ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

文字の森から、謎を解く。「日本書紀の謎を解く―述作者は誰か (中公新書)」  

日本書紀の謎を解く―述作者は誰か (中公新書)
森 博達



日本書紀。720年に完成されたという正史である。
編纂したのが舎人親王であるということは続日本紀に記されているが、
実際のところ誰が書いたのか、全30巻がいかなる順で成立したのか等は、不明である。

日本書紀自体が最古の正史であるため、依るべき文献記録もない。

そこで成立状況を詳らかにする手法の一つが、
丁寧に文献を分析していくこと、である。

語句の出現頻度。用法。
用いられている暦など、江戸時代の本居宣長をはじめ、多くの研究者が挑み、研究を積み重ねている。

これにより、概ね全30巻は巻3系と巻14系の2系列に大別されるとされていたが、
ここに古代中国の音韻学の視点を組み込み、新たな地平を拓いたのが本書である。

従来、日本書紀の漢文は純漢文体であり、時にある誤りは「単なる誤り」か「後代の誤写」等とされていた。
これは日本書紀の格を無意識に重んじる結果でもあったろうし、
研究者に古代中国の音韻学という視点がなかったためである。

だが著者は、古代中国の音韻学を修したという武器があった。
この武器をもって日本書紀の万葉仮名を分析したところ、
古代中国の音韻を踏まえて万葉仮名が使い分けられていた巻と、
そうした配慮がなされていない巻があることを発見した。

α群(音韻に従った表記)とβ群(音韻を無視した表記)である。

これまでの分析も有用であったが、それらは「区分できる」という違いでしかない。
だが著者の研究により重要なのは、
「古代中国の音韻学に精通した人物でなければ書けない」という制約が、α群に在るという事実を見いだしたことである。

さらに著者は、文章における用字法についても、実はβ群は純漢文体ではなく、
明らかな誤用があること、
一方α群は純漢文体であり、一部在る誤用については他書を引用した部分であり、
著述者が原点の表記を尊重した結果である、という意思を見抜く。

また、α群の最初である第14巻とβ群の末尾である第13巻の著述から、
α群が先行して著述されたという指摘も行う。

これらを踏まえ、著者が導き出した結論は、
まず当時(現時点からは古代)の中国音韻学に精通した中国からの帰化第一世代がα群を著述し、
別の日本人がβ群を著述したと推測する。

α群の著者が「中国からの帰化第一世代」という点については、
α群では日本では一般的である語句に対してわざわざ注を付すという不思議な点があることの説明にもなる、という。

こうした研究と、当時の記録を組み合わせ、
著者は書紀α群の二人の著者、β群の著者、そしてこれらとは異なる30巻の著者、そして漢籍により全てを潤色した者を特定していく。

純漢文体を意識しているということは、文字の用法に厳格である、ということだ。
そして文字の用法に厳格であるということは、万葉仮名における表記についても、
当時の日本語発音と古代中国の音韻を意識した文字が選ばれている筈だ。

言われてこれば確かにそうだが、それを立証し、活用するには並大抵の知識では不可能である。
だが、本書の著者はそれを成し遂げた。
高度な国語学の知識がなくとも、その成果を一冊の新書で学べるということは、極めて幸せな話である。

【目次】
第1章 書紀研究論
第2章 書紀音韻論
第3章 書紀文章論
第4章 書紀編修論
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犬って、いい。「全国の犬像をめぐる: 忠犬物語45話」  

全国の犬像をめぐる: 忠犬物語45話
青柳 健二



犬も猫も飼ったことがあるが、数十年ぶりに犬を飼ってみると、
改めて犬って群の動物である。
飼い主なんて、犬にとっては「デッカイ仲間」なのだろう。
その特殊な関係性、その多くは「緊密な結びつき」なのだが、
それは様々な物語を産む。

忠犬ハチ公がその筆頭だし、
南極で生き残ったタロ・ジロの物語は映画にもなった。
ジロ&ハチ公
▲国立博物館のジロとハチ公。

ヒトとイヌの関係性が暗黙の前提となっているのが、
伏姫と「犬」の字を含む名字の八犬士との伝奇小説、南総里見八犬伝だろう。


記憶に残したいヒトとイヌの物語。
その多くが、「像」として昇華されている。

最初に思い浮かぶのは忠犬ハチ公、
上野の西郷隆盛像も犬を連れている。
僕の地元の金刀比羅宮には参拝犬「こんぴら狗」が在る。

本書は愛犬ヴィーノと日本一周旅行をしつつ、全国各地に残された犬の像を巡り、
その物語を紐解いていく一冊。こんな本は、たぶん他にない。

旅の途中の探訪のため、アカデミックな深堀りは無い。
それどころか、記載された物語も、各地の郷土史家などに聴いているものの、
それが唯一の定本とは限らない。
また一編ずつは短く、またエッセイ的な側面も多々ある。
だがそれでも、それだからこそ、
ふらりと出会った犬像について、地元の方に説明されているような親しさを感じる。

掲載された像にまつわるストーリーは、その多くは小さな町や村で起こり、主役は一般人とその飼い犬だ。
そんなごくありふれた日常の中で、
「像」に残したいと思うような物語が生まれている。

日本人にとって、犬はどんな位置にいたのか。
その関係について想いを馳せられる楽しい本である。

掲載された物語は45話、北海道から鹿児島まであるので、
「地元の犬」が掲載されている方も多いのではないだろうか。

それにしても上野で待ち続ける「ハチ公」があるが、
三重県津市には、上野博士とそれを見上げるハチ公像がある。
それだけでも微笑ましいのだが、まだ二人(と言って良いか)の間には、
距離感が在る。

ところが最も新しいハチ公像、東京都文京区の東京大学農学部にあるが、
この像は、上野博士に飛びつかんばかりのハチ公と、
腰を屈めて迎える上野博士の姿だ。

待ち続ける「ハチ公」ばかり見ているけれど、
このお互いの喜びを表現している像こそ、
上野博士とハチ公の素晴らしい関係を示してるのだろうなあと思った次第である。
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今こそ、昭和。「新装版 昭和史発掘 (1) (文春文庫)」  

新装版 昭和史発掘 (1) (文春文庫)
松本 清張



「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の成立により、
平成という時代の終わりが見えてきた。
元号の区切りとして、昭和の終焉しか体験したことがない人間としては、
こんな状況になるとは思いもしなかった。

おそらく、「元号」と「天皇」の一体性に関しては、
平成の終焉が初めて記憶する元号の区切りとなる人とは、
全く肌で感じるモノが異なるだろう。

平成は何の時代と呼ばれるようになるかも興味があるが、
昭和というと、やはり「激動の時代」だろう。

本書はその昭和時代の諸事件について、
綿密な調査によって検証していく、松本清張のシリーズである。
多くの「ノンフィクション」と異なるのは、
真相が不明な事件に対しては、社会派推理小説の第一人者だけあって、
松本清張による仮説・推論が展開されている点だろう。

全9巻。
今回読んだのは、第1巻であり、収録されているのは次の5編。
「昭和史発掘」シリーズだが、3編は大正時代のものだ。
また、1と2は強い関連性が有る。

1 陸軍機密費問題
 陸軍大将であった田中義一が、大正15年(1925)に政界入りする際の「持参金」、
 300万円(1円=2000円と換算して60億)の出処疑惑
2 石田検事の怪死
 1の事件も担当していた石田検事が変死体となって発見された事件
3 朴烈大逆事件
 大正13年(1923年)に、朴烈と内縁の妻の金子文子が、
 皇太子暗殺未遂(実際は爆弾の入手もしておらず、
 使途も不明な爆弾入手を断念した事実があるのみ)という大逆事件で逮捕された事件。
 取り調べ中の2人がリラックスした怪写真が出回った。
4 芥川龍之介の死
  1927年(昭和2年)7月24日没
5 北原二等卒の直訴
  1927年(昭和2年)11月、閲兵式にて軍隊内部の部落差別と改善を昭和天皇に直訴した事件

芥川龍之介の自殺以外は初めて知る事件だ。
これらの事件について、清張による事実整理、それらを巡る推論。
もちろん、これらの作品だけで事件の全てを知ったと思い、
清張の推論こそが真実と盲信することは危ういながらも、
少なくとも、混沌とした時代を痛感するシリーズである。

なおWikipediaに各巻の収録目次があり、
確認すると5巻以降は2.15事件を取り上げたものらしい。
よって単発で買うのなら、1~4巻がお勧め。
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生々しい祈り、そのままに。「ミステリーな仏像」  

ミステリーな仏像
本田不二雄



「仏像」に対するイメージは様々だが、それぞれの姿を自由を描けるわけではない。
各仏―如来、菩薩、明王、天部や羅漢などに至るまで、
大系化された仏教世界においてその位置づけが定まっているように、
その形も定まっている。
だからこそ、その形からその仏像が「何か」を知ることができる。

ところが一方、人々の祈りは様々だ。
その祈りの受け皿となるべき「仏像」が在れば良いが、
それが合致しない時、人は新しい仏像を創りだすことがある。

そうした荒々しく、かつ生々しい祈りがイメージ化されたとき、
従来の仏とは異なる姿が現れる。
それを、無関係な第三者が容易に理解できるとは思えない。

本書おさめられているのは、そうした生々しい祈りの姿だ。


さて、本書を読む決め手は、
香川県観音寺市にある「大野原の生木地蔵」が収録されていたことだった。
もう何十年も前になるが、県内の保存木を巡った時期があり、
その中でこの仏像に出会った。
(観音寺市観光協会のHPで見ることができる。)

小高い丘の上、数々の墓石がある中に聳える、一本のクスノキ。
その一面は建物で囲われている。
そしてこのクスノキ、まだ生きているクスノキを抉り、
中に地蔵菩薩が掘り出されているのだ。

生きている木から仏像を掘り出す。
どれほどの想いが在れば、それほどの行為ができるのかと、
恐ろしくも感じたほどだ。

その由来も本書に記載されていた。
天保7年(1837)、病弱の娘の病気平癒を祈願し、四国八十八箇所を巡った森安利左衛門。
彼が伊予で見た生木地蔵を、娘のために故郷で刻んだという。
その結果、娘のナオは100歳まで生き、大正8年11月26日に亡くなったという。
その御利益が、この生木地蔵を今日まで遺している。

本書には、様々な「ミステリーな仏像」が紹介されている。

法然寺(香川県高松市)にある、法然上人像。
胸がカラクリ仕掛けのように開き、
中にもうひとつの合掌像が現れる。

また、仏像と言えば正面を見据えているものだが、
萬日堂(群馬県高崎市)の阿弥陀如来立像は左下を見ている。

さらに、ガリガリの姿の「黒ぼとけ」(応仁寺(愛知県碧南市))。

まるで人体模型のように、
仏像の内部に骨格・臓器を象った像が納められている栄国寺(愛知県名古屋市)の阿弥陀如来坐像。

いかなる祈りが、そのような姿を求めたのだろうか。
本書を紐解きつつ、もしお近くに在るのならば、ぜひその姿を拝んではいかがだろうか。

【目次】
【第一章】仏像が秘めていたもの
1 隠されていた裸形像
2 格納された秘仏
3 骨格・臓器をそなえた仏像
4 「八手観音」とその胎内仏

【第二章】ありえない仏像
5 ついに立ち上がったホトケ
6 振り返る仏像たち
7 膨張をつづける頭髪と童顔
8 知られざる「やせ仏」
9 何ごとかを告げる阿弥陀仏

【第三章】霊木からの化現
10 立木からあらわれたホトケ[一]
11 立木からあらわれたホトケ[二]
12 母なる円空仏
13 木とともに生き続ける地蔵尊
14 永遠に開眼しない観音像
15 無眼と閉眼の思想

【第四章】奇仏をめぐる旅
16 オールマイティな地蔵尊
17 東京の変わり地蔵めぐり
18 びんずるさんが愛される理由
19 ミステリーな東京仏
20 「家康大黒天」をめぐる謎
21 化け猫騒動と秘仏

【第五章】女神像の秘奥
22 ブッダを産む聖母
23 子守をする荒神
24 地母神か山姥か奪衣婆か
25 人髪が植えられた鬼子母神
26 異界の女神・八百比丘尼
27 怨霊になった小野小町

【第六章】神々を発見する
28 御神体の神像あらわる
29 鬼神の肖像
30 ビリケンさんの神々習合
出版社からのコメント
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王を敬愛し、死刑を最も廃止したかった人物の苦悩。「死刑執行人サンソン ―国王ルイ十六世の首を刎ねた男」  

死刑執行人サンソン ―国王ルイ十六世の首を刎ねた男 (集英社新書)
安達 正勝



人が「人らしく在る」と見做される理由の一つに、法による統治が有る。
もちろん、その法自体が悪法であることや、秩序だっていないこともある。
だが共同体において、人々が「法」をその基盤とすることが、
単なる集団が「社会」に変質する第一歩と言えるだろう。

ただそこには、人が人を難しさが在り、また個人の情に左右されず、法を執行する厳しさが必要だ。
死刑の是非も常に問われるところだが、
法が究極の形としてそれを求める以上、それを執行する者が必要となる。

王政時代のフランスにおいて、その死刑執行人は世襲制だった。
その家に生まれた者は死刑執行人になる以外に将来の道は無い。
もし他の職業を選んだとしても、死刑執行人の一族であることが知られれば、その場に留まることができない。
そこには「死をもたらす者」に対する苛烈な差別がある。

ただ、多くの差別と異なる点は、それが王から委ねられた仕事であるということだ。

その社会を統制するために必要な、究極の刑を担う者として、
死刑執行人には当初は徴税権や多額の国家からの報酬があった。
それにより、大邸宅に住まい、多数の助手も養っていた。

さらに、人に確実な死をもたらすという仕事ゆえに人体に関する知識も深く、
経験に基づくものとはいえ、当時としては高度な医学知識も有り、
貧乏な者からは報酬を受け取らないという善意の医者でもあった。

本書の主人公は、シャルル・アンリ・サンソン。
こうしたフランスの死刑執行人の一族の中でも最も格が高い、
「ムッシュ・ド・パリ」と呼ばれるパリの死刑執行人である。

その人格は高潔にして信心深く、また縁あって助けた神父から高度な教育も受けていた。
そして死刑執行という、高度な技術と強靭な精神力を必要とする仕事を全うすることに、
一族の誇りを懸けていた男。
「軍隊は国外において平和を維持し、私は国内において平和を維持する。
 決闘で人を殺せば賞賛され、死刑で人を殺せば忌み嫌われる。
 社会のために有用な職務を果たしている死刑執行人を差別させるのは間違っている。」と、
裁判所で堂々と主張する強さももっていた。

ただ一方、人に死をもたらす仕事に嫌悪し 死刑執行人という立場でありながら、
当時の社会において、最も誠実に死刑を廃止したいと願っていた人間の一人でもあった。

さて、サンソンが仕事に携わっていた頃の死刑とは、絞首刑や斬首刑だった。
特に斬首刑は、日本の打ち首とは異なり、死刑囚の動きを押さえる者がおらず、
自由に動ける人間の首を一刀で落とすという、極めて高度な技術を要するものだった。
そのためサンソンでさえも、失敗することもあったほどだ。

その中で、自由と平等を模索するフランス革命前期の雰囲気が、
「死刑は、最も苦痛が少なく、迅速かつ確実に人を死に至らす処刑装置で行うべきだ」
という考えが生まれる。
そして考案されたのが、ギロチンである。
本書の元となった記録によれば、シャルル・アンリ・サンソンが考案した医者らと設計図の検討を行っていたところ、
工作好きのルイ16世もお忍びで立会ったという。
王に忠誠を誓い、王から委ねられた仕事に誇りをもっていたサンソンは、
その日を忘れることがなかった。

ところが、フランス革命が勃発。
ルイ16世自身が革命政府により、死刑になることが決まった。
道具はギロチン。
そして死刑執行人は、もちろんシャルル・アンリ・サンソンである。

「王からの委任された仕事」 である死刑という一族の使命に対する誇り。
死刑という制度を、誰よりも早く廃止したかった想い(ルイ16世に、その旨の進言も送っていたほどだ)。
そして、ギロチンの構造を王とともに検討した記憶。

だが、それでも自らの手で王を死刑にしなければならなかった。


本書は、王政から共和制へと、人類史でも激動と言って良い時代の最中に、
死刑執行人というフランスの闇の末端に位置するサンソンと、
光の頂点にいたルイ16世の邂逅と処刑を中心に、
フランスで代々続いた死刑執行人の一族を描いたもの。

サンソン家は、本書主人公の4代目シャルル・アンリ・サンソンを経て、
6代に渡りフランスの死刑執行を担う。
そして本書の底本は、最後の当主、アンリ-クレマン・サンソンの回想録である。

その重さに圧倒されてしまうが、埋もれたままとなるには勿体ない一冊である。

なお、本書読了後に知ったのだが、
シャルル・アンリ・サンソンを主人公としたコミック「イノサン (ヤングジャンプコミックス)」がある(恐るべし日本)。
本書が底本であるものの、コミックはあくまでフィクションとして読むべきだが
それはそれとして興味がある方はぜひ。でも、なかなかにクセがある気配。

あと、日記にも書いたが、荒木飛呂彦によるジョジョの第7部「スティール・ボール・ラン」の実質的主人公の一人であるジャイロ・ツェペリが死刑執行人の一族という設定は、本書がモデルである。本書を読めば、ジャイロの苦悩がより理解できるかもしれない。

【目次】
序章 呪われた一族
第1章 国王陛下ルイ十六世に拝謁
第2章 ギロチン誕生の物語
第3章 神々は渇く
第4章 前国王ルイ・カペーの処刑
終章 その日は来たらず



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