ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

最後の8000m峰での悲劇。「残照のヤルン・カン―未踏の八千メートル峰登頂記 (中公文庫) 」  

残照のヤルン・カン―未踏の八千メートル峰登頂記 (中公文庫)
上田 豊



標高8,000m、デス・ゾーン。
酸素濃度は地上の約3分の1となり、
人間は吸収する酸素以上を消費してしまう。
酸素ボンベ無しでは最終的に死に至る。

ヤルン・カンという名の峰は余り馴染みがないが、
それは世界第3位の高峰、カンチェンジュンガ(8,478m)の西峰だ。

主峰ではないとはいえ、その標高は8,505m。
もしそれが単独峰であれば、ローツェ(8,516m)に続く世界第5位となった筈の高峰である。

さて、ヒマラヤの8,000m峰は1953年のエベレスト登頂を皮切りに、
どんどん征服されていく。
その中で、最後まで残ったのがヤルン・カンだった。

本書は、1973年に人類で初めてそのピークを踏んだ上田豊による登頂記である。

この登頂は、京都大学学士山岳会(AACK)のプロジェクトとして進められた。
ヤルン・カンに登りたい個人がいた訳ではなく、
AACKという組織の目標として8,000mの未踏峰登頂があったのである。
著者はその一メンバーとして参加した。

AACKという組織登山であったこともあり、ヤルン・カンの登頂は極地法というアプローチが取られた。
極地法とは、大量の物資、人員を駆使し、低地からキャンプⅠ、Ⅱ、Ⅲ…と徐々に高度を上げた前進基地を設置し、
隊員はそのキャンプ間を荷揚げしつつ高度に順応する。
そして最も高いキャンプから、選抜されたメンバーがアタックをかけるというものだ。

この方法は成功率と安全性を高める一方、
大量の資材、人員、費用を要し、それに比例して膨大な廃棄物等も生み出す。
8,000mの未踏峰開拓時には盛んに行われた方法だが、
現代ではツアー登山を除きほぼ下火になっているようだ。

その是非に対する意見は色々あるだろうが、
本書のプロジェクトは1973年。
その時代に、京大出身者が母体である学術的側面もある団体が、
未踏の8,000m峰に挑む方法として極地法を選んだことは、不思議ではない。
(ただ一方で、極地法に対して批判的な人もいる様子も描かれている。)

ただ本書でも、そのプロジェクトの準備、手配等にも多くのページが割かれているが、
極地法ならではの苦労も多く、なかなかスムーズにはいかない。
特に現地入りし、大量の荷物を荷揚げする際のシェルパの手配等、
登山以前の問題が多数発生する。

そのトラブルが、少しずつ隊の登頂計画の自由度を狭めていく。

最終的に、キャンプⅥを設営することを断念し、
気象の悪化もふまえ、著者と松田隊員の2名がキャンプⅤから日帰りで踏破する、
ラッシュ・アタックを選択することになる。

何もかもが初めてのルート、舞台はデス・ゾーン。
時間的にも厳しい中、午後6時に2人はついにヤルン・カンのピークを踏む。
1973年5月14日のことだ。

ところが下山中、やはり日没を迎え、2人は暗闇の中を降ることになる。
危険な下降が続く中、ついにビバークを決意。
翌朝に行動を再開するも、ルートを見失い、ついに二人は酸素ボンベが無いまま、
ヤルン・カンを彷徨することになる。

著者と松田氏は一旦行動を別にし、著者だけは救出しにきた隊員と合流するも、
松田氏は行方不明となってしまう。

ヤルン・カンという最後の8,000m未踏峰を登る意味、恐怖、困難。

救出された著者は、帰国途中にある人物と奇跡的な出会いを果たすが、
それは8,000mの未踏峰に挑んだ者たちだけに許された運命なのだろう。

単行本の刊行は1979年。文庫は1991年に刊行。
今となっては古い本ではあるが、8,000mに「挑む」という時代を知るうえでも、
読み応えのある一冊である。
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category: 技術

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全力を傾けることの素晴らしさ。「世界出張料理人」  

世界出張料理人
狐野 扶実子



プロの料理は、店で味わうものというのは、先入観だった。

自宅でのプライベートなパーティが習慣化しているヨーロッパ圏では、
自宅に料理人を招き、料理を提供してもらうという方法もあるという。
日本だと店から配送してもらうことになるのだろうが、
なるほど、料理人に来てもらう方が、
出来立ての、より美味い料理を味わえるという言うもの。
ただこうした習慣は、自宅のキッチンにプロの料理人を招くと言うことであり、
日常的に多数のゲストを招くという習慣が無い日本ではハードルが高いだろう。

本書の著者は、フランスのレストランで修行した後、
ふとした切っ掛けから「出張料理人」を生業とするに至った女性だ。

今ではこうしたビジネスは行っていないようだが、
本書では出張料理人となったいきさつから、
様々なエピソードにより「出張料理」ならではの苦労と喜びを教えてくれる。
その顧客やシチュエーションは幅広く、
なんとルーブル美術館でのパーティや、
某国の大統領夫人が出席するパーティなどもある。

こうした、想像することも難しい状況の中、一人の日本人女性が、
いかにプロの出張料理人としてベストを尽くしてきたのか。
もちろん中には失敗もあるけれど、
「誰かのために料理すること」への真摯な想いは、どの編を読んでも伝わってくるだろう。
本書の素晴らしさは、こうした異世界を垣間見せてくれるだけでなく、
その中で悩み、苦しみ、時には失敗もする姿を、
ありのままに見せてくれることだ。
「料理人」「女性」というキーワードは確かに重要だが、
一人の人の真摯な姿を見せてくれるという点で、
日常に苦しむ人々の励みになるのではないだろうか。

ところで、五感は、人それぞれ鋭敏さに差がある。

ただ、視覚については「見えないもの」が見えるということはないし、
聴覚についても超音波が聞こえるという話は聞いたことがない。
嗅覚については、少数の人が極めて鋭敏な感覚を有するイメージだ。

ところが味覚については、個人差がなり激しく、
極めて微量の差異でも感知できる人も多い。
他の感覚よりも、各自が感知できる幅にかなり差がある―というか、
むしろ、味覚は、人によって全く感知幅は異なるのではないかと言う気がする。

その味覚を刺激するものが、料理だ。
だからこそ料理は文化足り得るのだろう。

そうすると、人によって様々な鋭敏な味覚を、
共通してして満足させられる料理というは極めて難しく、
それをコンスタントに創れる者が、一流の料理人といえる。

そうした視点から考えると、
著者が、自分のキッチンではなく、
常に他者のキッチンを用いて、一流の出張料理人たりえたという事実には、驚きしかない。

本書がなければ、こうしたビジネスが存在することも、
そのビジネスで日本人女性が活躍していたという事実も知らなかった。
多くの方に読んでいただきたい一冊である。
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category: 技術

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情熱の牡蠣。「牡蠣とトランク」  

牡蠣とトランク
畠山重篤



牡蠣礼讃 (文春新書)」(レビューはこちら)は、日本の牡蠣養殖史、そして世界の牡蠣養殖史と日本との関わりといったダイナミックな、
それでいて大多数の日本人が知らないストーリーを教えてくれる、とても得難い一冊である。

その中で著者は、「森は海の恋人」運動を展開し、
新たな発想による環境保護を推進していることも記していた。
その活動が大きく実を結び、牡蠣養殖は新たな時代に入っていることを実感させてくれたものだ。

ところが、「牡蠣礼讃」刊行後、東日本大震災が発生する。

著者が「牡蠣礼讃 (文春新書)」で教えたくれた日本有数の牡蠣産地、
そして著者自身の養殖場も、故郷も、文字通り壊滅的な被害に遭う。

前著で示してくれた世界に誇る牡蠣養殖地が、目前で消え去る。
著者や、現地の人々の驚きと悲しみは、想像することもできない。

だがその中で、前著にも記されているが、
かつて病気により壊滅状態となったフランスの牡蠣養殖を救った日本(ミヤギ種)に対して、
今度はフランスから手が差し伸べられる。

また、以前から行っていた「森は海の恋人」運動が、海の底力を素早く復活させていく。

本書は、前著で知った日本の誇るべき東北の牡蠣養殖が、
東日本大震災を経て、再び復活す歩みを記したものだ。

店頭にいつものように並ぶ牡蠣が、
どれほど多くの人々の熱意や友情に支えられて育ったものか。

前著と本書を併せて読むことで、牡蠣を見る眼が大きく変わるだろう。
この2冊は、末永く読み継がれるべきである。

なお、1月20日にNHK教育で、現在の畠山氏の視点から、
これまでの歩みを振り返る(ただし、詳細な紹介ではなく、モノローグ的な感じ)の
ETV特集「カキと森と長靴と」が放映された。
(番組HPはこちら)
美しく牡蠣の海として再生した舞根湾の風景、
「森は海の恋人」という言葉を産み、カキ養殖と森づくりに人生を捧げてきた畠山氏の
幸せな姿を観られたのは、良かった。
精神の糧となる番組であった。


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category: 軟体動物

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泥酔しながら北極、南極。「菌世界紀行――誰も知らないきのこを追って (岩波科学ライブラリー)」  

菌世界紀行――誰も知らないきのこを追って (岩波科学ライブラリー)
星野 保



雪の下なんて、気にしたことがない。
冷たい世界で植物は枯れ、じっと根だけが春を待っているイメージだ。
だが実は、雪の下で頑張っている植物に感染し、じわじわと植物を枯らす菌類、
「雪腐病菌」がいるという。

正直なところ、雪が殆ど積もらない香川県では、全く縁が無く、
一言でいえば「どうでもいい」世界である。

だが、そこに生き物在れば、それを研究する者は必ず現れる。
筆者も紆余曲折を経て(本書第1章に詳しい)、そのマイナーな菌類を研究することとなった。

冬小麦や牧草を褐色に枯らす「褐色雪腐病」を起こすピシウム・イワヤマイ。
菌類の中で最も寒さに強いロチニア・ボレアリス。
そして小麦や牧草に病気を起こし、
小さな棍棒のような子実体を伸ばす「ガマノホタケ」という和名を持つイシカリエンシスの仲間。

これらの菌類の世界的分布を明らかにするため、
筆者はノルウェー、グリーンランド、シベリア、そして南極と、
世界各地の寒冷圏を巡る。本書はその道中記だ。
タイトルが「紀行」となっているとおり、実は本書では、菌類の研究結果が主なテーマとはなっていない。
メインは「旅」そして旅のお供が菌類と、ロシア圏では愛すべきオヤジ、オレグ・トカチェンコ博士である。

本書紹介を転記しよう。

北極、南極、そしてシベリア。大の男が這いつくばって、世界中の寒冷地にきのこを探す。大型動物との遭遇、酔っぱらいとの遭遇、泥酔、泥酔、そして拘束。幾多の歎難辛苦の果てに、菌たちとの感動の対面はかなうのか…!?雪や氷の下でしたたかに生きる菌たちの生態とともに綴る、爆笑・苦笑・失笑必至のとっておき“菌道中”。



もう酔っぱらってばかりである。
よもやそこまでではあるまい、と読み進めたが、やっぱり酔っぱらいの珍道中であった。

もちろん「雪腐病菌」の生態や世界的分布を解明していく楽しさはあるが、
なんだかその記述は物足りなくて、生物としての「雪腐病菌」の面白さを知るには、
あと一歩欲しい感じ。

だがそれでも良いのである。
本書は「菌世界紀行」。
随所に、著者による味わいあるイラストも挿入されており、紀行本としては滅法楽しめる一冊である。

それにしても、もちろん「雪腐病菌」研究というテーマはあるにしても、
この内容を「岩波科学ライブラリー」として刊行するとは、
その懐の広さを賞賛したい。
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category: 菌類

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アインシュタインの脳との旅。「アインシュタインをトランクに乗せて」  

アインシュタインをトランクに乗せて
マイケル パタニティ



ニュートンから、アインシュタインへ。

現代の物理学は、アインシュタインから始まったと考えてよいだろう。
今では理論物理学者が世界的に注目されるのはノーベル賞受賞時くらいだから想像のしようがないが、
アインシュタインは、現代科学に与えたインパクトが強烈であったが故に、存命時から、科学を象徴するイコンとして偶像化されていたようだ。

アインシュタイン自身はそうした風潮を好まず、死に際しても、自分の遺体・遺物等が神格化されないよう言い残していたらしい。

だが、それでも「あの」アインシュタインである。

解剖に携わることとなったトマス・ハーヴェイ博士は、その脳を取り出し、持ちだして標本化してしまう。
その作業に対して、アインシュタインの息子や関係者の了承があったかどうかは本書では詳らかにされていない(ハーヴェイ博士はあったというし、別の者は無かったと言う)。
ただ、目の前に世紀の大天才の遺体があり、自分だけがそれを調べる作業に携わっていたと仮定しよう。
その時、その大天才の秘密を宿している筈の脳を詳しく調べもせず、そのまま火葬にしてしまうのも、おそらく勇気が要るだろう。
だから、ハーヴェイ博士も「一時的に取りだした」のかもしれない。

だがそれ以後、ハーヴェイ博士は「アインシュタインの脳を持つ男」としてしか生きられなくなる。

大天才の秘密を調べるために。
クローンを創るために。
単なる興味から。
アインシュタインの遺産を管理するために。

様々な理由により、様々な立場の者がハーヴェイ博士に「脳を渡せ」と押し寄せる。
だが、取り出した理由が曖昧なだけに、ハーヴェイ博士は、「誰かに委ねる」ことを決定することも、できない。
いつしか博士はアインシュタインの脳とともに姿を隠してしまう。

ところが著者は、ふとしたきっかけからその博士と出会い、ハーヴェイ博士が「アインシュタインの孫に、脳を渡したい」という意向を示したことから、アメリカを横断する旅に同行することになる。

本書はその横断記を中心としたものだ。

大きな事件が発生するわけでもない。
アインシュタインの脳を取り出し、持ち去るという行為を、たぶん「思い付きで」やってしまったハーヴェイ博士。
そのハーヴェイ博士の「返したい」という思い付きに、乗ってしまう著者。
二人ともどこかモラトリアムの中にいるような、不思議な道中記である。
特に、著者は記者でも何でもないため、極めて個人的な独白もかなり多く、
いわゆる正規の「アインシュタインの脳を返す旅のノンフィクション」と思って読むと、拍子抜けすると思う。

年齢も経験も異なる二人の、ちょっと変わったモラトリアムが、終わる。
本書は、その記録として読むのが、たぶん最も良い。
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category: ノンフィクション

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