ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

王を敬愛し、死刑を最も廃止したかった人物の苦悩。「死刑執行人サンソン ―国王ルイ十六世の首を刎ねた男」  

死刑執行人サンソン ―国王ルイ十六世の首を刎ねた男 (集英社新書)
安達 正勝



人が「人らしく在る」と見做される理由の一つに、法による統治が有る。
もちろん、その法自体が悪法であることや、秩序だっていないこともある。
だが共同体において、人々が「法」をその基盤とすることが、
単なる集団が「社会」に変質する第一歩と言えるだろう。

ただそこには、人が人を難しさが在り、また個人の情に左右されず、法を執行する厳しさが必要だ。
死刑の是非も常に問われるところだが、
法が究極の形としてそれを求める以上、それを執行する者が必要となる。

王政時代のフランスにおいて、その死刑執行人は世襲制だった。
その家に生まれた者は死刑執行人になる以外に将来の道は無い。
もし他の職業を選んだとしても、死刑執行人の一族であることが知られれば、その場に留まることができない。
そこには「死をもたらす者」に対する苛烈な差別がある。

ただ、多くの差別と異なる点は、それが王から委ねられた仕事であるということだ。

その社会を統制するために必要な、究極の刑を担う者として、
死刑執行人には当初は徴税権や多額の国家からの報酬があった。
それにより、大邸宅に住まい、多数の助手も養っていた。

さらに、人に確実な死をもたらすという仕事ゆえに人体に関する知識も深く、
経験に基づくものとはいえ、当時としては高度な医学知識も有り、
貧乏な者からは報酬を受け取らないという善意の医者でもあった。

本書の主人公は、シャルル・アンリ・サンソン。
こうしたフランスの死刑執行人の一族の中でも最も格が高い、
「ムッシュ・ド・パリ」と呼ばれるパリの死刑執行人である。

その人格は高潔にして信心深く、また縁あって助けた神父から高度な教育も受けていた。
そして死刑執行という、高度な技術と強靭な精神力を必要とする仕事を全うすることに、
一族の誇りを懸けていた男。
「軍隊は国外において平和を維持し、私は国内において平和を維持する。
 決闘で人を殺せば賞賛され、死刑で人を殺せば忌み嫌われる。
 社会のために有用な職務を果たしている死刑執行人を差別させるのは間違っている。」と、
裁判所で堂々と主張する強さももっていた。

ただ一方、人に死をもたらす仕事に嫌悪し 死刑執行人という立場でありながら、
当時の社会において、最も誠実に死刑を廃止したいと願っていた人間の一人でもあった。

さて、サンソンが仕事に携わっていた頃の死刑とは、絞首刑や斬首刑だった。
特に斬首刑は、日本の打ち首とは異なり、死刑囚の動きを押さえる者がおらず、
自由に動ける人間の首を一刀で落とすという、極めて高度な技術を要するものだった。
そのためサンソンでさえも、失敗することもあったほどだ。

その中で、自由と平等を模索するフランス革命前期の雰囲気が、
「死刑は、最も苦痛が少なく、迅速かつ確実に人を死に至らす処刑装置で行うべきだ」
という考えが生まれる。
そして考案されたのが、ギロチンである。
本書の元となった記録によれば、シャルル・アンリ・サンソンが考案した医者らと設計図の検討を行っていたところ、
工作好きのルイ16世もお忍びで立会ったという。
王に忠誠を誓い、王から委ねられた仕事に誇りをもっていたサンソンは、
その日を忘れることがなかった。

ところが、フランス革命が勃発。
ルイ16世自身が革命政府により、死刑になることが決まった。
道具はギロチン。
そして死刑執行人は、もちろんシャルル・アンリ・サンソンである。

「王からの委任された仕事」 である死刑という一族の使命に対する誇り。
死刑という制度を、誰よりも早く廃止したかった想い(ルイ16世に、その旨の進言も送っていたほどだ)。
そして、ギロチンの構造を王とともに検討した記憶。

だが、それでも自らの手で王を死刑にしなければならなかった。


本書は、王政から共和制へと、人類史でも激動と言って良い時代の最中に、
死刑執行人というフランスの闇の末端に位置するサンソンと、
光の頂点にいたルイ16世の邂逅と処刑を中心に、
フランスで代々続いた死刑執行人の一族を描いたもの。

サンソン家は、本書主人公の4代目シャルル・アンリ・サンソンを経て、
6代に渡りフランスの死刑執行を担う。
そして本書の底本は、最後の当主、アンリ-クレマン・サンソンの回想録である。

その重さに圧倒されてしまうが、埋もれたままとなるには勿体ない一冊である。

なお、本書読了後に知ったのだが、
シャルル・アンリ・サンソンを主人公としたコミック「イノサン (ヤングジャンプコミックス)」がある(恐るべし日本)。
本書が底本であるものの、コミックはあくまでフィクションとして読むべきだが
それはそれとして興味がある方はぜひ。でも、なかなかにクセがある気配。

あと、日記にも書いたが、荒木飛呂彦によるジョジョの第7部「スティール・ボール・ラン」の実質的主人公の一人であるジャイロ・ツェペリが死刑執行人の一族という設定は、本書がモデルである。本書を読めば、ジャイロの苦悩がより理解できるかもしれない。

【目次】
序章 呪われた一族
第1章 国王陛下ルイ十六世に拝謁
第2章 ギロチン誕生の物語
第3章 神々は渇く
第4章 前国王ルイ・カペーの処刑
終章 その日は来たらず



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東京大学史料編纂所教授による、史料採訪の旅とは? 「日本史の一級史料 (光文社新書)」  

日本史の一級史料 (光文社新書)
山本 博文



僕らが知っている「歴史」とは、唯一無二ではない。

歴史は過去に確かにあったことですが、現在、われわれが知りうる「歴史」というのは、史料から復元されたものであり、かつ史料からしか復元されえないもの


史料が残っていたとしても、それを読む歴史家によって、そこから描き出される歴史の姿は変わります。


つまり、歴史を語るとき、史料とそれを読む歴史家の存在を無視することはできないのです。




だが、多くの人々は、知らず知らずのうちに、学校で学んだ歴史知識、歴史観に拘束されている。

また、社会人になって以降、ある立場から「解釈した歴史」に接し、
「これこそが正しい歴史」と思い込んでしまうこともある。

本当は学校において、
「今学んでいる歴史は、現在確認されている史料と、
多くの歴史家またはその分野の専門的な歴史家が認識している歴史である。
だから、卒業後も常に自身で学ぶ必要がある」と、繰り返し教えておく必要があるだろう。

さて、その史料については、
その歴史的事実が発生した時そのものに記録された一次史料と、後日に記録された二次史料がある。

そうした時点性はあるものの、二次史料のうちにも、歴史を知るうえで重要な史料は存在する。

一般化された言葉ではないが、そうした重要な史料、貴重な史料を指して、「一級史料」という場合がある(多くは、マスコミなどにおいて)。

本書は、東京大学史料編纂所の教授として、全国各地の様々な史料に接してきた著者によるもの。

タイトルから、様々な「一級史料」が羅列・紹介されるものかと思われるが、
実はいくつかの一級史料を基にはするものの、実際は

・東京大学史料編纂所による全国の「史料採訪」(史料発掘・記録)活動の実際、
・新たな史料の発見例
・一級史料「島津家文書」の研究例

などを紹介するもの。

歴史の基礎である史料をいかに見つけ、記録するか。
そして実際に、史料からどのような歴史が復元できたかを、
東京大学史料編纂所の教授が自身の経験から示す、なかなか類を見ない本である。

そもそも、東京大学史料編纂所(公式HPはこちら)の前身は、1793年(寛政5年)、塙保己一の建議によって幕府が開設した和学講談所。

明治維新後、史料編輯国史校正局となり、日本の歴史を記録する事業を担う。
そして、帝国大学(現・東京大学)に修史事業が移管(1888年(明治21年)) された後、
外国人教師ルードウィヒ・リースの意見により、歴史を書くのではなく、
収集した史料を編纂・刊行することを任務とするようになった。

日本における史料収集・編纂の要となる組織である。

実は、本書で僕も初めて知ったのだが、
デジタル化された様々な古文書を横断検索できるデータベースや、
くずし字の電子字書などもある。
様々なデータベースの一覧はこちら
興味がある人にとっては、極めて有用なシステムだろう。

史料編纂という活動は地味だが、これなくして日本の歴史を辿ることは不可能である。
本書を通じ、もっと多くの方に存在と重要性を認識していただきたい。

【目次】
第1章 有名時代劇のもと史料
第2章 歴史家は何をどう読む?
第3章 新しい史料を発掘する
第4章 一級史料の宝庫「島津家文書」を読む
第5章 「歴史学」への招待
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失われた写本を最新技術で復元する、知の冒険物語「解読! アルキメデス写本」  

解読! アルキメデス写本
ウィリアム・ノエル,リヴィエル・ネッツ



現代人は、古代人より優れているのか。

つい「現代人の方が賢い」というイメージを持ちそうになるが、
実際のところ、少なくとも古代エジプト文明の黎明期である紀元前3000年以降、
たぶん賢さは変わっていない。

もちろん現代は、小学校で0の概念を習い、理解する。
だがそれをもって、0を知らなかった古代人よりも賢いとは言えない。

実際のところ、現代人が極めて若い頃から高度な知識を学ぶことが可能なのは、
「能力的に」可能なのではなく、「環境的に」可能だからだ。
すなわち、知識量の蓄積があるためである。
言い換えれば、現代人は「学ぶ」が、個人個人が「発見」しているのではない。

さて、知識の蓄積は、文字と記録媒体(紙など)の存在と、それを発見し、遺した人が過去にいた結果である。

そしてそれぞれの時代に発見できる「知」は、それまでの「知の蓄積」が出発点となる。

むしろ古代人は、「知の蓄積」においてハンデがあるのだ。
結局のところ、現代人も歴史的人物も脳の能力には差はなく、
本質的に在るのは個体間の差だけだろう。

とすれば、一般的な現代人よりも遥かに優れた知性が存在していても、不思議ではない。

そのような人物の一人が、アルキメデスである。

様々な定理と逸話により、少なくとも学校教育を受けた方は、
全てこの方のお世話になった(人によっては苦しめられた)だろう。

その天才的な頭脳は、古代ギリシャにおける工学・数学の限界を超越しており、
まさに現代の基礎となっている。

だが、アルキメデスが生きていたのは紀元前287年頃から、紀元前212年まで。
キリストが生まれる以前であり、その著述はほぼ全て失われている。
現在いくつかの論文が知られているが、原文そのものが残っている例はなく、
様々な写本や引用による窺い知れるのみだ。

正確に辿ろう。
アルキメデスの原文書は、パピルスに書かれ、木製の芯がある巻物だった。
これに数々の数学的命題を記載し、エラトステネスへ送っている。

エラトステネスへ送られた手紙は写本が造られたが、パピルスという素材、
その後幾多の戦争、そしてキリスト教の普及により、
「キリスト教の修養のための書物こそが残すべき文書」という価値変化から、
写本の多くは失われてしまう。

だがその後、コンスタンティノープルにおいて、「古典」を写本に移すという作業が行われた。
ここでアルキメデスの文書は、羊皮紙による冊子として写本化される。

この時点で筆記法も変化し、アルキメデスらが用いていた大文字法(全て大文字)から、
小文字法が生み出される。
そして写本後、大文字の原本は放棄され、あとには小文字の写本のみが残る。

こうしてアルキメデスの写本は9世紀から10世紀の時点で、3冊のみが残された。

これらはA写本、B写本、C写本と呼ばれている。
アルキメデスの各論文は、このどれかに(ものによっては重複して)記載されている。

このうちB写本は、ローマの北にある町ヴィテルボの教皇の図書館で1311年に確認されたきり、行方がわからない。
またA写本は、1564年に、ある人の蔵書として記載されたきり、行方不明だ。
この2冊からはさらに写本が作られており、ダ・ヴィンチやガリレオは、
これによりアルキメデスを理解している。
だが、A・B写本そのものは、失われている。

問題は、C写本だ。
これも失われたと思われていたが、1906年、
コンスタンティノープルに遺る174ページの羊皮紙の書物を調査したヨハン・ハイベアが、
その書物はパリンプセストであることに気づく。

パリンプセストとは、一度書かれた羊皮紙の文字を削り、薬品で消滅させ、再利用した文書だ。

そして、うっすらと残る旧文書が、実はC写本であることに気づいたのだ。
現存する、唯一の最も古いアルキメデス写本である。

このパリンプセスト文書は、1920年代に売却され、誰かの手を経て、
1998年10月29日、ニューヨークのクリスティーズで競売にかけられた。

このパリンプセストを匿名の大富豪が買い取る。
また個人のものとして失われてしまうのかと落胆するなか、
ウォルターズ美術館の写本担当者である著者が、展示のために一時的に借りられないかと(ダメ元で)提案する。

その結果、なんと匿名の大富豪「ミスター・B」はそれを了承。
それどころか、パリンプセストの保存・修復、失われた文字の復元、そして記載された内容の解読を託す。
資金は全て、ミスター・Bが提供する。

こうして、1000年前の書物、しかも削り取られた文字を再現するという、前代未曾有のプロジェクトがスタートする。
そこで得られる結果は、人類史上有数の天才、アルキメデスの失われた到達点である。
凡百の冒険小説では立ち向かえない、なんと魅力的なテーマだろう。

本書はその過程を辿る者だが、奇数章をウォルターズ美術館のウイリアム・ノエルが担当。
写本解読というプロジェクトを記していく。

一方偶数章は、ギリシャ数学の研究者であるリヴィエル・ネッツが担当。
こちらは解読された写本の内容をふまえながら、アルキメデスが到達していた数学について解説する。
そして、パリンプセストに記載されていた内容が、これまでの数学史・アルキメデス観を覆すものであることを示していく。

数学というと僕も含めて苦手な人も多いが、
アルキメデスは現代の数学的な記述方法自体が発明される前の人物だ。
だから、そこで用いられる武器は、図形と思考のみ。
三角形の面積とか、単純なレベルかなと思って読み進めていただいてよい。

そうすれば、図形と思考という極めて原始的な武器しかなかったにも関わらず、
アルキメデスが恐ろしく複雑な図形の体積を求め、
その過程で「実無限」の概念に肉薄し、
また組み合わせ論にも思い至るという、とんでもない天才であることを実感できるだろう。

一方、数学は無視して、本書を純粋な考古学的興味だけで読むことも可能だ。
何といっても、1000年前の羊皮紙写本。
中には全面が塗りたくられたページすらある。

どのような技法で、どのような苦労で、文字を再現するのか。
古代研究としても、本書は優れた(そして現在進行形の)冒険物語だ。

【目次】
アメリカのアルキメデス
シラクサのアルキメデス
大レースに挑む第1部 破壊から生き残れるか
視覚の科学
大レースに挑む第2部 写本がたどった数奇な運命
一九九九年に解読された『方法』―科学の素材
プロジェクト最大の危機
二〇〇一年に解き明かされた『方法』―ベールを脱いだ無限
デジタル化されたパリンプセスト
遊ぶアルキメデス―二〇〇三年の『ストマキオン』
古きものに新しき光を
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古文書は、情報の宝庫だ。「中世の古文書入門 (視点で変わるオモシロさ!)」  

中世の古文書入門 (視点で変わるオモシロさ!)
小島 道裕



連綿と続く日本だが、それでも大きな断絶がある。
特に、明治維新だ。
政治的な機構だけでなく、話し言葉・書き言葉すら、大きく江戸時代から変わってしまった。
その結果、江戸時代に刊行された膨大な量の書物を読むことができる人間は、現在、極めて少ない。

いわんや、「刊行された本」という体裁をとらない文書に至っては、「読む」という行為すら思いつかない。

だが、それでも同じ日本である。「読めない」のは、悔しい。

そこで以前、「やさしい古文書の読み方 」(レビューはこちら )を紹介した。

同書は、
古文書とは何かかに始まり、書き方の作法、文書の仕組みを解説し、
その上で「くずし字」を読むコツを解説してくれた。
これ一冊で「読める」とは言わないが、「古文書は読める」と知ることは、確実にできる一冊であった。

一方本書は、対象を中世の古文書に絞る。
朝廷、幕府、戦国大名が入り乱れる波乱の時代。
それは、多くの文書が飛び交う時代でもあった。

恩賞、命令、軍令、主従関係。
様々な関係が、文書によって伝達された。

その多くの文書を、見開きで実例として紐解いていく。
特筆すべきは、その視点だ。
「文字を読む」ことも重要だが、本書では特にその形式に注目する。

中世の古文書では、宛名をどう、どこに書くか、
また差出人の名前をどのように、どこに書くかということにより、言外のメッセージを伝えることができた。
現代社会では忘れ去られてしまった、これらの「決まり」を、本書は教えてくれる。

また同時に楽しいのは、「花押」の成り立ちだ。

戦国大名の文書を彩る花押だが、その形成、書き方、特徴などは、
なるほどこれらの「文書史」を知ることで、具体的に理解できる。

本書では、足利尊氏、伊達政宗、織田信長、豊臣秀吉などの花押を例に、
その書き方、構成、そしてそこに籠められた「意思」なども紹介する。
「古文書の読み方」だけでなく、こうしたトピックを知ることができるのも、また楽しいところだ。

人生において、古文書を読むというシチュエーションがそう在るとは思えない。
だが、「古文書は当然ながら読めるものだ」と知っておくことは、日本に生きる者としては知っておくべきだろう。

【目次】
第1章 朝廷と天皇の文書
第2章 武家の文書
第3章 文書が残るということ
第4章 さまざまな契約書
第5章 組織と儀礼
第6章 戦国大名の文書
第7章 近世の文書へ

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ニセモノだからこそ、面白い。「ニセモノ図鑑: 贋作と模倣からみた日本の文化史 (視点で変わるオモシロさ!)」  

ニセモノ図鑑: 贋作と模倣からみた日本の文化史 (視点で変わるオモシロさ!)
西谷 大



ゼロ THE MAN OF THE CREATION」という漫画がある。
天才的な技術と豊富な知識、圧倒的な記憶力によって、依頼された品を完璧に複製・再現する人物の物語だ。
いわゆる贋作モノだが、ゼロが創るものは「本物」であるとされる。
なかなか面白い漫画なのだが、これが楽しいのは、現実世界でも常に真贋の問題があるためだ。

実際、驚異的な贋作者もいれば(未読だが「ピカソになりきった男」など)、杜撰なモノであっても、人を「騙す」ことさえできれば本物として通用し、社会を混乱させうる(例えば、「偽書「東日流外三郡誌」事件 」(レビューはこちら )など)。

また贋作は美術作品に限らない。
むしろ実用品であればこそ、ニセモノが介入する余地もある。
特に金銭に直結するモノ、例えば遺言書(「筆跡鑑定入門──ニセ遺言書、文書偽造を見破るには」(レビューはこちら ))にもニセモノは有り得るし、
ずばり偽札(「」レビューはこちら)になれば、国家レベルでの贋作づくりも有り得る。
(第二次世界大戦中の日本の偽札作りについては、「陸軍登戸研究所“秘密戦”の世界―風船爆弾・生物兵器・偽札を探る」(レビューはこちら) )でも取り上げられている。)

人の営みが損得勘定に左右される以上、ニセモノは人々の生活から切り離すことはできない。

そうすると、人がニセモノを造り、買い求め(騙される場合もあれば、知ったうえでの購入もある)、活用する姿というのは、まさに人の「民俗」そのものと言えるだろう。

本書は、「本物」を収集・展示することが使命の一つである国立歴史民俗博物館が、
あえてニセモノに注目した企画展、
「ジュラ紀から現代まで」とうたった「大ニセモノ博覧会」 から、そのエッセンスたる展示物を紹介したものだ。

例えば戦前までの日本では、ある程度の家には座敷があり、床の間があった。
床の間には春夏秋冬、また祭事に応じて掛け軸―書画をかける。
その「家」が地域を代表する資産家であれば、その書画は「由緒正しい作品」である必要がある。
そこに、ニセモノが介在する余地が発生する。

また、「由緒」といえば、そのものずばり「家の由緒」「特別扱いの由緒」もニーズがある。
本書で紹介されている例は、先祖が武田家に仕官したという「由緒」や、
また甲斐国で行われた特殊な換金法に基づき、年貢が低率になることが保証される「恩借証文」などだ。
精巧なものから稚拙なものまで、こうした偽文書造りが一般化していたことが伺える。

ちょっと脱線するが、「東日流外三郡誌」事件を引き起こした和田氏も、
こうした「古文書偽造」を商いとする系譜に連なる人物だったのだろう。

さて、本書で面白いのは、本物が存在しないニセモノ、すなわち空想の動物も取りあげている点だ。
具体的には「人魚のミイラ」である。
ペリーの航海誌には、和歌山を通過する際に「人魚のミイラを作っている」と記述があるらしく、
どうも人魚のミイラは特産物の一つだったようだ。

「大ニセモノ博覧会」の開催にあたり、人魚のミイラを借りることができなかったため、
筆者らは新しく作っていまう。
その「正しい作り方」を知っている人がいたというところが、面白い話である。

サルの上半身と鮭の下半分を組み合わせるといった基本的な技法は知っていたが、
実際に作るとなると、さらに様々なテクニックがあって興味深い。

生の素材をミイラ化させるために漬け込む液、その期間。
サルだと腕が長すぎるため、それを短くする配慮。
そしてミイラに古色をつけさせめための方法など。

いやはや、ニセモノ造りは奥が深い。


【目次】
第1章 ニセモノとおもてなし
第2章 なぜ偽文書は作られたのか?
第3章 パクリかパロディか
第4章 ニセモノを創造する
第5章 ニセモノから学ぶ

▼手軽に楽しめる。


▼未読。いつか読みたい。


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