降でも2002年のSARS、2009年新型インフルエンザ、2014年の西アフリカエボラ出血熱流行、同じく2014年に起きた約70年ぶりのデング熱国内感染など、
どんどん感染症のグローバル化は進んでいる。

本書は関西空港の検疫所で医療専門職として従事したこともある著者が、様々な感染症の国内侵入の可能性等について紹介するものだ。

マラリアや黄熱病ウイルスを媒介する蚊、
ペストを媒介するネズミ、
エボラやマールブルグを媒介する実験動物のサル。
これらの国内侵入により、日本でも感染症が引き起こされる可能性は常にある。

こうした侵入を水際で防止するのが検疫所である。

本書でも、
1994年秋、インドでのペスト流行による監視態勢の大幅強化や、
1995年春にバリからの帰国者から200人以上のコレラ患者が確認された事例など、
実際に現場で従事していた人間ならではの話題が紹介されている。

ただ残念ながら、多くの感染症ではそれらの解説に留まっており、
実際の空港検疫での事例紹介は、やや少ない。
個々の感染症や、またはグローバルな人畜共通感染症については様々な本が刊行されており、
それらによってより詳細かつ細心の知識を得ることが可能だ。

正直なところ、「空港検疫官の見た感染症の現実」という惹句に期待しすぎると、
やや拍子抜けするかもしれない。

とはいえ、
狂犬病が発生していない清浄国が極めて少なく、
(現状については、厚生労働省ホームページで確認できる。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou10/index.html)
だからこそ日本人が海外へ行く際には狂犬病に対する適切な知識が必要であること、

住血吸虫の感染幼虫であるセルカリアのいる水に10分間手足を浸しているだけで、
ほぼ100%感染することから、流行地域では川や湖で泳がないなどの注意事項等、
空港検疫官だからこそ、より説得力をもって解説される防御策等もあり、
読むべき価値はあるだろう。

なお、本書末尾には資料として、
「日本国内における感染症の患者数及び死者数の年次推移」というデータが掲載されている。
この表には、
コレラ、赤痢、腸チフス、パラチフス、ペスト、天然痘については大正4年(1915年)から平成10年(1998年)まで、
日本脳炎、ポリオ、破傷風、はしか、マラリア、住血吸虫症については昭和35年(1960年)から平成10年(1998年)までの患者数・死者数が網羅されており、
これを見ているだけでも日本の衛生環境の向上が実感される。
ただ一方、
耐性菌や新型インフル、エボラ・マールブルグなどによるパンデミックが発生した場合、
これを逆方向に辿る可能性があると考えると、背筋が寒くなるというものだ。
この表を眺めるためだけにも、入手して損は無い。

【目次】
第1章 越境する昆虫たち
第2章 貨物に紛れ込んでやってくる小動物たち
第3章 食糧輸入大国の抱える難題
第4章 ペットや研究用の動物にも危険が潜んでいる
第5章 海外旅行の落とし穴
第6章 病原体から身を守るために
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西洋医学における、エポック・メーキングな疫学調査。「医学探偵ジョン・スノウ―コレラとブロード・ストリートの井戸の謎」  

医学探偵ジョン・スノウ―コレラとブロード・ストリートの井戸の謎
サンドラ ヘンペル



現代日本では、医学といえば西洋医学を指す。
漢方医学を「漢方」と略すことはあっても、西洋医学を「西洋」と略すことはない。
この言葉一つとっても、日本の西洋医学への信頼度の高さが伺える。

世界的に見れば、やはりその国の伝統医学のウェイトは高い。
例えば中国・台湾では漢方などの伝統医学者を「中医」、西洋医学者を「西医」と呼ぶようだ。
伝統医学を頭から否定する気もないし、
いずれが効くか―というのは論争は別の話なので、横に置く。

ただそれでも、やはり西洋医学の発展が、極めて多数の人々を救ったこと、
そして人類の叡智の重要な礎であり、また最先端であることには変わりはない。

その萌芽は、やはり18世紀。
解剖医のジョン・ハンターらが、実際の人間の体に即した医学を求めた時代だろう。
その話は、「解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯 」(レビューはこちら )に詳しい。

そして、ジョン・ハンターが拓いた医学が、「実際の人間に即した医学」であれば、
本書の主人公、ジョン・スノウは、「実際の現象に即した医学」を拓いた、と言って良い。

「疫学の父」と呼ばれるジョン・スノウは、1813年生まれ(1813年 3月15日~1858年6月16日)。
ジョン・ハンターが1728年生まれ・1793年没だから、時代的にはほぼ100年後に活躍したことになる。

しかし、ジョン・スノウが医学を学んだ時代は、
ジョン・ハンターによって解剖学を踏まえた医学の重要性は認められていたものの、
未だ系統だった医学教育はなく、解剖実習用の死体も(ジョン・ハンターの時代と同様)死刑囚か、盗むしかなかった。

だがそれでも、少しずつ近代医学は歩み始めている。
例えば麻酔だ。当時は頭を殴る・酒を飲ますといった麻酔(のようなもの)から、
エーテル麻酔、クロロホルム麻酔へと発展していく時代。
ジョン・スノウは麻酔投与法を研究し、女王の出産時の麻酔も担当するほどとなっていた。

一方、当時イギリスをたびたび襲った疫病があった。コレラである。
ジョン・スノウが生きた19世紀半ばは、まさにコレラが、初めて世界的なパンデミックとなった時代である。
当時の人々の衛生環境や栄養状態もあるためか、その症状は激烈を極めた。
強烈な吐き気と下痢。発症から数時間で、患者は脱水症状が進み、痙攣や体温低下、皮膚の乾燥による風貌の変容を経て、死に至る。

特に1854年8月、ブロード・ストリート一帯を襲ったコレラは激烈で、
通常の経過を辿る時間も惜しみ、人々の命を奪った。
10日間で死者は500人を超え、終焉した1月後には900人以上が死亡したという。

なぜこの一帯だけで、コレラが蔓延したのか。

コレラの伝染経路を研究していたジョン・スノウは、ブロードストリートの惨状を地図に落とし、
かねてから提唱していた「水」による経口感染の可能性を検証していく。

病気になったのは誰か。
そして、なぜその人が病気になったのか。

ジョン・スノウはついに感染経路と発端にあたる患者第一号(インデックス・ケース)を突き止め、水こそが感染源であると証明する。
もちろんこの説が、ただちに歓声をもつて受け入れられたわけではない。当時の主流だった瘴気説などからの反論もあった。
だが以降、様々な時期・場所でのコレラ感染が検証され、ついにスノウの説が認められていく。

そして「実際の現象に即した医学」は、やがて疫学として結実する。

疫学とは、本書ではこのような定義が引用されている。

健康にかかわる状態もしくは事象がある集団に起こる分布と決定要因を調査し、それを応用して健康上の問題をコントロールしようとする研究


現在からよみかえせば、ごく当たり前の学問だ。

だがその発端は、多数のコレラによる多数の犠牲者と、ジョン・スノウの努力があった。

本書は当時のイギリス医学界の現状を極めて具体的に再現し、その制約下でのスノウの偉業を明らかにする。
実のところ、スノウが活躍するのはほぼ後半の1/3のみ。
「医学探偵」というタイトルどおりというか、
まるで島田宗司氏による御手洗潔シリーズのような、思わせぶりな主役の活躍ぶりである。

そのため、やや通読には難儀するが、言い換えれば読み応えのある一冊。
解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯 」と併せて読めば、
医学の発展した時代に生まれて良かったと思うこと、間違いなしである。

【目次】
はるかな旅
国中が息を殺して
必死の探索
コレラ来襲!
外科医見習い
ロンドンでの修業
風変わりな人物
悲惨な状況
ひとすじの光
センセーション
大実験
疫病がこの家にも
壮大な構想
結果はクロ
ミドリムシと赤い綿花
評決
大団円
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日本人の手で、「死の病」は解明された。「死の虫 - ツツガムシ病との闘い」  

死の虫 - ツツガムシ病との闘い
小林 照幸



「うさぎおいしかの山」で始まる、同様「故郷」。
その中に、「恙無しや 友垣」(つづかなしや ともがき)という一節がある。

この「つつがなし」が「ツツガムシ」がいないという意味だ、とは漠然と知っていたが、
では「ツツガムシ病」とはいかなる病であり、いかに克服されたのか、ということは、全く知らなかった。

本書によれば、ツツガムシ病が認識された当初、
それは山形県、秋田県、新潟県の風土病として認識されていたという。

「それならば、僕が知らないのも無理はない。」
そう思っていたが、それが誤りであったことを思い知らされた。

現在の無知は、過去の犠牲と闘いの上に成り立っていることが多いのだが、
ツツガムシ病もまさに、その典型だろう。

ツツガムシ病とは、Orientia tsutsugamushi という菌によるリケッチア症だ。
ツツガムシとはダニの一種であり、このツツガムシの幼虫に噛まれることにより感染する。

ツツガムシに噛まれた場所には赤い発疹ができる。
この程度なら自然治癒するが、ここが「刺し口」と呼ばれる膿疱になり、やがて黒いかさぶたになると、
倦怠感、頭痛などに襲われる。
その後全身に発疹を生じ、39 ℃以上の高熱を発症。このような症状になると、数日以内に多くは死亡する。

長らく原因不明であり、もちろん治療法もない。
ある日見つかる「刺し口」は、死亡宣告のようなものだ。

当初は山形県、秋田県、新潟県の局地的な風土病として認識されており、
明治末期の日本医学界においては、その解明と克服が極めて重大な任務だった。

だがそれは、協調的・連携的な歩みではなく、
東大や、北里三郎による伝染病研究所などによる、病原菌の特定の先陣争いだった。

本書では、ツツガムシ病の恐ろしさもさることながら、
明治末期から昭和にかけて、日本医学界が、自身の手で日本の謎の奇病を解明せんとした、
闘いの歴史が克明に記録されている。

最終的に菌が特定されて以降も、その学名の命名において長い確執が続く。
それを功名心と言えばそれまでだが、
各研究室や、中には親子に渡ってツツガムシ病に挑んできた人々だからこそ、
その到達点を我が物にしたいという気持ちは納得できる。

また、ツツガムシ病が解明されるに従い、
ツツガムシ(複数種がある)が、日本各地やアジア各国にも生息しており、
各地で類似の(多くは弱毒性)の風土病も引き起こしていたことも明らかになった。

四国でも、高知県の現・黒潮町伊田において、「土佐のほっぽん」と呼ばれる熱病が、
トサツツガムシという新種のツツガムシによるものということが、1950年代に発見されている。

そして香川県でも、現・東かがわ市馬宿や現・東かがわ市引田において、同じくトサツツガムシによる
熱病が「馬宿病」と呼ばれていたことがわかっている。
「遠い土地の風土病」という僕の認識が、完全に誤りであったのだ。

ただ現在、ツツガムシ病は早期診断も可能となり、抗菌薬の投与によって治癒が可能である。
また、次のような様々な理由から、現時点ではツツガムシ病はそれぼと身近な病気ではなくなっている。
・ツツガムシ(世界約2000種、日本約120種)という生物群で、実際にツツガムシ病を媒介するのは10種ほどに過ぎない。
・このうち、リケッチアの保有率になると、多くても5~10%、少ないと0.1%ほど。
・哺乳類に吸着するのは幼虫期に1度のみ。
・同じ種であっても、有毒系と無毒系の家系がある。
・河川の環境改変により、ツツガムシが生息する環境自体が激減している。

だから、不必要に恐れる必要はない。
だが、「局地的な過去の病気」という誤解は、避けたい。
珍しい病気になっているがために、逆に見過ごしによる死亡例もあるようだ。

昨今エボラ、SARSなどなど様々な人畜共通感染症も増加している。
PCRなどが普及している現代では、もちろん本書に描かれた研究状況とは全く異なるものの、
人畜共通感染症との闘いと、それに感染した人々の恐怖、苦しみは本書と変わることはないだろう。
本書は、その闘いの礎となった人々の記録である。
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知られざる日本の優れた国際貢献と、それを成し遂げた人々。「中米の知られざる風土病「シャーガス病」克服への道」  

中米の知られざる風土病「シャーガス病」克服への道 (地球選書)
橋本 謙



シャーガス病。
聞きなれない病気だが、中南米では極めて深刻な人獣共通感染症である。
媒介するのはカメムシの仲間であるサシガメ。

家の土壁のひび割れや屋根の茅葺材に潜み、夜間に人を襲い、吸血する。
その後に糞をするのだが、これに原虫トリパノソーマ・クルージTrypanosoma cruziが含まれている。
痒みに人が搔くと、その原虫が傷口から侵入し、感染してしまう。

感染した直後の急性期(1週間~数ヵ月間)には高熱等があるものの、無症状の人も多という。
この感染症の問題はむしろ10 年~数十年後で、次第に疲労感や胸の苦しみを訴え、心筋炎等で急死するという。

日本でも献血時に中南米生まれ・育ちは申告するよう指示があるが、これによってスクリーニングにかけている。
(なお献血の場合、血液は様々な工程を経て管理されることから、輸血による感染は日本では無い。
また全世界でも、感染例はこれまで全てで数十人程度のようである。)

シャーガス病を媒介するサシガメは大きく2種あり、外来種のR.p.種と在来種のT.d.種がある。
このうち外来種のR.p.種は人家でのみ繁殖し、殺虫剤に弱い。
一方、在来種のT.d.種は野外に生息する。
こうした2種が混在し、また十分な衛生環境にあるとは言えない中南米の農村地帯では、
サシガメを根絶するのは極めて困難だ。

だがそれに対して、PAHO(米州保健機構)等は「2010年までに中米におけるシャーガス病の感染を中断する」という目標を掲げ、その対策を1997年に開始。JICもはグアテマラ、ホンジュラス、エル・サルバドル、パナマで広域的に技術協力を展開している。

その結果、JICAによる取り組みは調査・駆虫・啓発それぞれの事業面で高い成果を挙げているが、
その道のりは平坦なものではなく、一人一人の協力員の努力、創意工夫の賜物である。

本書は、その取組みの歴史を一冊にまとめたもの。
その特色は、シャーガス病根絶のため取組みという面もさることながら、
JICAがどのような姿勢・体制で中南米諸国におけるプロジェクトに取り組みんでいたかが詳細に語られている点だ。

ともすれば、シャーガス病根絶という大目的のみに注目し、
圧倒的な人材・経済力を投入し、短期集中的な行えばよいと考えがちだ。

だが日常的な生活の中にある感染症だけに、
中南米諸国自身、また個々の住民自身の意識改革が不可欠である。
でなければ、短期間での感染中断はあっても、継続的かつ拡大な予防は不可能だろう。

まさにJICAがこうした姿勢にたち、中南米諸国自身の力で対策ができるように、
現地のシステムと人を育てていることが、本書で明確となっている。

派遣される現地の協力隊員は若く、当初は何をどうすれば良いのかも分からない。
だがその中で、日本人ならではの発想と取組みにより、少しずつ改善させていく。

日本に対する各国の評価は高いが、その評価は経済力や高性能な車や家電に対するものと思いがちだ。
だが実際には、こうした地道な協力が行える点にあるだろう。

日本から遥か彼方の国とはいえ、シャーガス病という深刻な感染症を放置することはできない。
また、JICAをはじめとする様々な国際協力がも日々続いている。

日本で生活していると全く目に入らないテーマだが、多くの人が知っておくべき話だろう。

プロローグ 一世紀前に発見されたシャーガス病
第1章 シャーガス病は「貧困の病」
第2章 プロジェクト前史:媒介虫の棲みかをつきとめよ
第3章 サシガメを退治せよ:発展期2000~2007年
第4章 低下した感染リスクを維持する仕組みづくり:自立期2008~2011年
第5章 サシガメ対策の成果
第6章 人がつながり、人が育つ
第7章 感染中断の国際認定と今後の展望
エピローグ プロジェクトで育った人たちのそれから
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「ウイルス感染爆発」 エボラの悲劇は、まだ終わっていない。  

ウイルス感染爆発
NHK「エボラ感染爆発」取材班



2014年に、西アフリカで大流行した報道がなされた、エボラ出血熱。
現在、日本で関連情報をマスメディアが流すことは、たぶん無い(少なくとも、僕は見ていない)。
恐ろしいのは、自分が今日までそれに気づかなかったこと-無意識的にせよ、「対岸の火事」と感じていることだ。

本書のレビューに先立ち、思い立って外務省の海外安全ホームページを確認した。

2015年10月末現在、WHOによれば、10月4日までの全世界の感染者数は累計で28,457人、うち死亡者数は11,312人。
流行が激しいのは、ギニア、シエラレオネ、リベリアだ。
このうちリベリアは、一度終息宣言を出したが再流行、そして現在はまた終息宣言に至っている。
それでも、10,666人が感染し、4,806人が死亡している。

そしてギニア。
感染者数3,804人(確定患者数:3,344人)、うち死亡者数2,534人
シエラレオネは、感染者数13,945人(確定患者数:8,704人)、うち死亡者数3,955人。
しかもこれらの国では、新規感染者は減少しつつあるものの、10月時点ではまだ終息には至っていない。

西アフリカエボラ出血熱流行は、終わっていない。

ところが、おそらく日本では「過ぎた出来事」と認識されている。
もちろん、日本も世界も日々新たに重大事件が発生しており、メディアも人々も、最新情報を追うだけで精一杯とも言える。
だが、そうした「仕方ないだろう」という姿勢が以前から続いていることこそが、今回の大流行の遠因ではなかったのかと、本書を読んで感じた。

本書は、1997年5月刊行である。エボラ出血熱のアウトブレイクがテーマだが、実は今回のアウトブレイクではない。
取り上げているのは、1995年ザイール(現コンゴ民主共和国)で発生したアウトブレイク。
2か月のアウトブレイクの期間中、318名が感染し、280名が死亡(致死率88%) した。
(なお、本書時点では317名感染・245名死亡。)

今回の規模とはケタが違うとはいえ、
エボラ出血熱のアウトブレイクとしては、当時最大規模のものだった。

本書はNHK取材班が、当時の状況を関係者にインタビューし、時系列で再現するもの。
同じ手法が、「世界を救った医師―SARSと闘い死んだカルロ・ウルバニの27日 (NHKスペシャルセレクション) 」(レビューはこちら)でも使われている(むしろ時系列としては、本書の出来事の方が先だ)。

ところが、読み進めるにつれて、激しい既視感に襲われた。
原因不明の死亡者。
月次と倒れていく病院関係者。
崩壊する現場の中で、一人事態の重大性に気づき、最前線に留まりながら、
サンプルや情報を政府や西欧圏の感染症研修者に届けようとする姿。
重大性に気づかない政府。
ようやく事態を把握するWHOとCDC…。

正体不明の感染症に、たった一人の医師が孤軍奮闘する状況は、本来有るべきものではない。
もちろん、それが初めてなら仕方がない。
だが、この1995年のエボラ出血熱の大流行時、こうした事態の混乱があったと認識しながら、
その教訓がきちんと活かされなかったこと-、それこそが、SARSの際にカルロ・ウルバニ医師が死亡する遠因となったとすら感じられる。

そして、今回の2013年12月から続くアウトブレイクにも。

NHK取材班は、現地取材の締めくくりに、こう記している。

 外国の医師団がもたらした、豊富な医療器材はしばらくして底をついた。各病院は、かつてのような物不足の状況に陥っている。患者を隔離していた総合病院の第三病棟は、患者の血液で汚染されたベッドのマットレスを廃棄したため、患者を受け入れることができない。一日中動いていた発電機は、燃料不足のため、以前のように手術をするとき以外は使えなくなった。
 キクウィト第二病院の検査室では、常時手袋を着用するようになったものの、予備がないため、同じ手袋を消毒して何度も使い回ししている。穴が空いても代わりの手袋は手に入らない。ピペットも、相変わらず口で吸うタイプのものしかない。
 この脆弱な医療施設を、再びエボラウイルスが襲ったらどうなるのか。彼らは確かに、知識と言う貴重な武器を得た。しかし凶暴なウイルスから身を守る手段は、依然として不足したままである。



もちろん、2013年のアウトブレイクはギニア発と言われ、今回の現場とは異なる。
また、コンゴ民主共和国(旧ザイール)でもエボラ出血熱が一部流行したが、大規模なアウトブレイクを引き起こしている株とは異なるようだ(複数株が同時期にアウトブレイクになれば、それこそ恐ろしい事態なのだが)。

だが今回、いや今もアウトブレイクに瀕している地域も、
いずれ、NHK取材班が1995年のアウトブレイク後に見たような状況になるのではないか。

2015年8月、エボラに対するワクチンが開発されつつあるという報道がなされた。
一方で、エボラから回復した男性患者の精液中に、最長9カ月間ウイルスが残ることがあること、
また、回復した男性からパートナーの女性に感染し、その女性が死亡する事例が確認された。

エボラ出血熱のアウトブレイクは、過去の出来事ではない。
また仮にワクチンが出来たとしても、アフリカでどのように接種率を高めるかも課題だろう。
エボラ出血熱を始め、新興感染症や再興感染症など、
終わったと思っていた感染症と人間の戦いは、実はまだ始まったばかりのようだ。
ただ少なくとも、その戦いをたった一人の医師に担わせるという状況は、二度と繰り返してはならない。

【目次】
第1章 噂
第2章 襲われた病院
第3章 エボラだ!
第4章 謎のウイルス
第5章 血液サンプル
第6章 孤立する町
第7章 ウイルス確認
第8章 ウイルス封じ込め作戦
第9章 キンシャサの恐怖
第10章 終息への道
第11章 残された謎
第12章 熱帯からの逆襲

レビューはこちら

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