ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

本は、きっと部屋で繁殖している。「蔵書の苦しみ (光文社新書)」  

蔵書の苦しみ (光文社新書)
岡崎 武志



当然ながら、本は増えていく。とめどもなく増えていく。あゝ、増えていく。



僕の家は本屋だった。
高校の頃に諸々の事情で新刊書店として廃業した後は、今度は祖父が古本屋をやっていた。
だから本は空気のようなもの。
小遣い代わりに本を貰っていたし、自分の本屋になければ片っ端から買っていた。
欲しい本を手に入れない、という選択肢は無かった。

若いころはフィクションを主に読んでいたので、
SFハンドブック」、「冒険・スパイ小説ハンドブック」、「ミステリ・ハンドブック」に掲載されている有名どころは入手していたし、
推理小説であれ文学であれ、同著者の本は全て集めるのが基本だった。
結婚するまでは実家の2階に全ての本を置いていたが、文字通り本で足の踏み場もなく、
横積みしていた本のタワーが林立していた。
阪神淡路大震災の時には、本棚とタワーが倒れ、雪崩が起きた。よく床が抜けなかったものと思う。

また祖父が亡くなった際には、その古本屋一軒分の本と、蔵書全てを一旦引き取った。
祖父の家は大阪にあったが、2トントラックで香川まで運んだ。

祖父とは色々と確執があり、最期まで普通に話すことに慣れなかったが
(「おじいちゃん」と呼ぶことすら躊躇するくらいで、いつも何と呼べば良いか悩んでいた。)、
自分の本好きは間違いなく祖父の血である。
今なら腹を割って本の話ができるのだが、なかなか人生はうまくいかない。

さて、そんな経緯もあり、常人とは異なる膨大な本を持っていた。
マックスは祖父が亡くなった後の1年間。
20歳頃だったが、自室(6畳)、小さい本屋一軒、アパート一部屋(祖父の本の保管用に借りた)分の本を持つことになった。
もちろんそれだけの保管スペースを維持できる筈もなく、1年後には、ほぼ全てを古本屋に売却した。

僕の経緯は特殊だが、遅かれ早かれ、本好きはこうした状況に陥っていく。

さて、本書は、2万冊超の蔵書を抱える著者によるもの。
一応、本を入手したり、蔵書として選別するため心構えみたいな事を書く。

帯にも「蔵書は健全でなければならない」、「多すぎる本は知的生産の妨げ」、
「自分の血肉と化した500冊があればいい」、「机のまわりに積んだ本こそ生きる」
なんて立派なことを書き、整理術っぽく仕立ててはいるが、
結局著者の語るのは「それができれば苦労しないよね」ということであり、
実際のところは様々な人の「蔵書の苦しみ」を語る本である。

そして、そう嘆きつつも、その状況をむしろ誇らしげに語るのが、
蔵書家の業。
本好きの方は、「だよね~」とか言いながら、ぜひ同好の士の苦しみを楽しんでいただきたい。

なお結局のところ、蔵書をスリム化したいのなら、
個々に選別したりせず、えいやっとまとめて古本屋に売るしかない、というのが結論である。
僕も上記の経験があるので、それしかないと思う。
(残す本を選別しようと思ったが、到底無理だった。)

ところで僕は、現在も次々と入手して読むけれど、一部だけ残して、後は売却。
そのストックも、スペースがなければ思い切って売却している。
もちろん「ああ、売らなきゃよかった」と思う本は多々あるし、
できることなら全て残したいくらいだ。でも、売る。

その思い切りができるのは、20歳頃に売却した経験と、
結婚を機に自分の本もほぼ売った経験があるからだろう。
これが正しい道だ、とは言わないが、現実の家庭生活を優先した道である。

本ブログを読む方の中にも、
溢れんばかりの蔵書に悩む方がいるかもしれない。

そうした方は、ぜひ本書を読み、
世の中には上には上がいるなと実感するか、もしくは自分の方が上だなと勝ち誇り、
ぜひ僕の分まで本を背負い続けていただきたいものである(←無責任)。


【目次】
第一話 蔵書が家を破壊する
第二話 蔵書は健全で賢明でなければならない
第三話 蔵書買い取りのウラ側
第四話 本棚が書斎を堕落させる
第五話 本棚のない蔵書生活
第六話 谷沢永一の場合
第七話 蔵書が燃えた人々
第八話 蔵書のために家を建てました
第九話 トランクルームは役にたつか?
第十話 理想は五百冊
第十一話 男は集める生き物
第十二話 「自炊」は蔵書を解決するか?
第十三話 図書館があれば蔵書はいらない?
第十四話 蔵書処分の最終手段






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category: 読書

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73編の独自の視点。「渡る世間は「数字」だらけ (講談社文庫)」  

渡る世間は「数字」だらけ (講談社文庫)
向井 万起男



エッセイの醍醐味は、自分には無い経験、視点、思考などを体験することにあるだろう。

そうした面で最も切れ味が鋭く、多くの支持を得ているのが、推理作家でもある森博嗣氏。
(例えば、「科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書)」(レビューはこちら)。)

またこれまで読んだ中では、須藤 靖氏の著書も同様な独特さがあった。
(例えば「三日月とクロワッサン」(レビューはこちら)。)

本書著者の向井万起男氏は、宇宙飛行士である向井千秋氏の夫として、
その独特の風貌で話題となった。
そして、その「宇宙飛行士の夫」という珍しいスタンスからのエッセイ、
君について行こう―女房は宇宙をめざした」(レビューはこちら)はベストセラーとなり、
続編として「女房が宇宙を飛んだ」(レビューはこちら)も刊行された。

こうした点から、僕自身が執筆者としてはイロモノ的印象を受けていたのだが、
上記2冊を読めば分かるが、上質のエッセイストである。

飄々とした語り口、大リーグと宇宙飛行士マニア、そしてアメリカ文化に対する探究心。
そして、実際に自身で調査、確認し、独自の結論を導く明快さ。
前述の著者らと同様に、安心してエッセイを楽しめる一人である。

さて、本書は上記のような「宇宙飛行士の夫」という立場ではなく、
向井自身が気になった「数字」をテーマとしたエッセイを集めたもの。
一般的な厚さの文庫本に73編のエッセイを収録していることから分かるとおり、
各章はかなり短い。
それだけに、「ふとした思い付き」に端を発するものも少ないが、
それだけに日常で自分が見過ごしている「数字」の面白さを見せてくれる。

例えば、国際電話の「国番号」(日本だと「+81」と記載されるヤツ)。
その仕組みと歴史的な意味なんて、全く気にしたことがない。
けれども、向井氏の指摘を受けると「なるほどなぁ」と感心し、
次に、今まで疑問に思わなかった自分に気付く。

軽く読みながらフムフムと感心し、
独自の視点を気軽に楽しむ。そんな一冊。










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category: エッセイ

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研究者をバックアップする体制があってこそ。「「研究室」に行ってみた。 (ちくまプリマ―新書)」  

「研究室」に行ってみた。 (ちくまプリマ―新書)
川端 裕人



人類が他の生物と異なるのは、その個体が得た知識(経験も含む)を、
距離・時間を超えて伝達するという点だ。
伝達メディアが声、文字、写真、動画と進み、その方法もアナログからデジタルへと転化した。
その繰り返しが伝達する知識を飛躍的に増大させ、次代は更に高みを目指す。
その営みの結果こそが人類史である。

そして、先人の知識を踏まえて次を目指す営みを、研究というのだろう。

研究がなければ、何も改善されない。
そう考えれば、「研究なんて何の役に立つの」という問いがいかに愚問か分かるだろう。

ただ残念ながら、そうは言っても現在の日本で、研究のみを生活の糧とすることは難しい。

だからこそ、より多くの人々が「研究すること」の価値を再確認し、
「研究者を目指す若者」を造り、バックアップする社会を構築する必要がある。

本書は、ナショナル・ジオグラフィックに連載されたインタビューから、
6人を抜粋したもの。
優れたロールモデルとして、ぜひ若い人と、社会的・経済的影響力のある層が読むべきだろう。

というのも、巻頭に収録されているのが、「バッタを倒しにアフリカへ」(レビューはこちら)で話題をさらった前野ウルド浩太郎氏だからだ。

本書や「バッタを倒しにアフリカへ 」でも記されているが、
前野氏は蝗害を引き起こすバッタ、中でも最大規模のスケールとなるサバクトビバッタの研究者である。
アフリカのバッタの研究が何の役に立つのかという人もいるだろうが、
日本における蝗害防止・駆除の参考ケースとして、またアフリカでの蝗害防止による地域の安定化等、メリットは多々ある。
だが、そうしたメリットがあり、前野氏が数少ないバッタを指向した研究者であるにも関わらず、
その研究生活は、安定していない。

本書では一方で、宇宙旅行を目指すためのエンジニアである高橋氏の事例が紹介されているが、
その活躍の場(複数企業)はアメリカであり、日本ではない。

実は本書収録の6人のうち、
潜在的無職(前野氏)、外国での研究者、外国でのエンジニア、日本でのエンジニアが1人ずつ。
日本での研究者は2人に過ぎない。

このインタビューは刊行時点で40人以上になしているということだが、
そのうち著者が分野のバランス、インタビューでの出来を勘案して選出した6人がこういう構成だというのは、
かなり象徴的である。

つまり、日本は「面白そうな研究者」を、全て国内で養い得る状態には、無い。

本書はぜひ若い人が読んで、研究者を目指してもらいたい。
その結果として、外国のエンジニアや研究者というのもあるだろう。
だが、「外国に出なければ研究できない」という状態は、おかしい。

日本が現在と同水準かそれ以上の生活水準を保ちたいのならば、
「研究」を疎かにする社会構成は、ありえない。
だからこそ、本書は経営者が読み、国内の研究環境を整える(会社内にせよ行政に求めるにせよ)参考となるべきである。


【目次】
砂漠のバッタの謎を追う―前野ウルド浩太郎(モーリタニア国立サバクトビバッタ研究所)
宇宙旅行を実現するために―高橋有希(宇宙ベンチャー開発エンジニア)
生物に学んだロボットを作る―飯田史也(チューリッヒ工科大学バイオロボティクス研究室)
地球に存在しない新元素を創りだす―森田浩介(理化学研究所超重元素合成研究チーム)
宇宙エレベーターは可能である―石川洋二(大林組エンジニアリング本部)
すべては地理学だった―堀信行(奈良大学文学部地理学科)
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category: ノンフィクション

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河童図、天狗の骨、供養絵額。「荒俣宏妖怪探偵団 ニッポン見聞録」  

荒俣宏妖怪探偵団 ニッポン見聞録
荒俣 宏,荻野 慎諧,峰守 ひろかず



博物学者というより「博物学」学者の感があるが、
それでも図抜けて横断的知識を持つ人である。
特に、政治経済的といった実社会的な知識ではなく、
民俗学やオカルト知識である点が良い。
そっち方面について大量の知識を持ちながらも、
その思考はオカルトとは一線を画している。
こうした才人がいることは、現代日本の幸福である。

その荒俣氏が、東北を練り歩く。
縦軸は妖怪、横軸は民俗学である。
同時に、宮沢賢治―南方熊楠、柳田國男―佐々木喜善といった人の繋がりにも焦点をあて、
何かを「解明する」というよりも、
こうした視点から岩手の妖怪遺物を見て歩く、といったもの。

それでも荒俣氏が足を運ぶだけあって、
出てくる妖怪遺物も興味深いものばかり。

多種多様な河童図、天狗の牙、天狗の骨、
カメ化石、岩手中央部だけで一時期流行った供養絵額、
方斎の幽霊画、死者が朽ち行く様を描いた九相図等々。

カラーの図版も多く、見るだけでも楽しくなる。
また、それぞれの来歴を踏まえながらも、
荒俣氏や同行の諸人が"ブツ"を客観的・冷静に分析するのも楽しい。

例えば「天狗の骨」は、実はイルカの骨であった。
だがそれで終わるのではなく、
どうしてイルカの骨が「天狗の骨」と誤解されたかとか、
平賀源内も「天狗の骨」=イルカの骨と分かっていたが、
あえて「天狗の骨」としておこうとしたのではなど、
その"ブツ"の背後を推測していくところが、荒俣氏らの視点で楽しいところである。

惜しむらくは、本書が峰守ひろかず氏が同行の語り部となって書下ろしているものであり、
現場現場の荒俣氏や諸氏の語りを再現している点。
もちろん臨場感があって楽しいのだが、
たぶん荒俣氏が直接筆を執ったら、より広範雑多な広がりをみせただろう。
(まあ、昨今の荒俣氏のメディア露出からすると、そんな時間はとれないだろうが。)

宮沢賢治―南方熊楠の繋がりにしても、
それがあったという手掛かりは随所で示されるものの、
荒俣氏が最初のそれを着眼した契機とか、本書以外での分析・考察等は示されておらず、
全般的に消化不良というか物足りない感じがする。

ただそれでも、岩手県の様々な「奇妙なモノ」を巡りながら、
豊富な知識に裏付けられた雑談を読むのは、楽しい時間である。
ちょっと変わった紀行文として、気軽に読むことをお勧めしたい。

それにしても、荒俣氏がいなくなったら、
こういう立場と知識から解説するの、誰が跡を継げるのだろう?

【目次】
第1章 探偵団、まずは岩手で妖怪を考える
対談 宮沢賢治×南方熊楠談義―岩手と和歌山をつないだ超絶な日本人
第2章 地獄と極楽、この世とあの世。探偵団、死後の世界を歩く
第3章 君はもう見たか!?好奇心が爆発する殿様の博物コレクション
第4章 対談 京都vs東北―中央から見た鬼の国
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category: ノンフィクション

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人類の悲劇を見に行く旅。「ダークツーリズム入門 日本と世界の「負の遺産」を巡礼する旅」  

ダークツーリズム入門 日本と世界の「負の遺産」を巡礼する旅
風来堂



正直なところ、「◯◯ツーリズム」という言葉は好きではない。

ある一定層の興味関心を、実際は多彩な観点が有るのに
安易に「◯◯ツーリズム」とまとめたり、
逆に「◯◯」というテーマに対する旅行ニーズの有無も不明確なのに、
「◯◯ツーリズム」として町・村起こしの手段として提起されるなど、
どうも言葉と実態が乖離している感があるためだ。

このダークツーリズムという言葉もそういう雰囲気を漂わせているが、
どうも数年前から欧州あたりで流行りだしているらしい。

負の遺産を見る旅と言ったら分かりやすが、
実は「負の遺産」という言葉は日本独自のものと本書で指摘されている。
(なのにタイトルに用いるところが、ちょっと解せないが。)
だからダークツーリズムを定義するなら、
「戦争や災害をはじめとする悲劇の記憶を辿る旅」(本書p17、井出明教授)ということである。

旅の目的地は広島の原爆ドームやアウシュビッツ収容所跡等。
そう言われれば「真面目な動機」なのだなと分かるが、
そうしスポットに特化した旅である。

いわゆる怖いもの見たさや興味本位の「廃墟めぐり」「事件現場めぐり」とは全く違うが、
それらとは違う旅なのだと主張するにも、
「ダークツーリズム」という言葉は今後よく使われるのではないだろうか。

本書は、大きく日本、欧米、アジアに分け、全81カ所を紹介する。
1か所につき5~6p。
世界各地に跨るためか書き手は様々であり、レポートする視点、感じ方もバラバラである。
(編著が風来堂という編集プロダクションであり、
こういうテーマでの企画がまず在り、そこから原稿を集約していったのだろう。)

よって、いろいろなスポットを紹介するという体裁は整っているものの、
テーマがテーマなだけに、
個々の紹介では個人的な視点が強調されるという、ちょっと中途半端な本にも感じる。
例えば地域で分類しているのは旅行ガイド的視点。
でも、戦争関係と事件関係、政治的紛争地を並列で並べられると、やっぱり興味本位の感が強くなる。

このあたり、どう整理していくかは今後の課題だろう。

とはいえ、
一度は聞いたことがあるスポットにしても、実際に足を運んだ人のレポートを読むと、全く印象が異なる。
またこれだけの量になると、知らなかったスポットも多数掲載されている。
特に戦争関係や虐殺関係となると、「知らなかった」ではすまされない重みがある。
「ダークツーリズム入門」というタイトルはともかくとして、
読んでおいて損は無い一冊である。


【目次】
・井出明さん(追手門学院大学教授)インタビュー
・Part1 日本篇
・Part2 欧米篇
・角田光代さん(作家)インタビュー
・Part3 アジア・アフリカ篇
・下川裕治さん(旅行作家)インタビュー
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category: 旅行

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