ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

修復作業から見えるモノ。「修復家だけが知る名画の真実」  

修復家だけが知る名画の真実 (プレイブックス・インテリジェンス)
吉村 絵美留



美術作品は、本来それ自体の素晴らしさを味わうものだろうが、
僕が下世話なためか、むしろその来歴、その作品を巡るドラマの方が面白い時がある。

例えば美術品の盗難については、「ムンクを追え! 『叫び』奪還に賭けたロンドン警視庁美術特捜班の100日 」(レビューはこちら)、「「失われた名画」の展覧会」(レビューはこちら)、
ナチスの財宝 (講談社現代新書)」(レビューはこちら)などだ。

一方、時の経過や空間的な移動によって、美術品は刻々と劣化していく。
それを留め、回復するのが「修復」だ。
数十年・数百年を経た作品を味わえるのも、修復あってこそ。

だかその世界は一般の眼には触れにくく、そのテクニックや配慮が知られることはない。

本書はその修復家の一人が、実際に関わった諸作品・作家のエピソードを通して、
修復という奥深い世界の一端を紹介するものだ。

例えば、亀裂の入った絵具層。
それを直すとしても、キャンバスのたわみ度合と材質、下塗り層の材質と厚さ、使用されている絵具と厚みが影響する。
また油絵の場合、描かれて50年以上経過しないと、表面が乾いていも内部は乾いていないという。
そうした情報を踏まえつつ、見た目に影響なく、しかも後世にも問題にならない修復を施す。
まさに職人芸の世界だ。

また画家・時代によって使用する絵具が異なるだけでなく、ある特定の時期だけ異なる絵具を用いるケースもある。
それらを把握しなければ、正しい修復はできない。

また例えば藤田嗣治の下塗りは、独特の調合による画材が用いられており、
真贋鑑定を左右することもあるため、その詳しい成分は公表されていないという。
だがその下塗りの硬さから、保存が悪ければどんどん亀裂が入ってしまう。

もちろん、こうした知識は、美術鑑賞に影響するものではない。
しかし、こうした情報があり、修復家の重要性が知られなければ、この極めて職人芸的な世界は、ますます先細りしていくだろう。

調べてみると、他の修復家の方も、修業の地はやはりヨーロッパ。
西洋美術ならもちろんそうだろうが、では日本絵画の修復家の確保・育成はどうなっているのだろうか。

文化を重んじるということは、単に芸術家を守るだけではない。
その作品を適正価格で流通させる者、
安全に輸送する者、ベストに状態で保管する者、
ふさわしい展示を行う者、そして修復する者と、様々な人々の関与により、
作品は時の試練を耐え抜き、文化に昇華していく。

日本は果たして、そのような環境にあるだろうか。

【目次】
第1章 絵画に秘められた物語
第2章 息詰まる修復の実際
第3章 修復で知り得た画家の真実
第4章 絵画をめぐる迷宮
第5章 西洋画家の隠された技法



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category: 美術

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毒蛇の恐怖と闘い、礎となったある医学者の記録。「完本 毒蛇」  

完本 毒蛇 (文春文庫)
小林 照幸



沖縄方面の旅行―特に野鳥などの自然系の楽しみをしていると、やはり頭の片隅に気になるのはハブである。
僕は沖縄本島・石垣島・竹富島・与那国島へ行ったが、幸いというべきか、
ハブ属のうち最も危険なハブProtobothrops flavoviridisがいるのは、このうち沖縄本島のみ。
沖縄本島では通常の旅行コースだったので、ハブとの出会いはなかった。

ただ実際のところ、現在の旅行者は、おそらくあまり「恐ろしい」というイメージは無いのではないか。

それはもし噛まれたら、「すぐに病院に行って血清を打てば良い」というイメージがあるからだろう。
だが、その血清が造られ、そして多くの人が有効に活用するまでは、ハブとはいかなる存在だったのか。
そして人々は、どのようにしてハブ毒に立ち向かったのか。

それを凝縮したのが、本書「完本 毒蛇」である。

著者は、「死の虫 - ツツガムシ病との闘い」(レビューはこちら)でも、医学者の闘いを再現した小林氏。
ただ、実は本書の方がデビュー作。
しかも著者自身、本書の主人公である沢井芳男医師に師事していたことから、濃密度では明らかに本書が上だ。

本書は、ハブ毒の血清が既に完成していた昭和32年から始まる。
沢井医師は、自身が製造しているハブ毒に誇りを抱いていた。これさえあれば、ハブ毒で人が死ぬことは防げる。
当時の医学界では、「血清」の有用性を疑う者はいなかった。

だが、同僚の医師に、ハブ咬症の現場を見るべきだと促された沢井医師は、
奄美大島での現実に打ちのめされる。

絶大な自信を持っていた血清。
それは、冷蔵庫での保管が必要だが、当時の奄美大島、特に僻地では、電力自体がほとんどない。
まして冷蔵庫などない。
また無医村も多く、そのような地では、咬まれた患者を数十km離れた医師まで連れて行かなければならない。
道は悪路。オート三輪があればまだ良く、おぶって行くことも珍しくない。

一方、ハブ毒は致死性もさることながら、注入された毒によって激しい壊死が発生し、あっと言う間に肉や骨が腐り、悪臭を放つ。
多くは血清を打てず、死亡するか、壊死によって四肢を失っていた。

「自身の製造している血清は、役に立っていない。」
現実に打ちのめされた沢井医師は、血清の乾燥化、そして壊死を防ぐ薬の開発を決意する。

時代は昭和30年代。ろくな研究費はなく、凍結乾燥機も米軍の払下げ品。
だが奄美大島の現状を目の当たりにした沢井医師は、同僚や奄美大島の人々と一丸となり、
ついに世界初の乾燥血清を精製する。
ところが意気揚々と現地でデモンストレーションをすると、今度は「溶けない」というハプニングが発生する。
乾燥血清が精製できたという嬉しさのあまり、「蒸留水で簡単に溶けるもの」と思い込んでいたためだが、
これほどの凡ミスすら発生するほど、沢井医師は義務感とプレッシャー、そして一日でも早くという焦りに追われていたのだろう。

それでも様々な研究を経て、応急用に用いて壊死を防ぐEDTAと乾燥血清を開発、そして血清は静脈注射すべきという改善策も得た。
乾燥血清は保存期間も長く、無医村でも保管が容易だ。
こうして奄美大島のハブ禍は漸減していく。

さらにまだ米軍統治下にあった沖縄に招聘され、次は世界初のハブ毒の予防薬、ハブトキソイドの開発に取り組む。
「血清」という事後の薬があるため、誰も気づかなかった蛇毒の予防だ。
沢井医師はこれも開発に成功し、昭和40年から接種を開始する。

昭和40~42年に奄美大島と沖縄で発生したハブ咬症患者は、1907名。
うち、ハブトキソイドを接種していたのは168名だった。
このうち壊死を起こしたのは5名(2.9%)。
一方非接種者1542名のうち、壊死を起こしたのは150名(9.7%)だった。
悲惨な壊死を防ぐという沢井の願いは、ついに結実したのである。

さて、本書は「完本」である。
実は「毒蛇」「続毒蛇」の合本であり、これまでのハブ毒の話は「毒蛇」本書ではちょうど判断、第一部にあたる。
(それでも200pオーバーなので、普通の文庫一冊分のボリュームはある。)

後半の「続毒蛇」は、続いて台湾の毒蛇禍に挑む沢井医師の物語だ。
台湾は毒蛇の種数も多く、ハブの仲間のような出血毒もあれば、コブラのような神経毒もある。

沢井医師はアルバイトとともに台湾全島を調査し、それまで放置されていた毒蛇禍の現状を調査する。

その結果浮かび上がったのは、毒蛇の種数もさることながら、医者の問題だ。
台湾では漢方などの伝統医学者を「中医」、西洋医学者を「西医」と呼び、
蛇に噛まれたらまず「中医」へ。中医で治らなければ西医へ行き、そこで初めて血清を打つことになる。
すなわち、毒性が強かったり、手遅れの患者だけが血清を打つことになり(もちろん死亡する)、
逆に「西洋医学は効かない」というイメージが定着していた。

血清の活用以前の問題に途方に暮れる中、
沢井医師が同行している医師のもとに、最も毒性が強い毒蛇、ヒャッポダに噛まれた少女が搬送されてくる。
現地の医師ではなすすべもなく、全身から出血し、衰弱していく少女。

一方、ハブ毒の壊死患者を扱ったことがある沢井医師は、このような患者には血清や輸血だけでなく、止血剤やステロイド等も費用であり、血清も通常の2倍、3倍必要だと直感。
現地医師に遠慮していたが、少女の「いたいよう」という日本語に動かされ、ついに進言する。
その結果、少女は危険な状態を脱した。

これらの経験が礎となり、台湾でも徐々に「蛇に噛まれたらまず西医で血清を」という意識が定着していく。
そしてついに、致命率の高いヒャッポダとタイワンアマガサヘビの毒の予防薬(トキソイド)を開発し、その接種に取り組むに至る。

毒蛇に咬まれるという事態は、現在日本では、おそらくほぼ縁がない。
だがほんの数十年前は、毒蛇によって命を失い、腕や足を失った人が多数いた。
それを改善したのが、沢井医師だ。

偉業というより、その努力を知らなかったことを悔やむほど、
沢井医師や、その協力者が成し得たことは、大きい。

本書はマイナーな分野であり、なかなか手に取る人も少ないと思う。
だがぜひ、可能な限り多くの方に読んでいただきたい。
埋もれた名作。全国の図書館・中学校・高校の図書室必置と言うべき本だ。

【目次】
第1章 奄美大島
第2章 奄美から沖縄へ
第3章 ハブトキソイドへの道
第4章 毒牙の列
第5章 中医への挑戦
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category: 医学

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20世紀的冒険の終焉。「最後の冒険家」  

最後の冒険家
石川 直樹



21世紀に入って数年後、年明け後しばらくして流れたニュース。
朧げな記憶だが、「自家製の気球で太平洋を横断しようとしていた方が行方不明」とのこと。
ああ、また無謀な人が事故ったな、自家製気球もどうせボロいんだろうな―と聞き流していた。
その後もニュースには注目せず、頭の片隅にこんな事件があったなという記憶だけが残っていた。

行方不明となったのは、神田道夫氏。
2008年1月31日午前5時18分、高さ50m・最大直径45mという世界最大の自作気球「スターライト号」で、栃木県を出発。
単独太平洋横断に挑み、2月1日午前3時、北緯44.30・西経177.05の高度5300mを時速136kmを飛行中に連絡した後、消息を絶った。
その地点をGoogleマップで確認すれば、日本とアメリカのほぼ中間点である。


神田道夫は、「無謀な人」ではなかった。
若いころは川下りをしていたというが、結婚後に見たテレビ番組を契機に、1977年に熱気球を開始。
競技ではなく、熱気球の黒に挑むことに夢中となり、
1988年11月には、高度世界記録 12,910mを達成。
1994年6月にはオーストラリアで長距離世界記録 2,366kmを達成し、
1997年2月にはカナダ―アメリカ間で、滞空時間世界記録 50時間38分を達成。
また2000年10月には、ヒマラヤの世界第9位の高峰、ナンガパルバット(標高8,125m)越えに成功する。

ただ、スポンサーを募る冒険家ではない。
基本的に自費で準備し、仕事(市役所職員)の休暇を取得して実施するスタイルだ。
近代の冒険家の多くが、スポンサーや周囲の期待に応えようとして無理をすることが多いことを考えられば、
自身の熱意と責任だけで冒険に挑む神田氏は、身軽だった。

その熱意が次に目指したのが、太平洋横断である。
過去、熱気球による太平洋横断に成功したのは、あのヴァージン・グループのリチャード・ブロンソンと、スウェーデンの危急製作者のペアによる一回のみ(1991年)。
ただそれは高精度の自動操縦装置と気密ゴンドラを備えたもので、肉体を酷使する冒険とは異なる。

一般人の神田氏が、もちろんそんな装備を準備できるはずもない。
第一回目のチャレンジは、2004年。
天の川2号と名付けられた全高36m、最大直径26mという巨大な熱気球は、35人は運べるキャパシティを持つ。
過去の経験と工夫により、ゴンドラはビルの上にある貯水タンクを利用。
気球はもちろん自作。
搭乗するのは、神田氏と、本書の著者にして、七大陸最高峰登頂世界最年少記録を更新した経験もある石川直樹氏だ。

石川氏は熱気球の経験は無かったが、その行動力、経験を神田氏に買われ、この太平洋横断の副操縦士として乗り組むことになった(もちろん実施までに、フライト資格も取得し、神田氏と何度も練習を積んでいる)。

ジェット気流に乗るためには、高度8000mに滞在する必要がある。
自動操縦装置が無いため、二人はその極限状況で60時間操縦しなければならない。
だが神田氏の滞空時間や経験等を踏まえれば、それは冒険が成立する範囲のリスクだった。

ところがほぼ1日が経過後、熱気球の二重構造の内側のアルミが裂け、バーナーを覆う。
なんとかバーナーは回復したが、高度は徐々に下がり、そして気球の下部に穴も空いてしまう。
神田氏は横断を断念し、二人は嵐の太平洋に着水。
ゴンドラ内で嵐に翻弄される二人は、なんとか貨物船に救出された。

この一件により、石川氏は更なる安全性が必要と考えていたが、一方で神田氏はアクシデントをふせぐためにゴンドラを籐のバスケットに替えることを提案する。
それは操縦性を良くすることが目的だった。
だが居住性は更に悪化することになるし、仮にもしアクシデントによって着水した場合、ゴンドラのように浮いていることはない。
それは余りにリスクが高く、実力よりも運の要素が強くなる。
そして石川氏が神田氏の要請を断るに至った。

ここで断念したり、計画変更すれば良かったのかもしれない。
だがこれまで、自身の熱意で進んできた神田氏は、やはり籐のバスケットを採用。
一部に自動操縦装置を採用し、単独での太平洋横断に挑む。

それが2008年1月31日午前5時18分に飛び立った、世界最大の自作気球「スターライト号」だ。
(スターライト号という名は、二人が救出された貨物船の名に由来している。
このロマンチストな面もまた、アマチュア冒険家こそと言えるかもしれない。)

だが2月1日午前3時、神田は「雨が降っています。アメリカの領海に入った。これから上昇し、飛べるところまで行く」と告げた後、消えてしまった。
その時の高度は5300m、そもそも雨など振らない。神田は幻覚を見ていたのか。
ある人は、それは結露や雪だったのでは、という。実際現場は低気圧により荒れていた。

最後の連絡から30分後、一度だけ衛星電話の電源が入り、すぐ途切れたという。
その30分の間に着水し、嵐に巻き込まれたのか。

ただの「無謀な人」と思っていたが、なるほど石川氏の書くとおり、
神田氏は植村直己らの系譜に続く「冒険家」だった。
自身の夢を追い求め、自身の知恵と力を信じて突き進む。
その姿は時に眩しく、時に痛ましい。

神田氏と石川氏が載り、嵐の海に着水したゴンドラは、
なんと4年半後、悪石島に漂着する。
ゴンドラだけが一度アメリカに到達し、そして再び太平洋を横断して日本に戻ったのだ。
本書カバーのカメラは、そのゴンドラから回収されたもの。
他にもいくつかの機材があったというが、神田氏の魂や想い、夢もまた、
ゴンドラと共に日本に戻ってきたと願いたい。

地図上の冒険は、もはやない。
また機材のハイテク化が進んだ中、個人的な冒険はあっても、
人類が挑む新たな冒険は、もうほとんどないだろう。

そんな21世紀の初めに、手製の熱気球で太平洋を横断しようとする「冒険家」がいた。
神田道夫氏。
本書のタイトル、確かに「最後の冒険家」という称号は、彼にこそ相応しい。

【目次】
第1章 出会い
第2章 気球とはなにか
第3章 富士山からエベレストへ
第4章 滞空時間世界記録とナンガパルバット越え
第5章 熱気球太平洋横断
第6章 単独行
第7章 ひとつの冒険の終わりに
第8章 悪石島漂着
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category: ノンフィクション

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東京湾、やっぱり面白い!! 「都会の里海 東京湾 - 人・文化・生き物」  

都会の里海 東京湾 - 人・文化・生き物 (中公新書ラクレ)

木村 尚



テレビ番組というと、NHKに代表されるような知識を提供するスタイルか、
民法のように一時的な笑い・感動を誘う番組が多い。
その中において、知識を実践するワクワク感を提供する稀有な番組の一つが、おそらく「THE! 鉄腕!DASH!!」ではあるまいか。
コーナーによる落差はあるとはいえ(0円食堂はちょっとなぁ…)、
様々な知識と技術を元に、「壮大な実験をやってみる」というのは、子供の頃に憧れた生活スタイルの一つである。

さて、そのコーナーの一つに、2009年4月に始まった「DASH海岸」がある。
東京湾に面したゴミだらけのヘドロ海岸を、生き物溢れる古の東京湾に戻すという試み。
人工干潟を造り、魚礁を据え…と、様々な工夫を重ねながら、
徐々に環境が改善されていく。

またそのスピンオフとして、多摩川や東京湾各所の生き物調査も行っているのだが、
それらに同行しているのが、本書の著者 木村尚氏だ。
現在の肩書はNPO法人海辺つくり研究会の理事(事務局長)とのことだが、
若い頃からNPO畑を歩いていたわけではなく、まずはサルベージ会社に就職。
だが、海を良くしたいという想いから、海洋調査コンサルティング会社を仲間と起業する。
しかし直接海を再生する事業に携われないもどかしさから、「人生は一度きり」と、40歳の時に会社を退職。
その後、横浜市の海域環境創造事業等に関与しながら、2001年から現在のNPO法人海辺つくり研究会として活動している。

温和な風貌ながら、「海を良くしたい」という熱意から40歳で退職するという行動力は、やはり並大抵のものではない。
その熱意により、人工海浜やアマモ再生の技術力を培い、NPO法人海辺つくり研究会として10年目の活動を迎えようかという時期に、「THE! 鉄腕!DASH!!」の「DASH海岸」が始まる。
まさに「機が熟した」と言って良いタイミングだ。

本書は、そうした木村氏から観た生き物の住む東京湾の現状を伝えるもの。
「THE! 鉄腕!DASH!!」で上陸した第二海堡、「すだて遊び」を行った盤洲干潟など、同番組で取り上げられた情報も多く含む(ただし、番組エピソードとかは無い)。
その上で、番組では伝えきれない部分、例えば過去からの経緯や、現在の「分断された干潟」の位置関係、またそれぞれの干潟で増えている貝類などの話が盛り込まれており、
かつての生きもの溢れる東京湾と現在の落差が痛感される一冊だ。

それでも最近の印象として、東京湾に流れ込む水は改善されたし、生き物も戻りつつあり、
東京湾は良くなっていると感じることも多い。

だが木村氏は、本書冒頭で明言している。
「東京湾はよくなっていない。
 東京湾に残された傷跡は余りにも深く、自然治癒は期待できない。
 何もしなければ、現状維持どころか、さらに悪化する恐れもある。」
と警鐘をならしている。

東京湾から、何が喪われてしまったのか。
復活させるために、どんな手段があるのか。
それを考えるヒントが、この一冊だろう。
「DASH海岸」という追い風に乗って、これまで東京湾の環境を気にも留めなかった層が、本書を手に取ることを期待する。

なお、巻末に枡太一アナウンサーとの対談がある。
お二人とも本当に海の生きものが好きなんだなあと、ほのぼのと読み閉じられる構成。

【目次】
序章 東京湾はよくなっていない
1章 東京湾と私の夜明け前
2章 都会の里海 東京湾 前編
3章 都会の里海 東京湾 後編
4章 東京湾の生き物
5章 よみがえれ、東京湾
生物多様性対談 この夏は、干潟にダッシュ!

枡太一氏については、下記の本がお勧め。
改めて、枡氏と木村氏が同時期にマスコミに露出するって、
沿岸環境の改善のために、時代が要請したメッセージだなと感じる次第。

レビューはこちら

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category: 環境

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西洋医学における、エポック・メーキングな疫学調査。「医学探偵ジョン・スノウ―コレラとブロード・ストリートの井戸の謎」  

医学探偵ジョン・スノウ―コレラとブロード・ストリートの井戸の謎
サンドラ ヘンペル



現代日本では、医学といえば西洋医学を指す。
漢方医学を「漢方」と略すことはあっても、西洋医学を「西洋」と略すことはない。
この言葉一つとっても、日本の西洋医学への信頼度の高さが伺える。

世界的に見れば、やはりその国の伝統医学のウェイトは高い。
例えば中国・台湾では漢方などの伝統医学者を「中医」、西洋医学者を「西医」と呼ぶようだ。
伝統医学を頭から否定する気もないし、
いずれが効くか―というのは論争は別の話なので、横に置く。

ただそれでも、やはり西洋医学の発展が、極めて多数の人々を救ったこと、
そして人類の叡智の重要な礎であり、また最先端であることには変わりはない。

その萌芽は、やはり18世紀。
解剖医のジョン・ハンターらが、実際の人間の体に即した医学を求めた時代だろう。
その話は、「解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯 」(レビューはこちら )に詳しい。

そして、ジョン・ハンターが拓いた医学が、「実際の人間に即した医学」であれば、
本書の主人公、ジョン・スノウは、「実際の現象に即した医学」を拓いた、と言って良い。

「疫学の父」と呼ばれるジョン・スノウは、1813年生まれ(1813年 3月15日~1858年6月16日)。
ジョン・ハンターが1728年生まれ・1793年没だから、時代的にはほぼ100年後に活躍したことになる。

しかし、ジョン・スノウが医学を学んだ時代は、
ジョン・ハンターによって解剖学を踏まえた医学の重要性は認められていたものの、
未だ系統だった医学教育はなく、解剖実習用の死体も(ジョン・ハンターの時代と同様)死刑囚か、盗むしかなかった。

だがそれでも、少しずつ近代医学は歩み始めている。
例えば麻酔だ。当時は頭を殴る・酒を飲ますといった麻酔(のようなもの)から、
エーテル麻酔、クロロホルム麻酔へと発展していく時代。
ジョン・スノウは麻酔投与法を研究し、女王の出産時の麻酔も担当するほどとなっていた。

一方、当時イギリスをたびたび襲った疫病があった。コレラである。
ジョン・スノウが生きた19世紀半ばは、まさにコレラが、初めて世界的なパンデミックとなった時代である。
当時の人々の衛生環境や栄養状態もあるためか、その症状は激烈を極めた。
強烈な吐き気と下痢。発症から数時間で、患者は脱水症状が進み、痙攣や体温低下、皮膚の乾燥による風貌の変容を経て、死に至る。

特に1854年8月、ブロード・ストリート一帯を襲ったコレラは激烈で、
通常の経過を辿る時間も惜しみ、人々の命を奪った。
10日間で死者は500人を超え、終焉した1月後には900人以上が死亡したという。

なぜこの一帯だけで、コレラが蔓延したのか。

コレラの伝染経路を研究していたジョン・スノウは、ブロードストリートの惨状を地図に落とし、
かねてから提唱していた「水」による経口感染の可能性を検証していく。

病気になったのは誰か。
そして、なぜその人が病気になったのか。

ジョン・スノウはついに感染経路と発端にあたる患者第一号(インデックス・ケース)を突き止め、水こそが感染源であると証明する。
もちろんこの説が、ただちに歓声をもつて受け入れられたわけではない。当時の主流だった瘴気説などからの反論もあった。
だが以降、様々な時期・場所でのコレラ感染が検証され、ついにスノウの説が認められていく。

そして「実際の現象に即した医学」は、やがて疫学として結実する。

疫学とは、本書ではこのような定義が引用されている。

健康にかかわる状態もしくは事象がある集団に起こる分布と決定要因を調査し、それを応用して健康上の問題をコントロールしようとする研究


現在からよみかえせば、ごく当たり前の学問だ。

だがその発端は、多数のコレラによる多数の犠牲者と、ジョン・スノウの努力があった。

本書は当時のイギリス医学界の現状を極めて具体的に再現し、その制約下でのスノウの偉業を明らかにする。
実のところ、スノウが活躍するのはほぼ後半の1/3のみ。
「医学探偵」というタイトルどおりというか、
まるで島田宗司氏による御手洗潔シリーズのような、思わせぶりな主役の活躍ぶりである。

そのため、やや通読には難儀するが、言い換えれば読み応えのある一冊。
解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯 」と併せて読めば、
医学の発展した時代に生まれて良かったと思うこと、間違いなしである。

【目次】
はるかな旅
国中が息を殺して
必死の探索
コレラ来襲!
外科医見習い
ロンドンでの修業
風変わりな人物
悲惨な状況
ひとすじの光
センセーション
大実験
疫病がこの家にも
壮大な構想
結果はクロ
ミドリムシと赤い綿花
評決
大団円
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category: 感染症

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