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ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

読み手の位置で、価値が全く変わる本だ。「世界と闘う「読書術」 思想を鍛える一〇〇〇冊 (集英社新書)」  

世界と闘う「読書術」 思想を鍛える一〇〇〇冊 (集英社新書)
佐藤 優,佐高 信



好みが極端に分かれる本だろう。
まずは目次から。

【目次】
第1章 宗教・民族と国家
第2章 家族と国家
第3章 戦争・組織
第4章 日本とアメリカ
第5章 沖縄・差別の構造
第6章 日本・日本人
第7章 文学・評伝・文芸批評
第8章 社畜とブラック企業
第9章 未来を読む

以上のように、「世界と闘う」というタイトルに相応しく、
現代社会が抱える様々な問題・矛盾等に対し、
佐藤 優氏と佐高 信氏が「こういう本を読んでおくべきだ」「こういう本の視点も参考になる」等々を交えつつ、
幾多の書籍について語るもの。
本文中には書誌情報は掲載されておらず(タイトルのみ)、各章末に、本文中に触れられなかった本も含めて、
佐藤氏・佐高氏のいずれが薦めるのかも付記してリスト化されている。
本書から読書対象を拡大していくには、適切なつくりである。

ただ内容は、まずはほぼ佐藤氏の独壇場。時折り佐高氏も紹介するが、
本文中の大半は佐藤氏が言及する本であり、また各本におけるポイントや読み方なども、
佐藤氏が詳しく語っている。
かなりの引用文を対談現場で諳んじたか否かは別として、
このように多くの本のポイント・差異を即座に解説し得るという点で、佐藤氏の読書の密度が窺い知れる。
佐藤氏の読書法は「読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門」(読んだけど紹介していない)に詳しいが、その読書法が生かされている証拠ともいえるだろう。

ただ、本書で紹介される本には、結構(というか当然というか)偏りがある。
著者らが著者らなだけに、紹介されるのは政治・哲学系の本がほぼ全て。
純粋なノンフィクションとか科学書等はほぼ無い。
また社会主義や共産主義、イデオロギーに関する本も多く、
もちろん現代の政治は過去の延長であるし、
人の「思想」が最終的には国家(と国民)の方向を決定していくとは思うが、
いかんせん僕には思考先行すぎるのでは、という感がある。
単純に言うと、「世界と闘う」のに「思想」だけで良いのか、ということだ。
(さらに言うと、環境や科学の先端を学ぶことに比して、
「今」社会主義の思想史を確認する価値がどれほど在るのだろうか。)

思想こそ背骨であり柱であるかもしれないが、
実際に「現在の」多くの人間を動かしているのは経済原理でだろう。
そして、その制約として宗教があり、その人間が接する自然環境・社会環境(科学技術)がある。

実のところ、例えば本書に紹介する本を全て読み、自身の血肉としたとしても、
現代の社会で「闘う力」になりうるかは疑問である。

とここまで書いて、気付いた。
本書が役に立つのは、国政や国際政治に接点や興味・関心がある層である。
それ以外の場合、教養としての枠を出ないだろう。

もちろん、本書に積極的な価値を見いだす層が、
本書に興味を抱かない感性・感覚を批判することは、容易い。

だがそれこそ、思想界や政治が、現実と乖離している証左ではないかと思われる。


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category: 読書

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驚くべき多様性を誇ったアジアの初期人類は、消えてしまった。「我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち (ブルーバックス)」  

我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち (ブルーバックス)
川端 裕人



今生きているぼくたちは、DNAの上ではかなり均質で、生物学的には一つの種だ。
しかし、少し前の地球では、複数の別種の人類が共存していて、むしろ、それが当たり前だった。

(p18)


そもそも、僕たちが人類である限りつきまとう謎が在る。人類進化史だ。
しかもその謎は、大きく2つの面がある。
一つは、なぜヒトは2足歩行であり、なぜ知能が発達したのか等の、ヒトのデザイン面。
そしてもう一つは、なぜ今、ホモ・サピエンス一種しか存在しないのかという点だ。

もちろん、両者の謎は関連性があるだろうが、
それにしてもこうした大きな区分で考えることが、まず良いだろう。

そして現在は、こうした謎を解明するための人類進化史の研究史において、
最もワクワクする時代の一つであることは、間違いない。

その要因の一つは、もちろんDNAだ。
ネアンデルタール人との混血や、デニソワ人の謎。
そしてそれらから導かれるアフリカ単一起源説。
ネアンデルタール人は私たちと交配した」(レビューはこちら)は、この方向での最も誠実な一冊である。

そしてもう一つの要因は、アジアだ。
長らく人化石人類の研究の舞台は、アフリカだった。ルーシーを始めとして、
アフリカで発掘される種々の初期人類には驚かされるばかりである。
ただ、そうすると何となく、アフリカで進化して分散した―という単純なイメージだけが残る。

だが、現実はそう簡単ではない。
もちろんホモ・サピエンスがアフリカで進化し、世界に分散したのは事実だが、
その前段階の人類も、既に世界中に分散し、各地で独自の進化を遂げつつあった。

そして近年、そうした初期人類の多様性を最も如実に見せてくれるのが、アジアである。

人類進化史は、大きく初期の猿人、猿人、原人、旧人、新人といった5段階に分類されるが、
このうち原人から旧人にかけてのステージで、アジアは多種多様な人類が併存していた。

すなわち、10万年程前。
アフリカではホモ・サピエンスが既に進化していたが、まだアフリカから出るには至っていない。
その頃アジアでは、まずユーラシア大陸のシベリアまで、ネアンデルタール人がいた。
そしてロシア・アルタイ地方にはデニソワ人。
また中国には、「中国の旧人」と呼ばれるグループ。
ジャワ原人もいて、フローレス島には極めて小型化した人類、フローレス原人もいた。
そして台湾付近には、澎湖人だ。
ホモ・フロレシエンシス
▲国立科学博物館のフローレス原人の模型。後ろは同時期にいた動物。
 身長160cm程度の目線からの写真なので、小ささが実感できるのではないだろうか。

なぜ、これほど多様化していたのか?
どのように共存/競争していたのか?
それぞれの違いは何か?
なぜ絶滅したのか?

謎は尽きないが、これらを解明できる唯一のフィールドは、ここアジアなのだ。

本書はこうしたアジアの人類進化学について、
科学ライターの著者が、国立科学博物館の研究者・海部陽介氏にインタビューしながら、
現在の到達点を的確平易に解説するもの。

海部氏の全面的な協力のもと、
時に模型を手にとり、
時には発掘現場を実際に訪れ、
そして新たな発見をリアルタイムで体感しながらと、
エキサイティングかつ丁寧な解説書となっている。

例えばジャワ原人の進化史や、
フローレス原人がホモ・サピエンスの病気個体ではないことの立証などについては、
それぞれ一章が費やされ、海部氏の論文をベースにして、非常に詳しく解説されている。

ただ、タイトルどおりのテーマであれば、「人類進化700万年の物語 私たちだけがなぜ生き残れたのか」(レビューはこちら)などが適当である。

ただし最新の人類進化学の成果と進捗をリアルに体感できるという点で、
本書は読んでおいて損はない一冊。
まさにブルーバックスの面目躍如といった本である。

【目次】
目次
プロローグ 「アジアの原人」を発掘する
第1章 人類進化を俯瞰する
第2章 ジャワ原人をめぐる冒険
第3章 ジャワ原人を科学する現場
第4章 フローレス原人の衝撃
第5章 ソア盆地での大発見
第6章 台湾の海底から
終章 我々はなぜ我々だけなのか




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category: 進化論

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ある日、キャパシティを超えた。「捨てる女 (朝日文庫)」  

捨てる女 (朝日文庫)
内澤旬子



気がついたら、部屋も暮らしもなにもかもが、カオスになってしまった。
(p20)



正直、内澤旬子氏という名に覚えは無かったが、
飼い喰い――三匹の豚とわたし」(未読)の著者、と言われると、
ああ、と膝を打つ。話題になったものなあ。

本書は、それ以降の話。
内澤氏が乳癌になり、それが何のトリガーを引いたのか、
突如として「モノが溢れている状況」に耐えがたさを感じ始める。

食品、服、惰性的にある家具、仕事のための資料となる本、
趣味(というか果たせぬライフワークかな)である製本のための材料、
それらの見本となる世界各国の本。

これらの存在が次々と目に付きだし気になりだし、
ばんばん手放していく過程の記録が、本書である。

いわゆる断捨離本的に視えるが、実のところはちょっと違う。
食品にしても、「何とか消費して」ゼロにすることを目指すし、
東日本大震災を経て、電気を使うのが嫌だ―と行って炊飯器を手放すが、
冷静に読むとパソコンは以降も使っている。

漫画家・中崎タツヤ氏の「捨てる生活」は「もたない男 (新潮文庫)」(レビューはこちら)に詳しいが、
中崎氏のような片っ端から捨てる(例えば、読んでいる本も読み終わった部分は破って捨てる)潔さや徹底性は、実は著者には無い。

実際にところは分からないが、内澤氏の「捨てたい」という衝動は、
乳癌を経たことによって「管理できるモノ」のキャパシティが劇的に減少した、ということなのではないだろうか。

おそらくヒトには、それぞれ「管理できるモノ」のキャパシティが在る。
多くの場合、そのキャパシティを超えれば、モノは溜まる一方だ。
それが有価値なモノであればコレクターと呼ばれるし、
本であれば蔵書家と呼ばれ、
他者から見てゴミであれば、ゴミ屋敷と呼ばれるに過ぎない。

ただ内澤氏の場合、そのキャパシティーを超えることに対して防衛線が働き、
「捨てる」ことで対応しようとしたのではないだろうか。
本書は、そうした葛藤の記録としてなっている。

というのは、実はあとがきで、
「それにしても、どうかしていた。(略)
あきらかに捨てすぎてしまった。」
と書いているのだ。
これも、病からの回復(心身ともに)により、キャパシティが回復したことに所以するのではないだろうか。

その意味で、同じ「捨てる」という行為であっても、
内澤氏と中崎タツヤ氏は、全く異なる志向なのである。

そう考えれば、実は教訓が学べそうだ。

一、周囲からモノを減らしたいと思った時は、まず自身の健康を疑うこと。
一、健康であれば、素直に捨てるべし。
一、病であれば、少なくとも「今まで大事にしていたもの」は本当に捨てず、
  自分の管理範囲から除外するに留めておくこと。

これが正しいかどうかは分からないので、自己責任で。

なお、内澤氏の文体と、かなり開けっぴろげな(賞賛)内容に対しては、
好みというか、それこそ受け入れられるキャパシティが、人によって異なると思われる。
女性に幻想を抱いているような人は読むことをお勧めしない。
ただ文庫版あとがきが追加されているので、読むなら文庫がお勧めである。

あと、作中に、高野秀行氏の腰痛の本に関する言及がある。
腰痛探検家 (集英社文庫)」(レビューはこちら)のコトなので、興味がある方はどうぞ。

【目次】
Level.1――Start――
・職種と荷物
・カタストロフ襲来
・冷蔵庫の聖域
・家具の圧迫
・靴とも、さらば
・さっくり捨てろ
・まずいだけでは捨てられぬ
・夏に生まれた生態系
・腐れ縁チェア
・三度目の死に支度

Level.2――Fire――
・捨てまくり着火点
・ゴミに、歴史あり
・豚とゴミ
・シロアリ退散
・糞尿を浄化せよ
・ヘルハウスの清算とその後
・豚のいたスナック
・素直な見せ合い

Level.3――Storm――
・蒐集の血統
・二〇一一年三月十一日
・さらばトイレットペーパー
・アーフターベの極意
・一日一枚ハンドタオル

Level.4――Festival――
・本が減らない!
・本収納の永い旅
・紙と製本のボディブロー
・さらば「お宝本」
・イラスト比丘尼、如是説法
・言葉にできな
・この一冊だけは
・恥の展示
・恥の値段
・恥のあとさき
・人生折り返し包丁
・そして多肉が残った
・さらば捨て暮らし
あとがき
文庫版あとがき







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category: 整理整頓

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小説家が先端科学を聞きに行く。「科学の扉をノックする (集英社文庫)」  

科学の扉をノックする (集英社文庫)
小川 洋子


誰にも気づかれず世界のどこかに隠されたままになっている、新しい真理を発見しようと思ったら、理屈や常識を飛び越える感受性が必要になってくる。だからこそ、優れた科学者であるほど、豊かな情緒を備えている。(p79)



科学者に対するインタビュー集は、その聞き手の能力如何によって到達点が変わる。
最先端の科学者に対して素人がインタビューしても、その最先端の成果を、
正しく余すことろなく咀嚼し、文章化することはできない。

その点、本書を単なる「先端科学に関するインタビュー集」という枠で評価すれば、
残念ながら期待には応えられない。
どこまで本当かは分からないが(なにしろ小説家なので)、

もう一つ驚いたのは、太陽のような恒星が光を放っているのに対し、地球のような惑星は自ら光っていない、ということだった。(p15)



なのに、自分が将来何歳で何の病気で死ぬか、全部遺伝子に書いてあるのだとしたら? (p63)



といったように、学校教育レベルの科学知識を疑うような記述があるからだ。
本書を読み始めた際に感じた違和感もここにあった。
僕は単なる「先端科学に関するインタビュー集」として本書を読み始め、
インタビュアーにより、各先端科学を適切に紹介してくれることを期待していたからだ。

だが、おそらく本書の読みどころは、そこにはない。
本書著者は、「博士の愛した数式 (新潮文庫)」等の著書がある小説家。
だから本書は、「小説家・小川洋子が聞きに行くシリーズ」として楽しむべき本なのだ。
最終章の対象者が阪神タイガースのトレーニングコーチという点が、
それを如実に現しているといえるだろう。

そうして読むと、「小説家・小川洋子」がこう感じた、驚いた、という点や、
「小説家・小川洋子」に対して、各科学者が最も伝えたいと考えているポイントなどを楽しむことが可能となる。

また、取り上げられたテーマもスプリング8といったメジャーどころもあるが、
国立科学博物館の遺体科学者、粘菌、鉱物など、マニアックなものも少なくない。

各テーマについて本当に詳しく知りたいなら他書を探すべきであり、
小説家・小川洋子のエッセイとして楽しむのが、おそらく正解だろう。

【目次】
1章 宇宙を知ることは自分を知ること―渡部潤一と国立天文台にて
2章 鉱物は大地の芸術家―堀秀道と鉱物科学研究所にて
3章 命の源“サムシング・グレート”―村上和雄と山の上ホテルにて
4章 微小な世界を映し出す巨大な目―古宮聰とスプリングエイトにて
5章 人間味あふれる愛すべき生物、粘菌―竹内郁夫と竹内邸にて
6章 平等に生命をいとおしむ学問“遺体科学”―遠藤秀紀と国立科学博物館分館にて
7章 肉体と感覚、この矛盾に挑む―続木敏之と甲子園球場にて

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category: ノンフィクション

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自分の夢を、真摯に追求する力。「最後の授業 ぼくの命があるうちに (SB文庫)」  

最後の授業 ぼくの命があるうちに (SB文庫)
ランディ・パウシュ



今日、いまこのときは、なんてすばらしいんだろう。僕がどんなに楽しんでいるか、わかってほしいんだよ(p99)


死に対峙したとき、どう生きるか。
膨大な物語を紡いだ栗本薫氏は、その直前まで書き続けた(詳しくは「転移 (朝日文庫)」(レビューはこちら))。

本書著者のランディ・パウシュは、バーチャルリアリティの研究者として、
また3人の子の父親として幸せな生活を営んでいた。

ところが45歳の時にすい臓癌が確認され、切除手術が成功したかに思えたが、
46歳の時に転移が発覚する(その経緯は、奇しくも栗本薫氏と類似している)。

死が濃厚な可能性を帯びている中で、
著者はカーネギーメロン大学の講堂で、「最後の授業」を行った。

それはバーチャルリアリティの講義ではない。
もちろん当時、バーチャルリアリティの世界的権威ではあるが、
それは様々な「子どもの頃からの夢」を叶えた結果であり、
叶えていく途上の姿である。

だから、最後の講義のタイトルは、
「子どものころからの夢を実現するために」だった。

著者ランディの夢は、次の通り。

・無重力を体験する
・NFLでプレーする
・ワールドブック百科事典を執筆する
・カーク船長になる
・ぬいぐるみを勝ち取る
・ディズニーのイマジニアになる

これらは、どういう意味の夢なのか?
ランディは、どんな努力と工夫をしたのか?
夢は叶ったのか?
そして、「夢を実現する」という人生は、いかなるものなのか?

その講義は400人の聴衆が聞いただけでなく、
その後動画配信され、「またたく間にのべ600万ものアクセス数を獲得した」(本書序文)という。

(YOUTUBEの公式動画はhttps://www.youtube.com/watch?v=ji5_MqicxSo
ただし日本語訳がないので、「ランディ・パウシュ」で検索すると
対訳付動画がヒットする。
また、末尾にDVD付きの単行本のリンクも貼っておく。)

本書では前半に、転移を知った日、
その講義に至るまでの日々、
講義の概要や内幕を綴る。

また後半は、ランディが伝えたいことが数章にわたって綴られている。

今まさに病と闘っている人もいるだろうし、
ランディのように生きることが「正解」であると、単純に語れるものでもない。
(そもそも、ランディのように生きること自体が可能かどうか。)

だがただ一つ、冒頭に綴った栗本薫氏との共通点は、
最期まで「放棄しなかった」ことだろう。

正しく生きれば人生の歯車が回って
夢は実現します。

(最後の講義より)



【目次】
第1章 最後の講義
第2章 僕はこうして夢をかなえてきた
第3章 僕を導いてくれた人たち
第4章 夢をかなえようとしているきみたちへ
第5章 人生をどう生きる
第6章 最後に
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category: ノンフィクション

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