ちょっとヨクナレ ~読書と日記~

自然科学、歴史、ノンフィクション等の読書記録

稀代のストーリーテラーが、ガンと向き合う。「ガン病棟のピーターラビット (ポプラ文庫)」   

ガン病棟のピーターラビット (ポプラ文庫)
中島 梓



ガン病棟のピーターラビット (ポプラ文庫)

エンターテイメント小説には、それぞれの時代の波が有る。
現在ライトノベルが多数刊行されているが、
一昔前は新本格(推理小説)が元気だった。
80-90年代は、RPGが流行った影響か、ファンタジー小説だったように思う(個人の感想である)。

そうした「内容」の流行りとは別に、80-90年代独特の雰囲気として、
1巻完結のシリーズではなく、
とにかく多数の巻数で一つの物語、という刊行形態が認められていたというのが、ある。

息の長いシリーズを刊行するだけ余裕が出版社にあり、
読書もそれを受け入れるだけの余力と時間があったのだろうが、
この刊行形態を定着させ、かつ成功したのが栗本薫の「グイン・サーガ」シリーズだ。
(例えば半村良の「「太陽の世界」 も全80冊でムー大陸の全史を綴るという構想で、
実際とても面白かったのだが、18巻で途絶している。
延々と一つの物語世界を構築し続けるというのは、大変なのだ。)

僕も高校生時代、先輩に「本好きならこれを読んでおくべき」と薦められた。
それは面白さというより(まあ面白いのだが)、当時の「色々な本を読んでいる」と言うなら、
嗜みとして読んでおくべき、という風潮だった。

ちなみに僕は早々に挫折し、グインを追いかけることはしなかったものの、
(ただ、「魔界水滸伝」を読んでた。)
当時の本屋に行けば、誰でも栗本薫の刊行ペースと仕事量は目に入ったと思う。

とにかく、「書く」という欲求の権化のような、恐ろしい書き手と感じた覚えがある。

さて、全100巻をうたった「グイン・サーガ」は、100巻で終わる雰囲気は毛頭なく、
結局延々続くことになる。
読者は「全くどこまで続くのやら」と呆れながらも、
年数回刊行される「グイン・サーガ」を、季節が当たり前に変わるかのごとく受け入れていた。

いつか(たぶん10数年後だろうが)グイン・サーガも完結し、
その時はお祭り騒ぎになるのだろう。
でもどうせ栗本薫のことだから、外伝やら新グインやら、結局いつまでも続くのだろうなと、
安心していた。

だが、終わりは来なかった。
2009年(平成21年)5月26日、栗本薫はすい臓ガンのため死去。
栗本薫自身の手によるグインは、130巻で終わった。

もうその頃には栗本薫の本を手にすることはなくなっていたが、
その時の、言いようがない喪失感は、今でも覚えている。

本書は、その死因であるすい臓ガン(当初は胆管ガンと思っていた)が発覚し、
一旦退院するまでの記録である。
(後書きで再発が記され、続きは「転移 (朝日文庫)」(未読)に記される。)

殆ど20年ぶりに栗本薫の文章を読んだのだが、
「そうそう、毎回こんな後書きを楽しんでたよなあ」と思い出す語り口。
それでガンに向き合う日々が綴られているのは、なかなか複雑な感慨がある。

栗本氏は本書の中で、
「「エッセイを読む」というのは、「その著者と膝をまじえて話をする」みたいなところがあって」
と書いている。
すなわち本書は、まさにガンに直面した栗本氏と対話するような本なのだが、
栗本氏に悲壮感は、ない。
「達観」というのとは違うが、そこには現実をそのまま受け入れる、しなやかさが有るように感じる。
ガンという事実に左右されるより、
とにかく「今まで通り物語を書きたい」という、
それは幾多の物語を紡ぎだした著者だからこその欲求があったためかもしれない。
その点で、多くの「普通の人々」の参考にならないかもしれない。

ただ、少なくともグインやその他、栗本氏の作品を楽しませてもらった人間としては、
ああ、「栗本薫らしいなあ」と納得するだろう一冊である。

ただ、この続編「転移 (朝日文庫) 」を未読なので、
そこでどう栗本氏が綴っているかが、気になる。











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category: 医学

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フィールドワークの醍醐味を伝える。「鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。」  

鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。
川上 和人




最も親しいスズメにしても、詳しい生態を知り、他種との違いの意味を読み取り、
なぜ「今」目の前にいるのか、なぜ「スズメ」という種が日本にいるのかを説明できる人は、ほとんどいないだろう。
それを読み解くことが、生物を相手にした趣味の醍醐味であり、それを仕事にしたのが生物学者である。

本書は鳥類学者である著者が、これまでの様々な研究テーマのトピックスを織り交ぜながら、
実際のフィールドワークについて紹介するもの。

前著、「鳥類学者 無謀にも恐竜を語る (生物ミステリー) 」、「そもそも島に進化あり (生物ミステリー)」(レビューはこちら )のように1テーマを追及した本と異なり、本書は著者自身の日常を記録したものだ。
そのため統一されたテーマは無いものの、随所に散りばめられている鳥類学的知見については、多くの方が驚くのではないだろうか。
また、そこそこ鳥関係の本を読んでいる層であっても、近年話題となったテーマの舞台裏が取り上げられていて、興味深い。

例えば、絶滅したと思われていた小型ミズナギドリ「ブライアンズ・シアウォーター」を、2012年に小笠原で再発見し、
「オガサワラヒメミズナギドリ」という和名を付けた件。

報道では、
「アメリカで記録されていた小型ミズナギドリ「ブライアンズ・シアウォーター」が、小笠原で生きていたのを再発見した」
というニュアンスであり、そう理解していた。
だが、同種は実は長くヒメミズナギドリに紛れていて、誰も存在に気づいていなかった。
剥製標本から「ブライアンズ・シアウォーター」たる新種と認められたのが、2011年8月。
すなわち、「昔から知られていた種」ではなく、近年の再調査によって発見された種だったのである。

一方、実は、著者は2006年12月には既に小笠原産の本種の標本をDNA分析し、
新種かもしれないという感は抱いていたという。
もし、その時に詳細に調べていれば、「日本から、ヤンバルクイナ以来の新種鳥類発見!!」なんて報道になっていた可能性もあったのである。
この件に関する著者の弁は、ぜひ実際に本書を読んでいただきたいが、逃がした魚(というか鳥)は大きい。

また他にも本書では、話題となった新島・西ノ島での調査記、
絶海の孤島である南硫黄島での上陸調査などなど、現代の「鳥類学者」のフィールドワークを垣間見れる。
ノーベル賞をもらうような物理学者の世界とは全く異なるが、
生き物を相手にした調査って面白いということを実感できる一冊である。
 
本書と「[カラー版]昆虫こわい (幻冬舎新書)」(レビューはこちら)は、フィールドワーク好きなら絶対に読んで楽しい本である。
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category: 野鳥

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本好きなら、手元に備えておきたい。「打ちのめされるようなすごい本 (文春文庫)」  

打ちのめされるようなすごい本 (文春文庫)
米原 万里



ベルリンの壁がある時代に育った身としては、正直なところロシア圏なんて全く視野の外。
ドストエフスキー等の世界文学くらいしか、「本」としては知らなかった。

今でこそ佐藤優というロシア圏を読み解くスペシャリストがいるが、
情報すらなかったからなあ、と思っていたが、実は僕が無知だっただけだと、本書で気づいた。

米原万里というロシア語通訳・エッセイストが、
長らく冷戦後のロシアの世界を「通訳」してくれていたのだ。

本書は米原氏の様々な仕事のうち、
特に「書評」に絞って集約した一冊。
文庫で500ページを超える厚さで一瞬怯むが、
ロシア文学、現代ロシア小説、日本の小説、エッセイ等々、
様々なジャンルを縦断した米原氏の「全仕事」だけに、この厚さも納得である。

そしてジャンルの幅もさることながら、驚くのは米原氏の丁寧な書評だ。
僕のこんな感想文とは全く異なり、
その「一冊」の魅力を冒頭でがっちり描き出し、
そして丁寧に内容を紹介していく。
名書評家というのは何人もいるだろうが、まさにその中の一人に相応しい。

また、近現代ロシア文学・小説に関しては、その紹介の幅、内容ともに一級品だろう。
本書一冊で、ロシア文学の見事なガイドブックとなっている。
読みたい本の書評に付箋をつけながら読んだのだが、
米原氏の語り口に釣れられたためか、また「読みたい本リスト」が延長してしまった。

なお、第一部「私の書評日記」では、合間にガンと直面する米原氏の日々も記されている。
米原氏は読書家であるだけに、ガンとの闘い方も本から入っていく。
その結果米原氏が信頼を寄せたガンへの認識や闘病の方法については、
個々人がどうガンと向き合うかは、真に個人の自由であるために僕は意見を出さないが、
もしかすると読む人によっては違和感があるかもしれない。

あと、本書巻末には書評において紹介された本について、
書名索引と、著者索引がある。
米原氏の質の高い仕事が、さらにこの索引に活かされることになった。
見事な本の造り方と感動した次第である。

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category: 読書

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気軽な机上の旅を味わおう。「斑猫の宿」  

斑猫の宿
奥本 大三郎



フランス文学者にして虫屋の奥本氏のエッセイ。
タイトルは「斑猫の宿」、斑猫ってハンミョウという虫なので、本書も昆虫主眼の旅エッセイかなと思って読んでいたが、思いのほか虫テーマは少ない。
その代わり、土地の名所・旧跡を訪れることも多々あって、
何だか勝手が違うなと思っていたら、
本書は雑誌「旅」の連載をまとめたもの。「旅」そのものがテーマだったのである。

連載期間は平成10年6月から平成12年4月まで。旅の時期はもう少し早くからと思われるので、
今から20年くらい前である。長良川河口堰問題を始め、日本全国での乱開発が盛んに問われ、
少しずつ方向性が変わってきた(反対運動の成果もあるし、景気の悪化のせいもある)時期だから、
「無駄な開発ばかりする行政と土建屋」に対する苦言が随所にある。
それはそうなんだろうけど、ちょっと主張が重なり過ぎる感もある。

著者自身もあとがきで書いているが、こうして全国津々浦々を鉄道と自動車だけで気軽に旅行できるのも、
数多の開発の成果ではある。

その現状は今も変わらず、
自然保護、開発反対が言われる一方で、荒れ果てて放棄されつつある山間部の維持や、
ますます頻繁になってきた気象災害の防災工事・災害復旧工事なども重要になってきていて、
開発と保護のバランスはやはり難しい。

そうした思いは有るものの、それでも本書に掲載されているとおり、
わずかに遺された聖域、奇跡的に残った虫、それを追う同行の士との語らいなどは、
しみじみと楽しいものである。

北海道、有澤浩氏(鳥屋にはクマゲラの、という方が分かりやすい)と探すオオイチモンジ。
四国、四万十トンボ自然公園。
長野県での地蜂探し。
岐阜のギフチョウ。
フランス・コルシカ島でのファーブルゆかりの木探し。

昆虫と、昆虫好き人々との邂逅によって得られた、
一期一会の体験が、この一冊に残されている。

20年前の紀行エッセイではあるけれど、
こうした視線の旅は中々少ない。
昆虫という著者の軸に関係なく、ちょっと変わった旅を楽しめる一冊である。


【目次】
第1章 西表・波照間の巻―電信柱のカンムリワシ
第2章 小千谷の巻―いざり機とルーズソックス
第3章 富良野・大雪の巻―高貴な蝶は悪食家
第4章 四万十・足摺の巻―叛逆者とトンボの楽園
第5章 白馬・戸隠の巻―利権おいしかの山
第6章 泉州・南紀の巻―微小な生命と神々の国
第7章 岐阜の巻―束の間の蝶、超大粒の山椒魚
第8章 横浜・東京の巻―珍獣奇鳥怪魚は街に棲む
第9章 宮城の巻―ほたるの宴 窓の雨
第10章 長州の巻―防人の島と斑猫の宿
第11章 仏蘭西の巻―コルシカの栗の樹の下で
第12章 日向の巻―石垣と孤高の外交官
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category: 旅行

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ネットにしか逃げられない絶望が有る。「Dr.キリコの贈り物」  

Dr.キリコの贈り物
矢幡 洋



1998年。どうやってインターネットに接続していたかすら忘れたが、
確かISDNを引いていた、ような。
必要がある時間だけネット回線を接続してた筈だ。

常時接続なんて夢のまた夢だったが、
この数年後にその夢は現実になっていった。
そんなインターネット黎明期だからこそ、ショッキングに報道された事件がある。

それが本書で取り上げられている、ドクター・キリコ事件。

ネットを通じ、「ドクター・キリコ」から青酸カリを購入した女性が死んだ。
匿名性を利用した無責任かつ凶悪な犯罪と報道されていたが、
後日その「ドクター・キリコ」とされる人物も、青酸カリで服毒自殺し、事件報道は減少していく。

ただ、ドクター・キリコが「青酸カリは自殺を止める道具として送った」と主張していたらしいと何かで見聞きしていて、なんとなく真相が気になっていた事件である。

本書は、精神科医が本事件について、関係者からメールにより聴取した話等に基づき、
事件の概要と本質を分析した一冊。
事件が、実は報道とは全く異なる面があったことに、改めて驚かされた。

まずドクター・キリコ(別のハンドルネームは草壁竜次。以下、草壁氏と記載)自身、
愚直なまでの正義感のために疎外され、自殺志望があった。
だが、自殺のために青酸カリを手に入れたことから、事態が変わる。
「いつでも死ねる」という安心感が、「とりあえず一日」を生きる力となり、
「とりあえず一日」が増加していったのだ。
「確実に死ぬ手段」を手にしたことにより、強迫的な自殺志向が克服されたのである。
この特殊な体験が、草壁氏を動かしていく。

ネット上では、様々な理由から自殺を志向する人々が集う場があった。
その中の一つで、草壁氏は自身の薬物知識から、
死ぬために薬物を集めている人々の相談に乗る。
だがその回答は、「そんな量では実際には死ねない」という、
いわば自殺を諦めさせるようなスタンスのものだった。

その中で、いつしか草壁氏は鬱病等の精神病と診断され、
どうしても自殺を志向している人物に、
最後の手段として青酸カリを渡すことを始める。

ただそれは、実は草壁氏としては、自身の経験を踏まえ、
「自殺をやめさせるための最終手段」だった。
実際、それが効した人物が、本書では紹介されている。

だが、もちろん全てがうまく行く筈はない。
草壁氏の意図に反し、自殺してしまう人が発生する。
それに対し、草壁氏は「責任をとる」ために、自身の命を絶った。

これが本書が示す、実際の事件の構図である。
本書を読む限り、おそらくそうだったんだろうな、と思う。

本書にも収録されているが、僕の想像も及ばないほど悲惨な境遇に陥り、
死を選ぼうとする人がいる。
また、心の病、疲れ、その他様々な理由から、自殺を選ぶ人がいる。
僕自身は自殺はすべきではないと思っているが、
人が選択肢の一つとして自殺を見いだしてしまうことは、必ずあるだろう。

それを防止するのが社会的正義だが、その手段は全ての自殺志向者には届かない。

その隙間において、個人の力で無しうる最適解の一つを見つけたと思っていたのが、
草壁氏ではなかったのだろうか。

その方法が、正しいものでなかったことは事件が証明しているし、
本書著者も分析しているとおりである。

だが、こうした自殺志向者が数多く存在し、
それがネットの中でしか自身の苦悩を吐露できないのが、現実社会である。
草壁氏の愚行(あえて愚行と書くが)を非難することは容易いが、
草壁氏がその手段を見いだすに至った現実社会、
草壁氏の青酸カリを求める人々が続いた現実社会を糾弾するのが、本来の姿だろう。

だが現在の日本を見れば、自殺社会ともいうべき様相を呈している。

本書を読んだのは実は昨年7月なのだが、
その後、神奈川県座間市での自殺願望が有る人々に対する殺人事件が発覚した。
こちらは歴とした殺人事件ではあるものの、
自殺を考える人々が、ネット内でしか相談ではないという状況は、
なんら1998年のドクター・キリコ事件とは変わっていない。

ドクター・キリコ事件の本質に、もっと社会がしっかり向き合っていれば、
この事態は変わっていただろうかとも思うが、過去は変えられない。

しかし、未来は別だ。
現在の自殺社会を、このまま継続するのか、否か。
ドクター・キリコ事件を振り返り、
そして座間市での事件を経験した今こそ、現実を直視する必要があるだろう。



【目次】
青酸カリを抱いて
『安楽死狂会』誕生
心中しませんか
樹海にて
さまよえる援交少女―「あい」の独白
八百屋お七
生と死の闇―自殺・治療構造・虚無の心理分析
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category: 事件・事故

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