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ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

偽のアイデンティティーを、否定せよ。「椿井文書―日本最大級の偽文書 (中公新書 (2584))」  

椿井文書―日本最大級の偽文書 (中公新書 (2584)
馬部 隆弘



偽書、というのは厄介である。

いかに胡散臭い内容であろうと、それを求める者にとっては真実になる。
そして、その内容が流布されると、あたかもそれが真実のように思われてくる。
そうすると、その(偽書を元にした)噂を聞いたものが、逆にその偽書に出会い、
「やはり真実だったのだ」というスパイラルに陥ってしまう。

一度流布してしまった偽書を否定するのは非常に労力を要し、
その事例の一つが「偽書「東日流外三郡誌」事件 (新人物文庫 さ 1-1)」(レビューはこちら)である。

「東日流外三郡誌」は、まあ雑誌「ムー」でも昔からお馴染みだったので、
或る意味その胡散臭さは折り紙付きであった。

だが、本書が指摘する「椿井文書」は、違う。

主に、ある地域-村々の争いを有利に進めるために作成されたのだが、
昨今の町起こし、郷土史ブームを背景に、
いつしかその地域の歴史を丸ごと作り変えてしまったのだ。

「椿井文書」とは、現在の京都府木津川市山城町椿井で生まれた椿井政隆が、
江戸時代後期に作成した古文書類だ。

その特徴は、「歴史上、どちらか分からない事実」について、
一方に肩入れする偽の文書を作成し、しかも、その複数の偽文書を有機的に作成する点にある。

これにより、その側の人間は有利な立場に立つ事ができる。

本来は、こうした争訟を有利に進める意図で(おそらくは依頼を受け)作成していたのだが、
これらの偽書が各家や神社に遺されると、後代の人間はそれが事実と思ってしまう。

実際に文書を精査すると、
・改元の直前の年月日が記載されている
・正式な文書の様式に則っていない
などの特徴があるのだが、一度市町や(専門外の)研究者に認識されてしまうと、
否定することは難しくなってしまう。

本書は、郷土史を研究する立場からこの椿井文書に出会い、
それが事実として流布されている現状を打破すべく、
地道に、着実に積み上げた精査の結果を纏め上げたものだ。

なかなかに専門的な箇所、また事実の列記のような場所もあり、
それなりの知識がないと全てを読みこなすのは難しいだろう。

だが一方で、それだけの内容を新書で刊行したという事実は、
この「椿井文書」の問題を、出来るだけ一般化しようという著者の気持ちの表れでもあるだろう。

椿井文書で得た誇りを、否定することは難しい。
だが、本書が刊行されたこの時点で方向修正しなければ、
その地域、家、神社の真実の歴史は、二度と誰も研究しないだろう。

椿井文書という偽書による輝かしいアイデンティティーか、
それを失くした地味なアイデンティティーか。

当事者にとっては難しい問題だろうが、
素直に考えて後者が正しいのは、言うまでもない。

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category: 歴史

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「かぶとがに」という漢字がある。「歴史の中のカブトガニ―古文書でたどるカブトガニ」  

歴史の中のカブトガニ―古文書でたどるカブトガニ
伊藤剛史/伊藤大吾



漠然と、死ぬまでに出会いたい生き物の一つに、
「野生のカブトガニ」、というのがある。

なかなかハードルは高いだか、
うちの奥さんは昔むかーし、打ち上げられたカブトガニ(死亡個体)を坂出市沙弥島で見たことがある、とのこと。
羨ましいのである。
ネットで検索するとどうも山口県が狙い目のようなので、いつか行きたい。

さて、そのカブトガニ、見るからに異様な雰囲気である。
カニのようでカニではない。
現代人の目からしても何者だという感じなのだが、
では歴史上、人々はどのように認識してきただろうか-という疑問について、
徹底的に調査した結果が、本書である。

一言で、圧倒的労作。
著者が40年にわたって行った古文書調査の結果を、どうもそのご子息も協力しながら形にしたのが本書であり、
日本と中国の諸々の文献に、いかにカブトガニが取り上げられてきたかを整理し尽したものだ。
はっきり言って、余人の及ばない到達点である。

【目次】は、次の通り。
第一章 カブトガニの異名、地方名の由来
第二章 形と大きさの謎
第三章 鱟帆(こうはん)など、生体の謎
第四章 食料や薬としてのカブトガニ
第五章 そのほかの利用、分布・古地名、ほか
第六章 神代の日本の環境と、カブトガニが登場しない理由
参考文献 古文書集

すなわち、
まず文献からカブトガニに関する記述を全て拾い、その変遷、異名について考察し、
次に、それらの文献に記載されている内容について、
大きさや形についてどのように記載されているか、
どのような生態が記載されているか、
どのように利用されたか、等々を別章で解説するという構成だ。

カブトガニ、という名称について、現在の感覚からすれば違和感はないが、
中国で、もちろんその名で呼ばれていたものではない。
そりを示すのが「鱟(こう)」という漢字であり(表示されるかなあ)、
「かぶとがに」という訓があてられている。
(IMEでも変換できる。)

本書では、様々な文献から、古代人がカブトガニをどのように認識していたかを明らかにするものであり、
この異形の生きものが、
いかに我々の生活の傍にあったか(そして、なかったか)を明らかにしていく。

僕が子どもの頃、環境の悪化が大きな問題となっている中、
瀬戸内海のシンボルの一つにカブトガニがあった、と記憶している。

だからこそ、僕はこの目で、自然状態のカブトガニを見て、
それが次代に繋がっていくのを見たいのだ。

本書もまた、そうした想いが結実したもの、といえる。
類書はなく、追随できる書もない。孤高の一冊である。
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category: 節足動物

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探検と、旅と、本と。「探検家の日々本本 (幻冬舎文庫)」  

探検家の日々本本 (幻冬舎文庫)
角幡唯介


この際だからはっきりと言っておこう。人生をつつがなく平凡に暮らしたいのなら本など読まない方がいい。しかし、本を読んだ方が人生は格段に面白くなる。読書は読み手に取り返しのつかない衝撃を与えることがあり、その衝撃が生き方という船の舳先をわずかにずらし、人生に想定もしなかった新しい展開と方向性をもたらすのだ。p11



本を読む、という行為は、取りも直さず疑似体験なのだろう。
TV等の映像メディアと違うのは、映像・音がないという点だ。
全ては読み手の想像力の範疇であり、暴風雨を知らない者に暴風雨は想像できない。

ところが、優れた書き手は、その見たことも無い風景を眼前に広げてくれる。

居ながらにして世界を旅し、数億年前から未来を見渡し、
量子の世界から深宇宙まで想いを馳せることができる。それが読書である。

読まずにいられようか、ということで、僕も日々本を読む。

著者は「空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む 」(レビューはこちら)において、
文字通り前人未到の大渓谷に挑んだ探検家。
近年は極夜の旅に軸を置いているようだ。
本書はそのツアンポー渓谷の旅を終え、次なる旅を模索している時期に、
著者が読んだ本、影響を受けた本などを紹介するもの。
小説篇とノンフィクション篇に分けられているが、いずれも「探検家」という視点、想いも重なり、
単なる本の紹介に留まらず、探検とは何か、旅とは何かを常に問う感じだ。

類書と違うのはまさにその点であり、
著者が「探検」という現実的な行動、しかも生死を左右するような状況へ飛び込むことを業としていることから、
いきおい、本のチョイスも読み方も、そうした視点が強くなっている。

こうしたブックガイド系は、嵌れば素晴らしく新しい本との出会いをもたらしてくれるが、
僕は9冊、本書で「読みたい」という本に出会うことができた。
(そしてすぐに3冊は入手した。)

これらの本が、どのように僕の人選の舳先をずらすか。

少なくとも、「読んでない人生」と、「読んでしまった人生」には、雲泥の差があり、
後者の方がカラフルな人生であるのは、間違いない。
いざ、読書という探検へ。



レビューはこちら
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category: 読書

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温泉旅館は、迷路であった。「四次元温泉日記」  

四次元温泉日記
宮田珠己



廊下の幅が気まぐれ。
T旅館の迷路には、そんな秘密があったのだ。
p173


さすがの私も何がどうなっているのかわからなくなり、館内図はありますかと宿の人に尋ねたが、ないとの答え。建て増し建て増しで、七○年かかってこんなふうになってしまったと宿の人は笑っていた。p228



温泉は良い。と感じる人は多いと思うのだが、本書著者は違う。
温泉なんてたかが風呂ではないか。なぜわざわざ行くのか。なぜ何度も入るのか。
「温泉が良いなんて意味わからん」というのが、著者宮田氏のスタンスであった。

一方、迷路のような旅館には興味があり、どうも本書企画は、当初は迷路旅館だったらしい。
だが、そこに温泉というテーマを付けた時、
これまで気にもしなかった、「温泉旅館」の側面が開けたのだった。

本書には、14章の旅が収録されている。1章で複数箇所の温泉に行っている場合があるので、
旅館数とすると20数館。その多くについて、著者による館内図が付けられているが、
それを見るだけでも、楽しい。

というか、理解できない。

なぜ、この廊下は斜めなのか? なぜ階段があちこちにあるのか?
なぜ三角の部屋があるのか? 等々、疑問が尽きない。

著者もその迷路具合に歓喜し、毎回探索を行っているのだが、
そのリアルタイムの謎具合が、いい。

実のところ、温泉旅館というのは古くから続くもの。
ただ、その構造と経営上、「温泉」の位置を替えることは困難である。
そうすると、部屋の建て増しは既存建築に付けたしていく場合が多く、
それが迷路化の一因であろう。

それにしても、良い意味で常軌を逸している建築物が多く、
たぶん非常時には迷うだろうなあ、という感じである。
(ただ多くの旅館は「無意味に広い」ので、
ほんとの非常時には逃げ場所には事欠かないだろうし、
木造の高層建築はそもそも営業していないので、窓から出れば良いだけである。)

また本書では、おじさん3人の旅であるが、
一緒に行くなどという気持ち悪いこともなく、好き勝手に旅して旅館で落ち合う(しかも3人揃わないことも多い)程度のユルい旅。
それがまた珍道中の感じを醸し出している。

さらに、当初は「温泉なんて」と思っていた著者だが、
度重なる旅と、意表をつく温泉との出会いによって、
遂に日に何度も温泉に入るようになってしまう。

その改心具合もまた楽しくて、
本書によって、ゆるくゆるく、非日常を探検できる。
ああ、温泉に行きたい。
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category: ノンフィクション

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イタリア、いい。「イタリア語エッセイ 風変わりで愛しいニッポン (音声DL BOOK)」  

イタリア語エッセイ 風変わりで愛しいニッポン (音声DL BOOK)
マッテオ・インゼオ



イタリア語を怠け怠け勉強していて、早や数年。不真面目なので一向にモノにならないが、
イタリア語の学習を通して、単なる「外国」の一つだったイタリアについて知り、
行ってみたい国になる楽しみは、日々増している。

本書は、NHKのイタリア語講座でもお馴染みの著者によるもの。
ありがたいことにイタリア語の対訳付。日本語部分も著者によるもので、
こういうイタリア語の言い方を、こういうニュアンスの日本語にしているのだなというのも実感でき、楽しい。

さらに、音声ファイルもダウンロード可能。僕もiphoneに入れて聞いているところ。

テーマとしては、「食レポ」や「コンビニ」、「自販機」や「天気予報」などなど、
日本人なら当たり前と思っていることが、いかにイタリア人の目から見れば驚異的か、というものが多い。
こうした視点についての本などは多々あるが、やはり「イタリア」という国が視点のベースになっていることが、
本書のキモである。

また、著者自身が既に日本滞在歴も長く、公平・平等に両文化を比較できるというのも、
重要な点だろう。
ともすれば旅行者としてのイタリア人から見た日本になりがちだが、
生活者としての視点があることで、著者の様々な指摘は極めて興味深い。
また、その合間に挿入されている「イタリアならこうだ」というのも、逆に日本人の目からすると驚くことも多い。

NHKの語学番組を通してだが、著者は、とてもまじめで優しい方とお見受けしている。
本書もそれがにじみ出ていて、読んでいて気持ち良い一冊である。

なお、イタリア関係では
YOUTUBEで、独学で日本語を取得したダヴィデ氏による「イタリア語だったらどう?」が楽しい。

↓テキストも刊行されている。


また、イタリアのPOPSもとても良い。YOUTUBEで各種楽しめるが、
総合的な情報としては Piccola RADIO-ITALIA  がお薦め。
最近はSpotifyのプレイリストも提供してくれている。

これらも活用しながら、ぜひ素敵なイタリアを知り、本書も楽しんでいただきたい。
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category: 語学

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